3-7
冴え冴えとした雲ひとつない青空。それはまるで俺の晴れやかな気持ちを代弁しているようで余計に気分が良い。さっきまでの落差があるから余計にそう感じる。陽の光が細波に反射してきらきらと輝く様は見ていて心躍った。
「おー、いるいる」
その果て。水平線に並ぶ山と小さな影。片方が島で、片方がイッカクである。
「思ったより近かったな」
「そうだな。しかし、さすがの大型モンスターといっても、これだけ離れていたら小さく見えやがるな」
ルゴンドから二日の距離だ。イッカクを目撃した者がルゴンドの街にいると聞いてもしやと思っていたが、予想通りだったようで安心する。やはり追い風が吹いているぞ。
「……思ったんだが、あの島からイッカクを攻めて追い立てるってのは駄目なのか?」
「無理だろ。飲み込まれる」
「そうか?」
オラルドが提案するものの、それは駄目だと却下。あの規模の島じゃイッカクとまともに戦うことなどできるはずもない。
「過去の例でもおそらく、イッカクを倒したやつらは船に乗っていたはずだ。魔法によって機動力を得ることで緊急回避を成功させる。陸地だと、ひとりひとり殺されて終わりだよ」
船での戦闘であれば、全員生きるか全員死ぬかの二択が基本になる。まあ大抵は何人か船から落ちて死ぬけど。
それはともあれ、イッカクのあの攻撃範囲を相手に陸地で戦うのはむしろ無謀ともいえる。人間側がイッカクを攻撃するには海岸近くまで出ないといけないのに、向こうは遠くから一方的に攻撃できるからだ。それだけの広範囲攻撃と火力を兼ね揃えているのがイッカクなのである。
これが船であれば足場が移動する上に、「魔法使い」も全力で機動力を得るために力を貸すので、生き残る可能性が上がる。
「あと勘違いしてるみたいだけど、あの山みたいな方がイッカクだぞ? 小さい影になってる方が島な」
この距離からあのでかさと考えると、結構大きな個体みたいだな。魔王軍のおかげか、この海域にはクラーケンやリヴァイアサン以外にイッカクを殺し得る天敵がいないため長生きしているのだろう。レベルも予想より少し高いかもしれない。
「……ん? どうした?」
メイもエミリーも、オラルドたちも目を見開いていた。
「あっちが……イッカク?」
悪い冗談は言うものじゃないなどと呟きながら、俺に訂正を求めるオラルド。そう言われても、事実であることに違いはないのである。
「そんな疑うようなら……。メイ、遠見の魔具出せ」
「はいですっ」
メイは自分の背丈ほどもある巨大なリュックサックを下ろし、その中を探り出した。端から見た感じ、リュックサックに飛び込んで探しているようでもある。足とか地面に着いてないからパタパタしてるし。
もちろん、これはメイの成長に合わせて買い換えたものである。最初はここまで大きくなかった。ちなみに成長というのはレベルアップのことだ。メイは「魔術師」だからそこまで筋力の伸びは良くないけれど、それでもさすがに一〇〇レベルを超えていれば、これくらい背負える。軽くはないだろうが。
その様を見ていると、刺さるような視線を感じる。
「なんだ? 文句あるのか?」
「……山ほどあるけど、リーダーにしつこく説教されたから、今だけは黙っていてあげるわ。感謝しなさい」
「覚えていたらな」
即座に忘れようそうしよう。精神衛生的にもそっちの方がいい。
「ありましたですー。ご主人様、これです?」
「ああ、合ってる」
メイから受け取ったのはモノクルに似たものだ。ただ片目に嵌めることはできず、常に片手で落ちないようキープしておく必要がある。乱雑に言ってしまえば、モノクルの形とサイズをした虫眼鏡。
ただし、これは魔具だ。魔法が内包されており、所有する者へ一時的にそのスキルを付与する働きを持つ。そのスキルこそ〈遠見〉だった。「猟師」や「狙撃士」、「猛獣使い」などといったロールが修得するスキルである。俺は「勇者」であるため修得できないので、こうして補うというわけだ。
そいつをオラルドに手渡すと、何故かおっかなびっくりしている。どうした?
「おま、これ……本当に魔具、なんだよな……」
「当たり前だろ。そいつを持ってる間は〈遠見〉のスキルを使えるはずだぜ」
「そんな魔具って国宝級……これひとつ巡って戦争が……いや、考えるのはよそう」
まあ、そうかもしれないな。「強欲」の魔王軍四天王のひとりの城を漁って手に入れたやつだし、それくらい凄い価値があってもおかしくない。
タダで手に入れたものだし、そこまで頻繁に使うものでもないから、俺にとっては壊れたら壊れたで諦められる品物でしかなかった。貴重品で価値があるのも理解しているので、売ったりはしないが。
「〈遠見〉――うおっ!?」
オラルドはスキルを発動した瞬間、びくっとする。それを見て他の連中は驚いているが、俺は既視感があったので少し笑った。俺自身、初めて使ったときは今のように声を上げてしまったからだ。
感覚的には遠くのものを見えるようになるというより、自分の視界だけが遠方へ凄まじい速度で飛んで行っているといった方が近い。
超乱暴な言い方をすれば、怪力なやつにぶん投げられた感じ。
「焦点の調整は魔具の方でやってくれるはず。見たいところを見れば大丈夫だ」
「そう、みたいだな。おお……本当にでけえな、野郎。クソ、クラーケンもあそこまででかいのか?」
悲痛と不安の色が混じった声で訊ねてくる。ここでヤツの姿を見ておきながら諦観が出てこないだけマシだろう。内心でオラルドへの評価を少しばかり上げておく。
「あそこまでってのは考え難いな。もしそうなってるみたいなら、本格的にこの作戦は失敗する可能性が高い」
オラルドは舌打ちしてモノクルを外し、ルミナークへ渡す。彼女もそれを起動させ、同じようにびくっとして小さく悲鳴をあげた。オラルドはわかるよというように頷いている。
「大きい……全長、何メートルくらいあるかしら?」
「二五〇くらいはあるんじゃないか」
「一人言よ。誰もアンタなんかに聞いてないわ。勝手に答えないで」
…………さよけ。
続いてエイリークへ。そしてまた同様に声をあげ、俺に魔具を返してきた。
「ほい、メイ。仕舞っとけ」
「えっ? メイは見ちゃだめです?」
「別にいいけど、チビるなよ? エミリーならチビるぞ」
『チビんないわよ! 失礼しちゃうわネ!』
「うう……。メイは自信ないので、素直に従うのです」
『あ、待って! ワタシにも使わせて――ぬぐぅ! 重いっ!』
先日、初顔合わせの夕食でエミリーの存在はオラルドたちに紹介しているので、今の彼女は隠蔽魔法を使っていない。だが、非常に小さな存在であるエミリーが貴重品である魔具を重そうに持っているのを見て、連中はハラハラしているようだ。
それも無理はない。エミリーの身体の大きさからすると自分の身体の三分の一くらいの大きさになる。それに加え、精霊ではなく妖精になっている今では全ステータスが以前より劣っているはずだ。それでも、同レベルの人間の「魔法使い」よりは遥かに強いはずだが。
……耐久力はゴミなので、触れれば羽虫のように散る運命ではあるが。いやむしろ、魔法が使える羽虫くらいの考えの方が近いのかもしれない。そう考えよう。エミリー=羽虫。間違いないね。
『ヒィィイヤアアアアアッ!? 何アレ! 何アイツ! でかっ! キモッ! チョット信じられないワ! あんなのと戦うっていうの!? 人間って馬鹿なの!? 死ぬの!?』
酷い言い様だな。気持ちはわからなくもないが。俺も正直、ルゴンドの街の人間たちがクラーケンを相手にして勝とうとか思っている段階で似たようなことを考えた。
けれど、エミリーの言葉には否定しなくてはならない部分がある。
「誰も死のうなんて思ってないわよ」
鋭く冷たい口調で、ルミナークが腕を組んだまま告げる。
「そうだね。僕たちは生きるために戦うんだ」
そしてエイリークがその後を拾い、続けた。おまえは既に死んでるけどな。
「そういうことだ。それとも、おまえ、一人で故郷に帰るか? 俺は止めないぞ?」
『じっ、冗談デショ!? ワタシを根性なしみたいに思うのやめてくれる? コレでも、エリートなんだからッ!』
ふんすと胸を張ろうとし、魔具が重過ぎてバランスを崩した。メイが慌てて保護し、魔具を受け取って鞄に戻していく。落として割ってたらお仕置きだったぞ。
「さて、イッカクは見付かったな。それでどうするんだ?」
「ん?」
オグルドが訊ねてくる。
「『ん?』じゃねえって。まずイッカクを発見するのがおれたちの役目だけど、それをクラーケンのとこまで誘導しなきゃならんだろ。そのことを言い出さねえから、おれはおまえが何か考えを持ってるんだと思っていたんだが……」
ああ、そういうことか。
「単純に、反対方面から追い立てればいいだけだろ?」
「馬鹿なことを……。クラーケンと同じじゃない。どうやってあんな海洋にいるイッカクを追い立てるっていうのよ? それこそリヴァイアサンでも呼ぶつもり?」
先日、俺の魔法を見てなかったのだろうか? いやまあ、見ていたからこそ、この二日間はルミナークも静かだったんだが。
「そこは俺たちでやる。おまえらは先に街に戻って連絡しといてくれ。準備が出来次第、俺たちが追い立てる」
「だから、どうや――」
「できるもんはできるって言ってるんだ。そこは、パーティの仲間を信じてもらわないと駄目だな」
ルミナークの顔が思いっきり歪んだ。当然俺はしたり顔である。理由は知らんが、こいつが俺のことをサーキス以上に嫌っているのは理解している。だからこういう言い方をすれば不快になると気付いているのである。
悪意に慣れているということは、それを活用する方法も熟知しているということなのだ。光が強いほど影が濃くなるように。
「アンタのどこを信じろって――」
「落ち着け、ルミナーク。そこまでだ」
「そうだよ、ルナー」
オラルドはともかく、エイリークが彼女を諌めたのを見て、俺は少し瞠目した。
死霊は基本的に主人に忠実だ。そういう風に復活させないと、死霊自体に主人が殺される可能性がある。その場合は死霊もまた死ぬことになるのだが、それとはまた別の「死霊使い」がいれば別の話なのだ。非常にレアな遭遇にはなるだろうが、可能性は決してないわけではない。
そのため、普通は死霊を復活させる際にそういった術式を組み込む必要がある。そしてそれはスキルとして「死霊使い」なら必ず所有しているのである。
それなのにエイリークがこうした行動を取ったということは……。
「ルナーさん……」
考えていると、メイがルミナークの元にとてとて近付いていった。
「メイたちを信じて欲しいです。ご主人様も、きっと、ちゃんとやるはずなのです」
「……メイちゃんには悪いけど、私はあんなクズを信用できないわ」
誰がクズだ。救世の「勇者」だぞ。今は「欠落」だが。
言い換えれば、俺はこいつらにとって命の恩人に等しいはず。
そのことを知らないとはいえ、無知は罪ともいう。これは鞭打ちの罰が必要ですね。……よし、うまいこと言えた気がする。
「なら、メイを信じて欲しいのです!」
俺がぼんやり考え事をしている間にもメイとルミナークの会話は続いていたようだ。
メイの一言にルミナークは唖然とした表情を浮かべる。その隣にいるエイリークも同じように唖然としていたが、我に返るのは彼の方が早かった。そして彼女の肩を叩き、微笑を浮かべる。
「太陽」の笑みと似ていて慈愛に満ちているが、彼女と違って、彼のそれは術者たるルミナークにしか向けられるものではない。その点で、彼は決して勇者ではなかったし、そのパーティに加われる人材でもなかった。
「ルナー、信じよう」
「エイリーク……」
『てか、何なのアンタ、こないだから。ウチのマスター、別にアンタに何もしてないじゃんヨ? なんでケンカ売ってくるワケ?』
エミリーが背中の羽をパタパタさせてルミナークの顔の前へ移動し、敵意を分かりやすいほど滲ませた声で言い放つ。
『アンタが喧嘩売らなきゃ、マスターだって普通にやり取りするわヨ。それなのにいちいち揚げ足取りしちゃったりしてさあ……。馬鹿じゃないノ? 馬ッッ鹿じゃないノ? 信用できないなら自分たちだけでやればいいじゃない。マスターだってそう言ってんじゃないたたたたたたっ! メイ! 何ヨ!?』
「精霊さんはちょっと黙っててくださいなのですーっ」
『ギョエーッ』
メイがエミリーと自分の髪飾りを繋ぐ紐を引っぱり、彼女を両手で握りしめる。その間、俺はルミナークを観察していた。
ルミナークはメイに言われ、心を揺らしていた。しかし、俺を信用できないと言う。
そしてエミリーがついにキレてしまうのも頷けるほど、俺から彼女へ敵意を取られそうな反応はしていなかったと断言できるのだ。俺に敵意を向けるから、俺だって鏡のように敵意を返していただけなのである。でなきゃそんな疲れることするかい。それに美人ではあるし。自分から美人に嫌われようとする男はまず存在しないだろう。
考えられることがあるとすれば、彼女の内面に、だ。
俺の性格か、外見か、声か。それが何なのかはわからないが、それが彼女にとって憎むべき対象と符合するものがあったのだろう。だから彼女は俺を忌み嫌っている。
勿論、だからといって俺が彼女へ優しくする必要などないし、する気もない。そんなのは全部個人の問題であり、それを俺が勝手に背負おうとするのは間違いだ。それをしようとするのであれば、そのまま彼女の一生を背負うくらいの覚悟を持つべきだろう。俺はそんな重いもんいらんね。
だが――こいつが駄々を捏ねていると、そのままルゴンドの人々が共倒れで死ぬ。作戦立案から協力までしている以上、ここで失敗に終わられるのも癪だ。「英雄」の沽券に関わる。これは個人的なプライドだが、それでも割り切れないものはあってしまうのだ。
そう。だから、重要なのは割り切りではなく、区切りだ。
最低限の線引きを明確にしておく。それがないからこそ、ただ近寄られているというだけで拒否反応を起こしてしまう。ここまではセーフ、というラインを自分と相手との間に構築しておく。別に好かれたいわけでも嫌われたいわけでもないが、そうしておかねば話が進まないのだ。
「……歩み寄りってわけじゃねえけどよ」
告げる。
「ここで話がこんがらがっても困るんだわ。俺も、そっちも。だから、線引きしよう」
感情を排した、理性的な話。それはどこか商売人じみている。
理論が重要視される「魔法使い」だからだろうか。彼女もそれに乗ったようだ。
「癪だけど、それしかないようね」
うん。冒険者として生き残るため、そして街の人間たちを救うための会話だと理解したのだろう。だから彼女もこれまでのように、感情に従ってこちらの言葉を振り払うようなことはしなかった。……今更ようやくかよ、と言いたくはあるが。
「俺は俺で、あんたはあんたで、互いに仕事の話以外はしない。逆に言うなら、話すことは仕事の話ってことだ。理解が及ばないにしても、そのことを忘れずに、最低でも話だけは聞く。別に危ないからって互いの命を救う必要はない。それで自分が危なくなるのもアホらしいからな。そんなところでどうだ?」
「…………そうね。それくらいなら、まあ、譲歩できるわ。アンタなんかと心中なんて絶対に嫌だし」
これで譲歩なんかい。憎まれ口なのはわかるから別にいいけど。
「話がとりあえずまとまったのはいいが……それでどうするつもりだ?」
「ん?」
オラルドが訊ねてくる。
「おれたちが準備できたとして、どうやって伝えればいい? それに、おまえはどうやって俺たちに合流するんだ? さすがに、二日掛かる距離をすぐにってのは、『勇者』だとしても無理だろ?」
そういう心配か。いや、別に本気で走れば間に合う……かな? レベル下がってるからそこら辺はわからないな。本気を出さないようにしているし……。六〇〇レベルあったときなら余裕だったと思うが、あの頃からすれば半分のレベルだしな。ステータスでいうなら三分の一くらいかもしれない。四分の一かも?
改めて自分が今出せる力の限界を考えると、内心でひやりとするものがあった。
俺には「英雄」として戦い抜いた経験がある。それはレベルが下がろうと変わらない。だからある程度は力量が近い相手と戦うことになっても互角以上に持って行けるだろう。
そしてその経験にはスキルの存在も含まれる。
俺の持つスキルは「勇者」ロールで修得できるものだけではない。仙人に弟子入りする形で修得した仙術系スキルもそうだし、それ以外にも多い。これもレベルダウンで失われることはない。
だが。それらの経験があるからこそ、俺は実際に身体が出せる力量以上の行動を起こす。これまでと同じ感覚で挑み、あっさりと散る可能性がある。
まるで初級冒険者のような散り方だが、自分の力を慢心あるいは過信しているという意味では同じだろう。
……そう遠くない内に、全力を出して現在の自分の力量を確かめる必要があるかもしれない。
勿論奥の手は複数隠し持っているが、奥の手としているだけあってそう易々とは使う気もない。そうして牙を隠している間に殺されてしまっては間抜けの誹りを免れないだろう。
そういったことを考えつつ、オラルドへ返答する。
「連絡に関してはエミリーを付けよう」
『エッ? それは、その……ワタシの念話に期待し過ぎじゃないかな……』
エミリーが突然の無茶振りで身を震わせる。
それも当然の話だ。彼女の念話……つまりテレパシーはステータスに表示されない、彼女の精霊としての種族が持つ身体機能のようなものなのだ。そのため、スキルのようにランクを上げてどうこうの話ではない。人間だって腕をある程度動かせるが、それは関節が動く範囲でしかない。それと似たようなものである。
ああ、いや……声の方が適切な喩えかもしれないな。声の届く範囲には限りがあるということ。
「それに関しては、おそらく問題ない。ある程度推測は付いてる」
『エエエ!? なんで!? なんでマスターの方がウチらのこと詳しいのさぁ!』
そりゃ、おまえらが考えて来なかったからだろ。
自分に何ができて、何ができないのか。どうやれば強くなれるのか。
たいていの者はそこでレベルアップを狙う。あるいは技術を研鑽し、新たなスキルの修得を計る。
だからこそ、自身のステータスに表記されないものには注意を払わないのだ。それよりも、鍛えれば目に見える形で成果が現れる存在があるのだから。
けれど、俺は違う。
俺は「英雄」として一人で旅をし、戦ってきた。その中にはステータスに表記されない攻撃をしてくる者も当然いた。だから、対峙する相手が何をできるか……ステータスに表記されないからといって、決して油断できるわけではない。
生きるために思考を巡らせるのは当然。それはさながら蜘蛛の巣のように。
人間は「知恵」という名の巣を張り、獲物を狩るのだ。思考を滞らせる暇などない。
「おまえらの念話はおそらく意識上での距離に近い。実際の距離云々だというなら、そもそも念話が成立していること自体おかしいんだ。だって、人間側にはそんな機能がないんだから」
すべては精霊たちが無自覚に展開している意識の領域内であるからこそ成立する。そもそもとして、身体を魔力で構成されているということから見ても、精霊や妖精が俺たち人間や動物、モンスターたちとまるで別物だということがわかる。
それを逆手に取る。
彼女たちにとっての意識の領域というのは「肉体と思っている」領域の話。つまりは人間の体内を巡る魔力こそに影響を及ぼしているのである。実験をする時間がないのは問題だが、自信はある。〈遠見〉や〈索敵〉のスキルを考えれば考えるほど、それは事実であるように思えた。
「メイ、魔法瓶を出してくれ。小さいやつでいい。持ってるはずだ」
「はいです。ええと……ぁ、これです?」
おっ。思ったより早かった。労い代わりに頭を軽く撫でておいた。サイドテールが嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねる。
魔法薬や回復薬などはこうした魔法瓶に入れられている。瓶に付与されている魔法は単純で、内容物の劣化を遅延化させるというもの。鮮度を落とさないようにする魔法だ。これは付与といっても、瓶の生成過程で魔法を付与させておかねばならない。そうすることで、この魔法自体にも同様の効果を持たせることができるのである。そうでなければ何度も魔法を付与し直す必要があるためだ。
当然だが大きさによって価格も違う。取り出したこれは小瓶程度。それでもエミリーには非常に大きなものだろうが。
片手剣を僅かに鞘から抜き出し、そこで親指の腹を切る。そして小瓶の中へ俺の血液を数的垂らしておいた。そうしてから蓋を厳重に締め、エミリーに持たせる。既に彼女の胴に撒いていた紐は外しておいた。
『重いヨォ!』
「我慢しろ。どうしても無理なら、オラルドの肩にでも乗ってろ」
『そーする』
宣言通りオラルドの肩に座り、瓶を抱えて俺に尋ねてくる。
『これで……どーするノ?』
「その瓶の中の血を俺だと思えばいい。実際、俺の血で俺の魔力が内包されてるはずだ」
『そうは言っても……』
その血液が俺のものだということは理解できても、そこから俺個人をイメージできないのだろう。
「ま、最悪は封を開ければいい。そしたら一時的だが、魔力が強く感じられるだろうし。ただ……」
ふっ、と俺は嗤っておいた。
それを見て、メイとエミリーは身体を震わせる。
「十日経っても連絡がなかった場合……わかってるな?」
『イ、イイイイエッサー! やるヨ!? ワタシ、やっちゃうヨ!?』
それでいい。それからオラルドへ注意を促す。
「今言った通り、十日だ。それと、おそらく連絡は俺へ一方的に向けるものしか無理なはずだ。こっちからの応えは期待するな」
双方向の念話が可能なのはエミリーが近くにいるからだ。念話を発する能力を持つのはエミリーであるため仕方ない。俺たちが双方向の念話をする際は、彼女が無意識に周囲へ展開する魔力がアシストしているのだろう。魔王が無意識に魔力の余波で大陸の気候を変えているのと同じ話。
「わかった。出発するってタイミングで連絡すればいいか?」
「そうだな……前日の夜の方がいいかもな。クラーケンとイッカクを争わせるわけだし。翌日の早朝に動き出してくれ」
「了解だ」
話がまとまると、オラルドたちはルゴンドの街を目指して歩き出す。エミリーは出荷された豚のような顔でこちらを見ていた。使えない豚も使える豚も豚は豚。出荷よー。
「……ご主人様、どうやってイッカクを追い立てるです?」
「なんだ、気付いてなかったのか?」
おまえが作戦のキーマンだっていうのに。
オラルドたちが見えなくなる程度まで離れるのを待ち、答えてやることにする。
「ドラゴンに変身するんだよ」
「ええっ!? ご主人様、そんなことできるです!?」
「………………」
なんで俺にそんなスキルがあると思った? さすがに「勇者」の域を超えてるだろ。
「おまえだよ、おまえ」
「え、えええっ!? メイです!?」
当たり前だろ。おまえの種族はドッペルゲンガーだぞ? むしろ、なんで自分じゃないと思ったんだ?
メイは惚けた顔で頬を両手でぐにぐにしながら、呟く。
「……メイがそんな、大切なことするって、思わなかったです」
「ま、おまえに任せても失敗するだろうから、背中に俺も乗るけどな」
「ホッとしたです。それなら、なんとかなりそうです」
今のメイがドラゴンに変身したところで、おそらく八〇レベルほどの力しか出せない。それではイッカクを脅かすのは無理だ。そのため、攻撃して追い立てるのは俺にしかできない。
「さて……ここからが困った話なんだよな。メイにも意見を聞くつもりだから、心しておくように」
「な、なんです?」
遠く、水平線に浮かんでいるイッカクを見る。
「殺さない程度に、でも殺せるくらいの魔法で脅かす予定だ。その魔法をどれにしようかって悩み」
「やはり……難しいです?」
「ああ……威力あり過ぎて、津波とかでわけわからん方向に流れかねない。流石に、俺も殺さないよう気を配って魔法を使ったことはほとんどないからなあ……」
メイがさもありなんという顔で頷いた。ムカついたので、頬を摘んでおく。
「さあ、久しぶりに二人きりだな。擁護してくれるエミリーはいないぞ? 最近ちょっと調子に乗ってないか?」
「そそそんなことないのですぅ……。メイはちゃんとお利口メイしてるですっ」
お利口メイってなんだ。いや、言いたいことはわかるけれども。
そんな下らない会話をしつつ、追い立てる魔法を選びつつ、俺たちは作戦開始の連絡がくるその日を待つのであった。




