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フェルビンキアという名の人間の国が、かつてサルニア大陸にはあった。その最北の都ルゴンド。古代フェルビア語で「交易」という意味である。
その名の通りルゴンドは大きな街道が交差する箇所にある。街道に点在する村や町はいつモンスターや魔族によって滅ぼされるかも定かでないため、交通の要所であり、迅速にそれらの村や町を助けられる距離に冒険者ギルドや教会を建てるという意味でも重要な役割を果たしている。また同上の理由から、フェルビンキアが滅びた後も、ルゴンドは人の営みを続けられている。
もっとも、それだけならば他の街も似たところは沢山ある。ルゴンドが「交易」と呼ばれるに相応しい名を付けられたのには別の理由があった。
「ヨーソロー!」
「舵切れー!」
それが港という側面である。ルゴンドは亡国フェルビンキアの最北の都であり、海に面した都だったのだ。
ルゴンドから船でおおよそ半月ほどの距離に「剣舞の魔王」が支配するアールグランド大陸がある。その最南端の都がハーシェル。ルゴンドとハーシェルは数ヶ月に一度の頻度で貿易を交わしていた。
サルニア大陸を支配する「叡智の魔王」とアールグランド大陸を支配する「剣舞の魔王」は両者とも女性であるからか、そこまで仲の悪い魔王ではない。魔王は全員自分こそが最強だと自負していることもあって基本的に仲が悪いのだが、同性の場合は力量よりも外見や知識などといった別の要素での比べ合いになるからだろうか。
「叡智」は賢さや知識で、「剣舞」は舞踊と美貌でそれぞれに勝っていると思っていた。互いに争点が違うこともあり、両者が歩み寄る寛容さを持つからこそ、これだけ近距離に大陸があるにも関わらず戦争は過去一度として起こっていない。
共存が成立しているため、彼女たちも彼女たちで貿易を行っていた。人間たちの貿易船が海生モンスターたちに襲われないのもそのためだった。海上に出ると両魔王軍の兵たちに襲撃されると理解しているため、モンスターたちは海面に近付かないのだ。
そのため貿易船が沈む場合、理由はある程度限られてくる。おおよそふたつだ。
ひとつが天災や何らかのトラブルによって沈没してしまう場合。
もうひとつが、特別なモンスターに狙われた場合。
この場合の特別なモンスターとはドラゴンのように強大な力を持つというものも指すが、それ以上に有り得るのは、他の海域から紛れ込んできたモンスターだ。
魔王軍の兵がモンスターを倒そうとするのは魔王間の交易があったときのみ。決して彼女たちが人間を守ろうとしているわけではない。弱者が強者の威を借りている状況であって、人間たちはいわば魔王軍に寄生している状態だ。
なのでそれぞれのタイミングが噛み合なかったとき、人間たちの貿易船はモンスターに教われて沈んでしまうのである。
それでも、人間たちが貿易を止めないのは、死の危険を冒すだけの膨大な利益ゆえ。
サルニア大陸とアールグランド大陸は近い距離にありながら、まるで気候や生態が違っている。これには魔王が無意識に放つ魔力も関係していた。
サルニア大陸は全体的に寒く、冬が長い。そういった時季に雪が降らない場所はないといっていいだろう。もしも冬期に遥か上空からサルニア大陸を見下ろす者がいれば、真っ白な大陸だと思うはずだ。
対するアールグランドは春から夏、秋にかけてが長い。そして冬が短い。夏は期間こそ短いものの、気温が五〇度を超えることも珍しくないほどだ。そのため、アールグランドで暮らす民で雪という単語すら知らない者も少なくなかった。
魔王にしても人間にしても、それだけ環境が違えば交易にメリットを見出すのは当然だった。貿易業を営む人間は両国とも高給取りだった。
「……なるほど」
冒険者ギルドルゴンド支部の会議室は重苦しい空気に満ちていた。ギルドからのクエストを受注した腕利きの冒険者たちが持ち帰った情報を聞き、支部長は頭に手をやって顔を歪ませる。
「クラーケンが出たか……」
「信じられませんな……。まだ時期が早いはず。何が起こっているのでしょう?」
「わからん。しかし、黄金階級の冒険者……それも『戦斧』の報告だ。十中八九、真実だろう」
貿易船を沈ませるモンスターは大半が他の海域からやってきたモンスターだ。しかし、そうでない特別なものも三体存在する。
「戦斧」の調査により、今回の件の犯人はそのうちの一体だった。
「……考え方を変えましょう。リヴァイアサンでなくてよかった、と」
支部長の隣にいる秘書が慰めるように呟く。しかしそれは支部長も、会議室にいる誰もが既に頭に浮かんでいたことなので、意味がない。
リヴァイアサン。海竜とも呼ばれるモンスターで、空のドラゴンに対し、海のリヴァイアサンと比較されるくらいの力を誇る。
だが、それだけならまだここまで落ち込む者も少ない。
リヴァイアサンはたしかに強力なモンスターだが、「英雄」を始めとし、冒険者の中には倒した者だって存在するのだから。今回の報告をしてきた「戦斧」も、別のギルド支部でリヴァイアサン討伐クエストを達成した功績を持つ一人だ。
しかし――ルゴンド近海に出現するリヴァイアサンは別格だ。同一個体しか存在しないことが判明していないことがさらに肩落ちさせる。
そのリヴァイアサンは「叡智の魔王」のペットという噂がある。そしてそれは限りなく事実に近いと判断されていた。ルゴンドと同様に港を持つ街の冒険者がリヴァイアサンを撃退した後、その街が魔王軍によって襲撃されたからだ。「叡智の魔王」はそのことについて何も宣言していないが、街が一夜にして完全な廃墟になったほどの苛烈具合を見ると、事実としかいえないだろう。もしもこれが撃退でなく討伐であったとしたら、街ひとつでなくサルニア大陸に住む人間全てが滅ぼされていたかもしれない。
以降、サルニア大陸において、リヴァイアサンに手を出すのは「叡智」の逆鱗に触れることという暗黙の了解が徹底された。
「どちらにせよ、我々が抵抗できないというのは変わらないと思いますが」
「そのようなことはない! 我々には『戦斧』殿がおられる!」
筋骨隆々とした熟年の騎士が空気を変えるように呵々と大笑し、「戦斧」の背中を叩いた。ばしーんと良い音が会議室中に広がり、中には音の大きさの余りに目を閉じる者も出たくらいだ。
「……とは言いますがね、今回は話が違いますよ。申し訳ありませんが」
「戦斧」の二つ名を持つ戦士ロールの男は苦い顔を浮かべる。
「リヴァイアサンは挑発することで陸近くまで来てくれますが、クラーケンは近寄ろうとしません。狡猾だと把握してもらえればよいでしょう」
「なんと……『戦斧』殿はクラーケンと戦ったことが!?」
騎士の反応に「戦斧」はギョッと目を見開く。それは予想外だったという風だ。
「え、いや、違いますよ? 戦ったことのあるという男から話を聞いただけです」
「ぬ、そうでありましたか。これは早合点、失礼……。しかし、その者を今回呼ぶことはできないのですかな?」
騎士の提案は妥当なものだった。会議室に集まった者たちも気付き、期待した顔を「戦斧」へ向ける。
クラーケンは海洋から陸側へは近寄らない狡猾な性格だと「戦斧」は――その話をもたらした男は言う。
ではその男はどうしてそのことを知っているのか? ギルド支部長を任されるほどの男ですら、そんな情報は知らないというのに。
ましてや海洋から離れないクラーケンを確認し、その性格がわかるほど調査しておきながら生き残っている。
妥当な理由がひとつ、誰の頭にも浮かんだ。つまり、その男は討伐ないし撃退したことがあるというものだ。
それだけの力を持つ者といえばかなり高い確率で冒険者だろう。二つ名持ちである可能性も十分ある。それならば冒険者ギルドの連絡網を駆使し、全ギルドで同クエストを貼ればいいし、二つ名で特定して呼び出せばいい。報奨金は凄まじい額になるだろうが、それでもサルニア―アールグランド海域での三大モンスターの一体を倒せるというメリットからすればあまりに些細な金額だ。
「いえ、それがあの男は変わり者でして……。冒険者ではないのですよ。偶然、一時的に同行していただけなのです。そこで様々な話を聞いたというだけで……」
「なんと……それだけの力を持っていて冒険者でない、と?」
「なんと惜しい……いや、それ以上に不愉快ですらあるな。『英雄』殿を見習って欲しい。もし特定できたら『英雄』殿の爪の垢でも呑ませたいくらいだ」
騎士の言葉はあまりに過激過ぎだが、それを誰も窘めない程度には皆同じことを大小の差はあれ思っていた。
「そうだ、支部長。まだ『英雄』殿は見付かっておられないのですか?」
「うむ……。不可思議なことに、まだ消息すら掴めていない。全ギルド支部どころか、各国とも協力して探しているのだがな……」
「『英雄』ほどともなると、本気で隠れられると我々では見つけ出せないでしょうなあ……」
「『戦斧』殿、口が過ぎますぞ! 『英雄』殿が何故隠れているというのです!?」
「ああ、いえ……失礼しました。つい、さっき話していた男のことを思い出しましてね。悪いやつではないのですが、良いやつでもないというか……。『英雄』に対して良くも悪くも思うところのある男なのですよ。それで会話していたときのことを思い出すと、どうもそういう感想を抱いてしまったのです」
「なんという恥知らずな男だ……。『英雄』殿のご活躍で我々人類は皆希望を抱けているというのに……!」
騎士は眉を吊り上げて拳をテーブルに打ち付ける。
「その男の名は!?」
「防衛長、少し落ち着きなさい」
ギルド支部長を除き、上座にいた老齢の男が柔和な声で窘める。
「市長、しかし……」
「今はそれどころではないし、そんな話でその者の機嫌を損なうのもうまい手ではありません。『戦斧』殿の話によれば、随分気難しい方のようですしね」
「……ん、いえ、気難しいというと語弊がありますね。良くも悪くも最短距離で物事を解決する気質という感じです。暴力という手段を平気で取るような……」
「なんて男だ。そんな男に我々の命運を預けるというのか……?」
騎士ががくりと項垂れた。その言葉に、またも会議室の空気が重くなる。
ルゴンドの街には解決せねばならない問題がある。それは別段数年で問題になるものではないが、長く緩やかな弧を描いて街を死に到らしめる問題でもあった。
この街の住人のひとりとして支部長も含めて何度も会議を行い、一大決心で今回の貿易を決定した。その契約のための船が襲われてしまったのだ。
クラーケンは一度姿を現すとしばらく動こうとしない。この「しばらく」の期間はまちまちで、数ヶ月から数年という話もあれば数十年という話もある。街が死ぬのには十分に思えるくらいの時間だった。
そのとき、騎士の頭にひとつのアイデアが浮かんだ。それはこの閉塞した未来を切り裂いてくれる一筋の光明にも思えた。
「そうだ! 他にも期待の新鋭がいるのではなかったでしょうか、支部長!」
「む……『白無垢』のことか」
それはここ数ヶ月で突如彗星のように現れた新人の冒険者のことだ。
無名の新人でありながら「太陽の勇者」率いるパーティと交流を持ち、セパリアをドラゴンの危機から単身で守った勇者。まだ十歳程度の上に奴隷であり、その主人は明らかに悪人という噂もあるが、彼女の実力に疑うところはない。クエストの達成について詳細に調べる冒険者ギルドが、数ヶ月で黄金階級と認めるほどの人物なのだ。僅か数ヶ月で二つ名を手にしたことからも、その実力は窺える。
余談だが、その二つ名はセパリアを含めた近隣のギルド支部受付嬢たちの度重なる過激な話し合いの結果決まったという。血まで流れたというのだから、その人物がどれだけ周囲に敬愛される人物かわかる話だ。それだけの人望を持つ存在であれば、騎士も深く頷いて協力を依頼することができる。
奴隷であるため、主人と話す必要があるのは癪ではあるが、割と「白無垢」を自由にさせているという話もある。少なくとも「戦斧」の話に出てきた男よりは余程好感の持てる人物であろう。
「『白無垢』殿は『魔術師』のロールだったと聞いております。ならば魔法でクラーケンの力を削いでもらえば……」
「可能性はありますね」
「そういうことなら、我がパーティの新人『魔法使い』と『聖騎士』も役に立ちます。実力はこの私が保証しましょう」
「おお! 『戦斧』殿が保証するほどの『魔法使い』と『聖騎士』ですか!」
光が射したかのようだ。
会議室に立ちこめていた暗雲は完全には去っていないにしても、皆の目には希望の光が点っている。
これならば、と誰もが期待した。
そのときである。会議室の扉が強くノックされた。
「し、支部長!」
「何事だ?」
会議中の部屋へ乱暴なノックをするなどあってはならない。しかし、自分の教育した職員がそのようなことを考えもなしにするはずもないと確信する支部長は怪訝な表情で訊ねる。
扉越しの職員の声は焦りと、僅かな期待に濡れていた。
「し、『白無垢』様がギルドにいらっしゃいました!」
「なんと!?」
「これは……」
「風が吹いたようですな……」
全員の笑みが深まる。なんという僥倖。いや、運命というべきか。ひょっとすると、「白無垢」もまた「英雄」のように、そういった資質と嗅覚を持っているのかもしれない。
「こちらへ来てもらえ。あと、わかっていると思うが、くれぐれも丁重に扱え?」
「了解しました!」
職員が離れていく。しばらくして、複数の足音が近付いてきた。
全員が期待し、扉を凝視する。
そして扉が開かれた。




