3-0 プロローグ
やめて、と泣き叫ぶ声。
それは暴力と欲情にミックスされた精神状態の男たちに決して届かない。
やめろ、と怒り狂う声。
それは暴力と欲情にミックスされた精神状態の男たちに決して届かない。
男は殺され、女は心と身体を引き裂かれ、生き残った。
生き残ってしまった。
「殺してやる……」
女が外法に身を落とすのに、そう時間は掛からなかった。
やめて、と泣き叫ぶ声。
それは復讐と喜悦にミックスされた精神状態の魔女には決して届かない。
やめろ、と泣き叫ぶ声。
それは復讐と喜悦にミックスされた精神状態の魔女には決して届かない。
血の海の中、魔女はただ一人、呼吸を続ける。
「まだ、殺してないヤツがいる……!」
そして、また今夜も外法に染まる。
遠い記憶。魔女がまだ「彼女」でいられた頃の遠い記憶。
あれからどれだけの月日が過ぎたのか。それを知るのは自分以外にもう一人のみ。
優しいと思えた世界はあの日を境に一変した。
世界は無慈悲で残酷なのだと強制的に理解させられたのだ。
「だから」か。
「だけど」なのか。
外法に身を染めて、彼女は今日もまた彼と共に星を巡る。
◇◆◇◆
「なんでいんの? おまえ」
一応数日はそう訊ねるのを我慢していた。雪の精霊たちも俺に悪いことをしたのかなと思ってできる限り恩返しをしようとしているのだろう、と。
だが、エミリーが俺たちに付き添って森を抜けてからかれこれ一週間経つ。既に万年雪に閉ざされた森は抜けているし、そもそも雪なんて周りにない。
そろそろ突っ込んでもいいはずだ。
『へ? だって、マスターはワタシのマスターだもの』
ううん? よくわからんな。
首を傾げるエミリーに対し、俺も首を傾げる。その様子を見ていたメイも揃って首を傾げたが、こいつは俺たちの話を理解していないので、ただ真似ているだけだ。アホ面引っさげた笑顔が苛立たしい。
迷いの森を抜けるためには雪の精霊が必要だった。だから俺の本来の実力を知り、それを口外できぬよう悪魔に呪いを掛けられた精霊を連れていたのだが……なんで森の外まで付いてくる?
仲間として連れ歩くのは森を出るまでの予定だったのだ。それくらい、精霊たちも同意していると思っていた……が、連中の決意は俺の想像以上だったようだ。まさか森の外にまで付いてくるか、普通。
そんな風に俺が思ってしまうのにも、理由がある。
「精霊って一カ所から動けないんじゃないのか?」
『そだヨ』
おめえさん……よくぞプカプカ浮きながらそんなこと言えたもんだなァ?
『勘違いしてもらっちゃ困るのサ。ワタシはもうタダの精霊じゃないんだからサ!』
どういうことだ?
「精霊さん、精霊さんじゃなくなったです?」
メイが訊ねる。一定範囲に限り、エミリーはテレパシーによる会話が可能だ。これはさらに狭い範囲になるが、複数でもテレパシーで会話できるようになる。まあ、今は街道を歩いていて他に誰もいないため、普通に話してるけど。
というか、メイもエミリーが見えるようになってるのか。どうでもいいな。メイだし。
『よくぞ聞いてくれましたぁ! メイちゃん偉い! もし次にマスターに怒られそうなときは、横からチョットだけ罰が軽くなるようお願いしたげるネ!』
「本当です!? 嬉しいですー!」
わかった。一切甘やかさない。揺るがない鋼の心を俺は手にしよう。
『フッフーン! ワタシは自由に世界を旅する妖精になったのサァ!』
あ、そういうこと。
精霊は一カ所から動けないが、妖精は自由に動ける。ん? ちょっと待て。
「いやいや……意味わからん。種族違うだろ」
『種族はどっちも「フェアリー」だもーん。ぶっちゃけ、女王の許可があって色々旅してるのが妖精で、そうじゃないのが精霊ってだけダヨ?』
そうなのか!? 雑だな!
そればっかりは俺も知らなかった。世の中広い。
俺にも知らないこと、わからないこと、できないことがたくさんあるというのは理解している。けれど、まさかこんなことで思い知らされるとは思わなかった。
精霊も妖精も、その戦闘力は環境に依存する。妖精より精霊が強いとされているのは、それらは自分たちの住処から離れないためだ。常に環境による補助を受けているということ。
これは人間でいうなれば、陸上で活動しているのが精霊で、水中で活動しているのが妖精といった感じ。どれくらい能力が落ちるかなど、想像しなくてもわかる。
それを踏まえて考えてみよう。つまり、妖精も中身は精霊同様真っ黒ってことだ。遊び半分で生物を甚振って殺す性質悪い生物。ただ、精霊でいるときほど力がないため、命を狙われないよう人間にも力を貸したり、わざわざ迷惑を掛けたりもしないという話なのだろう。
早い話が、長いものには巻かれろってこと。
しかし、そうなると準精霊とかはどうなるのだろう? そう思ってエミリーに訊ねてみると、どうやら準精霊はいわば子供みたいなものらしい。準精霊が成長して精霊となり、女王などから許可を得て里を出たら妖精になる、と。精霊と妖精はイコールの関係であり、ただ棲息する環境が違うだけの違いでしかないらしい。
「だから今のおまえは雪の精霊でなく、雪の妖精扱いなのか」
『そうだヨー。マスターがあんまりにも強過ぎるからさ、監視というかなんというか、まあそんなのがいるってこともアリアリでネ。あと守備隊長なのに魔人に兵をいたずらに失わせた罪を償えってことネ。……まあ楽しくっていいけどネ!』
「ふうん。俺は付いて来ていいって言ってないけどね」
『エッ!?』
驚愕し、こちらを見るエミリー。
当たり前だろ。俺は森を出るまでのつもりだったんだ。だから俺が悪魔に頼んだ「『英雄』の祝福」だって、エミリーには何の効果もなかったはずだ。メイは魔術師ロールをランクアップしてもらったけど、それはこいつが俺の奴隷だからである。エミリーは違う。勝手について来ただけだ。
もちろん、エミリーが付いて来ることによるメリットが大きいのは理解している。けれど、そう簡単に頷いてはやらない。
だって癪だし。俺がこいつを有用だと言外に告げているようなものだ。ここはてこでも否定意見を主張し続けるぞ。
「メイは奴隷だからいざというときは守るけど、おまえは知らんぞ。勝手に巻き込まれて勝手に死ね」
『ま……またまたぁ。そんなコト言ってぇ……』
や、マジだよ? そんな表情を浮かべていると、みるみる内にエミリーの表情が歪んでいく。悲愴感たっぷり。
『や、あの……本気でお願いしマス……。精霊から妖精になったから、力が出なくなっちゃったんだよう。狙われたらマジでヤバいからぁ……』
「そんなこと俺に言われても困る。自分の身は自分で守れ」
「ご主人様、だめです? メイ、精霊さんとお友達になりたいです……」
「勝手に仲良くすればいいだろ。そこまで縛るつもりはないよ」
付いて来たけりゃ勝手にくればいい。そこまでは否定しない。こういう意見だと、俺がエミリーを有用だと判断しているわけではないと思い込ませることができる。
俺がエミリーを守る義理や意思はない。そしてはぐれたときに探すこともない。それだけの話である、と理解させる。
……ここまで俺が強固な姿勢を崩さないのにも理由がある。というのも、精霊は本当、調子に乗らせたときに厄介極まりないからだ。遊びのつもりで他者を甚振って殺す趣味を持つような存在をそうやすやすと仲間に引き入れることはできない。
ゆえに。エミリーには完全に上下関係を叩き込んでおく必要がある。
ある……のだが。
よくよく改めて考えてみると、それも今更かなとも思い直した。逆らうようなら力づくで言うことを聞かせればいいわけで、何かやらかせば罰を与えればいい。そも、俺が精霊女王と交わした会話を思い返してみたりすると、エミリーが俺に逆らうこともそこまでない気もする。
あれ、どうしよう。実利を取るべきか、それとも将来的なアクシデントを避けるべきか。
俺が考えている間にメイとエミリーは花が咲くような笑みを浮かべてハイタッチする。その衝撃に負け、エミリーはどこかへ吹き飛ばされてしまった。
『ギャーッ!?』
「ああっ!? 精霊さーん! ごめんなさいです!」
そしてメイは、街道を外れて奥の方に飛んで行ってしまったエミリーを追い掛けていく。
そんな光景を見ていると、色々考えている自分が馬鹿らしくなった。
そうだ。そも、俺は「欠落の勇者」なのだ。特に考えることはない。
何か問題が起こったら起こったで対処すればいいだけの話。俺の仲間のせいで傷付く者が現れるかもしれないが、それこそ今更である。俺の勝手な都合で奪った命だって決して少なくないし、そういう点で自重するつもりもない。
他者を悪ふざけで殺すつもりはないが、殺すという意味では俺もエミリーも同じなのだ。
なら、考えるだけ無駄か。少しずつ「英雄」の欠片を取り戻していることで、多少意識があちら寄りになってしまっているのかもしれない。
特にソフィアという存在が大きい。
彼女みたいな考えをする者には初めて会った。
当たり前の話ではあるが、誰だって死にたくない。自分が一番大事なのだ。どんな風に普段ご大層なことを言っていても、いざとなれば自分を守ろうとするのが人間なのだと思っていた。あるいは、自分と敵の戦力差も理解できずに突っ込んで死ぬ阿呆とか。
でも、ソフィアは違った。
俺という存在のおかげで、魔人には決して勝てないと理解していた。だというのに、彼女は俺の手を振り払って、それでも魔人を倒すと言って死地へ飛び込んで行ったのだ。
それこそが勇者だ、と俺は思う。
ロールがどうこうでなく、自分の信念のために己を奮い立たせる者。
俺はそうはなれない。俺は決して勇者にはなれないのだ。
だって、俺は自分でいうのも何だが、強過ぎる。勇気を出す必要もなく敵を倒せる。そもそも恐怖心がないのだから、勇気を出す必要すらないのだ。
だから俺の背を見せても、誰も付いてこない。
ソフィアのような勇者の背にこそ、誰かが付いて来るのだ。
俺の役目はあの魔人と同じく、ソフィアたちのような勇者を育むこと。彼女たちが成長するための糧になること。
妖精と精霊が同一の存在だと今日初めて知ったように。
俺がただ出会っていなかったというだけで、ソフィアのような勇者がこの世にはまだいるのだと思う。そう信じたい。
ならばこそ、俺が「欠落」で在り続ける理由も生まれると思う。
「ご主人様ぁ! エミリーさんがぁ!」
『ウフフ……おはなきれい……』
「ああ、もう……めんどくせえなあ」
目をぐるぐるさせてるエミリーは千鳥足のようにふらふらと空を飛んでいた。取っ捕まえたら胴を紐で縛って、メイのサイドポニーにでもくっ付けとこう。それが正解な気がする。目の届かないところで勝手に行動することもないだろうし。
そんなことを考えながら、俺も街道を外れることにしたのだった。




