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よく晴れ、ポカポカとした陽射しが降り注いでいた。晴れの日はいい。雨の心配をしなくて済む。濡れたら服が重いし、寒いし、地面は泥濘んで靴が汚れてしまうから。
風邪を引いたら最悪だ。旅の途中で風邪を引くとか、もう死ぬしかないんじゃなかろうか、と昔を思い出して気分がげんなりする。
「ご主人様、待って欲しいです。早過ぎなのです」
「……む。そうか。おまえ、まだレベル低いんだったな」
立ち止まり、背後から掛けられた声に振り向く。黒髪をサイドポニーにした幼女は汗を滝のように流しており、その両肩には彼女の身体より大きな荷物が背負わされていた。いやなに、俺が背負わせているのだが。
「レ、レベルは低くありません! これでも六〇レベルはあるです!」
ふんすと胸を張り、どうだと言わんばかりの顔をする幼女。目尻が垂れ下がった童顔なので、いまいち迫力がない。小さな子供のしている態度に近い。というかまるきりガキだ。
俺の表情が変わらないからだろうか、風船から空気が抜けていくように彼女の態度も萎んでいった。そして諦めたように口を開く。
「……そりゃあ、ご主人様からすれば低いですけど」
「いや、俺と比較するのは間違ってると思うぞ?」
「じゃあ、低いとか言わないで欲しいです」
低いのは事実だろうに。
「『強欲』が二四〇レベルだったかな……? じゃあ、低いじゃん」
「魔王様と同じ枠で語らないでください!」
それもそうか。そこらへんの感覚は随分昔に明け渡してしまったからな……。
「ふむ。奴隷を買うと、そこら辺の感覚を取り戻せていいな。メイ、その調子で、俺の感覚がおかしかったらどんどん突っ込んでこい」
「……別にいいですけど、怒らないで欲しいです?」
「…………」
「約束して欲しいのです! なんというかこう、怖いのです!」
「うるさい。奴隷なんだから文句言うな」
「ぐぬぬ……です」
そこら辺はこう、うまく配慮したツッコミをして欲しい。奴隷とは決して安い買い物ではないのだ。それくらいは要求したって問題ないだろう。
とはいえ、メイという奴隷を購入してから一ヶ月が経つ。最初の頃と比べて、俺に対しての態度もだいぶ軟化した。これは良い傾向だ。黙って荷物運びをするだけなのならばゴーレムでも代用は利くのである。
俺が欲しかったのは、俺の代わりに俺の意図を汲んで活躍することのできる駒だ。奴隷を選んだのは裏切りの心配を省けるため。
奴隷には奴隷印が刻まれる。〈服従〉の呪いを付与する魔具で、だ。傍目には焼きごてに見えたが、実際に刻まれている光景を見た後だと、まんま焼きごてだった。
一ヶ月過ごして思ったが、メイは結構我慢強い。だからこそ、あの呪いを付与されているときに泣き叫んでいたのはそれだけ痛かったのだろう。だからなんだという話だが。
右目の義眼でメイを視る。普通に見るのではなく、義眼の魔具に内包された魔法を解放して、だ。
メイのレベルは六六。呪いの状態異常を示すアイコンがレベルの隣に表示されている。体力と魔力はそこそこだ。残りのステータスもそこそこ。まあ、六六レベルならこれくらいだよね、という感じ。クマくらいなら素手で倒せる程度の実力。
次にメイの特殊ステータスを見た。彼女のロールは魔術師。魔法使いや賢者のロールとは違い、攻撃魔法はあまり覚えない。その代わり、状態異常系の魔法を多様に覚えることができる。そっち系の魔法は勇者のロールではあまり手に入らないので丁度良かったのである。
「あれ、メイの筋力上がってるぞ。やったな、俺の訓練のおかげだな。感謝していいぞ」
「訓練だったです!?」
「そうだよ。戦闘じゃ長所を押し付けた方が勝つけど、普段は短所を潰す方がいい。おまえを甘く見て接近戦を挑んできたやつに痛い目見せてやれ」
「なるほど…………いや、ご主人様がいるんだから、接近戦なんて起こらないはずです!」
ちっ、気付きおったか。上手い言い訳だと思ったのだが。
仕方ないので、魔法の言葉を放っておく。
「うるさい。奴隷がご主人様に文句言うな。つべこべ言わずに働け」
「うう……。これが本当に勇者なんです?」
れっきとした勇者だよ。俺のステータスの勇者の文字は燦然と輝いておるわ。ランクアップにランクアップを重ねて黄金に輝いている。勇者というロールは既に限界まで到達してしまった。
「……ちっ。余計なもん見ちまったな」
自分のステータスを見て、不快な状態異常のアイコンを見てしまった。
「ん? どうかしたです?」
「なんでもない。休憩終わり。行くぞ」
「き、休憩だったんです!? 今のが!? 叫び過ぎて喉枯れちゃったです!」
「知らん」
「き、鬼畜でしゅ……。絶対この人勇者じゃないでしゅ……」
そりゃまあ、「欠落」という二つ名だからな。
メイを弄っていて、少しばかりは落ち込んだ気分も晴れた。けれど、俺の気分がこの曇りひとつない空のようになることは果たしてどれくらい未来になるのだろう。
「絶対、解除してやる」
自身のステータスには俺の名前の隣に三七〇というレベル。
そしてその隣には――特殊な呪いを示すアイコンが表示されていた。
◇◆◇◆
サルニア大陸はエルキア大陸と比べて領土が狭い。といっても、それはエルキア大陸が広過ぎるというだけの話であり、決してサルニア大陸が小さいというわけではなかった。
俺が自身に呪いの状態異常を付与する契約した悪魔が言うには、この大陸にそれを解除する鍵が幾らかあるという。正確には鍵じゃないが、まあ同じようなものだ。
そう。悪魔である。
魔族でありながら魔王に恭順しない、異端にして孤高の魔族……らしい。
厳密にいうなら魔王に恭順している者が魔族であるため、悪魔は魔族でもないのだが、そこらへんは頭をこねくり回すのが仕事の連中に任せる。どうだっていい。
悪魔たちは一様に愉快犯だ。楽しければそれでいい、という性格。ゆえにその性質を利用すれば、力はこちらにもあちらにも傾く。悪魔は魔王に恭順しなくてもよいほどの力を持つのだから、彼らを味方に付ければ大きな戦力となる。
以前、「英雄」という二つ名で呼ばれていた頃の俺はそう考え、悪魔が現れるというダンジョンに入った。一人でしか入れない特殊なダンジョンで、そんなダンジョンがあるなんて考えもよらなかった。今思うと、それは悪魔の桁外れの力があってこそ作れたダンジョンだったのだろう。
そして俺は無事悪魔と契約を交わすことに成功した。呪いが付与されることを甘んじているので、果たして無事といえるのかは微妙だが。
ふと、初めて契約したときの会話を思い出す。
『果たして、勇者が悪魔と契約してよろしいのでしょうか?』
『これが最初で最後だ。魔王を倒すためなら、俺は構わない。意思があっても、力がないとどうにもできないからな』
『ふむ、なるほど……。これは良いお客様になりそうです』
『ならない。これが最初で最後だって言っただろ』
『いえいえ……私は確信しておりますよ。貴方様はとても賢い。だからこそ、また私と契約しようとするでしょう。であるからこそ――そうですね、それくらいは良いでしょう。サービスです。わざわざ、ここにご足労願うのもお客様に迷惑だ』
そう言って、悪魔は俺に召喚スキルを授けた。
驚いた。死ぬほど驚いた。
なにせ、勇者というロールでは決して手に入れられないはずの召喚スキルを、これほどまでに簡単に授けることができるのだから。
悪魔はキシキシと嗤い「また御用があれば、いつ何時でもお呼び下さって結構です。私めの召喚に魔力は必要ありませんので」と告げ、姿を消した。
俺の力は飛躍的に上がっていた。ダンジョンを出て、当時の仲間たちは心配していたようだが、心配ないと告げた。
というのも、悪魔にとって契約は絶対だからだ。
俺の能力が向上するのに対し、俺が差し出したのはつまらないものだ。いや、むしろ、魔王と戦うということを考えるならば、なくて良いものだった。今思うと、あまりにも浅はかだった。何故最初に悪魔がソレを要求したのか考えるべきだったのだ。
俺が最初に悪魔に差し出したのは――「恐怖心」。
恐怖心は生物にとって必要不可欠な感情だ。それを最初に明け渡してしまった俺は、無茶な特攻をするようになった。死の恐怖がないから、どんな敵に対してでも立ち向かう。そうして時には明らかに格上の魔族と戦い、パーティが半壊した。どう足掻いても勝てない状況下になり、また俺は悪魔を召喚した。
泥沼のはじまりだ。
少しずつ、少しずつ、俺は壊れていった。
少しずつ、少しずつ、大事なものが手のひらから零れ落ちていった。
「『強欲』を倒したからな。だから俺は少しずつ、呪いを解除してるってこった」
「そうだったんですかぁ」
サルニア大陸最西端にある街の宿屋で、俺はメイに旅の目的を話した。さすがに一ヶ月もすればそれくらいも話していいだろうと考えたからだ。そもそも奴隷印があるのだから裏切られるわけもないのだが。まあ、彼女が底抜けに馬鹿だったら困るので、その調査に一ヶ月を費やしたといえば納得できる話だ。
結果。メイは底抜けの馬鹿ではあったが、本気で俺を困らせるようなことはしないと判断した。
あるとき罰として飯抜きを言い渡したのだが、まさか一食抜いただけで雑草食い始めるとか思わなかった。しかもそれで腹を壊すし。予定狂うし。とんでもないことになったぜ。
「じゃあ、左腕がないのも契約なんです?」
「ん……まあ、そうっちゃそうかな」
「ほえ? どゆことです?」
視線を左半身に落とす。肩の付け根から先にはあるべきものがない。
俺は隻腕だ。ついでにいうと右目は義眼なので、隻腕隻眼という、ちょっとそこらでは見かけない容姿をしている。
「魔族との戦いで落とされたんだよ。で、悪魔を召喚して再生してもらった」
「でも、今はないです?」
「契約だよ。二度と再生できない代わりに、一時的に腕を元に戻してもらった」
腕に限らず、四肢の欠損自体は治療魔法で治すことができる。もちろん、欠損した部位がきちんと保管されていることが大前提で、欠損してから一定時間以内かつ、優秀な回復魔法を使える者が必要不可欠。その条件を俺たちは満たせていなかったのだ。
「悪魔との契約で俺だけ突出した力を持ってたからな。あれだけの魔族が相手だと俺が戦えなくなった段階で負けが決定しちまう。仕方なく契約したんだ。ましてや利き腕だったからな」
左肩の付け根を右手で擦る。あれから訓練することで、右腕は元の左腕と寸分ない精度で扱うことができるようになった。
とはいえやはり、片腕というのはつらい。ステータスの表示だけでいうなら、俺はどんな相手にだって勝てるだろう。けれど、それは五体満足での表示に過ぎない。隻腕ということで、実際はステータスほどの強さなどないのだ。
「ん……? ということは、悪魔との契約解除に成功したら、腕は元に戻るんです?」
「無理らしい。そのとき、悪魔が言ってたからな。『契約解除しても、その腕は元に戻りませんよ?』ってな」
だが、その会話に俺は一縷の希望を見た。「契約解除」という言葉にだ。
悪魔との契約は後になって解除できる。契約によって手に入れた能力を返還することで、明け渡したモノを取り戻すことができるのだ。
もちろん、悪魔との契約を簡単に解除できるはずもない。いわば利子に値するものをセットで渡さなければならないのだ。それこそが契約解除のための鍵である。
「それを可能とするアイテムを求めているってことだ」
「それはどうやって知ったんです?」
「ん? 新しく情報と引き換えに契約した」
「もう完全に悪魔ペースです!?」
メイにバッサリ切られた。言葉の刃って思っていたより痛い。心にくる。あと視線も痛い。
やめ……やめろその目ェ! これはお尻ペンペンですわ。
「……んで、エルキア大陸で可能な契約解除は済ませたから、今度はサルニア大陸に来たってわけだ」
「エルキアの次に大きいです、サルニア大陸」
納得とばかりにメイはこくこく頷く。
ともあれ、契約解除のおかげで、今はこうして話せている。「強欲」と戦っていたときの俺は人間というより殺人マシーンみたいな感じだったしな。
感情の大部分を契約で明け渡してしまっていた。人間として残っていたのは理性と善悪の判断くらいじゃなかろうか。人としての機能を削ぎ落とすことで強くなったのだから、ある意味皮肉ともいえよう。
でも、そうでもしなければ倒せないくらい「強欲の魔王」は強かったのだ。
「てことは、ご主人様の右目も契約です?」
「ああ」
しかし……思ったよりメイのやつグイグイくるな……。旅の目的を知ったのがそんなに嬉しかったのか?
いや、というよりも、単に気になっていたのだろう。俺だって隻腕の男と酒場で話すのであれば、その話を聞きたくもなる。
だが、普通は聞き難い話だ。メイもそうだったのだろうが、悪魔との契約という話を聞いて訊ね易くなったのだろう。眼帯をしていれば、その下の目は使い物にならないと判断するのが普通だ。
「これ、魔具なんだ。〈情報開示〉のスキルが内包されてる」
「〈情ほ――!?」
メイは限界まで双眸を見開いて驚愕している。それも当然だろう。
〈情報開示〉は教会で神に一生を捧げた神職系ロールの者が限界までランクアップしてようやく手にするスキルだ。
魔具にはいくらか種類があるが、二つに大別すると、魔法を内包するかスキルを内包するかに分けられる。
魔法を内包する魔具は、その魔法を行使可能になるというもの。その際に魔力を消費するかしないかは魔具の性能次第だ。当然、消費しない方がランクは高い。そして内包された魔法に沿ったロールでないと使えないものと、使えるものとにも分けられる。当然、これも使えるものの方がランクが高くなる。魔力の消費せず、尚且つどんなロールでも使える魔具ともなると国宝級だ。下手に情報が出回ると、魔族が奪おうとするくらいの貴重品である。
一方、スキルを内包する魔具は、それだけで国宝級魔具とされる。なにせレベルアップか特別な条件を満たさない限り手に入らないはずのスキルを、装備するだけで問答無用に行使可能とするのだ。国宝級でないはずがない。
何が恐ろしいって、そんな代物を契約だからと簡単に明け渡せる悪魔である。
ただ、一度試しにヤツのステータスを視ようとしたところ失敗した。そのため、本来の〈情報開示〉に比べると性能は低いのだろう。
このスキルは俺にとって非常に有用なスキルだ。なにせ、俺には恐怖心がない。そのため、相手が強いかどうかがよくわからないのである。立ち居振る舞いからおおよそは推測がつくが、それでも想定外というものは存在する。
そういったとき〈情報開示〉で敵のレベルやステータスを看破することで、自分と相手の実力差を把握することができるのだ。相手の残り体力や魔力を視られるのもオイシい。どんな技がどれくらいのダメージなのか調べられるのである。
「あ、一応言っとく。下手にこの義眼取ろうとか思うなよ? どうなるかわからんぞ。悪魔がやって来て俺に何かするかもしれないし、おまえにするかもしれんからな」
これまでの話で悪魔がどれだけ強力か理解したのだろう。メイは真剣な様子で首をブンブン縦に振った。
「……ともあれ、そういうことだ。俺は、俺自身を取り戻す。絶対にな。そのための旅だ」
「なるほどぉです。あ、そうです。もうひとつ、ご主人様に聞きたいことがあったです」
「ん? なに?」
そろそろ寝ようかと思っていたのだが、メイは隣のベッドで正座した状態で、笑顔でこう言った。
「ご主人様の名前って何て言うんです?」
……………………いつ聞かれるかと思っていたが、このタイミングか。
悪魔のヤツの高笑いが聞こえてきそうだ。
「知る必要あるのか? 俺のこと『ご主人様』って言うのに」
「いや、それでも、一応知っておきたいです。何があるかわかりませんです」
まあ、それもそうか。特に隠すこともないだろうしな――普通なら。
観念し、やれやれと嘆息する……ように見せる。
演技はだいぶ上手くなった。そうでないと、何があっても能面のまま喜怒哀楽を出さない者を人間たちは「勇者」と認めてくれないから。
ああ、そうだ。
俺はもはや勇者ではない。ロールが「勇者」なだけで、勇者然とはしていない。奴隷を買っているのもその証左といえよう。
悪魔に「英雄」の二つ名を明け渡したが、それより前から既に俺は英雄ではないのだ。
借り物の力で魔王を倒したところで、何が英雄だというのか。
仲間を失い、感情を失い、やがては誇りも失った。
「欠落の勇者」という二つ名は言いえて妙だ。
微笑を浮かべ、メイに向けて口を開いた。
「俺は■■■■っていうんだ」
「へえ、■■■■っていうんです! 良い名前です。これからそう呼んだらいいです?」
「勘弁してくれ。俺のことを二つ名から知ってる人がいると、奴隷を連れてることに何か聞かれちまうだろ? 面倒事はごめんだよ」
「あ、なるほどです。わかりましたです」
納得した様子でメイは頷き、もう寝るぞと告げてランプを消し、部屋を真っ暗にした。ごそごそと音が隣から聞こえ、やがてすうすうと寝息が零れ出した。あれだけの荷物を背負わせていたから、疲れていたのだろう。野宿でなくきちんとしたベッドで寝るのだから尚更かもしれない。
「…………はん」
自分の名前を誰かに言うことはできる。
自分の名前を文字に書くこともできる。
だが――自分では、その名前を理解することができない。
契約解除のための方法やアイテムの場所を知るための対価が、それだ。
左腕と同じく、決して取り戻すことのできない対価が、それなのだ。
一生、俺は周りの者に名前で話し掛けられても理解することができない。以前に話し掛けられたことがあったが、そういうときはまるで別の誰かの名前のように聞こえてしまうのだ。ゆえに、「他の誰かを呼んでいるのだろう」と判断し、無視することになってしまう。
だからこそ、そういう意味でも奴隷は必要不可欠だった。これまでメイに名前を教えて来なかったのは、いわば俺が臆病だからかもしれない。
「…………みんな、いなくなっちまったしな」
かつて共に戦った仲間を思い出す。
ひとりは戦士と武闘家のロールを持つ男勝りな女。彼女は魔族との戦いで命を落とした。
ひとりは魔法使いと盗賊のロールを持つ男。彼は少しずつ人間としての機能を削ぎ落としていく俺を恐れ、離れて隠居してしまった。
ひとりは神職系ロールを持つ女。彼女は悪魔との契約により、俺という人間を意識できなくなった。俺に関わる記憶も失ってしまったため、故郷に戻っていった。それを引き止めることなど、彼女にとって見知らぬ他人である俺にできるはずもない。
そして、悪魔との契約で、俺は仲間の名前も姿も思い出すことができない。彼らに付随する情報だけが記憶に残っているだけである。
それから恐怖心はない癖に、人と付き合うのが怖くなった。
最後のひとりであった彼女の「誰ですか?」という言葉が今も耳に焼き付いている。
「他人の寝息ってのは良いもんだよな」
全身を大の字に放り出して寝ているメイを見て、呟く。たしか、戦士の女もこんな風に寝ていた記憶がある。さすがに彼女のように豪快ないびきをかくことはないようで少し安堵しつつ、寂しい気持ちもあった。
窓越しに夜空を見た。黒に近い濃紺の空に星々が瞬き、月が地上を優しく照らしている。あの星々もいずれは消えてしまうのだろうか。俺に関わった仲間たちと同じように。
であれば、メイはどうだ? また、手放すことになるのだろうか?
「……考えても仕方ないか」
ベッドに潜り、布団を身体の上にかける。薄っぺらな布団では夜気を完全に払えるわけではなかったが、それでも野宿よりは余程マシだった。
いや、野宿でも問題はない。
隣に誰かがいてくれて、自分に向けて笑いかけてくれる。
何か口を開けば、何か応えてくれる。
話さなくたって、問題ない。
それだけで、一人寂しくいるよりは遥かにマシだと思えた。