2-2
「…………どうする?」
「……どうしようか?」
雪の精霊たちは自分たちを脅したかと思った人間たちが突如信じられない速度で直角の岸壁を駆け上り、そして落ちて来たのを見て唖然としていた。
何に驚くかというと……ありとあらゆる部分に突っ込み所があるが、あれだけの高さから受け身も取らずに落ちて、それでなお息があることにだろう。
果たしてどれだけのレベルなのだろうか? その考えに行き着くのに、そう時間は掛からなかった。
ニヤリ、と一人の精霊が嗤う。続いてもう一人の精霊がニタリと嗤った。
意識は完全にない。餓死寸前なのもあって死に体だ。どれだけレベルが高いとしても、目覚めるまでに殺すことは十分に可能。この場は雪山ということもあって、精霊たちの使う氷属性の魔法は威力が上がっている。
精霊たちは魔法を使い、ワイバーンの巣のある周辺の森を迷いの森へ変質させていた。どれだけ正確に道を捉えていたとしても、決して抜け出せない雪の迷宮である。
すなわち、この広大な森はそのものがダンジョンであったのだ。
初めからそれを知っていて、地図を用意していた者だけが生きて帰ることを許される冷酷な雪森。準備を怠った者は冷気にやられ、命を落とす。
この寒さでは動物も、モンスターさえも現れない。時折迷い込んでくるものもいるにはいるが、それらはワイバーンが餌として狩ってしまう。
ゆえに、人間が精霊たちの食料だったのだ。
可憐な見た目に不釣り合いな黒い笑みを浮かべ、精霊たちは身じろぎひとつしない獲物へ向かって魔法を放とうとする。
「アイ!」
「わかってる!」
そこへ、鋭い声が掛けられた。
精霊たちが驚いて背後を振り返るものの、もう遅い。長剣の一振りで一人の精霊が両断される。その身体は死を理解した瞬間、砕け、魔力へと還元された。
突然の事態にもう片方の精霊が逃げようとするが、闖入者たちはそれを決して許さない。
「〈炎熱の網〉!」
周囲の気温が一瞬にして上昇した。積もった雪がみるみると溶けていく。
雪の精霊も悲鳴をあげた。
「メシア、もういいわよ!」
精霊を乱暴に片手で掴んだ女性が仲間へ呼び掛ける。直後、熱がまたも一瞬にして消え去り、辺りは元の冷気を取り戻した。
「アリア、ちょうだいっ」
「手、手がかじかんで……はいっ」
「よっし、っと。ようやくゲットね!」
瓶が仲間から手渡され、精霊を掴んでいた女性は瓶の中へ精霊を押し込むと蓋をして笑みを浮かべた。
「……それにしても、何やってんだろうねえ、こいつら?」
「知らないわけでもないし、助けよっか」
「見捨てて死なれるのも寝覚め悪いもんね」
「死にかけている人を見て何を言ってるのですか! 早く火を起こしますよ! あとアイは食事の用意を!」
その場に現れたのは「太陽の勇者」のパーティだった。
◇◆◇◆
「…………ぅ?」
目を開く。全身が重い。なんだ、これ? 何か呪いでも掛けられたのか?
空は記憶通り曇天だが、記憶と違い真っ暗だ。夜ということだろう。
意識を取り戻したからか、パチパチと火の弾ける音が聞こえる。
上半身を起こそうとし、うまく動けないことに気付いた。何事かと思って見てみれば、メイがしがみついている。
「ふんっ」
横に身体を揺すり、振り落とす。そのままメイは地面の上を二転三転し、ようやく止まった。
待てよ……地面? 雪がない? どういうことだ?
「ち、ちょっと! 何考えているのですか、あなたは!」
「相変わらずっちゃ相変わらずだけどねえ」
声の方を向くと、見覚えのある女性が四人いる。
そのうち、最も面倒だと記憶している人物がメイを抱き起こし、俺に向かって口を開いた。柳眉が逆立っている。
「メイさんはあなたにしがみついて体温の低下を妨げていてくれたのですよ!?」
「……俺も似たようなことしてたわけだろ? そもそも、奴隷だ。俺の命のために命を燃やすのが当然だろ」
「なんてことを……!」
「はいはい。メシア、ストップ」
「前に懲りただろう?」
賢者のメシアを止めるのは商人と怪盗のダブルローラーであるアリアと、聖騎士に守護者、さらには舞踏家のトリプルローラーであるアイリーンだった。
それから焚き火のある方向へ目を向ける。赤く温かな火を挟み、向こう側にはピンクブロンドの髪を持つ「勇者」がいた。
「やっ、起きた? もうちょっとでごはんできるからねー」
「ごは……メシ!? マジかっ!?」
「うわ、すごい食い付き……」
「メシッ!? ごはんなのです!?」
「ひゃあん!?」
「あ、こっちも気付いた」
「メイちゃん、それは食べ物じゃないよ。将来的には食べ物を出すかもしれないけどねえ」
「そ、そんなこと話してないでメイさんを……痛たたたたたた! メイさん、噛まないでくださいいいぃぃぃ!!」
メイがメシアのおっぱいを噛んでいた。ちょっと羨ましい。俺にもやらせろ。普段口うるさいメシアを力で従わせる……? イイね……!!
あとメイ。それは噛むんじゃなくて吸うものだ。つまりお吸い物だ。
「なーんか、助けて損した感じの顔してるわね……」
「そんなことない。俺を助けたのはおまえらにとってこれ以上ない幸運だぞ?」
「どうだか。まあ、元気そうで良かったわ」
そう言いながら、鍋の中身を掻き回しつつ、「太陽の勇者」ソフィアは屈託なく笑う。
しかし、どこが元気だというんだ。やつれてるだろうが。
「ごしゅ、ご主人様……食べ物の、食べ物の匂いがするです……」
「そうだな、メイ。良かったな。危うくワイバーンを食うところだったもんな」
「そうです……。ワイバーンの肉はきっとカッチカチで美味しくないのです。メイはこっちの方がいいのです……ふぐぅ」
感動の余り泣き出した。ぽんぽんと頭を撫でてやる。
「……どれくらい何も食べてないんだい?」
「二日……三日?」
「メイはよくわからにゃいのれしゅ……」
「この雪山で……それはそれは……」
「何故情報収集してから来ないのですか! 死にたいんですか!?」
「メシア、説教は後にしようよ」
いや、さすがに今回ばかりはメシアの言うことももっともだ。真面目に死ぬところだったからな……。
「でーきたっ」
ソフィアが味を確かめ、笑顔で告げる。そしてアリアから木の皿を受け取り、クリームシチューを注いだ。それとパンをセットで渡してくる。
「わたしたちもそれほど食料があるわけじゃないから、それが限界だけど」
「いや、分けてもらえるだけありがたい。俺なら一人で食ってる」
「そ、そう……」
あれ? 引かれた? なんで? 人間ってそういうものじゃない?
「ほら、メイ」
「ああ、あったけーのです……。これぞ人のぬくもりってやつなのですぅ……」
メイがガチで泣きながらシチューとパンを食べ始める。続いてソフィアはまた俺に皿とパンを渡してきた。
「ん? おまえらの分は?」
「きちんとあるわよ。さすがに、一人だけ除け者にはしないってば」
「そっか。それならお言葉に甘えよう」
受け取り、シチューを一口呑む。あー、あったけーなあ。これが人のぬくもりってやつなんだなあ……。
パンも千切り、シチューに浸してから口に放る。これまでの経験で、こういったときはできるだけゆっくりと噛む回数を増やすべきだと学習しているので、その通りにする。
「ご主人様! おかわりが欲しいのです!」
「我慢しろ!」
もう食っちまったのか!? 前々からわかっていたけれど、こいつの胃袋宇宙か?
「メイさん、半分いりますか?」
「いいんです!?」
「構いませんよ。育ち盛りでしょうし」
そう言って、メシアがパンを半分メイに渡す。目をキラキラと輝かせたメイは礼を言って受け取り、パクつき始めた。
「……なんか、悪いな。ウチの奴隷が」
「……奴隷とか、そういうのは関係ありません。幼い子供がお腹を空かせているんです。大人が食べ物を分けるのは当然でしょう?」
驚いた。メシアだって腹が減ってないわけないだろうに。こいつのこの精神は筋金入りなんだな。
でも、俺の謝罪は正確に伝わってない。仕方ないのだが。
メイは魔族で、これはスキルの力で変身してるだけだから、別に沢山食べたからって成長するわけじゃないんですよね。だから育ち盛りっていうのは違うよ。
ソフィアたちが寄越してくれたパンは保存食用にガッチガチに固めた黒パンだ。なので小さく千切ったそれはシチューに浸し、ふやかしてから少しずつ少しずつ食べていく。隻腕なのもあいまって、食べるスピードはだいぶ遅い。半分ほど食べる頃には、俺より後に食べ始めた「太陽」パーティの全員が食べ終わっていた。
「……本当。あんたって、旅慣れしてんだねえ」
そんな俺を見て、アイリーンが感心した風に訊ねてくる。
「ん? アイ、どういうこと?」
「いや、あたしの先生から教えてもらったんだけどさ。しばらく何も食べてないと胃が小さくなったり身体が弱ったりするわけだよ。だからいきなりがっつくと体調を崩すんだってさ」
「そうなのですか? 私は聞いたことありませんが……」
「わたしも、ない」
「まあ、餓死寸前にまで追い込まれたやつは少ないだろ。で、そういうときは少しずつ少しずつ、しっかり噛んで食べるのがいいらしいんだ。消化に優しい流動食とかだと、もっと良いらしい」
「なるほど。それは風邪を引いたときとかと同じですね。……たしかに、身体が弱っているという意味では共通です」
おや? 何故かアイリーンのおかげで「太陽」パーティから俺への評価が上がったようだ。まあ悪いことではないので、余計なことは言わないでおこう。過去の経験に基づいているだけなんだけどね。
「ご、ご主人様ぁ……」
「なんだ?」
「お腹が、お腹が苦しいのです……」
「吐くなよ。吐いたら飲めよ」
「ううう、吐かないのです……さすがにそれは、やっては行けないラインを大幅に越えた挙げ句にツイストダンスを踊っているのです……」
またよくわからん例えを……。苦みながらもそこまで言うのは意地か何かなのだろうか?
馬鹿を見ていたら苦しめたくなるので視線を逸らす。その先にはソフィアの顔があった。偶然なのだが、俺が何か話したいことがあると思ったのだろう。ぱっちりとした目で笑みを浮かべ、「なに?」とばかりに小首を傾げる。
「いや、なに。この準備を見た感じ、おまえらはしっかりこの森のことを調べて来てるみたいだと思ってな」
「……今の口振りだと、気付いたみたいね」
スッとソフィアの目が細くなる。でも唇は弧を描いたままだ。どちらかというと茶目っ気溢れた微笑って感じか。夜なのと焚き火の灯りがあいまって、歳に合わない色気を出している。少しだけドキッとした。
「あのときとは立場が逆ね。さて、この森はどういう森でしょう?」
前にこういった会話をしたのはドラゴンを退治した後だったか。俺もそのときのことを思い出し、ふっと微笑を浮かべた。それから答える。
「雪の精霊の魔法だろ? 腹減って朦朧としてたから妖精と見間違えたけど。そのせいで、この森は一時的にダンジョンと似た構造になってる。陳腐だが、迷いの森っていうのが一番近いだろうな」
俺の回答に、苦しんでいる馬鹿を除いた全員が驚いた顔をした。
「すごいな。本当、旅慣れした凄腕冒険者なんだな」
「満点……っていうか、満点以上ね」
「うん。わたしたちの知ってる以上の答えみたい」
「詳しく聞かせてもらってもよいですか?」
俺はほとんど冒険者ギルドで仲間を募らなかったし、話もしなかったから彼女たちのことは知らなかったが、実は俺が「英雄」として冒険者をしていた頃には既に彼女たちも冒険者チームを組んでいたらしい。これらはメイを通じて得た情報だ。
しかし、それでも一年か二年ほど。俺の経験には敵わないみたいだ。
食い物ももらったし、先達として情報を譲るのも悪くないか。
「まず、誤解されそうな妖精と精霊の違いからだな……」
「同じではないのですか?」
「違う。まるで別物だ」
ワイバーンとドラゴンくらい違う。
妖精と精霊で共通しているのは、その存在の主成分が魔力であることくらい。
精霊は周囲の環境に依存しているが、妖精はそうではない。妖精の方は好きな場所へ自由に移動できるのに対し、精霊は限られた範囲でしか行動できないのだ。ただし環境に依存している分、戦闘力という意味では精霊の方が勝る。
「妖精は基本的に好奇心が強いから、気を引けば協力してもらえる可能性が高い。戦闘力もないから、こちらを陥れようとしたりもしないんだ。だけど精霊は環境に依存しているというのもあって、集団で生活する。だから、あくまでも自分たち本位だ。人間とかは利用しようとしか考えてないのさ」
「けど、精霊に力を貸してもらう精霊魔法っていうのもありますよ?」
アリアが信じられないといった様子で訊ねてくる。
「精霊魔法ってのは、世間一般の精霊より格の劣る準精霊の協力だよ。あの系統魔法って消費魔力多いだろ? 周囲の力を借りる精霊の性質を考えると不可解だ。あれはな、人間から余剰分の魔力を頂いて、自分を成長させてるんだ。一人前の精霊になるためにな」
結局は持ちつ持たれつの話である。利用されているとしても、準精霊のおかげで強力な魔法が使えるというのは確かなのだ。その場その場で使えたり使えなかったりする魔法ではあるが。
賢者ロールであるメシアは目から鱗という感じで俺の話に感心していた。アリアは精霊に対して何やら思うことがあったらしく、ショックを受けている。
「でもさ、あたしたちは妖精と精霊の見分け方がわかんないんだよ」
「簡単だぞ? こっちを見て『利用できる!』って顔してるのが精霊。『何だこいつ!?』ってワクワクしてるのが妖精だ」
「微妙過ぎる!」
そうかなあ? 結構わかりやすいと思うけど。
だが実際、見た目という点ではそれ以外に見分けようがないのも事実だ。そういう意味では、ソフィアたちが妖精と精霊とを似たような存在だと思ってしまっていたのも無理はないだろう。
「そこはまあ、人付き合いと同じだな。なんとなくわかるだろ、自分たちを利用するつもりだけの人間か、それとも本気でお願い事してる人間か。あるいは、本気で協力しようとしている人間か」
こう言うと、納得できたようだ。
「ょ、妖精さん……今すぐメイを助けて欲しいのですぅぇぇ……」
馬鹿は無視しよう。自業自得だ。
ついでにいうと、妖精は力がないから、助けることはできないと思うよ。涼しい風を送って気分を変えてくれるならやってもらえるかもしれないが。
「じゃあ、次。この森が迷いの森ってのは同意だけど、ダンジョンと同じ構造っていうのはどういうこと?」
「……あれ? おまえら、ダンジョンに入ったことないのか?」
「バカ言わないで。あるに決まってるじゃない」
んん? だとしたら、なんで気付かないんだ?
少し考え、意見の相違を埋めるために質問を投げ掛けていく。
「まさか、モンスターが出たり、縄張りを作ってるからダンジョンって思ってるんじゃないよな?」
「違うの!?」
おいおい……マジか?
他の面々を見回してみても予想外って顔してるから、マジなんだろうなあ。本当に大丈夫か、今の「勇者」。こんなのダンジョンとそうでない場所を探索していたら自然と気付くことだろうに。
仕方ないので嘆息し、頭から説明してやることにする。
「ダンジョンっていうのは、それそのものがモンスターである場所のことだ。知性がなく、生物的欲求に従ってるからモンスター扱いなだけで、ドラゴンと同じく、甘く見れるものじゃない」
ダンジョンがモンスターという大前提の時点で驚愕している。本当に気付かなかったんだなあ……。こいつらが黄金階級とか、大丈夫か冒険者ギルド。
「おいおい、考えてもみろよ。ダンジョンだと、人とか動物、モンスターの骨なんて転がってないだろ? でも、転がってる場所もあるだろ? それが一番わかりやすい区別法だぞ?」
「あ……たしかに!」
「なんで気付かなかったんだろう……」
「たぶん、モンスターに襲われるからだろうね。でも、そうだ……骨まで一切合切残らないっていうのは、おかしい……」
「ちょっと、衝撃的過ぎて……頭がおかしくなりそうです……」
骨とか死骸とかがきちんと残るのが普通の洞窟など。それらが消えてしまうのがダンジョン。これが一番分かりやすい区別法だろう。
面々の混乱が収まるのを待って、それからまた説明を再開する。
「ダンジョンはそれ自体がモンスター。これはいいな?」
全員を見回し、頷くのを確認する。
「ということは、ヤツの目的は餌を手に入れるためさ。ダンジョンにもよるけど、一定周期で体内の生物はすべてまとめて吸収してしまう。それこそ、人間も動物もモンスターも、魔族すらもな」
「魔族も……」
エルキア大陸で俺が狙えなかった二つのアイテムも、ダンジョン内にあるからという理由だった。ちょうどダンジョンが体内にいる生物を食おうとする時期に重なっていたため、中に入ることができなかったのだ。
ダンジョンが一度食事に集中し出すと、元に戻るまでに数ヶ月掛かる。ダンジョン内に時々アイテムが落ちているのは、その中で死んだ者の持ち物がシャッフルされて散らばっているからである。より深い場所へ移動させているのは、単に獲物に逃げられないため。要するに罠である。
「ダンジョンのその行動は俺たちにとって不都合なことばかりじゃない。アイテムとか入れておくと、リセットされた状態に戻るんだ」
「リセット?」
「わかりやすく武器とかで喩えると、新品の状態に戻る」
聖騎士と守護者というロールを持つアイリーンの目が輝いた。
武器が上等になればなるほど、それを研ぎ直してもらったりするのに結構な金が掛かる。上等な武器ならそれに見合った上等な砥石などでないと修繕できないからだ。それに研いだ場合、少しずつ刃が減ってしまう。
こういった問題を解消してくれるというのは、優れた武器を持つ近接戦闘ロールの人間にとって聞き逃せない話だろう。
でも、落とし穴は当然ある。
「いや、アレだぞ? そうとは言っても、またダンジョンに安全に入れるようになるまで数ヶ月は掛かるし、アイテムを入れた場所だって変化する。最悪、知らない誰かに拾われることだってあるわけだ」
輝いていたアイリーンの目がくすんだ。
「いえ、ですけど……それってすごくないですか!?」
逆に食い付いたのは商人ロールを持つアリアだ。
「つまり、回復薬とか……魔法薬の使用期限も、作ったばかりの状態に戻るということですよね!?」
「そうだな。どっか飛んでいっちまうことを除けば」
「何故、ダンジョンについて研究する者がいないのでしょう……」
「いや、いるぞ? 大抵は国家機密だから情報秘匿されてるだけだ」
あっさり国家機密情報をバラしてしまったので、アリアが死ぬほど目を見開いてしまっている。その一方で、残る三人はこそこそと話していた。
「国家機密って……」
「なんで秘匿された情報を知ってんだ……?」
「何か悪いことをしているのでは……」
失礼な。俺の輝かしい功績が秘密をつまびらかに暴いたというだけのこと。問題はそれを説明する方法がないということなのだが。
まあ信じてくれとしか言えないし、信じてもらえなくても俺は損しない。好きに解釈してくれ。
「ダンジョンもモンスターである以上、食うだけでなく繁殖もする」
「ダンジョンの繁殖……?」
「ちょっと、想像尽きませんね……」
「オエーッ!」
メイが吐いた!
慌ててその場を立ち退く。メシアが慌てて看病してくれているので、少しその場を離れて三人と話の続きをすることにした。あとで吐いたモノ飲ませようと思っていたが、どうもメシアが処理しているようだ。命拾いしたな、メイ。
「ダンジョンの繁殖って言っても、人間とか動物みたいなアレを想像するなよ?」
ニタリと嗤い、親指と人差し指で輪っかを作る。そして直後、その輪に突き刺すための指がないことに気付いた。そうだ、俺、隻腕じゃん! 駄目じゃん!
「…………うわあ」
「……ちょっと、自嘲して欲しいかなあ」
「ん? どういうこと? え?」
驚いた。ソフィアのやつ、マジか? マジで? おまえいくつよ?
でもここは逆に、教えないままでいた方が面白いかもしれない。またいつか似たようなセクハラしかけようっと。
「ま、触覚というか、よくわからんものを伸ばすわけよ。それが別のダンジョンの同じような触覚と接触して、交配。その場所に新しいダンジョンが生まれるって寸法」
ちなみに、ダンジョンに雌雄はない。カタツムリとかと同じだ。
さすがに単体で増えることはない。じゃなきゃこの世はダンジョンで埋め尽くされてしまっていることだろう。
「ってことは、その時期は……」
「ま、動物と同じだな。繁殖期のダンジョン内部は荒れる。どういう荒れ方かはダンジョンにもよるけど、壁から酸性の液体が流れてきたり、岩が転がってきたり、突然転移させられたり……色んな罠が盛りだくさんってわけ」
とんだアスレチックパークだ。ミスれば命が対価とはあまりに高過ぎる。
「でも、そういうときだけ良いことってのもあるんじゃない? よく言うじゃないの。ドラゴンの巣に入らないとドラゴンの卵は手に入らないって」
ドラゴンの中には胎内で子供を育てる種類もいるけどね。
巣に入ったところで卵がない状況だって有り得るのである。
「夢を壊すようで悪いけど、基本的にないよ!」
「ないんですか……」
質問してきたのはソフィアなのに、何故かガッカリしたのはアリア。良いパーティっていえばいいのかな?
「ただ、繁殖期に限り、手に入る素材がある」
「素材?」
アイリーンが不思議そうな顔をするが、すぐに気が付いたようだ。
「そうか……ダンジョンもモンスターだから……」
「は? へ?」
「ご明察」
笑い、答えを続ける。
「本来、ダンジョンは倒せないモンスターだ。というか、倒す意味もないモンスターっていうべきか? 自立して行動できるわけじゃないから、人間にとってそれほど脅威じゃないしな。そもそも、生きた建物みたいな存在のダンジョンを殺すって発想が難しいよな」
三人とも頷く。理解してくれたようなので、次の段階へ進もう。
「でも繁殖期に限り、明確にダンジョンを殺すチャンスが生まれる」
三人の目の色が変わった。
生物を殺せば、その身体から様々なものを剥ぎ取れる。骨、皮、肉、毛などなど。
ダンジョンもモンスターなのだから、同様に得られる素材が存在するのは道理である。もっとも、一般的にイメージされる素材とは違うのだが。
「ローパーでいう『溶解石』みたいなものが露出するんだ。知っている者は、それを『ダンジョンコア』とか、短縮して『コア』って言う」
勿論「溶解石」と同じく、「コア」はダンジョンの心臓のようなもの。それを奪われるということはダンジョンの死を意味する。そのため、大抵はダンジョンの中の最深部に位置されているし、その前には「コア」を守る門番も現れる。
「門番……?」
「説明してなかったけど、ダンジョンがその体内に棲息させられるモンスターは、どれもダンジョン自体より格段にレベルの低いやつらばかりだ」
これはダンジョンの中に渦巻く魔力がダンジョン自体から生成されるためだ。普通のモンスターにとっては素晴らしい環境だが、より強いモンスターからすれば物足りない環境なので、その場に居座ろうとしないのである。贅沢を知ってしまった人間が、贅沢を知らなかった頃の生活に戻れないのと似ている。
まあ、そもそも、体内に自分より強い存在を放置したくもないのは当然の話。制御し切れない力などいつ暴走するかわからない。そんなものは初めからない方が良いのである。
「門番は違う。アレはモンスターとも魔族とも言い辛い。いわば、ダンジョンの体内に生み出された、小さなダンジョン自身だ」
アリアは理解したようだが、アイリーンとソフィアは首を捻っている。
「どう言えばいいかな……」
「たしかに、難しいですね……」
「人間っていう種族の中に、勇者とか賢者とか、そういう強力なロールを手にしたやつらが生まれる……って言ってわかるかな?」
駄目みたいだ。ううん、どう説明すればいいのか……。
「あ、アレだ! ダンジョンが自分の身代わりを、身体の中に作ってるんだよ。自分の身体を守るためなんだから、そりゃそのためには一番強くて信頼できるやつを生み出すよねって話。それが自分の分身ってこと」
おお、素晴らしい! アリアの説明は的確だ。実際、ソフィアとアイリーンもようやく理解した様子だった。折角なので、そのまま続ける。
「ダンジョンのレベルが一〇〇だとしよう。そうすると、その中で遭遇するモンスターたちのレベルは七〇から九〇くらいに収まる。けど繁殖期にだけ発生する門番は一〇〇レベルってことさ。これはダンジョン自身が自分の身体を使って生み出した存在だからだ」
アリアの説明もあって、今度はすんなり理解できたようだった。
「つまり、ダンジョンで遭遇する敵のレベルがなんとなくわかれば、ダンジョン自体のレベルもわかる。門番さえ倒せば『コア』を手に入れるのはわけない。なんたって門番なわけだからな」
そして「コア」を失ったダンジョンは活動を停止する。死んだわけだから当然だろう。以降、そこはただの洞窟だったり、ただの森に変化するというわけだ。
「その『コア』を加工したら、凄い魔具とか武器が作れるのかい?」
「当然だ。破格にならないくらいに。……まあそりゃ、ダンジョンのレベルに相応しい感じのものになるけどな」
俺が以前装備していた武器や鎧も「コア」を加工して作ってもらった逸品だ。ダンジョンの性質を持つため、どれだけ粗末に扱っても劣化しないという優れもの。一振りするだけで血も脂もすべて溶け落ちていくように消えてくれる。剣に関しては「コア」だけでなく、非常に貴重なことこの上ない金属も使用していたため、凄まじい切れ味だった。まあ、悪魔に持って行かれたんだけど……。
ともあれ、これでダンジョンについての説明は終わっていいだろう。本題に入るまで随分と回り道をしてしまったな。
「で、話を戻す。……この森はダンジョン化してる」
これまでの説明を受けたからだろう。「太陽」の面々はみんな真剣な眼差しになっていた。
「それも、精霊と協力してのダンジョンだ。迷いの森の性質もあって、一度足を踏み入れれば、ダンジョンを殺す以外に抜け出す方法は基本的にない」
「ちょっと待って。精霊はどうして協力するの? だって、精霊はその場から自由に動けないんでしょう?」
「問題ないよ。ダンジョンが喰らうのは生物だけだ」
精霊や妖精は身体を魔力で構成している。そのため、ダンジョンが体内にいる生物を食おうとしても、問題なく生きていられる。消化されないのだ。
これは特に言う必要がないと思ったから言わなかったが、ダンジョンがモンスター……つまり生物である以上、排泄もする。時々毒ガスが発生したりするが、アレは屁のようなものである。排泄はダンジョンの周囲の環境に影響を与え、凄まじい量の栄養素を撒き散らす。一部だけ異様に繁殖した木があったら、その辺りにダンジョンがあると考えて間違いない。
「そこで、質問だ。おまえらはどうしてここにやってきたんだ?」
アイリーンとアリアがリーダーであるソフィアを向く。
彼女は「太陽」の名に相応しく、瞳に希望を宿して俺を見据えた。
「この森に入って、帰らない人が多いって話を聞いたの。その原因解明よ」
「それは、クエストで?」
「ううん。直接の依頼。報酬が大してあるわけじゃないけど、困ってる人を放っておくのは『勇者』として認められない」
…………へえ? 随分とご立派な心得なことだ。
俺の目が鋭くなり、雰囲気が変わったからだろう。ソフィアは謝ってきた。
「あ、ごめんなさい! 別に、『勇者』だからってわけじゃなくて……。わたしが『太陽』だから、その名に恥じないようにしようってだけよ。それに……」
そういうことね。まあ、俺に押し付ける気がないようで安心した。それに久しぶり過ぎて、こいつが〈脳天気(快晴)〉という、何の役に立つのかもわからない不憫な子だというのも忘れてた。
そんな風に気を抜いたのが過ちだった。せめて、気を張っていたら良かった。
ソフィアの次の一言を、俺は聞いてしまった。
「……わたしが尊敬する『英雄の勇者』なら、きっとそうすると思って」