2-0 プロローグ
剣戟が連鎖する。火花と耳障りな金属音が断続し、ついに片方の刃が折れた。
勇者というロールを持つ、破格の存在がそのまま予想外の事態に目を丸くした。
そのまま敵の放つ凶刃が勇者の首を切り落とす。
勇者を倒したとはいえ、敵である黒騎士は油断せず動きを止めない。そのまま一直線に掛け、下等種族である人間の暮らす王都へ攻め込む。
黒騎士が勇者を倒したこともあり、魔王軍は活気づいた。対照的に、人間側の王国軍の兵士たちは絶望に表情を暗くする。
「気持ちで負けるな! まだ負けが決まったわけじゃないっ!」
指揮官が厳しく叱咤する。
その通りだ。勇者が折れても、まだ兵数では王国軍が優る。単体戦力としてはともかくとして、数の上では一兵を失っただけなのだ。
しかし、痛い。激励しつつも、そのことを指揮官は理解していた。
勇者のステータスは非常に高い。どの項目を取っても標準を大幅に越えており、各ステータスでトップクラスであるロールには敵わないというだけなのだ。いわば、すべてのステータスが全ロール中、二位か三位に収まっていると考えればいい。
そのうえ、勇者が使えるスキルはどれも優秀だ。単体の性能だけでいうなら、魔王軍の総大将である魔王に並び得る唯一の存在である。
勇者なしでも魔王を討ち取ることはできる。だが、それにはどれだけの犠牲を伴うだろう。そもそも、魔王にそれだけの人員を注ぎ込んだ場合、今度は王都を守れない。
指揮官は数週間後のことを考え、冷や汗を流す。
なまじ賢いだけに絶望的な未来が見えて仕方ないのだ。
でも、負けられない。
この相手には、負けることができない。
「行けっ!」
聖騎士や守護者を王都の前に控えさせて防御を固める。彼らのスキルによって王都の防衛力が高まったため、攻撃に回す人員が確保できた。
戦士、騎士、武闘家といった主戦力がなだれ込むように敵陣へ駆ける。そしてその突破力を高めるため、後陣の魔法使いや、勇者に並ぶロールである賢者の魔法が敵へ注ぎ込まれた。
それと同時に魔術師による敵陣営のステータスダウン。舞踏家による援護で味方陣営のステータスをアップさせる。
行ける! 指揮官はそう考えた。
「その程度かい?」
なのに、敵――魔王軍の指揮官は鼻を鳴らすようにして容易くそう告げる。
「なっ」
「それで僕の黒騎士を止められるとでも?」
黒騎士は魔王軍にとっての勇者のような存在だ。ただし、ステータスを見れば勇者よりも弱い。体力と魔力は高いが、それ以外は一ランク下だ。
では、何故黒騎士に勇者は負けたのか?
単純に、疲弊させられていたからだ。
勇者がどれだけ強いとはいえ、所詮人間。ステータスダウンやステータスアップを使えるのは魔王軍とて同じ。敵は勇者一人に焦点を絞り、集中的にその力を削いできた。
「勇者に頼るだけなんて下策中の下策だよ」
「そんな……そんなあっ!」
王国軍の攻撃はどれも魔王軍へ届かなかった。
魔王軍最強のロールである魔王がその力をすべて、兵の防御に割いていたからだ。
魔王軍の兵たちは無傷のまま王国軍と衝突する。だが魔王のスキルによって防御力の上がった魔王軍を破ることは敵わず、人数という有利すらどんどん紙を破るように削られていった。
また、魔王軍の陣営は黒騎士を先頭にし、槍のように王国軍の壁を貫いていった。
そうして漆黒の凶刃が聖騎士を破り、さらには守護者をも手に掛ける。
王都の前に、門を守る兵はもうない。
黒騎士率いる魔王軍は悠々と門を破り、王都を蹂躙し始めた。
◇◆◇◆
「はい、ゲームセット! ルークくんの勝利です!」
あまりにも弱い相手だった、とルークは嘆息する。
ここは街のホビーショップ。なんでも本物の魔王が考案したとされるゲームが人間社会に溶け込み、大人気なのだから世も末だ。とはいえ、その魔王とは「叡智の魔王」。ひとりにつきひとつの大陸を支配するといわれる強力な魔王の中で、最も人間に対して温厚な魔王だ。……とはいえ、魔族によって侵略された国がないわけでもないのだが。
「ちくしょう、ちくしょう……」
「あのね、リード? もうちょっとさあ……」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!」
ルークの幼馴染であるリードは目に涙を浮かべながら癇癪を起こす。それを見て、ルークは「はあ、またこれだ」と再度溜め息を零すことになった。
仕方なく、ルークは鞄を肩に掛けて家路に付くことにした。
「つまんないなあ……」
魔王の考案したゲームは意外とシステマチックで、実に面白い研究材料だった。
人間の王が率いる王国軍の兵士たちは魔王軍に対して弱い。しかし、その代わりに三倍の数の兵士を保有している。魔王軍は単体の性能が高い代わりに、三分の一の戦力で王国軍を破らねばならない。
勝利、敗北条件は王都、あるいは魔都が敵に蹂躙されること。それはつまり、各都の耐久力がゼロになってしまうということだ。あるいは全滅だが、都の耐久力をゼロにしてしまう方が早いので、基本的に全滅を狙うのは馬鹿のやることだった。
プレイヤーは指揮官となり、各ユニットを自由に動かす。如何なる魔法が付与された魔具なのかはわからないが、プレイする度に各ユニットのレベルやステータス、スキルは地味に変わっていた。といっても、その幅にも限界値が設定されていて、あるユニットが弱いときは対応する別のユニットが強くなっているといった風にバランスが取られている。総合的には毎回同じ条件なのである。
今回でいえば、リードの勇者は弱い状態だった。これは運が悪かったと嘆くしかないだろう。勇者とは王国軍の切り札なのだから。
しかし、その代わりに対応する守護者のユニットが強化されているはずだ。ルークならば、勇者と守護者をセットで動かした。そうすることでバランスを保ち、尚且つ勇者が消耗したならすぐに守護者を前に出すことで、強力なユニットである勇者を長生きさせることができる。
敵プレイヤーが上手い相手であるなら、さらにそこへ聖騎士を付けて三人パーティを組ませるのも良いかもしれない。聖騎士ならば僧侶のロールも併せ持つため、守護者の体力を回復させることもできる。
王国軍は数が多いのだから、王都の防衛は兵士による肉の壁でどうにかする。あとは勇者パーティを旗頭にし、残る兵たちを注げばいい。先程までの自分が相手であるなら、ルークは間違いなく王国軍をそう指揮していた。そうすれば勇者も黒騎士に負けず、魔王にその刃を向けることだって可能だったはずなのだ。
「上手いゲームだよなあ」
帰り道の途中、先程までのゲーム内容を反省しながらそう呟く。
各ロールのステータスやスキル、基本的な性能を、ゲームを通じて学習できる。実際、このゲームが流行り出したときは学院の講師たちは顔を赤くして怒っていた。なんて不謹慎な、と。
しかし、今はどうだろう。子供たちは学院での勉強ではなく、あのゲームを通じて各ロールの性能やスキルを学習している。結果として、学院の生徒たち全員の学力が向上した。講師たちは一斉に手のひらを返した。放課後も居残って勉強をさせようとしていたはずなのに、今では早く帰ってゲームをしなさいという始末だ。正直どうかと思っていた。
しかし、それ以上に――ルークがあのゲームを上手いと思う理由がある。
魔王軍は各ユニットのステータスが高い。
王国軍はその代わりに三倍の兵力を持つ。
一見、これでバランスを取っているようにも思える。
「実際は魔王軍が有利過ぎるんだけどね……」
三倍の兵力を持っているとはいえ、それを指揮するプレイヤーは一人なのだ。三倍の兵力も、それを指揮する能力がなければ烏合の衆でしかない。
そもそも、それぞれの手番で動かせるユニットはひとつだけ。中には手番に関係なく動けるロールのユニットも存在するが、それはさすがに互いが同数保有している。
さらに、三倍の兵力を上手く指揮できたとしても、魔王軍の方がなお強い。それだけステータスに差が存在する。
実際はプレイヤーの能力に左右されるため、王国軍が勝ったりすることも珍しくはなかった。けれど、もしも同じ力量のプレイヤーが勝負をするのであれば、まず間違いなく魔王軍が勝つとルークは判断している。
そのことを意識はしておらずとも、子供たちは薄々気付いているようだ。だから、いつもどちらが魔王軍を指揮するかで喧嘩が起こっている。
「『叡智の魔王』か……。どんな魔王なんだろう」
ゲームを人間たちに浸透させることにより、魔王軍の人気を高める。
各ロールの性質を学習させられるため、大人たちも文句を言わない。むしろ勧める。
その一方で、人々はこれ以上なく、魔王軍がどれだけ強大な存在なのかを理解するというわけだ。ゲームにハマればハマるほど、その傾向は強くなる。人々は魔王に逆らう気が起こらなくなる、ということ。
ルークがはっきり言えるのはそれくらいだが、かの魔王が「叡智」という二つ名で呼ばれる以上、それ以外の狙いもあるのだろう。実に良くできている、とルークは思う。
「……ただいま」
「ルーク! 遅かったじゃない!」
玄関の扉を開けて家に入った途端、雷が落ちた。
無論、比喩ではない。魔法による稲妻だ。ルークは即座に自身も魔法を行使し、それを防いだ。
母親が怒鳴る。ヒステリックで甲高い声に頭の奥がジンジンする。
聞き流し、適度なタイミングを狙って、母親が納得する一言を告げた。それを聞けば母親は機嫌良くなり黙るという魔法の呪文である。
今日もいつも通りで、魔法の呪文は効果を発揮した。まったく心にもない言葉を吐くことに心苦しくならなくなったのはいつからだろうか?
そのまま階段を上がって二階へ。
「あ! お兄ちゃん!」
「やあ、メアリー」
妹が扉を開けて身体を半分覗かせている。もう半身は見えない。見せる気もないのだろう。
「おかえりなさい!」
「ただいま。良い子にしてたかい?」
「うん! そしたら、メアリー、元気になるんだよねっ?」
「……っ」
咄嗟に顔を俯かせた。
母親に心にもないことを言うことはできる。
でも、無邪気に自分たちの嘘を信じ、心から信頼してくれている妹を騙すのだけは、ルークにも難しかった。
「お兄ちゃん……? どうしたの? おなかいたいの……?」
「いいや、なんでもないよ。……うん、良い子にして大人しくしてたら、メアリーの病気もきっと良くなるからね」
「うんっ」
花が咲いたような笑みを浮かべるメアリー。ルークは両手を背にし、自分の臀部を全力で摘んだ。
笑え。メアリーを心配させないように笑え。絶対に表情を崩すな。
メアリーの病気は時間経過で治ることなど有り得ない。むしろ、悪化する一方だ。
しかし、どうすることもできない。
治療のための魔法薬が高価なのか? そんなの、どうにかして工面する。
治療のための方法が究明されていないのか? そんなの、どうにかして発見する。
けれど――教会ですら匙を投げるほどの呪いが相手では、どうしようもない。
メアリーの半身は普通の子供のままだ。八歳のかわいらしい少女だ。ルークは家族という欲目を抜きにしても、素直にそう思う。
だが、もう半身は違う。呪いによって、常に腐っているのだ。
そのため、メアリーの部屋は悪臭に満ちていた。ただ崩れ落ちることこそないし、普通に健康に暮らせる。
けれども、人前に出ることは決してできない。
誰もそんなメアリーを許容できないだろうし――何より、両親が認めない。
ルークとメアリーは良い意味でも悪い意味でも、異様な家庭に生まれていた。
なにせ父も母も賢者のロールなのだ。
そしてルークとメアリーも、賢者。
母はメアリーの世話もあって専業主婦だ。父は国に取り上げられ、重要な仕事を任せられている。つまりは新しい魔具や魔法薬を開発させる研究責任者である。
だからこそ、貴族でもないのに二階建てという豪華な家に住むことができているのだ。
「じゃあ、良い子にしてるんだよ、メアリー」
「うん! お兄ちゃんも、おべんきょう、がんばってね!」
扉がぱたんと閉じられる。直後、ルークは顔を歪めた。それから黙って、メアリーと対になる自分の部屋へ戻る。
「ちくしょう……」
荷物を机に置いてからベッドに身体を預け、歯を噛み締め、絞り出すようにただ一言呟いた。
「メアリーが何したって言うんだ……」
メアリーは数年前、呪いに掛かった。あれはたしか、家族みんなでピクニックをしていた頃だったはずだ。その頃はまだ、家族の仲も良かった。
だがメアリーが呪いに掛かり、家族は崩壊した。
一年もしないうちに、母親はメアリーの世話で気が触れた。やがて父親はそんな母を疎ましく思い、一ヶ月に一度程度しか家に帰らなくなった。どこまで本当か知らないが、今では研究室の部下の女性とよろしくやっているらしい。おそらく真実だろう。賢者ロールで研究責任者というだけで、既婚者だとしても寄ってくる女性は多いはずだ。
そしてメアリーはそれから数年も、あの部屋から外へ出ていない。トイレですら出してもらえていないのだ。気が触れはしたものの、母は最低限、メアリーの世話をしている。そこだけは立派だとルークは思っていた。
しかし、だとしても、ルークは母親を許すことはできない。
いつの間にか、メアリーは死んだことにされていた。近所の住人たちに不審に思われるのを避けるという理由だけのために。
悔しい。
涙が零れてしまうほどに、悔しい。
もっと自分に力があれば、知識があれば、メアリーを救うことができるのに。
「…………よし。反省終了だ」
ルークは涙を拭うと起き上がり、机に向かう。学院の図書館から借りてきた分厚い魔法書を鞄から取り出し、勉強に励む。
メアリーは自分が救う。
この国では駄目だ。知識に限界がある。もっと広い世界を知らなくてはならない。
そのためにも、力を身につけねばならない。メアリーを守りながら、世界を旅することのできる力を。
父も母も、もう要らない。メアリーさえいればいい。
気が狂ったのではと思えるほど勉学に打ち込み出して、友人と呼べた者たちはどんどんルークの側から離れていった。まだ付き合いがあるのは、自分をライバル視しているリードくらいだ。
メアリーだけは、自分に対して昔と同じ明るい笑顔を向けてくれている。一番辛いのはどう考えてもメアリーだというのに。
「救うんだ……僕が救うんだ……」
端から見れば、ルークもまた母親と同じく気が触れたように見えるだろう。
本人だけはそれに気付かず、今日もまた夜更けまで睡眠時間を削り、勉学に励むのだった。