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「遅いな……。何やってんだ、メイのやつ」
ギルド前で待っていても、一向にメイが帰ってくる気配がない。
そりゃあたしかに、少しばかり俺はこの場を外れていた。エロい姉ちゃんが客寄せしてるんだから、そりゃ着いて行かない方が罪なので仕方ない。俺は悪くない。エロいことはさせてもらえなかったが、それでも中々面白い店だったので、興味のあるものを買ってしまった。
ただ、俺も何も考えなしにエロス探検隊としての血に従ったわけではない。俺は本能で動くような野蛮な人間じゃないのだ。もっとクールなのだ。迂闊に触れれば凍傷を負ってしまうくらいにはクールなのだ。
クエスト達成では報奨金の受け渡しがある。メイがやってきてクエスト達成を告げ、それからギルド職員が金を用意し、受け取るという流れだ。
これは存外時間が掛かる。今回の場合は溶解石を大量に集めたため、その合計金額などを計算するのにも時間が掛かっただろう。あれだけの量だと、一個当たりの値段も逆に下がってしまうかもしれないからだ。
そのため、メイが出てくるまでには帰ってきていたのに。
トイレにでも行っているのではないかとも思ったが、そういうわけでもなさそうだ。というか遅過ぎて苛立ってギルドの中に入ったしな。
職員に聞いたところ、メイは俺を探して外に出ていったのだという。なんでも銀階級になれるのだとか。
冒険者階級が上がる際は冒険者階級を証明するプレートを新しくする必要がある。その発行に時間が掛かるので俺に確認を取りに行ったところ、まだ帰らないので受付嬢たちも心配していた。
あんたらあいつのレベル知ってるだろとも思ったが、あの容姿だから仕方ないともいえよう。ニセモノなのに騙されてて可哀想に。
そう。メイは人間ではない。
かといって、モンスターというわけでもない。
メイは魔族なのだ。もっとも、エルキア大陸を支配していた「強欲の魔王」の魔族だから、今となっては魔族と呼ぶのは怪しいところではある。何せ仕える主人が存在しないのだから。
ともあれ、メイは魔族の中でもとびきりレアである「ドッペルゲンガー」という種族だ。その種族スキルとして〈模倣〉と〈変身〉がある。
前者は自身がロックした対象のスキルを劣化はするものの、行使可能となるスキル。正確にはスキルを模倣するのではなく、ロールを模倣する。固有スキルは使えないが、それでもかなり有用だ。
後者は自身の肉体を作り替え、ロックした対象の姿に変身するスキルである。こちらも能力は劣化する。これらはスキルレベルを上げても再現した際の能力値は変わらない。
スキルでなく、「多重存在の影」というドッペルゲンガーの種族専用ロールをランクアップすることで初めて能力値に変化が起こる。
スキルのレベルを上げた場合は効果時間や消費魔力が減少したりするが、そんなものはどうでもいい。最重要なのはスキル対象としてロックできる数を増やすことである。
現在メイがロックできる対象の数は三つ。まだスキルレベルが最低だから仕方ない。
ひとつは普段の人間の娘の姿に使わせている。ひとつは一ヶ月前のドラゴンにした。あとひとつは保留中である。
これらは使い勝手のよいスキルというわけではないのだ。彼女のレベルに対して低い対象である人間の姿ならいくらでも変身していられるが、レベルの高いドラゴンなどが相手の場合は消費魔力が膨大になる癖に効果時間も短い。そして再現できる能力値もかなり下がってしまう。半分くらいだろうか。まあそれでも、人間の姿よりは強いだろうが。
また、ロックする対象が生きていないと意味がない。「多重存在の影」というロールなだけあって、存在している者を模倣しているだけなのである。余談だが、魔術師自体はメイ個人のロールであるため、どんな存在に変身しても問題なく使える。
そしてロックはそう簡単に切り換えることができない。一度ロックを外した場合、その枠を再使用できるようになるまでに最低でも一年ほど時間が掛かるのだ。だから余った一枠を巨乳美人にするといったロマン選択をしなかった。血涙流して我慢した。同時に、外見がどうであっても相手がメイだと考えるとすごーく萎えた。
なお、対象者が死んでロックが外れた場合はすぐに再使用できる。どうしても一枠が足りなくなった場合はドラゴンを召喚して殺すかすればいいだろうと考えている。「また会えたね!」って言いながら切り掛かってやろう。驚くぞ。
俺がメイを購入する際に訪問した奴隷商は魔族を専門的に扱う店だ。当然、店の主人も魔族である。というか悪魔である。
俺と契約している悪魔ではないが、彼女の紹介であることは確かだ。なんでも、「英雄」の二つ名などが契約の際に過剰だったらしく、その補填として紹介された。本当に俺が行くとは思っていなかったみたいだけど。
人間であれば、奴隷はあまり傷付けないよう貴重品のような扱いをされる。怪我していたり病気に掛かっている奴隷など誰も欲しくないからだ。だから商品維持費に結構なコストが掛かり、奴隷は桁違いに高くなる。
悪魔の奴隷に関してもそれは同じようなのだが、俺が訪れたのは一番安いところだ。というか、安くても人間の奴隷より高かった。魔族の感覚はわからん。
安いということは、奴隷の維持費に金を使っていないということでもある。その場にいた奴隷魔族は誰も彼も非常に弱っており、いつ死んでもおかしくないほど衰弱していた。
同じ魔族なのにそれで良いのかと思って訊ねたところ「魔族は魔王に忠誠を誓う者が多いですが、我々はそれを外れておりますし、こうして人間に与したりもします。ホホ、魔族であるのに同族へ悪いこともするから悪魔なのですよ」と説明された。悪魔ってうまいこと言うの流行ってるのかな。
ともかく、俺はその中でドッペルゲンガーを――メイを――選んだ。
当然、彼女の種族スキルが優秀だと判断したからだ。魔術師というのも理由の一端ではあった。
メイ曰く、あの奴隷商の下での生活は地獄だったらしい。だから俺に感謝し、奴隷印がなくても忠誠を誓うと言っていた。どこまで本心かはわからないが、まあ言うことを聞くなら良しとしておいた。裏切ることもないが、もし万一があれば殺せばいいだけの話。それに今となっては「太陽」一行に誘われても俺を選んだことから、俺の方でもメイを信用している。信頼はできないが、俺にとって都合の悪いことはまずしないだろうという信用だ。
メイが抜けてるのも——ストレートに言うなら馬鹿なのも——こうした経緯があったからだ。
まともな学習を受ける時間などあるはずもない。悪魔の奴隷商は維持コストを自分の懐から捻出するのではなく、奴隷たちに自分で稼がせるようにした。それ以上はメイが涙目になったから聞き出さなかったが、まあ真っ黒なショービジネスか何かだったのだろう。趣味の悪い連中が悦ぶ興行と言われれば、ある程度は想像がつく。俺としても聞きたい話ではないため、聞き出すことは今後ないだろう。
そうした理由もあって、俺は別にメイが一人でどこかほっつき歩いていても、あまり心配はしていなかった。ご主人様を待たせているのは業腹だが。
「…………だが、おかしいな」
それにしては時間が経ち過ぎている。この間、もしも俺の言いつけを守らなかったら罰を与えると言ったばかりなのに。
ちなみに、その罰については既に説明している。木の棒に括り付けて、メイを武器として戦うというものだ。必死こいて嫌がっていたので、あまり勝手なことをするわけもないのだが。
「攫われた? でも、メイをそう簡単に拘束できるのか? 相手はそう思うかもしれないけど、実際はそううまく行くわけもないだろうし……」
そう簡単に呼んでレベルアップの儀式を行うこともできないので、ある程度時間が経ってから悪魔を呼ぶことにしている。教会でメイをレベルアップさせられない最大の理由がこれである。教会の連中の〈情報開示〉を使われたら、メイが魔族でドッペルゲンガーであることが一発でバレてしまうからだ。まあ俺も契約による呪いがあるから教会には寄らないし、別に良いのだけれど。
最後にレベルを上げたのはドラゴンを退治した後だ。そうしてメイのレベルは一気に飛んで七〇レベルに到達した。また、普段の訓練でほんの僅かだがステータスも上昇しているはず。レベルアップの上昇幅と比べると焼け石に水だが、訓練しないのに比べればマシだ。
そんな七〇レベルのメイをそう簡単に従わせることができるだろうか?
即座に判断する。無理だ。
メイのロールは魔術師だからステータスも魔力に偏っているが、それとは別に彼女の種族は魔族。筋力や敏捷性のステータスも同レベルの人間の魔術師よりは余程高いはず。少なくとも、あのなんちゃらいう男をサマーソルトキックで昏倒させられる程度には。ドッペルゲンガー固有の「多重存在の影」というロールによるステータスへの影響はない。これは変身した対象のステータスへ変化するからだ。
そのため彼女のステータスは人間への変身ということで劣化してはいるものの、「魔術師」で七〇レベルの人間よりは高くなっている。
わかっている。理屈の上では彼女をどうにかできる存在がいないことくらい。
では、何故――現実問題として、彼女はこんなに長い時間帰ってこないのか?
俺の脅しがあるから、迷子になるほど遠くへ離れることはないはずだ。そも、こういうときは冒険者ギルドで待っていればいいと言っている。
胸騒ぎが収まらない。そんなとき、悲鳴が聞こえてきた。
「っ、あっちか!」
この状況下で何らかの騒ぎが起こったとするなら、メイが関連していないわけがない!
ヘマ踏んだメイの役立たずっぷりに舌打ちしつつ、三〇〇レベルオーバーの敏捷性を十分に活かす。そしてその聴覚もフルに発揮。騒ぎの中心へ移動しながら、あちこちで飛び交う会話のうち、真実に近しいであろう情報だけを取捨選択していく。
「……っ! あの、バカッ!!」
どんな国であっても避けられないものがある。
人がいずれは老いて死ぬのと同じ。数少ない絶対と呼ばれる現象だ。真理といってもいい。
それは何か?
答え、老化。
国も人と同じように老いるのだ。統治者が変われば政治も変わる。時間が経てば住む者が変わり、考え方も変わる。決して同じ時間が流れることはない。同じ統治のように見えても、細々と見ていけば変化は必ず存在する。それらのバランス取りや舵きりの上手い者が名君や賢王と呼ばれるのである。
そしておそらく、セパリアの王は賢王ではなかった。
だが、愚王でもなかった。
国が大きくなれば当然悪いことを考える者だって増える。冒険者という、普通の者では逆立ちしたって敵わないようなレベルを持つ者なら、尚更暴力に酔ってしまう可能性も高い。けれど、冒険者を居なくさせるなんてこともできない。
きっと何世代も前からの風習なのだろう。賢王でも愚王でもない国王はそれをそのままのさばらせてしまった。
つまり、悪いことを考えたりやってしまう者を一部にまとめさせたのである。
それは一般的にスラムと呼ばれる。
人は弱い生物だから一人で生きていけない。人が集まれば上下関係が生まれ、支配する者や指示する者も生まれ、その逆も然り。悪人は悪人にまとめさせ、国王と裏で取引することで治安を維持しようとした。
きっと、どんな国でも似たようなことはしている。
だって、その方が楽なのだ。
いわばゴミを一カ所に集めさせ、それからまとめて処理するという話。一軒一軒回っていては膨大な手間と時間が掛かるので、そうして効率化していったのだ。
スラムというのは、国にとってゴミ箱なのである。もちろんゴミの中にまだ使えるものが入っている可能性もあるが、その可能性はあまりに低い。
けれど、やはりそんな組織だって老いるものである。どんな国でもどんな組織であったとしても、最初に始めた者は賢かったのだろう。でもそれは続かない。そんなうまい具合に賢い者がぽんぽん出てくるはずもないのだ。「勇者」のように国々が協力して発掘しているわけでもないのだから。
組織が長く続けば続くほど、その維持のやり方はマニュアル化されていく。そうすれば余分な時間を使って好きなことができる。
なんとも素敵な話だ。でも、馬鹿が集まってしまえばその時間をどう使うだろう?
メイはなんらかの方法で攫われた。そしてそこで不意打ちによる暴行を受けた。奴隷商の下での酷い待遇もあり、あいつは痛みに――暴力と悪意に弱い。
きっと、大人しくしていただろう。だがあの容姿もあいまって、相手の嗜虐心を煽る結果になってしまった。
そして馬鹿どもはやり過ぎてしまい、メイがキレたのだ。
混乱する人々の口から出てくる単語で最も多いのが「ドラゴン」。
それだけである程度推測がついた。少なくとも、メイは関係している。
「馬鹿ばっかりか、クソが!」
この世は美しい。そんな風に師匠の一人は言っていた。
俺は冒険に出て、仲間と出会い、様々な人と巡り会った。そうして「英雄の勇者」と呼ばれ、讃えられてきた。
人は老いる――悪いことを考える者だって現れる。
国は老いる――悪人を処理できない無能な者が現れる。
世界は老いる――美しいものもあれば、その逆だって当然のように存在する。
冒険に出て、俺はそのことを学んだのだ。
この世は良いことばかりじゃない。悪いこともあるし、汚いことだってある。
でも、だからといってすべてを恨む必要はない。逆も然りだというなら、その逆も正なのだ。
家々の屋根を駆け、颶風と化して住民区を疾走する。
やがて、明らかに色合いの違うエリアが見えてきた。普通の住民区との間には仕切りのようなものが作られており、そこから先はマズいエリアですよといわんばかり。なんだってメイはあそこを黙って越えたんだ? さすがにそれ以前の場で拉致するのはいくらなんでもやろうとしないと思うのだが。まだ昼間で人の目もあるし。まあ、考えても仕方ないか。終わったことだ。
考えるべきは先のこと。
未来のこと。
より素晴らしい明日のこと。
そのためには常に希望を手にし、さらに大きな希望を掴むために考え続けなければならない。
「どりゃっ」
とりあえず、メイの噂を広められては困るので、そこを妨害しておこう。ドラゴンに変身してるなら死ぬことはないだろうし。
ポーチに手を入れ、魔法薬の入った小瓶を取り出し、放る。割れた瞬間、真っ白な煙が住民区とその先を二分する箇所に立ちこめた。
今投げたのは煙幕を発生させる魔法薬だ。単に視界を悪くするというだけで、目に沁みたりするわけじゃない。というか、そんなの俺も困る。
この魔法薬は俺にとってとても有用なアイテムだった。なんせ一人で行動する以上、モンスターの群れと戦闘になったら大変だからな。レベル上がっていらなくなったけど。随分昔のやつだったからきちんと働くか不安だったが、使用期限も切れていなかったようで安心する。
「なんだ、火事か!?」
「水属性の魔法を使えるやつを呼んでこい! あと消防隊!」
「……消防隊あるんだ。さすが腐っても国の首都だな」
でもまあ、そんなのは首都の重要な場所に集まってるだろ。一般国民の暮らす箇所にはごく少数しかあるまい。時間は十分稼げるはずだ。
「さて、さて……」
「な、なんだオマエ!」
このエリアから普通のエリアへ逃げようとする者たちを阻むように、屋根の上から降り立った。まるで守護者のようだが、俺にそんなロールはないので意味はない。というか、守護者とまるで逆の行動を取ろうとしているわけだしな。
「あまり騒ぐなよ。こっちは静かに行動したいんだ」
「何を言って――え?」
声を出して聞こえるまでの時間差が生じたからだろう。男は最期まで不思議そうな顔をしていた。いや、首を落として地面に落ちるまでの間に喋れるもんなんだね。もう肺とは繋がってないのにさ。
「何やってくれてんだオマ――」
「な――」
「――――」
「はい、つぎ、つぎぃ」
見る者がいれば疾風怒濤の攻めとでも言うのだろうか。そりゃそれなりに速く動き回ってはいるが、なんの抵抗もできないほどではないと思うがね。
なんせ殺り逃しがあったら困るのだ。メイが魔族だって知られたら俺も困るんだよ。メイを冒険者登録してしまっているし、そこでは俺が彼女のご主人様だと知られている。それに「太陽」パーティの存在だってあるしな。あいつらは俺のこともメイのこともしっかり知っている。もしも冒険者ギルド内で指名手配などされようものなら、すぐに詳しい人相などの情報が出回ってしまうだろう。
誰がメイのことを知っているかわからない。
混乱が起こり、とりあえずドラゴンが出たという情報で、みんなこの場から逃げようとしている。
だから、皆殺しだ。
家屋の中にいるやつまで殺そうとは思わないが……そうでない奴らは全員殺す。
死人は喋らない。実に良い。
どうせこのエリアで生活している以上、全員何か悪いことをしてきたのだろう。なら、最期くらいはその罪を清算すればいい。そうすれば、天国にでも行けるかもよ?
「ひゃっはー、入れ食いだあ!」
こういうときに相応しい台詞はなんだろうかと考えた結果、これが出た。自分でも正直どうかと思う。
返り血を浴びてしまうと問題だ。どうしても人の目を惹いてしまう。だからそれすらもないほどに素早く、正確に、周囲の連中の位置取りも考えて命を刈り取っていく。
魔法は使わない。そんなものを使う暇があれば走って切り殺した方が早い。
それに俺がやっているのは大量殺人である。バレたら極刑は免れない。
魔法には痕跡が残る。魔力痕と呼ばれるもので、時間が経つと消えはするが、それには数日から一週間ほど必要だ。首都内の出来事なので、それだけの時間を隠し通すのは不可能だろう。
魔力痕を調べればどの系統のスキルだったかわかる。これは調査する者のスキルレベルにもよるのだが、最高レベルだと魔法名すら判明してしまうから問題だ。それはすなわち勇者ロールの魔法だということがバレてしまう。他にも属性なども。
といっても、魔具を使えばロール外のスキルだって使えたりする。そのため、魔力痕を過度に信用するのは禁物だ。でもそれがまかり通ったりもするんだよな。すべては断罪者のさじ加減で決まるから。
白煙の変わりに血煙を引き連れ、駆ける。俺が走った後には足跡のように、何十人もの死体がゴロゴロと転がっている。
そうしてようやく騒ぎの中心地であろう箇所に辿り着いた。
金属製の扉を蹴破り、片手剣の先で地面をカツカツと叩きながら笑みを浮かべる。
「おーおー、殺っとるねぃ」
メイが変身した姿はあのドラゴンとそっくりだった。ただ、やはりレベルがあまりにも掛け離れているからか、随分と小さい。この家屋にギリギリ収まるくらいだ。ロックしたドラゴンより二回りか三回りほど小さいかな?
「た、たす……助け……」
「あん? おまえ、どっかで見たことあるな……」
片足をズタズタに引き裂かれた男が涙と血を流しながら這いつくばってこちらへやってくる。腕も折れてるし、たぶん踏まれたな。内臓も損傷しているのだろう。
「あ、あの町で会ったな、おまえ。たしか……」
義眼のスキルを使い、名前を視る。
「ギャリつったか? ああ、そういうことね……」
話が繋がった。どうせあのときのことを根に持って復讐しようとしたのだろう。俺でなくメイを狙ったって辺りが最高にダサい。あ、でもコイツはメイに蹴られたんだったか。なら正当な復讐でもあるのか?
「あのガキ、ガキ……ドラゴンだったんだ!」
「ちょっと違うけどねー」
「何を言って――げぶっ」
鬱陶しい! むさ苦しい野郎が俺に集るんじゃない。美女なら許す。
ギャリを蹴り捨て、ついでにもう片方の足の腱も切断しておく。野太い絶叫が響いた。実に耳障り。
「おい、メイ。そろそろいいだろ?」
家屋の中はぼろぼろだ。色んなモノが散乱し、壊され、砕かれている。
血が飛び散り、白いのは骨だ。肉片や脂肪も散らばっていた。まともに人の形をしてるものはない。
そしてその中心にいるのがドラゴンへ変身したメイだ。辛うじて生きているのはギャリと、彼女の目の前にいる細面の男。ああ、俺殴って自爆したヤツか。
「悪かった! 悪かったよぉ! もうしねえ! 悔い改める! だから助げ――」
メイの腕が振られる。鋭い爪が腹を引き裂き、内側に仕舞われていたモノが圧迫感から解放されて転び出る。
「ああ、びでえ! おでのない、ないじょぉがぁあっ!」
泣きながら必死で折れた両腕を使い、溢れ出た内臓を元に戻そうとする男。しかし血や体液でぬめった内臓をそう簡単に戻せるわけもない。触れれば痛いだろうし、戻そうとすればするほど外へ溢れ出してしまっていた。
やがて目がぐるんと回り、口から血と白い泡を吐いて、謝罪するかのように前のめりになってその場へ倒れた。
まあ、悪人には良い死に方なんじゃないか? 言葉だけでなく、身体も使って赦しを請うてる感じが実にグッド。神様もこれにはニッコリ。
「おーい。メーイー?」
メイの口が開かれ、低く鈍い哄笑が響いた。
そして俺の声に反応し、フーフーと荒い息を吐きながら睨んでくる。
「あ、これ理性イッてますわ。人の話聞いてませんわ」
「ぎゃあああっ! 死ぬ! 死んじまゔぅぅぅっ!!」
「うるさっ! 死ねっ」
「ぎゃあっ!」
折角生き残らせてるからメイにトドメを刺させる予定だったが、計画変更だ。やっぱりまだメイにはドラゴンの変身は早かったみたいだ。約八〇レベル差だもんなあ。メイのレベルが七〇なのだから、倍あってもまだ足りない。
ドラゴンに変身したメイが口を開く。ほんの一瞬だけ、ヒュウと風切り音がした。〈ブレス〉の予兆だ。すかさず横っ飛びして回避。続いて放たれる〈ブレス〉も同様にして回避した。
「あのときは死んだふりのためにわざと喰らったけどな、俺に当たるわけねえだろ」
嘆息しながら告げる。だがメイには聞こえていないのか、延々と〈ブレス〉をこちらに吐き続けてきた。
「ちっ」
舌打ちし、回避。
それにしてもこいつ、奴隷の分際でご主人様に歯向かうとは何事だ? これはもう一晩ぶっ続けでお叱りコースですわ。泣いても許さない。三日三晩は俺を目にするだけで失禁するレベルのお仕置き決定だな。……掃除が大変だし、それはやめとくか。
そんなことを考えつつ、並列してこの騒ぎをどのように収束させるのが最善か考える。
変身したとしても、このドラゴンがメイであることに変わりはない。だから正直な話、俺が主人として奴隷印を通じて命じれば問題なく場を治めることができる。メイだって理性を取り戻すだろう。
だが、それでは駄目だ。
それでは勿体ない。
今回のことはメイに落ち度もあるが、アクシデントだ。突発的なアクシデントに対症療法的に対処していては、それで事が済んでしまう。
それでは駄目なのである。足りないのだ。
問題が起こるだけでもウザいのに、突発的アクシデントとかふざけてんのかと文句を言いたいくらいだ。
だから、迷惑料を要求する。
メイをただ元に戻すだけでは終わらせない。今回の騒動を通じ、もっと明確なメリットを見出し、手にする。
「この俺を誰だと思ってんだ? 『欠落の勇者』だぞ? 躊躇やら遠慮やらは全部落としちまったよ」
まずはメイに対して軽いお仕置きが必要だな。それを兼ね、俺のことをはっきり敵だと認識させなければならない。「太陽」ではないが、俺を無視すんなってことだ。
ドラゴンに変身したとはいえ、所詮はメイである。レベル七〇なんぞ殺気で殺せる。試したことはないけど、きっとできると思う。信じれば叶うんだ。
なので軽く片手剣の血を払ってから鞘に納めた。素手で十分だ。それに、ご主人様に従わない奴隷に躾をするのに刃物取り出すのはどうもね。やるなら鞭。鞭はないし使ったことないので、拳で代用することにした。悪い子には拳骨って昔から相場が決まってるのだ。
「喰らえ! 救世の勇者とは思えないほど貧弱なヤクザキーック!」
〈ブレス〉で捉えられないことに苛立ったメイが腕を横薙ぎに払ってくる。点では捉えられないから線で捉えようという理屈だ。非常にシンプルでスマートな回答。相手が俺でなければだが。
かなり手加減した前蹴りを放ち、腕を蹴り飛ばす。
「あっ」
やり過ぎた。あれだけ手加減してもまだ力が強過ぎるとか……自分で自分が怖い!
なんて冗談はさておき、メイは蹴られた衝撃で宙に浮き、その場で縦に一回転してしまった。その際、ただでさえ限界近かった建物が完全にぶっ壊れる。
翼や尾、頭がこの空間に収まっていたのは彼女が身体を折って小さくしていたためだ。それなのに一回転してしまえば、そんな気を遣う余裕などない。どうにかしてバランスを保とうとして失敗し、結果として翼や尾などが建物の天井やら壁やらを壊してしまったのだ。
「ま、これはこれで」
地響きのような音を立てて建物が倒壊する。周囲には凄まじい土煙が巻き起こった。それを利用し、やってきた人々の注意が倒壊する建物に向いている間に壁を乗り越え、首都の外へ出る。
首都は同心円状に作られていて、一般国民の居住区は最外部。ましてこんな悪人の集うエリアなど、何かあって勝手に死んでくれてもいいと王様なら思うはず。ゆえに、これだけ広大な首都を包むようにされていた壁だって、このエリアだけは少し低く、幅が狭い。
壁を乗り越えて向こう側に着地。それと同時に、全身から軽く魔力を立ち上らせる。俺が何処へ行ったのかを気取らせるためだ。
「なんだ……!?」
「ド、ドラゴンだっ! 本当にいるぞっ!」
「逃げ、逃げ逃げ逃げろーっ!!」
「……阿鼻叫喚の地獄絵図ってか。見れないのが残念だなあ」
セパリアはつい先月、ドラゴンの危機に襲われていた。直接ドラゴンが攻め込んできたわけではないが、首都から馬車で一日も掛からない距離にドラゴンがいたのだ。討伐軍たちは半壊。だからこそ、冒険者ギルドに依頼が回ってきたのである。
ゆえにその脅威はこれ以上なく知っている。そしてまだ記憶に新しい。恐怖はまだまだ根強いはずだ。
恐怖を俺は持たない。それが生物にとって重要な感情であることを知っている。なのでそれは俺にとって弱点だ。
弱点であるなら、それを消そうと思うのが当然。ましてや一人で旅をしていた俺にとって、弱点を潰すことは必須だった。
そうして恐怖という感情があることのメリットやデメリットを学習した。この義眼もそうだが、他の部分でその弱点を克服できるようにもした。
恐怖があると、人は畏怖する対象を実物より大きく錯覚する傾向にある。直接見ていない人でも、噂によってより誇張され、大きく感じるようになるだろう。
本来のドラゴンより二回り以上小柄なメイの変身したドラゴン。そのズレを恐怖心で穴埋めする。
別の個体だと察せられてはならない。同一の個体だと認識させるのだ。幸い、メイのスキルによって大きさ以外に違いはないので問題はないだろう。そもそも、一ヶ月で違うドラゴンに立て続けに襲われるとか、どれだけ運が悪いんだよという話。同一個体が追い払われた復讐にやって来たと考えるはずだ。
だって、その方が理屈が通っている。
人間は恐怖を持つ生き物だ。恐怖があるからこそ、畏怖する敵に対する考察をする。今は負けても、次は負けないために、どうにかする手段を考案する。
だからこそ、アレが別の個体だという考え自体が生まれない。生まれたとしても、見た目が酷似しているという理由でそのはずはないと判断してしまう。自分たちの立てた対策が通じないなんて思いたくないからだ。
これで万一俺が殺し損ねた者――建物の中に逃げ込んだ者――がいたとしても、そいつらがどれだけ「メイが魔族だ」と主張したところで通らないだろう。
普段の行いも人々の信じる理由になる。そういう意味では、ギルド職員に対してメイが友好的なのが有利に働いた。
「……お?」
いつまで経っても壁を壊してメイがやってこないなあと思っていると、急に辺りが暗くなった。
「おや!? 飛んでる!?」
まさか飛ぶとは思ってなかった! そりゃまあ翼があるんだから飛べるだろうが、メイ自身には翼がないので、飛ぶという選択肢よりも強靭な身体能力を活かして壁をぶっ壊してくると思っていたのだが。
そこはメイの痛みを忌避する精神が働いたのかな? それとも、俺の蹴りで理性を取り戻したのか?
「違うな、これ。普通に俺を殺す気だわ」
俺の真上に来たかと思えば、そのまま垂直落下して圧し潰そうとしてくる。
横っ飛びして回避しようかとも思ったが、壁が壊されていないのであれば、それはそれで問題ないかと判断。
この街で衛兵が監視しているのは最外部ではなく工業区や商業区、貴族たちの居住区のある部分の壁である。裏を返せば、中心部に向かって山のように高くなっているという証明でもある。そちらからでも問題なく監視できるような構造なのだ。
ということは、あまりここから離れない方がいい。街から離れれば衛兵たちの視界に収まってしまう。
上を見上げ、壮大なボディプレスを仕掛けてくるメイを見た。
「ご主人様より頭が高いとか、何様のつもりだ?」
とん、と軽い音を立てて跳躍。上半身を後ろに流し、足を持ち上げる。
「記憶を取り戻させるために敢えて力を振るう愛あるご主人様キーック!」
奴隷はむせび泣く効果があるはず!
その実態はただのサマーソルトキックである!
「おまえがあの男にやった技だよ」
巨体に圧し潰されそうになるとはいっても、ボディプレスだ。腕もあれば足も、腹も首だってある。ならば首に近い位置に移動することで、潰されることなく攻撃を放つことが可能だ。もちろんほんの僅かなタイムラグでしかない。だが、俺にはあまりに長過ぎる時間差だ。
爪先がメイの胸の辺りに突き刺さる。もしかしたら腹かも? ドラゴンの身体はよくわからん。どこがどの部位なのだろうか。まあ首の付け根だから鎖骨とかその辺か?
衝突の瞬間、ひどく鈍い音が響いた。
そして足を振り抜くと、鱗と骨とが砕ける音を上げてメイの身体が吹っ飛んでいく。
「さて、そろそろ理性は戻ったかな?」
難なく着地し、吹っ飛んでいったメイを追い掛ける。しばらくして地面に凄まじい音と衝撃を立てて落下。巨体の重さもあいまって地面は隕石でも落ちたかのようなクレーターが生じ、木々は十数本まとめて折れる。
メイはうつ伏せに倒れた身体を小刻みに震わせながらも懸命に起き上がろうとする。だがダメージが大き過ぎたせいで失敗し、その場にまた倒れた。軽い地響きが起こる。
その間に俺は頭の側に回り、でかい顔の前に移動した。巨大な眼球がこちらを睨む。
「何睨んでんだばか。いい加減に賢くなれ。ご主人様の手を煩わせるなって何度言えば反省するんだ?」
言いながら、頭を軽く叩く。本当に軽く、普段メイにしているような力加減で。でもこれ本当に頭なんだろうか? 鳥でいうなら嘴みたいな部分なんだけど。人間でいうなら鼻梁である。急所のひとつだな。
『ゴシュ――――ゴシュジン、サマ?』
「おっ、ようやくか。遅えよ」
興奮していたためか、俺を睨んでいた目はこれまで真っ赤だった。しかし、今は普段の色に戻っている。
『離レ――逃ゲ、テ下サイデス……。めいハ力ガ暴走……』
「うるさい。いい加減、さっさと元に戻れ。殴るぞ」
聞く耳は持たないとばかりに首を横に振る。何が暴走だバカタレ。既に散々暴走した後だろうが。
にわかにメイの顔色が変わった。ドラゴンであるためよくわからないが、これは苦しんでいるのだろう。
『だめ、モウ……元ニ戻レナ……』
「いいからはよ元に戻らんかい。気合いだ。気合いでなんとかしろー。大体、こういうのは気合いでなんとかなるもんだ」
『むちゃ、ナ……。ソレナラ、イッソ――』
イラッとした。
おまえ、わかってんの?
俺、ご主人様。おまえ、奴隷。
逆らう権利とかないわけ。
そして俺には奴隷印を使う気もないわけ。それくらい自分のスキルなんだから、制御してもらわないと困るのだ。
「いい加減にしないと生まれたことを後悔するくらいのお仕置きの、さらにスペシャルバージョンを――」
「戻りましたです! メイ、ほら、バッチリ、戻りましたですっ!!」
瞬時にメイは元の姿に戻った。すごい速度で尾とか翼が戻っていって人の形を取るのは正直キモかった。
「おまえ……キモいな」
「ひえーっ! メイ、頑張ったのに、キモいとか言われたの初めてです!」
憤慨というより衝撃を受けたような顔だな。
それにしてもドッペルゲンガーの〈変身〉ってどういうもんなんだ? こういう言い方はアレだが、ドラゴンてつまりは素っ裸なわけだろ? 人の姿に戻ったら服着てる。服はどこに行ってたわけよ?
「うっわ、ぼろぼろだな、おまえ。超ウケるわ」
「ウケませんですう! あ、いたっ! 今更になって痛みが戻ってきたです! 痛いです痛いです!!」
まあご主人様に楯突いた罰だな。それで今回の一件は許してやることにするか。
「特に鎖骨の辺りが痛いです! どうしてです!? 頭とか足とかお腹よりこっちが一番痛いです! 二番目は腕です!」
おお、ダメージは引き継ぐんだ。まあそりゃそうか。でないと〈変身〉スキルを使うだけで体力回復しちまうもんな。メイがロックしたあのドラゴンですら錬金術師のロールがなければ自己回復できないのだ。〈変身〉スキルで無限回復なんて卑怯過ぎる。
痛みに身体をくねくねさせているが、結局どの格好になったところで常に痛い部位は痛いらしい。そんな様を見ながら、よくよく格好を確認する。
上半身の服はあちこちが破れ、ほつれてしまっている。ボロ布がかろうじて引っ掛かっているといった程度だ。下半身も似たようなもの。お子様らしいかぼちゃパンツがちょこちょこ見えているが、何も嬉しくない。むしろちょっと寒々しくなったくらい。
そしてあちこちが赤く染まっていて、剥き出しになっている部分も打ち身だったり切り傷だったりがあった。人間に変身しているとはいっても魔族だから、それなりに回復は早いようで、流血はしていないけれど。
「ちょうどいいな」
「ほえ? あいたたた……なん、なんです、ご主人様?」
少し屈んでメイの腰から太腿に手を伸ばし、右腕に座らせた格好で抱き上げ、肩に担ぐ。
「ひゃあ!? なんです、ご主人様っ!?」
「まあ、大人しくしとけ。運んでやるから。それと、この後の話を説明する。よーく聞いて覚えておけな?」
「え、あ、はい。了解なのです」
「それと、あのギャリって男を見て思い出した」
「なんです?」
「俺、おまえに問題出してたろ? 冒険者は何で冒険者とだけでパーティを組もうとするのかって」
「――――ハッ」
「さあ、答えてもらおうかなあ。時間は随分あったよなあ?」
「……お、おのれおのれおのれおのれぇですぅ! あの男、ここにきてまでメイにとんでもない爆弾を落としていったです! 信じられんです!」
ニヤニヤ笑いながら、四苦八苦百面相しているメイの顔を見て少し安堵した。
メイを殺さなくてよかったということに。
もしもメイが理性を取り戻したところで人間の姿に戻れなかったら、俺は本気で殺すつもりでいた。そうでなくなってよかった。
でも、それは何故なのだろうか。
奴隷としてこき使えるから?
高い金を払って買ったから?
冒険者として登録させたのに、これまでの時間が無駄になるから?
それとも、仲間がまた消えて、ひとりに戻らなくて済んだから?
どれが正解なのかわからない。正解があるのかもわからない。
でも、それは俺が俺自身に課すべき問題だ。俺はその問いに答えを出さなくてはならない。
メイが悩んでいるのを見て笑いつつ、俺も俺でその問題に頭を捻りながら、セパリアの街へ戻っていった。