1-10
「ふっ」
短く息を吐き、それと同時に敵へ向けて接近する。カウンターの要領で飛来する触覚を無視。これだけのレベル差があれば、ゴリ押ししたとしても損傷は軽微だ。
モンスターが悲鳴を上げる。胴体なのか頭部なのかわからないのが植物系モンスターだな。ともかくそこに拳を突き入れると、溶解液を溜め込んだ袋まで一気に貫通。内部で溶解液を生成する器官を掴み、抉り取る。
それは人間でいえば心臓のような役割を果たしていた。この植物系モンスターの体内は溶解液が走っており、そしてそれを攻撃にも使う。人間なら血液を刃にしたり弾丸にして飛ばしているようなものかな? まさにそういう感じの攻撃をする魔族に吸血鬼がいる。彼らは種族スキルで〈血液操作〉を持っているからそれができるのだ。
重要な器官を失ったモンスターは枯れた植物のように萎れ、その場に崩れ落ちた。
「ほい、メイ」
「はいです! わあ、我ながらナイスキャッチなのです!」
何言ってんだこいつ。あんな受け取りやすく投げた俺を褒めてしかるべきだろうに。
「それで何個目だ?」
「十個です! 依頼分は確保したですよ」
「そんじゃ、あとは個人的に集めることにするか」
そう呟くと、メイはびっくりした様子で慌てて訊ねてきた。
「ま、まだやるです!? ご主人様の手がドロドロになっちゃうですよ!?」
「この程度で俺の腕がやられるか」
そう言って実際に右腕を見せてやる。服は肩くらいまでメイに捲らせたので被害はなかった。
じゃあ剥き出しになった腕はというと、普通に水が掛かっているようにしか見えない。まあ水にしては黄色いし酸っぱい臭いするしドロリッチしているんだが、ダメージがないという意味では水と同じである。
「うわあ、ありえないのです。メイは正直、ご主人様が本当に人間かどうか疑わしくなってきたのです……」
「おまえの身体でコレ拭くぞ」
「いやあ! 強くて逞しいご主人様を持てて、メイは非常にラッキーなのです!」
調子の良いやつだな、まったく。質実剛健硬派一徹な俺を見習えってんだよ。これは要調教ですわ。
ドラゴンを追っ払うクエストを「太陽」パーティと協力して成し遂げてから一ヶ月が経とうとしていた。
あれからセパリアへもう問題ないことを連絡し、冒険者ギルドセパリア支部で俺たちは報酬を受け取った。ドラゴンの一撃から〈星光の牙〉でメシアたちを救ったことが評価され、思っていたより彼女たちから分配された金は多かった。
そして重要なメイの冒険者階級だが、これが微妙な結果に終わった。こちらの方が余程肝心だったのだが……。
というのも「太陽」たちは馬鹿正直にギルドへ報告してしまったのだ。そのため、俺たちはドラゴンを追い払いはしたものの、討伐扱いにはならなかった。
あのクエストは討伐クエストだ。またドラゴンが迫り来る脅威を払うことまでできなかったため、報酬金は低くなったし、メイの冒険者階級もそこまで上がらなかった。まあ実際の話、メイはそこまで活躍したわけでもないので妥当でもあったのだが。
ドラゴン退治によってメイは青階級になった。六つある冒険者階級のうち、上から数えて四番目である。これでは大した意味がないので、仕方なく金を集める意味でもクエストを達成させ、せめて銀か黄金階級くらいまでは上げておきたい。白金階級までいけばクエストを達成する必要もなくなって都合が良いのだが、そこまでやるのは面倒だ。
というかそもそも、冒険者登録して一月二月で白金階級まで上がると騒ぎになり、注目も集まってしまうからやめておくべきだとも判断した。十分驚異的なペースではあるが、現実的に考えて銀階級が妥当だろうか。黄金階級まで持って行きたいんだけどな。
ちなみに「太陽」パーティは今回の功績で晴れて黄金階級に到ったらしい。個人としてはソフィアとアイリーンが黄金階級、メシアが銀階級、アリアが青階級らしい。
ただ冒険者ギルドで管理するのは基本的にパーティ単位であるため、アリアやメシアも実質黄金階級として処理されている。
俺たちが今回受けたクエストは植物系モンスターであるローパーから先程手に入れた溶解液を生成する器官である「溶解石」を集めるというものだ。これは錬金術師ロールの者からすれば喉から手が出るほど重要な素材である。普通なら加工できない強度を誇る素材をこの石で擦ることで軟化させることができるのだ。
錬金術師だけでなく、鍛治師なども必要とする素材であるため、売ると結構高値で売れる。どれだけあっても困らないアイテムだからだ。そのため余剰分を手に入れようとしているのだ。
余談ではあるが、アリアがドラゴンとの戦闘中に振り掛けた魔法薬にも、この石を粉末にしたものが溶かされている。
「しかし……錬金術師か」
「どうかしたです?」
「いや、なんで俺は魔術師ロールの奴隷を買ったんだと思って。錬金術師ロールの奴隷なら、わざわざ冒険者ギルドに登録する必要もなかっただろ?」
「そんな残酷な同意をメイに求めないで欲しいですっ」
サルニア大陸に来たのは初めてだったからなあ。ちょっと警戒し過ぎた。
この地を支配する「叡智の魔王」もまた「強欲の魔王」に並ぶほど強力らしい。以前に魔王間の戦争があったとき、「強欲」に勝ったらしいしな……。
だからどんなレベルのモンスターや魔族がいるかわからなかったのだ。ゆえに警戒した。
俺のレベルが高いとはいえ、悪魔との契約を解除していけばレベルが下がってしまう。そのため、奴隷には敵のステータスを劣化させるスキルを覚える魔術師ロールのメイを選んだのだ。
でも実際に戦ってみると、まるで問題ないことがわかった。
もしも錬金術師の奴隷を選んでいたなら、モンスターの素材を使って新しい魔法薬などのアイテムを作れたのに。それこそレッド・エルダードラゴンの眼球を使えば凄まじいものが作れたのではなかろうか。悪魔に教会のステータス書類を偽造してもらう必要もなかったしなあ。
「はあ……使えないやつ……」
「あんまりです!」
現状、メイがやっているのは荷物持ちだけだ。そんなの錬金術師でもできるし、商人か武闘家のロールを持つやつならもっと効率が良くなるはずだ。
「あ、そういえばおまえ。そろそろレベル上がるんじゃないか?」
「そういえば……前に確認したの、ドラゴン倒した後です?」
「たしかそうだったと思う」
ローパーが死ぬほど沸くと噂の洞窟の中であるため、次から次へとローパーがやってくる。まだ入口から少し奥に行ったくらいなのに十個溜まったしなあ。それをどんどん瞬殺していき、溶解石を回収。もはや気分は金貨掴み取りである。
この洞窟に発生するローパーのレベルはおおよそ七六前後。冒険者階級でいえば銀階級でも上位以上でなければ厳しいくらいだ。しかし、それはローパー一体をただ倒すというだけの話。
これだけローパーに囲まれるのだとすれば、難易度はさらに一段階上がる。つまりは黄金階級上位から白金階級である。ましてや溶解石を回収することまで考えると、白金階級でなければできないとすらいえるだろう。
溶解石は人間でいう心臓だ。ローパーを殺してから解体して回収することもできるが、その場合は性能が劣化してヒビが入っていたり、大きく欠けていたり、砕けていて役に立たなかったりする。そのため、生きているうちに捌いて回収しなければならない。俺は面倒だから直接抉り取っているけれども。
このクエスト、本来なら森に発生するローパーや洞窟の外へ一体ずつ誘き出して達成するのが本来のやり方なんだろうなあ。依頼者もそれを考慮して、ローパーを誘き出すお香を用意したのだろうし。俺の場合は洞窟の中で使ったけど。
そんなことを頭の片隅で考えながら、次から次へとやってくるローパーを始末していく。メイは溶解石をお手玉のようにしてキャッチしていた。いくつか落としているから罰を与えよう。たとえ両手が塞がってても根性で受け止めんか。
「ひええ! もうこれ以上は持てないのですぅ!」
「我慢しろ! なんなら口とか耳の中に詰め込め!」
「無茶言わないで欲しいですっ!!」
ちぃ、役に立たない奴隷め。
とん、と軽く背後へ跳躍。一足でローパーの群れから脱出し、メイの元へ辿り着く。
「リュックは背負ったな?」
「ばっちりおっけーなのです! 重過ぎてひっくり返りそうなのです!」
全然ばっちりオッケーじゃないだろ、それ。まあいいや。
「じゃあ一掃するか」
「一掃です? 放置はだめですか?」
「洞窟の外に大量に出て来られても困るだろ」
「そうです? 人里まで結構距離あるですよ?」
「バカタレ。騒ぎになったら、このクエストを達成した俺たちが疑われるだろ。というか追われるのはおまえだぞ?」
冒険者登録して請け負ったのはメイだからね。
「ああっ! 今、メイ、ご主人様のすごいカッコいいところ見たくなったのです! どうかこのかわいい奴隷に免じて見せて欲しいのです!」
「ええ……なんか萎えたわ……」
「しっ、失礼極まりないのです! メイはこんなにプリチーなのにです!?」
ピンク色に染めた頬を膨らませ、両手をじたばたさせる。その様を見てどうしてプリティーだと思えるのか。我が儘拗らせたクソガキにしか見えない。
「まあいいか。ぶっ飛ばす予定だったし」
洞窟の奥にいるローパーの集団を見やる。うぞうぞと集団でこちらにやってくるが、いかんせん植物系モンスターということもあって非常に遅い。十分にスキルを発動させるまでの時間があった。
「〈光河の極槍〉」
選択したスキルは勇者ロールで修得できる光属性の槍系魔法。貫通性質を持つ魔法であるため、縦に並んだ敵に対して有効に働く。
そして、当然俺はこのスキルも熟練度を最大まで上げている。威力を上げたり消費魔力も減らしたりしたが、重視したのは範囲拡大だ。
翳した右手の平に魔力が収束。魔法名の詠唱によって魔力が性質を変え、形を成す。量を調整し、洞窟を削らないようにするのに少し苦労した。
そして準備が完了し、光槍が放たれた。
「ぎゃああああっっ! 目が! 目が痛いですぅぅうううう!!」
「あ、目は閉じとけよ。眩しいから」
「もっと前に言って欲しかったです!」
光槍がローパーの群れを飲み込む。桁外れの威力により、飲み込まれたローパーたちは瞬時に分解され、チリすら残らない。光が収まった後、洞窟内はやけに綺麗な円柱形に削られたようになってしまっていた。気になって触ってみると、ツルツルしている。
「……滑り台みたいです」
「これ、入ったら戻るのしんどいだろうな……」
足下にも壁にも引っ掛かりがないから、この斜面を戻るのは非常に苦労すると思う。
もしこの奥に何か採取するクエストがあった場合、他の冒険者たちは大変な思いをすることになるだろう。そしてこういう風にしてしまった者を恨むのだろうな……。それを考えるだけで心は痛んで思わず頬が弛んでしまう。具体的には女騎士とか滑り落ちてローパーに触手攻めとかされると良いな。とても良いな。
「…………さ! 帰るか!」
「な、なかったことにしたです!? でも、メイも賛成でーす」
にっこりばっちりな笑顔でメイも賛同し、反対意見ゼロで大人しくセパリアに帰ることにした。
まあ文句など言おうものなら、メイをこの滑り台に突き落とすのだけれども。
◇◆◇◆
「こ、これは……すごいですね」
「そうでもないです。メイにかかっちゃちょちょいのちょいです!」
セパリア支部の冒険者ギルドのクエストカウンターで、メイは回収したリュック一杯の溶解石を納品していた。リュックの中には納品数の数十倍もの溶解石がぎっちり詰まっていて、たった十個渡した程度では何ら変化を見せない。
あまりにも桁違いな量に受付嬢は頬を引き攣らせており、慌ててやって来ていた上司たちも冷や汗を流していた。
そも、このクエストは青階級の冒険者が受領できるものではない。本来なら銀階級以上でなければいけないのだ。
では何故、まだ新人であり、青階級の冒険者であるメイにこのクエストの受領を許可したのか。
それはかの「太陽」パーティたちの推薦があったからだ。メイの実力ならば一階級くらい上のクエストは難なくこなせるはずだと、彼女たちは去る前にセパリア支部の職員に告げていた。
当初は職員たちも半信半疑だった。
たった一、二年ほどで黄金階級に到った「太陽」一行は既に有名である。知らない者がいるとすればモグリか、他人に関心を寄せず、ただクエストを達成することだけに専心した者くらいだろう。
だが弱い人間は一人では戦えない。何かあったとき、仲間がいるかいないかは生死を大きく分ける要素である。そして常に同じパーティは連携を組めるという意味で優れているが、より多くのロールを知り、それぞれの特色を活かして難題をクリアするという意味でも、他の冒険者を意識しないというのは冒険者失格ともいえた。
そのため、クエストを達成することだけに専心するような者は決して一人前の冒険者と周りから認めてもらえなかった。
ともかく、そんな「太陽」の言伝があったところで、ギルドはメイに青階級以上のクエストを受領させなかった。最初は青階級のクエストですら渋ったほどだ。
理由は彼女が一人で行動するというものもあるが、彼女の幼さも大きな理由だった。
まだ十歳前後の幼女である。身体も出来上がっておらず、体力も少ない。ましてや魔術師というロールのため、敵から逃げるだけの敏捷性もないだろう。たとえ七〇レベルあるといっても、である。
しかし、そんな職員たちの不安を他所に、彼女は最初の依頼をあっという間に達成してみせた。しかもその日の内に、である。そして直ぐさま次のクエストを受領したいと言い出したのだ。
そうして一ヶ月が経過した。もはやギルドは何も心配せず、彼女に青階級より一階級上である銀階級クエストを受領させていた。おかげで彼女の功績も凄まじい勢いで溜まり、もうそろそろ銀階級に上げてもよいのではとギルド内で噂になっていたほどである。
実際は既に銀階級に上がるだけの功績があるのだが、このまま彼女を銀階級に上げてもよいのだろうかという疑問がどうしても職員たちの頭にあったため、昇格させてもらえなかっただけの話。彼女が受領しているクエストは銀階級を対象としたものとはいえ、その中ではまだ優しいと思われるものばかりなのだから。
だが、彼女は現にローパーから溶解石をあっさりと集めてきた。それもこれだけの量を。どう考えても、その実力は銀級に到達している。いや、黄金級といっても過言ではないかもしれない。
ちなみに、職員たちは彼女が完全にひとりだとは思っていない。姿は見せないが、彼女は奴隷であり、主人が存在することを職員たちも知っている。しかしその主人は隻腕隻眼であり、中肉中背ということもあって、どうも信用ならなかった。
ただ、メイのこの昇格速度や功績を考えると、おそらく有能な人物なのだろうと考えを改めることはしている。スーパーアドバイザーとしてメイを鍛えているのだ。そういった人物の下で修行することで飛躍的に実力を上げたり、倒せないレベル差のモンスターを倒せたという話はギルドでも普通に聞く。
新しく発見された「勇者」は大抵そういった方法で修行し、あっさり死なないだけのレベルや知識を得てから旅に出ることになる。そしてそれは必ずしも「勇者」に限った話ではないのだ。貴族の子が同様の方法でレベルを上げるという話は珍しくないのである。
奴隷を購入するのには非常に高い金が掛かるということもあって、彼女の主人はかつて貴族の子を鍛えるスーパーアドバイザーだったというのがギルド内で定説になっていた。おそらくは師範のロールを持つのだろうとか、メイが〈ラーニング〉のスキルを保有しているのだろうとかも噂されている。
ともあれ今回の一件により、明らかにメイは銀階級冒険者並の技量を持つことが証明された。
上司が受付嬢に耳打ちし、受付嬢は笑みを浮かべてメイに告げる。
「おめでとうございます、メイ様。このクエスト達成をもって、貴方を銀級冒険者として冒険者ギルドは認めます」
「え、本当です!? やったー! やったのです!」
うわーい、と両手を挙げて満面の笑みではしゃぐメイを見て、受付嬢は余計に笑みを深くした。
メイが危険なクエストに行かないよう配慮したのはギルド内で相談した結果だが、「あんな素直でかわいい子にそんな危ないクエストなんて受領させてたまるか!」と受付嬢グループが強く主張したのも理由の一端だ。
はしゃぐメイの黄色い声はギルドホール中に響く。たまたまギルドにいた他の冒険者たちには優しく見守ったり、羨ましそうにしたり、ケッと舌打ちする者がいた。
「冒険者証明のプレートを新しく用意しますので、少々お時間をいただきます。よろしいでしょうか?」
「ええっと……ちょっと待って欲しいです。ご主人様に聞いてくるです」
「了解致しました」
ぺこりとお辞儀をして、メイはてててとギルドの外にいるであろう主人の元へ駆け出した。
居なくなれば、束の間の休息を得た受付嬢たちは当然のように雑談を開始する。そのネタに上がっているのは当たり前のようにメイだ。今このギルドで最もホットな人物だ。色んな意味で。
「ねえ、今のメイちゃんよね? うらやましいなー」
「いいでしょー? ああ、かわいいなあもう……」
「手、見た? ぷにっぷによ、ぷにっぷに!」
「ほっぺたももちもちしてそうねえ」
「あの主人の方はどうも好きになれないけどね」
「ああ、あの人ね。あの目、明らかにヤバいクスリをヤッてる目だわ」
「わかる! あの右目、ラリって自分でほじくったって本当なのかな?」
「え、なにその噂……マジ?」
「さあ、わたしは聞いたことないけど」
「でもでも。メイちゃんをわざわざ奴隷にしてるんだから、きっと酷い性癖の持ち主なのよ、きっと!」
「それは間違いないわね」
「うん。確実」
「ああ、メイちゃんを助けてあげたい……そして一緒にお風呂に入って髪の毛洗ってあげたい……」
「私は一緒に寝たい」
「両方わかる! わかり過ぎる!」
受付嬢たちの雑談はその場を通り過ぎようとした上司の咳で止められるまで続いた。
◇◆◇◆
「ご主人様ー! あれ? ご主人様はどこです?」
折角冒険者階級が上がるのに、と唇を尖らせるメイ。
ギルドの外をどれだけ見回してみても、主人である「欠落」はどこにもいなかった。
「ははぁん? ご主人様、迷子ですね? まったく、困ったご主人様なのです」
顎に手をやってにやり。メイは「謎はすべて解けました」とばかりに主人がいない理由を突き止めるものの、果たしてどこに行ったのかは皆目見当が付かなかった。
「しかし、困ったです。この街は大き過ぎてメイにはよくわからんです……」
セパリアはサルニア大陸西部に位置する小国だ。そして同時に首都でもある。
首都なだけあって、面積は非常に大きい。よくある首都の構造として中心部に王城があり、その周囲は城壁でぐるりと囲まれていた。そしてその外側に工業地区や商業地区、貴族の暮らす生活区がある。さらに外側に一般国民の暮らす生活区と続き、同心円状の構造をしていた。これは万一国にモンスターがやってきて被害を受けた際、国を再興するための機関を守るためだ。いってしまえば、一般国民は肉の壁の役割を果たしている。
冒険者ギルドがあるのは一番外の一般国民用生活区である。冒険者のような他所者をできるだけ中に入れないようにとの理由だった。彼らが入れるのは最高でも商業区までであり、工業区や貴族用生活区には立ち入れなくなっている。
そんな同心円状の構造であるため、外側の区域であればあるほど面積は大きくなり、誰かとはぐれたときに合流するのは難しくなっていた。
メイはしばし考え、主人を追うよりも自分がここで待機していた方が得策だと判断。もしも主人がちょっと用を足しにどこかへ行っていた場合、戻ってきてメイがいないことに気付けば厳しく罰するだろうからだ。
それを想像するだけでメイの顔は青ざめ、全身に鳥肌が立つ。
「ぶるぶる。もうあんな折檻は嫌なのです。あんなの、拷問と言っても過言ではないのです……」
以前に主人に折檻されたときのことを想像するだけで恐怖が蘇る。どんな経験をすればあんな多種多様な折檻ができるのか、メイは不思議で仕方がない。一番メイが酷いと思ったのは、一日の食事を粗末なものに変えられたときだ。そしてそんなメイの前で、主人は普段より豪華なものをこれ見よがしに食べていた。とても良い笑顔で。
食事抜きより辛い罰があるとは思わなかったと、そのときメイは思ったものだ。
「きっと人を思いやる心を失くしたから『欠落』って呼ばれてるに決まってるです。それ以外に考えられないのです」
「メイちゃん? そんなこと言ってるとご主人様に殺されちゃうんじゃない?」
「ひえっ!? 言わないで欲しいのです! って……誰です?」
そこにはメイの知らない男たちがいた。あまり好ましくない顔立ちで、良からぬことを企んでいるのが薄い笑みを浮かべた仮面の下から匂い立つように透けている。
「メイちゃんのご主人様と意気投合してね。それで、今食事してるから連れて来てくれって言われたんだ」
「ご主人様にですか?」
なるほど、とメイは納得する。あの主人であれば、このようなゴロツキとの繋がりがあってもおかしくはない。むしろストンと腑に落ちた。
「どっちです?」
「あっちだよ」
「あっちですか!」
ふへへ、フヒヒと不気味な笑い声を漏らす男たちにメイは違和感を感じつつも、まあそういう人間にも使い道はあるだろうと主人の企みを考える。
果たして、何を企んでいるのだろうか?
折檻のときと同じで、メイには主人の考えていることがさっぱりわからなかった。
だが、それではいけない。
主人は常日頃からメイに「俺に言われなくても、意図を汲んで、俺が望むようなことができるようになれ」と言われている。
あまり奴隷として役に立っていないこともメイは自覚しており、だからこそこういった機会に主人の意図を探るよう思案に耽るのが日常になっていた。その成果は依然として発揮されていないが、ともかく頑張ってはいた。無駄な努力などないのである。ただメイの場合は、それが他の人と比べて一〇〇分の一くらいの効率だったというだけの話。メイが主人から褒められる日は当分来ないだろう。
男たちに着いて行き、しばらく歩き続ける。街の様相は明るい色から薄暗い色合いへと変化していた。
窓ガラスが割れたままの家。あちこち斑に生えた雑草。変色した地面。焦げた木材の破片。瓶の欠片。折れたナイフ。先の折れた注射器。
ガラの悪い男や露出過多のけばけばしい女なども道の端に座っている。木箱を椅子代わりにしている者もいるが、それはごく僅かだ。ほとんどはゴザのようなものを敷いた上に座っていて、中には地面にそのまま座っている者や寝転んでいる者も少なくない。
メイは話でしか知らないが、戦争中の傷痍者が集められた場所のようにも思えた。
まだ着かないのか、とメイが嘆息を幾度となく零し続け、ようやく案内してくれた男たちのひとりが「ここだよ」と告げる。
「やっと着いたですか」
「ああ。ちょっとワケアリの依頼でね。ギルドを通せなかったんだ。だからメイちゃんには悪いけど、ご主人様を先に招待したってわけ」
「なるほどです。そういうことなら納得です」
最初にメイを連れ出したときと話していることが違うが、それはギルドの前だから言えなかったのだろうとメイは解釈した。それにギルドを通さない場合、報酬金もそれなりに高くなるだろう。危険度もそれに伴い上がるだろうが、あの主人がその程度で及び腰になる姿も想像つかない。むしろ大金が手に入ると聞いて嬉々として食い付きそうだ。
案内されたのは、この地域では少し立派な家屋だった。扉は金属製で、建物自体もしっかり作られている。扉を男のひとりが開け、どうぞと言われたのでメイは何も疑わずに中へ入って行く。
一歩入った瞬間――頭に衝撃が走った。
「ぐあっ!?」
「おいおい、フルスイングかよっ」
「だって、コイツレベル高いんだろ? おれじゃ本気でも大したダメージにならないんじゃねえか?」
「それもそうだな。おい、おまえもいっとけ」
「俺もっすか? ま、やっときますか!」
「ぎっ!」
予想外の衝撃と痛みで倒れたメイへ更なる暴力が追加される。
いくらメイのレベルが彼らに比べて高いとはいえ、魔術師のロールでは耐久力のステータスもそう伸びない。体力もそうだ。ましてやメイは軽装である。普段から主人の圧倒的な力におんぶに抱っこ状態だったため、優れた防具など必要なかったのだ。
今のメイの装備など、ほとんどそこらの一般人と変わらない。多少丈夫ではあるが、それは戦闘に重きを置いたものではないのだ。森や洞窟内を探索しても破れたりしないような頑丈さであり、打撃や斬撃を軽減する能力は一切ない。
頭から血が流れる。片腕が折れた。肋骨にもヒビが入っているだろう。
角材か何かで殴られ、蹴られ、しばらく経った。両目が腫れてしまい、うまく前が見えない。腫れていなかったところで涙で潤んでいるため、まともに見えなかっただろう。泣いているのと鼻血のせいで、うまく呼吸もできなかった。
「おい、こっち連れてこい」
「へい!」
そこへ、どこかで聞いたことのあるような声がした。
左右から脇に手を入れられて持ち上げられる。片腕が折れているのを一切気にしていない乱暴な扱いで、口から悲鳴が漏れる。
「うるせえな。おい、少し黙らせろ」
「そっすね。コイツの主人には俺もやられたっすからね」
「っっ、かっ」
腹へ衝撃が走る。殴られたのか蹴られたのか。恐らく後者。折れた肋骨にも衝撃が走った。
これ以上騒ぐと余計にやられると本能で察し、メイは必死で歯を食い縛る。
「ふん……ただのガキじゃねえか。おい、ギャリ。本当にこのガキにやられたのか?」
「そ、そうです、アニキ。見た目じゃこんなんですが、俺の目に留まらないくらいのキックをかまされたんです」
「ほう。ガキのくせに大したもんだ」
これまでで聞き覚えのある声がふたつあった。アニキとやらは知らないが、その男と話している者の声には聞き覚えがある。誰だろうかとメイは考えた。だが、昔のこと過ぎてよく思い出せない。
「――――ひっ」
「昔のこと、昔のこと……」と思い返していると、勢い余って、主人と出会う前のことまで遡ってしまった。
反射的に小さな悲鳴が口から漏れた。
もうあんな生活は嫌だ。
あんなのはごめんだ。
あんな見せ物のようなことは二度としたくない。
自分が自分でなくなるような感覚、あるいは錯覚。その両方が間違いで、正解だ。
「黙ってろつってんだろうがっ!」
「ぎゃぁぅっ!」
再度腹部を殴られた。内臓が傷付いたのか、口から血を吐く。衝撃のあまり、そのまま小水を垂れ流した。
「うわ、汚ねっ! おまえ、寄んなよ」
「ひっで! おい、クソガキ! テメエのせいで汚れちまったじゃねえかよ!」
喉を掴まれる。どんな怪力だろうか。ロールが近接戦闘系なのだろう。レベル差を上回る筋力のステータスに、メイの喉がぎちぎちと声なき悲鳴を上げていた。
苦しい。息が苦しい。
呼吸をしなきゃ。
呼吸ができない。
でも、しなきゃ、生きていけない。
死ぬのは嫌だ。
折角あんな地獄を耐え抜いて救われたのに。
他の同類たちの羨むような、蔑むような目に背を向けて来たのに。
こんなところで死ぬのはごめんだ。
そんなのは許されない。
同類たちにも、救ってくれた主人にも、顔向けできない。
生きねばならない。
生きるためにはどうすればいい?
考えろ。頭を回せ。どうすれば生き残れる?
自分の頭で思いつかないなら主人の行動を考えろ。こんな自分を救ってくれるような主人の行動だ。間違いなんてあるはずがない!
――ああ、簡単なことじゃないか。
メイの目に光が点った。
なんというシンプルな答え。
世界はもともとそうできているのだと直感してしまうほど簡単な答えだった。
「敵は――殺せばいい」
「はあ? 何を言って――はっ?」
メイの首を掴んでいた男の手首がずるりと落ちた。
「ひ、い? ぃ、ぃいやああああっ!? な、なんだコレ!!」
続け、左右でメイを拘束していた男たちの腕をへし折る。そのための力は再現した。
「ぎゃああああああっっ!!」
「ぐああ!? な、なん、なんだテメエ!」
ミシリ、と身体のあちこちから音がする。
それは異音でなく、周囲の男たちにも聞こえるハッキリとした音だった。
バキバキと骨が砕け、再編成される。ただし、構造はこれまでの人体とは別だ。
メイがこれまでしっかりと視てきた中で最も強いのは主人だった。しかし、アレはいけない。あの人を再現するのはあまりに不遜だ。
だから、次に強いと思われる存在を再現する。
異音は続く。鈍く重い音が連鎖し、それはまるで山が崩れるかのよう。
もはや誰も声を発しない。目の前で起こっている現象が想像の埒外過ぎて、頭が付いていかないのだ。
首が伸びる。唇や鼻が伸びた位置に置き換わり、歯がすべて乱杭歯へと変わった。
手足も伸びる。太く、強く。指の本数が一本減ったが、それは瑣末なことだ。代わりに爪は長く鋭くなった。爪の一本一本がそこらの店で売っている剣以上の名剣になる。
服を突き破り、肩甲骨の裏側に新たな骨が形勢される。一対の翼が生まれた。
尻と腰の間からは尾が生える。
「……………………ッッ!!」
「バ、バケ、バケモ……」
それは変身などという生易しいものではない。
変貌だ。
男たちの前に、巨躯を誇る一体のドラゴンが出現した。