7-8
「まあこの屋敷だけでなく、私の領地の屋敷の使用人たちも皆奴隷ですがね」
クェロの爆弾発言にソフィアたちは口をパクパクさせるしかなかった。
奴隷は高い。非常に高い。それなのにこれだけの数だ。ソフィアたちが屋敷を訪れてからこの応接間まで見掛けただけでも十人を超えている。屋敷の規模を考えると、倍以上いるだろう。そして本拠地の方にも奴隷がいるという。一体どれくらいの資産があれば可能なのだろう。
「すごい、貴族すごい……」
「く、く、く……」
ソフィアはその資産を想像して目を回しそうになるし、元貴族だったヴィヴィアンなどは今にもハンカチを噛み千切りそうな勢いだ。少なくとも、彼女が掲げるレディ像が浮かべて良い表情ではない。
「…………メシア?」
「………………」
「おーい?」
真っ先にメシアの異変に気付いたのはアリアだ。続いてアイリーンが冷や汗を流しながらメシアに呼び掛けるが、彼女の反応はない。
メシアは深く目を閉じ、じっと何かを堪えるようにしていた。
その様を見ていると、ソフィアも心配になってくる。何しろ、メシアはかつて「欠落」にメイを解放しろとしつこく迫っていたからだ。
あのときは相手が「欠落」だったから良かったが、今目の前にいるクェロは歴とした貴族である。そんな風に詰め寄れば罰を受ける可能性もあった。
「…………そういう、ことですか。なるほど」
「メシアさん? 何がそういうことなんですの?」
「一人で納得してないで、私たちにも話して欲しいんだけど」
メシアは何か察したようで、全身から力を抜いたようだ。開いた目は少し潤み、疲れた顔からは覇気を一切感じられない。何やら憔悴しているようにも思えた。
「私の方から説明しますよ。メシアさんは察しが良くて、お優しい方なんですね」
「……本当に優しい人なら、どうにかできていると思います。何もできない私はそうではありません」
話がまったく読めないソフィアは首を捻り、同じく首を捻っていたアイリーンと目を合わせた。ともかく、メシアが暴走しなかったというのは喜ばしいことだ。
「私の下にいる奴隷ですが、全員獣人なのですよ」
「…………ああ、そういうこと」
「なるほど、ね」
「理解しましたわ」
「えっ、えっ」
ソフィアは慌てるが、ルミナークとエイリーク、ヴィヴィアンはクェロの一言で理解したらしい。対して、アイリーンとアリアはソフィアと同じく話が理解できていない。
「ひょっとすると、ソフィアさんたちはジェノバ大陸かエルキア大陸、サルニア大陸出身ですか?」
「あ、そうです。私たちはみんなジェノバ大陸出身です」
「なるほど。それらの大陸では、獣人は非常に少ないですからね」
クェロは納得した様子で口を開く。
「基本的に、獣人というのは蔑まれています。エルフやドワーフと同じく亜人とされていますが、どうですか?」
「どう、とは……」
「外見的に、人間とどう違うかという話ですよ。エルフは言ってしまえば耳が長いだけです。ドワーフは背が低く毛深いだけ。これらは程度の差こそありますが、人間と大差ないでしょう?」
ああ、そういえばとソフィアは頷く。
「ですが、獣人はハッキリと違いがあります。まずは耳ですね」
そう言って、クェロは隣のリンへ目を向けた。彼女の頭の横には耳がなく、上にある。動物と同じ箇所だ。
「また、尻尾が生えています」
リンの隣に黒く細長い尾が出てきた。細長いといっても、人の大腿骨くらいの太さはあるのだが。
「こういった、明らかに人間と違う箇所を持ちつつも、人の形をしている。どうしてこういった身体の仕組みになったのか、学者たちでも結論が出せていません。なので、一般的にはこう言われています」
クェロが一拍区切って告げようとした瞬間。
リンが口を開いた。
「『悪魔憑き』」
その言葉の響きに、ソフィアは何か昏いものを感じた。おそらくはアイリーンたちも同じなのだろう。
そこまで話されてしまえば、ソフィアにだって多少推測することはできた。
獣人たちはその容姿の特異性から「悪魔憑き」と呼ばれ、蔑まれている。ゆえに、一部の心ない人たちは彼らを亜人ではなくモンスターの一種と見做し、攻撃するのだ。そして生き残った者たちは奴隷として売られることになるが……傷付いていることと、エルフと違って人々から蔑まれている分、価値は低く設定される。
価値が安ければ、安価な使い捨ての奴隷として酷使され、また数が減ることになる。こうした悪いスパイラルの渦中に獣人は存在するのだ。
「獣人はまともな職に就いて生活することができません。ですから、私は可能な限り獣人を購入し、こうして人間的な仕事を勤めてもらっているわけです」
「なるほど。ということは……」
「ええ。私が退治して欲しい盗賊たちなのですが……奴隷商を中心として襲っている輩です。捕らえられた獣人たちがどうしているのか……」
クェロは奴隷と口にしているが、実際のところは保護に近いだろう。領主貴族としての権限を用いて、彼らを助けようとしている。
話によると、奴隷商たちからクェロは獣人を主に購入する数奇な領主と見做されているらしい。今では獣人を捕らえると、最優先で話が回ってくることになっているようだ。
だが、先月ほどからそうした奴隷商たちが見られなくなったり、荷を盗賊に奪われたと言う奴隷商が多くなってきたという。
それをどうにかして欲しいというのがクェロの依頼だった。
「奴隷商ということもあって、通常のルートは使っておりません。おそらくはそこを狙い撃ちされたのでしょう」
「で、数件の被害から敵のアジトがこの辺りだと予想したわけですね」
テーブルにはガルデニス周囲の詳細な地図があった。ここまで精緻な地図だと貴族くらいしか手に入らない。下手に出回ると、盗賊たちに罠を仕掛けられたりする可能性もあるからだ。
ただこうして冒険者であるソフィアたちに見せているということも考えると、果たしてどこまで本当なのかは信用できないところもあった。もっとも、今回の件に関する部分の地図は本物なのだろうが。
「また、それと並行して皆さんに依頼したいことがあるのです。これに関しては……『餓狼』ではなく、『太陽』の皆さんの方が適任かと思われますので」
「え、と……何でしょう?」
「依頼、私」
ソフィアの問いにはリンが答えた。
「双子の弟、帰らない。心配。私、行く」
「ええとですね……黒豹の獣人というのは数が非常に少ないのです。で、リンには双子の弟がいるのです。その彼が帰って来ないので、彼女は探しに行きたいと。けれども心配ですので、誰か護衛して欲しいと私は考えていたわけです。それも、獣人で奴隷ということに抵抗を覚えないような方が望ましい」
クェロの視線はメシアを、続いてソフィアを捉えた。
「うーん。難しいと思いますけど……ねえ、アイ?」
「そうさね……。連れてって守るだけなら、まああたしが担当できる。けど、それなら初めからいない方がマシだね」
「だよね」
ソフィアたち「太陽」一行で護衛任務に就く際の最高責任者はアイリーンだ。彼女は「聖騎士」と「守護者」のダブルロールなので、誰かを守るというのに最適だからだ。
ただ、今回の依頼はどちらかというとリンの弟を救出することに焦点が当たる。それならばリンを連れずにいた方がやりやすい。
「それに関しては、正直あまり心配していないのです」
「ふぇ?」
「彼女とギン——ああ、双子の弟の方です——は、私の前の主人が暗殺者として鍛えていたので」
「暗殺——」
「リンとギンのステータスはこれです」
言って、クェロは別の使用人から二人のステータスを記した書類を受け取ってソフィアたちに見せてくる。これはソフィアたちも教会で発行してもらうのと同じものだから、非常にわかりやすい。スキル等は表示されていないが、単純にどれだけのレベルと能力があるかだけわかってもらえればいいということだろう。これもまた、ソフィアたちが冒険者ギルドに提出するのと同じだ。
リンのレベルは一四七。体力、筋力、耐久力、敏捷性、魔力のステータスは順にC、C、E、A、D。ロールは「剣士」。
ギンのレベルは一四七。ステータスは順にB、B、C、B、D。ロールは「狩人」。
ステータスのランクは獣人としてのものなので、ソフィアたちのような人間と同じように評価はできない。獣人基準のステータスランクを示すなら、人類の筋力や敏捷性のステータスは数段下に落ちることになるだろう。
「…………高い」
「驚いたね、これは」
「下手な軍人より余程強いよ」
ソフィアたちはそのステータスに目を丸くする。特にレベルだ。普通にこの領主の下で暮らしているだけでは、絶対にここまで上がることはない。
「私が奴隷として買い取ってからも、二人は時折狩りに行きたいと言いますので、今のように護衛付きで交互に出てもらったりしていたのです。その結果でしょうね。まあ、ある程度レベルが上がってからは単独で出ることも許可したのですが……それが仇になりました」
ちなみにクェロのレベルは二〇らしい。普通の領主貴族としては一般的か、少し低いくらいだ。あまりに高すぎれば叛旗を疑われるからだろう。あまり上げ過ぎることもできない。
「となると、むしろ……」
「ええ。心配なのは弟さんの方ですわね」
ルミナークとヴィヴィアンが眉根を寄せた。
「ここまでレベルが高ければ、普通は平気ですもんね」
「むしろ、ギンくんはどんなバケモノとぶつかったんだろう……?」
アリアの疑問も当然だった。また、同じように考えていたからこそ、クェロはこれまでギンやリンを一人でも狩りに行かせていたのだろうし、今回はリンに護衛を付けようと判断したのだ。同じレベルであるギンが帰ってこない状況だ。リンも同様の事態に陥る可能性も高い。
「それで、アイはどうするのです?」
「へ? あたし?」
「そりゃそう。護衛依頼ならアイが決めるべき」
「ですわね。アイリーンさんに任せますわ」
「そうね。私としては——ってのは言わない方がいいか。アイが決めてちょうだい」
「ソフィーは?」
「んー? 私もアイに任せるよ」
ソフィアはそう答えながら、リンを見た。彼女は目を固く閉じたままだが、聴覚は十分視覚を補えているようで、ソフィアの方を向く。
「リンさんは、ギンくんを探しに行きたいんだよね?」
「肯定」
「どこにいるのかは、わかるの?」
「当然。臭い」
「ええと、双子で同族ということもありまして、臭いでどこにいるのかはわかるそうです。聞いてみたところ、今回の依頼で向かう盗賊団のアジトが怪しいそうです」
妙な返答の仕方だが、とりあえず弟を探すのに支障はないようだとソフィアは安堵する。これで一から探すのだと言われれば断らざるを得なかった。同様のことを考えていたようで、アイリーンもホッとした様子だ。
一方で、ルミナークは首を傾げながらクェロへ訊ねる。
「どうしてこの子こんな口調なの?」
「前の主人のせいですね。幼い頃に買われて暗殺者として育てられましたので、こうした余分な情報を省いた会話を仕込まれたようです。矯正しようともしたのですが、頑なに拒絶するので」
「ということは、弟のギンさんもそうなんですの?」
「ええ。その通りです」
やがて質問も終わり、自然と注目はアイリーンに向かう。
「うーーーーん」
「まだ悩んでたんだ」
「当たり前だろ? 人の命を預かるんだ。考え過ぎて困ることはないよ」
「あると思うけど。ソフィーとか考え過ぎたら知恵熱出す」
「出さないよ!?」
なんて失敬なとソフィアが憤っている内に、アイリーンはメシアと軽く話して結論を出す。
「よし決めた。リンちゃんも連れて行こう」
「いいの?」
「獣人でこのステータスですから、問題は然程でもないでしょう」
「暗殺者としてってのはともかく、戦うこともできるだろうしね。最悪、あたしが守るよ」
「無問題。感謝」
「ありがとうだそうです」
「それはわかりますわよ……」
こうして依頼の契約を交わし、ソフィアたち「太陽」一行に一時的に黒豹の獣人であるリンが加わることになったのだった。