7-2
アールグランド大陸はサルニア大陸ほどではないが、人間には住み良い大陸だとされている。これは魔王があまり関与してこない大陸という意味である。
違いがあるとすれば、サルニア大陸の場合「叡智の魔王」は人間に興味がないゆえに関与しない。
それに対してアールグランドの場合、「剣舞の魔王」は人間の行動に興味があるゆえに関与しないといわれている。
たとえば「叡智の魔王」は魔王城までやって来た人間はほぼ確実に殺す。だが「剣舞の魔王」の場合、気が合う人間だったり面白いと思った人間たちは生かして帰したりする。とはいっても、生還率は十パーセントを切っているのだが。
そういった大陸であるためか、ここでは人間が多く集まった大国と呼ばれるものがいくらかある。
そんな大国のうちのひとつ。宝晶国ガルデニスは宝石や貴金属で名を知られる国だ。彼の国で作られた指輪やネックレスといったアクセサリーは下手な小国の年間予算を超えるほどの金額で取引されることもある。その理由はこの国で作られる装飾品の類はほとんどが魔具だということ。
装飾の精緻さは麦一粒ほどの大きさに魔法陣を書き込めるほどだ。そのため、この国で作られた魔具はひとつだけで複数の魔法を発動可能としており、さらにはアクセサリーとしての側面をも持つ。冒険者だけでなく、貴族もが欲しがる逸品なのだ。
そういった理由があり、この国には数奇な旅人や冒険者が数多く訪れるため、観光地としても有名だった。冒険者ギルドで仕事を受けて金を稼ぎ、長期間滞在するという冒険者は多い。特に女性冒険者が。
「ふぇぇ……手が出ないよぅ……」
「いい加減、諦めなよ。毎日毎日ショーウインドウに張り付いてさ、恥ずかしいったらないぞ」
はあ、と溜め息を漏らしながら頭をガシガシと掻く女性――アイリーン――が目を向けるのは彼女の属するパーティのリーダーだ。
「アイ、そうは言ったって。欲しいものは欲しいんだもん」
「手が出ないって自分で言ってるだろ。諦めが肝要だよ」
「諦めてこの場を離れたら他の人が買って二度と手に入らないかもしれないでしょ!」
「どっちみち金がないんじゃ手に入らないだろ!」
口喧嘩に周囲の人々は何があったのか目を向けるが、すぐに興味は失われる。というのも、彼女たちが今いるのはこの国の王都でも最も栄えている魔具店なのだ。この店の前で商品を欲しがりつつもあまりの値段に手が出ず、それでも離れられなくなって仲間から怒られる……という目の前のような冒険者はまま見かけるものなのだ。
もっとも、普通はすぐに諦める。少なくとも彼女のように、三ヶ月もの間ほぼ毎日足繁く通って同じ商品を見続ける者はいない。
「欲しいー、欲しいよアイー。ねえ買ってー」
「ふざけんじゃないよ。なんだってこんな馬鹿みたいに高いもん買わなくちゃいけないのさ。そもそも、そんな金ないっての」
アイリーンは首を横に振り、残念そうな顔をしたリーダーである「太陽の勇者」ソフィアに言い渡す。
「それが欲しいなら金を集めるんだね。つまりは、仕事だ。さっさと冒険者ギルドに行くよ。みんなもう行っちまってるんだから」
「あれ!? いつの間に!?」
「むしろノンストップだったけどね」
ソフィアたちがガルデニスで滞在している宿から冒険者ギルドまでの道程にこの店はある。そのため、毎日ソフィアはここで三〇分以上商品を眺め続けていた。他のメンバーはいつものことなので無視して冒険者ギルドへ向かい、ソフィアを引っ張って行くのは日替わり制になっている。
ちなみに。ソフィアが欲しがっているのは遠く離れた者と会話を可能とする魔具だ。ただでさえ高価なのに、しかも二台セットでようやく意味があるものなため、余計に値段は高い。貴族でも崖から飛び降りるくらいの覚悟がないと買えないだろう。値段の程は星貨四〇枚だ。一般の村人なら星貨一枚で二代は働かずにいられるくらいの金額である。
そこまでの貨幣となると目にする者も少ない。下手すると国王ですら一生で一度も見ない可能性があるくらいだ。というのも、それほどの金額の場合は星貨を直接動かすのでなく為替取引になるからである。
こういった遠距離通信魔具は元々冒険者ギルドや商業ギルドといった、大陸間を挟んだ組織にしか存在しない。大陸を挟んだ通信魔具の場合は各大陸で最大とされる国の首都のギルドに一台あるくらいだ。しかもそれは固定式の大型であり、肩掛けバック程度の大きさで持ち運び可能のこれとは利便性が段違いの代物なのである。情報伝達手段としては革命的な存在の先駆けともいえるので、この値段でも安いとすら思う者は多い。だからといって到底手の出ない品物なわけで、買い手など現れるはずもない。
そんなものをショーウインドウに陳列しているのは「これだけの魔具をウチは仕入れて販売できますよ」という宣伝のためである。といっても、展示してあるのはサンプルだ。さすがに盗まれる可能性のある場所に本物をおいそれとは陳列できないだろう。
「もしこれがあったら『欠落』さんといつでも連絡取れるのに……」
「はいはい。頭ん中は髪と一緒でバラ色だなソフィーは」
「そっ、そんなんじゃないからっ! 単に色々相談に乗ってもらうだけだから!」
「はいはい」
駄々をこねるソフィアを引きずるようにしてアイリーンは冒険者ギルドへ向かう。その姿が見える頃にはソフィアも今日のところは諦めたのだろう、アイリーンと並んで自分の足できちんと歩いていた。
「お金を集めなきゃ……!」
「無理だろ、あの額。売る気なんてさらさら感じなかったじゃないか」
「がんばれば、夢は叶うんだよ!」
「普通に『欠落』さんをオトしてしまう方が可能性高いと思うけどねえ」
「ばっ!? だか、ちが、ちっ……もうっ! 何度言わすの!」
「毎日付き合わされてる身にもなっておくれよ……」
一般的な冒険者ギルドには酒場が併設されているのだが、ガルデニスの場合はカフェがそのポジションにあった。夜はバーになっており、そういった事情もあってか非常に見た目が美しい。「野卑で粗野」という冒険者のイメージは一切なかった。
ただ、それは冒険者ギルドだけに留まらない。ガルデニスの王都は非常に洗練された町並みだ。この王都自体が観光地扱いされるのも頷ける話だと、訪れれば誰もが納得する。
言葉にすれば石造りの町並みということになるだろう。だが、普通の石造りといわれてイメージするものとはまるで違う。どちらかといえば、町並みすべてが教会と同じ石材で作られている、というのが正しい印象だ。
冒険者ギルドや商業ギルドなどは王都の中心部に所在し、そこは円形の広場になっている。広場中央には噴水があって、これは同時に時計の役割も果たす。午前六時から午後九時まで、三時間ごとに色とりどりの水が噴き出すのだ。なのでこの辺りは自然と人通りも多く、カフェには冒険者でなくとも利用客が多い。当然店内だけで客を捌けるはずもないので、店の前には丸テーブルと椅子が配置されていた。
ソフィアとアイリーンが冒険者ギルドに入ろうとすると、カフェ前のテーブルから声が掛けられる。顔を向ければ、そこに仲間たちがいた。これから依頼を受ける予定の冒険者としてはあまりに優雅な佇まいに、思わず今日は休日だったっけかとソフィアが一瞬悩んでしまうのも仕方ない光景だ。
「遅かったわね」
「まったくですわ」
ルミナークがカップをソーサーに置きながら文句を言ってくる。その隣のヴィヴィアンも同様で、二人ともしかめっ面だ。一方でアリアとメシア、エイリークの三人は「仕方ないなあ」といった感じの苦笑を浮かべている。
「ごめんごめん」
「誠意が感じられませんわ」
「まったくね。私たちがどれだけ無駄な時間を過ごしてると思ってるの?」
「うう……」
ソフィアがへこむ。とはいっても、叱られるのは至極当然の話なので、仲間たちから助けが出ることはなかった。表立って怒っているのがこの二人だけという話なだけで、他のメンバーも大なり小なり憤りは抱えているのだから。
「まあ、まあ。それくらいにしよう。ルナーだって、魔導書を読んだりして時間を潰していたじゃないか」
「エイリーク、それとこれとは……」
ある程度反省したのが見て取れたからだろうか、「太陽」パーティ唯一の男性であるエイリークがルミナークを諌める。反射的にルミナークは噛み付こうとしたが、それでこれ以上余計に時間を使うのも無駄と判断したのか、折れることになる。
あとはヴィヴィアン一人を納得させればいいのだが……そこはアリアが動いた。
「ヴィヴィ、今日のお昼はソフィー持ちにしよう」
「あら。そういうことでしたら、わたくしもここで折れましょうか」
「がふっ」
「ほらみろ。だからさっさとこっちに来た方が良かったんだ」
ソフィアはアリアの手助けで沈む。というのも、この人数の昼食を奢るとなると銀貨数枚は覚悟しなければならないからだ。ひょっとすると大銀貨にまで至るかもしれない。ましてや、ヴィヴィアンは大食いなのだ。かといって元貴族ということもあり、所作は丁寧で品があるので誰も文句は言えない。まあ冒険者は大食いが多いので、その程度で文句を言う者などパーティにはいないのだが。
「メ、メシアァ……」
「自業自得ですよ、ソフィー」
パーティ最大の良心ともいえ、「慈愛」の二つ名を持つメサイアに救いを求めるも、返ってくるのは非情の二文字。やがて観念したようにソフィアはガクッと項垂れる。
「まあソフィアも今日のところは反省したようなので――」
「うう……メシアがチクチク皮肉を吐いてくるよう……」
「――本当に反省してますか、ソフィー?」
じろり、と睨まれる。普段温厚な人物なだけに、その迫力は強かった。ソフィアも両手を上げて降参だと示す。こほんとひとつ咳払いし、メシアは先程の台詞の続きを口にすることにした。
「そろそろ、ギルドに入りましょうか。もう時間が時間ですから、そこまで新しい依頼もないかもしれませんが」
「美味しい依頼が残ってるってことは、まずないね」
アリアも同感だと頷く。
通常、冒険者ギルドで新規の依頼が貼り出されるのは午前六時とされている。もちろん場所によって時間は前後するが、基本的に早朝……夜明けの時間帯だ。これは冒険者たちが日の出る時間に行動し、視界が悪くなる夜間に無理はせず身体を休めるという理由から来ている。彼らが行動を始めるのに合わせて新規の依頼をまとめてクエストボードに貼り出すのだ。ごく稀に急ぎの依頼があった際はその時点で貼り出されるが、それは余程の事態にならないとまずない。
七人でギルドの中に入ると、やはりというか何というか、空いていた。人がいないわけではないのだが、大抵は今日これから仕事に出るといった風ではない。
「何か良い依頼がありますよーにっ」
神頼みするように、ソフィアは両手を組み合わせて祈るポーズを取るのだった。
しばらくは「太陽」のターン。
「欠落の勇者」は主人公としての立場もどっかに落としてしまったようです。