1-9
「っはぁ! あれ!? ドラゴン……ドラゴンはどこ!?」
ソフィアは起き上がるやいなや、叫んで辺りを見回した。それから唯一起きていた俺に向かって問いつめてくる。
「とっくの昔にどっか行ったよ。俺たちを助けてくれたあの男が追い払ってくれたんじゃないか?」
「あの人が……。まあ、たしかに……有り得るわね」
まあ、俺が圧倒してしまったのだけれども。いやあ、思ったより強かったな、アイツ。たぶん二五〇レベルくらいあるんじゃなかろうか。俺のレベルが五〇ほど低かったら、あんな風に圧倒することはできなかっただろう。
ちなみに、男は俺に「竜踊りの笛」という魔具をプレゼントしてくれた。稽古を付けてくれた礼だとか言ってたが、どういうことだろう? 単にこちらが気持ちよく相手の弱点を突き続けていただけなのだけれど。まあもらえるならありがたくもらっておいた。
その魔具は吹くことでドラゴンを一体に限り従わせることができるというものらしい。とはいっても、あの程度のドラゴンを従わせたところで旨味はないので、「エルダーになってから出直してこい」と指示を与えておいた。最終的には懐いてくれたようでちょっとかわいかった。小さい動物が懐くのも良いけど、ああいうでかいやつが懐くのもロマン溢れていて良いと思う。空を飛ぶことが必要になったらまた呼ぼうかな。吹いてしまったことで、あのドラゴン専用の笛になってしまったようだし。
空を飛ぶ方法は他にもあるので、実際に呼ぶかどうか考えてみると、微妙だが。だってドラゴンに乗ったら目立つしなあ。お蔵入りかなあ。あばよ、ドラゴン。もう一生会うことはないだろう。
「……というか、あなた。よく生きてたわね」
「それがおまえ、寝てる間警護してやった恩人に言う言葉か?」
「あ、そっか。たしかに……。ありがとう。おかげで助かったわ」
ソフィアは素直に頭を下げ、礼を述べる。悪いやつではないのだろうが、どうも〈脳天気〉のスキルのせいか、思ったことが口から出てしまうのはどうかと思う。わかってはいても不快なのは不快だしな。程度は軽くなるものの。
すっかり日も暮れてしまった。今日はここで野宿するのがいいだろう。まだ「太陽」パーティで目覚めているのはソフィア一人なのだし。
目の前の焚き火に枯れ枝を放りながら、ソフィアに顎で促す。意図を察したのか、彼女も素直に焚き火を挟んで対面に座った。
「でも……うん。よかったわ、無事でいてくれて。あなたたちだけ死んでるなんて嫌だもの」
「そうかい。そりゃあ生き汚くて良かった」
「そういうこと言う?」
「そういうこと言っちゃうから『欠落』なんだろ」
「あ、そうか」
納得しちゃったよ! 自分で言っておきながら納得して欲しくなかった!
しばし、無言の時間が過ぎる。焚き火の中で枯れ木の爆ぜるパチパチという音だけが響いていた。メイに指示して周囲の安全は確保しているため、虫のさざめきや鳥の鳴き声すら聞こえない。
「ご主人様、もどったですー」
そんなとき、気の抜けた声が森の中から聞こえてきた。
「ご苦労。どんなもんだった?」
「大量大量なのです! どうです? メイも役に立つです!」
「え、ああ、うん……そう、なのかな?」
「なんでその反応です!?」
だっておまえ……たしかに両手に抱えてる中には鳥が一杯いるけどよ、その羽根むしったりする手間考えろよ……。それにあんまり食える部分ないだろ、小さいし。そもそもメイが小柄なこともあって、量もそれほどあるわけじゃない。
「こういうときはイノシシとかそういうのを狩ってくるべきなんだ」
「イノシシなんていないです。もっと山に行かなきゃです」
「行けばよかっただろ」
「酷いです! もう夜です!? そんなとこにひとりで、しかも遭難したらメイは寂しくて泣いてしまうかもしれないです!」
泣けばいいだろ。好きなだけ泣け。でも獲物はしっかり獲ってこい。
「あ、えと……ご苦労様。メイちゃん……だったよね?」
「結構です。メイはメイなのです」
ソフィアがおずおずと訊ね、メイは笑顔でそれに答えた。それで彼女の方も緊張がほぐれたのだろう、メイと並んで喋りながら鳥の羽根を毟り出した。
その声のせいだろうか、喘ぎ声のような呻き声のような声を上げ、他のメンツも目を覚まし出した。俺の反応が一番速かったのはレベルのおかげだろう、きっと。
「う……あたしは……」
「いたた……えと、夜……?」
「な、なんですか、これ! どうして縛られてるんですか、私!」
やっぱり、起きた途端にメシアが騒ぎ出した。俺が嫌な顔で見ていると、すかさず「あなたですか!」と決めつけてきた。失礼なやつだな、こいつ。正解ではあるのだけれど。
というのも、理由がある。これは理由を聞けば、みんな納得してくれるはずだ。
メシアは黙っていれば清楚な美人なのである。アイリーンと迷ったが、性格と普段の姦しさを考えると、このチャンスで狙うべきはメシアだと俺は踏んだ。
なので寝てる隙に胸を揉んだり色々しようと画策したが、いかんせんどういう理由なのかわからないが、俺が触ろうとすると反撃を噛ましてくるのである。それもここぞというタイミングで。
だから怒り狂ってメイに協力させ、縛り上げたのだ。もちろん亀甲縛り。
非常に苦労したせいで日が暮れてしまい、アイリーンを襲う暇もなく焚き火の準備などで大忙しだったわけだ。非常に惜しいことをした。全部メシアが悪い。俺は悪くない。
「アリア、解いてあげて」
「うん。わかった」
「あっはっはっは! なんだ、メシア! その格好!」
「私が望んだわけではありません!! ちょっと! そこの『欠落』さん! 何故自分は関係ないみたいな顔してるんですか!」
え、俺? 知らんよそんなの。責任の所在はおまえにある。
「自分の胸に聞けばいいんじゃないかな」
「どういうことですかぁ!?」
起きた途端に姦しい。耳が痛くなる。声高いんだから自嘲しろよ。
これ見よがしにわざとらしく溜め息を吐き、アリアに縄を解いてもらいながら俺を睨んでくるメシアに言ってやった。
「今、野営中なわけ。もちろん警戒はしてるけど、モンスターに襲われる可能性もある。そんな中、何おまえ叫んでくれちゃってんの? 馬鹿なの? 死ぬの? 死ぬならひとりで勝手に死んでくれない? 俺を巻き込むな」
「な――」
反射的に文句を言おうとしたが、俺の言うことを理解したのだろう。メシアは悔しそうにしながらも口を閉ざした。
「ちょっと。わたしの仲間を悪く言わないでくれない?」
「なら、もうちょっと静かにさせとけ」
「普段は静かよ。あなたが悪いんじゃない?」
なんということだ。これが「太陽の勇者」? ちょっと性格黒過ぎんよ。日没を迎えたからかな?
「えっと……ドラゴンはどうしたんですか?」
場の雰囲気を変えるためか、アリアがメシアの縄を解きながら訊ねてくる。
「俺が起きた後にはもういなかった。黒い甲冑の男はいたけどな」
「黒い甲冑の男……?」
アリアやアイリーンたちが疑問符を浮かべる。だが、そこは予想通りソフィアが説明してくれた。
「わたし一人になって絶体絶命のときに、シュタッてヒーローみたいに参上したの! ドラゴンも軽く黙らせてくれて、少し話して……緊張が解れたからかな? わたし、その後意識を失っちゃってさ」
「ちょっと。危ないぞ、それ」
アイリーンが注意するが、ドラゴンの攻撃で意識を失ったのは自分が先だっただけに、あまり強くソフィアに注意できないようだ。
「あっ! メイさんは……メイさんは無事ですか!?」
「メイですか? 元気です」
「良かった……。あなたのように幼い子供がこんなところに来るのも私は正直納得いかないのですが、それで命を落としていたらどうしようかと……」
メシアは酷く慌てていたようだが、メイが無事なのを見て安心したようだ。目尻に涙まで浮かべている。悪いやつではないしな。うるさいのと俺に絡んでくるのさえなければ。
「メシアは心配し過ぎだと思う」
「だねえ。メイだって冒険者登録してるんだろう? なら、そこまであんたが気を揉む必要もないさ」
「そうは言っても! 心配なものは心配なのです!」
おお、メシアの一言でアリアもアイリーンも黙った。呆れも含まれているが。
「メイさん」
縄から解放され、メシアはすぐにメイの側に駆け寄った。それから地面に膝を立て、彼女と目線を合わせて訊ねる。
「なんです?」
「メイさんが冒険者になりたいというなら、私はそれを止めません。ですが、それなら、私たちのパーティに入りませんか?」
「ふえっ!?」
唐突のスカウトである。これには俺も驚いた。俺だけでなく他のメンツも驚いている。というかメイが奴隷だって気付いてるなら、まず俺に聞くべきだろ。
「今回はアレでしたけど……私たちはそれなりに強いです。だから……」
そして俺を睨んだかと思うと、メイに視線を戻した。
「あの人の下で奴隷として暮らしているよりは良いと思います。どうですか?」
「えっと、ええと……ご主人様……」
困ったような目でメイは俺に尋ねてくる。自然と、他の面々の視線も俺に集まった。メシアだけは敵意を抱いた目だが。
頭を掻き、嘆息しながら告げる。確信もあるしな。
「好きにしたらどうだ? 別に、そっちのパーティに行きたいなら別にいいぞ。奴隷契約解除すればいいだけの話だ」
そんな俺の言葉に、ソフィアたちは目を丸くして驚く。
それも当然だろう。なんたって奴隷は高いのである。大枚叩いて奴隷を買っておきながら、こうも簡単に手放すなどそう簡単には思えまい。
メシアだけは視線をやわらかくし、ようやくこの方にも正義の心が芽生えたのですね、なんて呟いている。どういうことだ。これでもかつては「英雄」だったんですけど。
「どうですか、メイさん」
「ううん…………」
メイはその場に立ち上がったかと思うと、テテテと駆けて俺の隣に座った。
そして笑顔で言う。
「それでも、メイはご主人様と一緒にいるです。あの場から助けてくださったのはご主人様ですし、まだそのお礼を返せているとは思ってませんです!」
「で、ですが……彼は別に良いと……」
「これはメイの意地です!」
「そ……う、です、か……」
ソフィアたちはホッとしたような、ほっこりしたような表情を浮かべていた。そして、何故かメシアはまたも俺を睨んだ。なんでだ。本当にわからん。メイの意思じゃんか。
「何か脅迫を……いや、弱みを握っているのでしょうか……でないと納得できない……」
ぎくり。
表情には出さないが、結構良い線いっている。
「そ、そんなことないです!? メイ、本当にご主人様に感謝してるです!」
「メイさんは良い子ですね。きっと神のご加護が与えられますよ。……それに比べて」
なんだよその目は。ちょっと酷すぎない?
俺がそう思っているのと同じように、さすがに「太陽」パーティの面々もメシアの暴走が行き過ぎだと判断したみたいだ。アイリーンたちも眉を寄せてメシアに注意を促す。
「メシア、いい加減にしな」
「そうだよ。『欠落』さんに失礼だ」
「どうだとしても、今のは明らかにメイの意思でしょ。これ以上は『欠落』さんにも、メイにも失礼過ぎると思わない?」
「う……、その……。すいません。勝手な想像だけで……」
「いや、いいよ。『勇者』が奴隷を連れてれば、そういう反応をするやつが出るのは想像してたからな」
今更だとばかりにあっさり謝罪を受け入れる。メシアはそんな風に俺が言うことを予想していなかったのか、目を丸くしていた。他の面々も似たようなもんだ。
俺は意図的にソフィアへ視線を向け、口を開く。
「『勇者』ってだけで、勝手な期待を人は抱くからな。結局はロールのひとつだっていうことも忘れてな。過剰な期待、過剰な要求。そんなのはもう慣れた」
はあ、と嘆息しながら告げる。
それは俺の本音だ。だからだろうか効果は劇的だったようで、「太陽」の面々は全員視線を下に向け、何やら考えている様子だった。実際、彼女たちにも多少の身に覚えはあったのだろう。
助けないと「勇者の癖に」と言われる。助ければ感謝はされるが、それ以上の歓待が受けられるわけでもない。「勇者」を必要とするほど困っている人々というのは、大抵が結構な被害を受けているので、歓待できるほどの体力がないともいえるが。
そうしているうちに、勝手に吟遊詩人やうわさ話のせいで「英雄」はどんどん祭り上げられていった。誰かが丁寧に均した地面の上を歩いているかのような気持ち悪さが、旅の間はずっと付き纏っていた。濡れた服が一向に乾かないような不快感を押し殺し、「英雄の勇者」像を崩さないでいるうちに、皮肉にも表情を誤摩化す技術や話を自分に都合の良いように運ぶ技術が磨かれたのだ。
「まあ、そういうことがあってな。今の俺は腕も目も失くしちまって、みんなの期待する『勇者』として活躍はできないからぶっちゃけ始めたんだ。『欠落』の二つ名も、今となっちゃ悪いもんだと思ってない」
爽快感とまではいかないが、これまでの気持ち悪さからはおさらばできた。今となっては、かつての仲間が「あなたにはもう付いて行けない」と言って離れていった気持ちがよくわかる。随分窮屈な気持ちだっただろう。ましてや命の危険が常に付き纏うともなればそう言いたくもなるはずだ。
「……大変だったのですね」
「まあね。でもさっき言った通り、今はそれほど悪くないよ」
「だからといって、奴隷はどうかと思いますが……」
まだ言うか。
あまりのしつこさに軽く睨むが、メシアはこれまでほど熱を込めたわけでもなさそうだった。皮肉のような一言を言わずにはいられないが、それでもこちらを矯正しようとまでは思わなくなったらしい。さすがに仲間からも咎められてしまって反省したのだろう。
「それにしても……その黒い甲冑の人ってのは何者なんだろうね」
アリアが雰囲気を変えるためにソフィアへ向けて話を振る。
「ううん……わかんないわね。ただ、物凄い強さの持ち主ってのは間違いないわ。あのドラゴンを片手で押してたし」
「ドラゴンを片手で!?」
食事の準備をしてくれていたアイリーンが驚いて叫ぶ。メシアやアリアも叫びこそしないが、驚いているようだった。
「そりゃあ……どういう人物なんだ? 雲の上過ぎて、もはやどれだけ強いのかもわからんな」
「あ、けど。それを言ったら『欠落』さんもそうじゃないですか?」
「ん?」
アイリーンと共に食事の支度をしていたアリアがこちらを見ながら訊ねてくる。別に俺はいいけど、ナイフで鳥捌いてるときに目を離すのは危ないと思うよ。
「『欠落』さんも、拳一発でドラゴンを浮かせましたよね」
「ああ、アレね。……けど、アレはスキルを使ったからな」
「そうよね。わたしもあのスキル手に入れたけど……なに、アレ。正直とんでもないスキル過ぎて扱いに困るんだけど」
「人からスキル奪っといてそういうこと言うんじゃないよ」
「奪ってないよ! 学習しただけだもん!」
「あ、そうだ! なんでソフィーまであのスキル使えたんだい!?」
「そうでした! あのスキル、ソフィアは覚えていませんでしたよね?」
仲間たちの注意がソフィアに向く。彼女はえっへっへと笑みを浮かべながら、新しく手にしたスキル〈ハイパーラーニング〉について説明した。
「なにそのスキル……。引くわぁ」
「引かないでよ!」
「いやだって、それ、真面目に努力してスキル覚えてる人全員を敵に回すよ?」
聖騎士に守護者、舞踏家のトリプルロールであるアイリーンからすれば、そう容易く受け入れられる話でもないのだろう。
「その辺、『欠落』さんはどう考えてんだい?」
「あ、そうですね。ご自分のスキルが学習されたわけですから……」
アイリーンやメシアが心配そうに訊ねてくる。メシアも賢者という稀少ロールの持ち主であるだけあって、新たなスキル体得のしんどさは理解しているのだろう。
といっても、俺としてはそこまで心配されるほどじゃない。顔を上げて夜空を眺め、その星々の瞬きを数えながら考えをまとめた。
「まあ、不快かどうかでいえば不快だが……どうしようもないだろ? 話聞いてる限りじゃそのスキル、自分で意識的に使うわけでもないし。まあある意味『勇者』らしいスキルでもあるしさ、手にしちまったからには活かすしかないんじゃないか?」
「器が大きいですね。どこかの賢者とは違います」
「なんですか、アリア。その顔は……」
また喧嘩が始まりそうだな。とんだトラブルメーカーの賢者様だこと。
「それに、俺のあのスキルだって授かり物だ。俺だけのモンってつもりはないよ」
「そうなの?」
ソフィアが意外そうな目で訊ねてくる。あんなチャージ系スキル、勇者ロールが覚えられるわけないだろ。
勇者ロールが覚える攻撃系スキルは基本的に二つに大別できる。広範囲殲滅攻撃か、単体高威力攻撃だ。〈星光の牙〉は攻撃系スキルではなく、次手の威力を大幅に上昇させるというチャージ系スキルである。
「そうか……! チャージ系スキルってことは……」
「ああ。他の攻撃系スキルをさらに強化できるってことだ」
ちなみに〈星光の牙〉を使った後に強化されるのは攻撃系スキルに限られる。次手で魔具を使用したり、他の回復系スキルを使ったりしたら〈星光の牙〉の恩恵は一切得られずに無駄打ちという扱いだ。あれほど魔力消費しておきながら無駄打ちとかアホらしいにもほどがある。
また、効果時間も非常に短い。身体強化の効果もあるが、確実に敵を攻撃できるタイミングを見計る技量も必要だ。効果時間が切れた場合も無駄打ち扱いになってしまう。
「それに……さすがにおまえの〈ハイパーラーニング〉だって、スキルの熟練度まではコピーできないだろ?」
「あ、うん。その通り」
でないと本当ふざけたスキルになってしまう。現時点で大概だというのに。
「『欠落』さんはそのスキル、熟練度をだいぶ上げてるんですか?」
「まあね」
スキルもロールやレベルと同じく、使い続けることで熟練度が溜まる。それによって受けられる恩恵は様々で、ものによっては消費魔力量が減ったり、威力が増大したり、効果範囲拡大や効果時間延長などの形で現れる。これらは任意で選べるのだ。
俺の〈星光の牙〉の場合は攻撃力の上昇倍率一点特化だ。一人で戦う場合、とことん攻撃力を高めて一撃で逆転を狙える切り札を持っていないと話にならない。ちなみに、このスキルの熟練度はマックスまで上げてしまっているため、勇者ロールの文字と同じく、ステータスを表示させると黄金色に輝いている。
「……先輩として聞きたいんだけど。このスキル、熟練度上げるの厳しくない?」
「厳しいよー。さすがに一度使っただけあって、わかってるみたいだな」
眉根に皺を寄せ、ソフィアはぐぬぬと呻きながら視線を伏せた。他の人たちはどういうことか疑問に思ったようだが、アイリーンがすぐに気付く。
「あ! 消費魔力か……」
「そういうことですか」
その通り。
莫大な魔力を必要とするスキルであるため、そう気軽にポンポン使えないのである。だから必然的に熟練度は上がり難い。練習として使ったとしても、その後が問題となる。もし野生のモンスターと戦うことになった場合、魔力がごっそり減っている上、体力も落ちた状態で戦わなければならないからな。
身体能力強化も良い面ばかりではないのである。身体に無理をさせている以上、そのツケは必ず支払わなければならないのだ。
アイリーンやメシアがソフィアを気遣い、アリアはそれでも強力なスキルを手に入れたのだからと励ます。
その光景に、かつての仲間たちの姿がダブって見えた。
もう誰が誰だかわからず、顔も姿も声すらも思い出せないというのに。
それでも、会話だけは覚えている。声ではなく文章のような形だが、覚えていた。
ふと誰かが笑った気がした。ソフィアかもしれないし、アイリーンかもしれない。メシアか、アリアか、それともメイか。あるいは――俺の記憶の中の霞掛かった誰かかもしれない。
「英雄の勇者」は半年前のあの日、「強欲の魔王」を倒して死んだ。
今はその亡骸を動かす亡霊のようなものとして「欠落」が存在しているだけだ。
勇者というロールを持ちながら、勇者としての半身を欠落した。
人間でありながら、人間が持っていなくてはならないものの大半を欠落した。
「ご主人様?」
「……ん?」
隣にいるメイが肩を揺らし、小声で話し掛けてきた。
「なんで寂しそうな顔してるです? 今はあの人たちも、メイもいるですよ?」
「…………そうだな」
ふっと相好を崩す。
一人じゃないのはやはり良いものだ――なんて、つい先日改めて思ったばかりだというのに。
そうだ。今の俺は一人じゃない。
「英雄の勇者」でなく「欠落の勇者」になってしまった。色んなものを欠落していってしまった。
けれど――失うことを通じて得られたものがないだなんて、どうして言えるだろう。
悪魔との契約を抜きにしたとしても、俺のレベルは相当あるはずだ。一人でモンスターや魔族と戦い続け、果てにはエルダードラゴンや魔王すらも倒した。
そうして手に入れた力があったからこそ、「太陽」のパーティを救うことができ、今こうして穏やかに話せている。
それは絶対に「英雄の勇者」では得られない、「欠落の勇者」だからこそ手に入れることのできたものではないのか。
ならば、過去の思い出を想起して懐かしがる必要などどこにもない。
あの頃は楽しかった。あの頃は幸せだった。
でも、今だってそう捨てたもんじゃない。
時は不可逆。時間の流れに落としていったものは決して取り戻すことはできない。
時の奔流は大河となってうねり、水面に浮かぶ木の葉のように矮小な存在では決して故郷に辿り着くことなど叶わない。
けれど、一滴の水が集まって川になり、やがて海に辿り着くように。
巡り巡って形を変え、また違ったものとして戻ってくることは十分に有り得るのだ。
それを人は祈りや奇跡と呼ぶのだろう。
そして祈りや奇跡は、生きている者にしか降り注がない。
そんなものは有り得ないと言う人もいるだろう。すべては偶然の賜物で、運命や必然など考えるだけ無駄だと言う人だって必ず存在する。
だが、俺は今日、見てしまった。
ソフィアという、俺と同じ勇者のロールを持つ存在が奇跡を手にする瞬間を。
学習系スキル〈ハイパーラーニング〉なんて聞いたことがない。〈ラーニング〉はあるが、アレはレベルアップやランクアップの経験値、スキル熟練度の溜まる速度を早めるというだけのスキルだ。それと〈ハイパーラーニング〉との間には隔絶した性能差がある。
ましてや、ソフィアは何か特別なことをしたわけでもない。スキルを修得するために魔具や特別なアイテムを使用したわけでも、何か特殊な行動を取ったわけでもないのだ。
そんな彼女に突然生まれたスキル。
それを奇跡と呼ばずして何と呼べばいいのだろう。
奇跡はある。この世に存在する。
であるのならば――俺に奇跡が起こらないだなんて、誰が断じれるのだ。
「………………」
「……痛むです?」
「いや、そうじゃない」
失った左腕。左肩の付け根を右手で撫でていると、メイが心配そうに訊ねてきた。首を横に振って否定し、微笑を浮かべる。
悪魔はこの左腕を元に戻すことは不可能だといった。
でも、もしかしたら戻ることがあるかもしれない。
悪魔との契約が続いている間は無理かもしれない。だが、契約を解除したなら、ソフィアのような奇跡が俺に起こり、左腕が再生するかもしれない。
欠損して一年以上経つ四肢が復活するなんて有り得ない話だ。ただそれを言うのであれば、ソフィアの手にした〈ハイパーラーニング〉だって有り得ないスキルだ。この世で魔族やモンスターも含め、すべての生物の中で彼女一人だけが手にしたスキルだと言われても納得できるくらいに。
そんな有り得ないことが、もしかすると俺の身にも起こるかもしれない。
少なくとも、ソフィアと俺との間にはロールが勇者だという共通点がある。
ならば――可能性を完全に捨てて諦めているより、余程上等だろう。少なくとも、前を向いて胸を張って歩けるくらいには希望を抱けるというものだ。
『胸を張れ。前を向け。希望は足下に転がっているものではない。希望とは拾うのではなく、掴むものだ』
『人生は落とし穴だらけで、怖くて下を向きがちになってしまうわ。けれど、それでは勿体ないでしょう? だって、世界はこんなに美しいのよ』
『その腕で掴むのはなんだ? 剣か、恋人か、希望か? どれであれ、腕が二本しかないなら二つしか選べない。だが、掴んだそれは決して離すな』
俺がまだレベルの低い頃、鍛えてくれた師匠たちの言葉を思い出す。彼らも仲間たちと同様に、顔や名前、声は思い出せない。
でもその言葉は――その心は――今も胸の内に焼き付いている。
まだ鼓動を続けている。
血潮と化してこの身を動かす原動力となっている。
「英雄」でなくなっても、「欠落」になっても、それらの魂は失わず、今も鮮明に色付き、息衝いている。
「『欠落』さん? どうかしましたか?」
「……いや? なんでもないよ」
出来上がった食事を乗せた皿を持って来てくれたアリアが俺の様子に気付いて訊ねてくる。メイに言ったのと同じように、なんでもないと返して礼を言い、皿を受け取った。
「………………?」
「な、なんですか……?」
「不器用なんだな……」
「ち、違いますよ! ちょっとアレです! 手元が狂っただけです!」
「鳥さんの影も形もなくなってるです……」
焼かれた鳥はなんというか、ぶつ切りでもなんでもない。ミンチに近い。どうしてナイフで食べやすい形に切るだけの作業をここまで熱中してしまったのか。
「あー、アリアだからねえ」
「アリアですから、仕方ありませんよ」
「アリアはそういうところあるよね」
「みんな!? ちょっと、誤解を招くこと言わないでくれる!?」
笑いが零れる。
アリアがむくれ、頬をソフィアが突く。またアリアが怒る。さらに笑い声が大きくなった。
野営をするにあたって、こんな風に騒ぐなんて愚の骨頂だ。愚か者のやることだ。
でも、どうしてだろう。
今回ばかりは俺もそれを止めるのでなく、一緒になって笑ってしまった。
夜が更ける。
新しい朝を迎えるため、世界も一度眠ろうとする。
俺が見る夢は、世界が見る夢は、どんなものなのだろうか。
それが希望に包まれたものならいいなと思った。
そうすれば、明日の朝もまた明るい気持ちで迎えられると思うから。