最終話「待て、しかして希望(絶望)せよ」
第六話
頬に大きな切り傷を負った大男。ヴォルフ・ロレンツォ、自らの地位を庶民から貴族まで成り上がった人物。その裏には血に塗れた黒い履歴があるとされているが、詳細は不明。所在は庶民であったころは不明で突如として現れたダークホース。瞬く間にグレフィーク港に座を置く程の偉業を成し遂げ、エレボスの王からも信頼が厚いとされ思われる。だが、純粋な貴族ではないが故に怨まれる事が日常茶飯事である。
「……。お帰りになられてましたか。」
「あぁ、エレボスにいる間に色んな事があったようだな。煉、森の方で大きな音がしていたが。」
「ご安心を、既に事は終えておりますので、港には影響はありません。」
「そうか、サーシャの姿が見えないが……。何かあったか?」
頬を冷たい汗が流れる。サーシャの安否を確認するヴォルフに至っては平然とし、淡々と述べている。心配をしているのかしていないのかを判断できない。が、平然を装って煉も応える。
「お嬢様は無事です。現在、こちらに護送しておりますので。」
「……そうか。煉、丁度いい機会だ。話がある。」
煉の方を向き、机の引き出しから一つのナイフを取り出す。殺されるのかと思い、身を固くして臨戦態勢に入る。ナイフの柄を持った手は切っ先を煉に向けることなく、自身の方へと向けた。
「なっ」
「煉、俺が何故港に地位を築いたかというのを知らなかったな。本来は地位に着くはずの貴族がここにいた……つまりはそういうことだ。」
戦慄が脳から足のつま先へと走った。煉が守った者とは貴族になるはずではなかった者であり、それを庇護するような形であったこと。だが、サーシャを護っていたという自覚は確固たるものでもあった。
「それを私に教え、領主……あなたは、どうなさるおつもりですか。」
「同胞は同胞の元へ戻るだけさ。ぐっ!」
ナイフを持った手で片方の掌を突き刺した。傷口からは大量の血が湧き出、辺りに血飛沫が撥ねる。
「ヴォルフ・ロレンツォはここで死んだ。怨みを持った人間共の毒牙にかかり、な。最期は惨めなものであった。死にたくない!死にたくない!と嘆きながら辺りに血をまき散らして虚しく絶命する。そういう肩書きにしておいてくれ。」
「待ってください!何故!何故!?」
「サーシャに関しては安心してもいい。娘も同胞の血を引き継いでいるのであれば何れわかること。無論、サーシャも死んだことになるが。煉は関係なくなるからな。」
「話が見えてこない!」
「全てを知りたいのであれば選定者に聞く事だ。」
頭がこんがらがる。全てが全てジェン・ヨウが知っていると言っている。正常な判断ができない今、ヴォルフが言った事が真実なのかさえわからない、わからない、わからないわからない!
「ぐっ!!」
居ても立っても居られない。何故、自分の環境が一瞬で変わってしまったのか、それを彼奴は知っている。もしかすると全て仕組まれていたものなのかもしれない。扉を開けっ放しにして館内を走り、ジェン・ヨウがいる場所へと駆けていった。
「・・・・・・さて、俺も行こうか。」
領主の部屋におびただしい量の血が飛散し、領主の服だけが残されていた。服には若干の獣臭さと茶色い毛が付着していたことが港の者達の調査で判明したことであった。
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「ジェン・ヨウ!!」
息を整えて森に戻ってきた煉。既にサーシャやローパーの姿はなく、樹にもたれ掛かったジェン・ヨウとボロボロフードを被った少女だけがいた。
「どうやら殺してきてくれたようだね。」
「何が殺してきてくれただ。」
「情報では殺されたことになっているから問題ない。」
「お前に聞きたいことは山ほどある。だが、その前に聞かせろ。僕の村の最期を何故知っているんだ!?」
怒気を孕んだ叫びに応えるように少女が前に進んだ。
「弄。」
「いやなに、ちぃとばかし遊ぶだけじゃ。食おうとは思わん。」
フードを脱ぎ、紅い髪を乱しながら煉に向き直る。
「小僧、わしは弄。あの村を壊した張本人じゃ。」
「・・・・・・は?」
見た目は幼い少女であるが、村一つを壊せるほどの力は備えていないはず。高を括って煉は鼻で嗤う。
「そんな冗談に付き合っていられない。」
「わしは神狼の魔女。わしの育て親は狼を統率することで群れを成し、ファンタジースノーフィールドを闊歩しておった。が、食料も底を尽き、移動せねばならぬ。手始めに襲ったのはくぼんだ土地に出来ていた村じゃった。」
「・・・・・・。」
「じゃがな、群れは統べる者を殺し、わしにまで牙を向けおった。同胞は殆ど死に、人間も食える者は殆どおらなんだ。」
「ふざけるな・・・・・・。」
「自然の摂理というものじゃ。弱き者は淘汰され、強き者が食らう。自然現象そのものじゃ。」
「ふざけるなあああああああ!!」
怒号が辺りに響き、眠っていた動物達がビックリして逃げていく。ふと、ヨウは煉を見やる。激しい怒りと混濁した思考が混ざりあった結果、煉の魔力が変化し、黒い靄が煉を包んでいる。
「兆しというのはこれのことか・・・・・・。神格化と違い、神聖さが微塵も出ていない。むしろ、澱みを浴びたエルフ達のような・・・・・・。」
「ふふっ、手出しは無用じゃ、主よ。」
「づああああああああ!!」
黒い靄を帯びた煉は走り出し、正確に弄の側頭部に回し蹴りを叩き込む。左手の甲でガードをする弄だが、力に押し負け、身体ごと横に吹き飛ばされていく。
「よおおおおおおおお!!」
樹にもたれ掛かるヨウに向けて圧縮魔法を唱えようとするが、横腹に強い衝撃が走り、肺の空気が外へと押し出された。
「がぁっ!」
弄に続けて煉が横へと吹き飛ばされ、樹にめり込んで砂埃を巻き起こす。急接近した弄が飛び蹴りを煉の横にかましたようだ。
「いい蹴りじゃな。これは益々奴隷にするしがいがあるというもの!」
「奴隷じゃなくて召使いと言った方がいいよ、弄。」
「づああああああああ!!」
めり込んだ樹を気迫で粉砕し、弄へとまた走り出す暗い森の中で煉の目は赤く光り、動く度に赤い目が揺らめいている。僅かな月の光でさえ見辛いというのに、煉は正確に弄へと攻撃を叩き込んでいく。圧縮された空気を弄の後ろに形成し、弄を押し出す。
「むっ!」
押し出された弄は油断し、煉の拳の射程圏内へと入る。右拳に圧縮された空気を込めて弄の頬を殴る。が、煉の攻撃は強靭な尻尾に遮られ、魔法も打ち消される。
「圧縮された空気というのはなかなかよの。ほれっ!」
鞭のようにしなる尻尾で煉を押し退け、鋭利な爪で引っ掻く。まともに受けれないと判断した煉は防御せずに距離を離す。振り終えた弄は舌打ちをするが、煉の判断は正しかった。地面に抉れたような跡。弄が振りかざした引っ掻く攻撃は空気の刄を産み出す程の威力に相当し、摩擦を生んだ空気が地面に着地し、軌道に沿って地面がめり込んだのだ。
「ぐぅっ!」
「狂暴化の効果が薄れてきたか?まだまだ楽しませてもらわんと割に合わんのじゃ!」
走り出し飛び上がりながら身体を回し、尻尾をしならせる。咄嗟の行動に回避を忘れた煉も急いで応戦しようと右からくる尻尾の軌道上に圧縮した空気の壁を形成するが、相当の威力をもった尻尾は圧空を打ち消し、もろに煉の右半身に命中した。強烈な威力に再び肺の空気が外へと押し出され、目を見開き呻いた。
「ぐぅぁ・・・・・・!」
「まだじゃぁ!」
最早攻撃する気力もない煉の顎に弄の手が掛かり、宙に浮かんだ煉の頭をそのまま地面に叩き込んだ。森に鈍い音が響く。煉の頭が地面にめり込んだ音であった。
「・・・・・・。」
煉と弄の闘いを見つめるヨウは目を細め、煉の周りの靄を見る。先程の一撃が決め手であったのか、煉が気絶すると同時に靄は消えていた。
「(負の念で形成された澱み。妖精樹林に溜まる仕組みとして考えられるのは・・・・・・水の循環かもしれないな。だとしたら、抽出して固形物とすればリンちゃんの研究にもなるかもしれない。であれば、だ。)」
「奴隷は奴隷らしく地面に這いつくばるのじゃ。む、主よ、どうしたのじゃ?」
「僕から見れば君も奴隷になるんだ、少しは言葉に気を付けてね。」
「あいや・・・・・・それはそうなのじゃが。」
弁明しようと弄はあたふたするが、ヨウの手が頭に置かれるとシュンっとして尻尾も元気を無くす。地面に倒れた煉を見て、完全に気絶していることを確認し。
「弄、連れていくよ。」
「し、しかし・・・・・・こやつはわしの攻撃すら避けれないような人間じゃぞ?」
「弄が鍛えればいいだけのことだよ。」
「な、ななな・・・・・・なんじゃと!?」
「ははっ、驚く弄も可愛いね。」
「か、かわっ!!・・・・・・む、むぅ」
「さて、僕が担いでいこうか。塔に戻るよ、弄。」
「・・・・・・わ、わかったのじゃ。」
めり込んだ頭の周りの地面を手で掻き出し、ボロボロの煉を肩に掛けるヨウ。隣には恥ずかしそうにフードの頭を深く被る弄がおり、ゆったりとした足取りで森の奥へと消えていった。
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「煉が行方不明じゃと?」
数日が過ぎ、港の診療所で応急処置をしてもらったローパーはゲン・ガンの病院にいる黒鵜の元へと移動していた。ローパーの治療に同行していたサーシャもまた黒鵜の元を訪れていた。
「はい……。港でも見ませんでしたし、ゲン・ガンでも……。」
「ったく、どこをほっつき歩いてんだか……。それに、港の領主さんが殺されたっていう話もでてるじゃねか。まさか……。」
「これローパー。野暮なことを言うんじゃない。すまないね、おじょ……いや……サーシャ。」
「いいえ、大丈夫です。だけど、もうあの館に戻ることはできません……。港は魔国エレボスの貴族が買収してしまって、ロレンツォ家はなくなった形になっているので。」
スカートの裾をギュッと掴み、涙を堪えていた。今まで暮らしてきた場所に戻ることが出来ない上に大切な思い出を残して出されてしまっているのだから。港を捜索している内に貴族によってサーシャを探すようにという命令が下されていたようだが、港の人々の優しさもあってか、報告を隠してそっと港から出してくれていたそうだ。サーシャはもう港に立ち入ることができないだろう。
「そこは煉のお蔭かもしれんの。いつも港の人々と仲良くしておったそうじゃからな。少しでもサーシャに恩を返したいのじゃよ。」
「そこは本当に感謝してます……お礼を煉に返したかったのですが、それも出来ないし……。」
「ということは、だ。嬢ちゃんは衣食住が出来る場所を失くしてしまったという訳か……。なら、いい話があるぜ。」
「?」
「ギルドの看板娘になってみないか?ギルドは情報が行き交う絶好の場所でもある。依頼してくる奴からも様々な事を聞ける。もしかすればふらっと帰ってくるかもしれないからな。あいつは。」
「おお、それはいいアイデアじゃ。どうじゃ?サーシャよ。」
「……ありがとうございます!」
僅かな希望があるのであれば、彼に感謝を伝えることが出来れば。差し伸べられた手を快く握ったサーシャであった。
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エレボス地方とエイレーネ地方の中央にそびえ立つ夢幻山脈。山脈の麓に巨大な塔、夢幻の塔が建てられている。塔の一室で煉は目覚めた。
「……っ」
非道くまどろんでいたのか、額には大粒の汗が浮き出ていた。あれからどれくらい経ったのか、時間を確認できればいいが、この部屋には煉を横にするベッドしか置かれていない殺風景な所であった。と、異様に頭が冷たい感触を訴えている。大粒の汗というのは間違いで、その冷たいものが結露で流れた物のようだ。頭の上からそれを取り除く。透明な袋に大量の氷が詰め込まれているようだ。
「あら、お目覚めのようね。」
何もない空間から魔法陣が展開し、そこから白い着物を着た女性が現われた。白く透き通った肌に潤んだピンクの唇。正に絶世の美女が目の前に現れた。
「あ、あなたは……。」
「私はフロン。この夢幻の塔の案内人を務めているわ。とは言っても案内人なんてただの肩書きでしかないのだけどね。」
「は、はぁ……。夢幻の塔?」
「お目覚めのようじゃな。」
と、魔法陣から更にもう一人現れる。紅い髪を優雅に揺らし、ボロボロの布切れだけを纏う弄であった。
「お、お前は!!」
「弄、あなたが来るとややこしいからヨウにきつく言っておいたのだけど……。」
「なに、ただ挨拶をしに来ただけじゃ。わしの召使にな。」
「……は?」
「煉。わしはしかたなぁくお前を召使にすることにする。しかたなぁくじゃぞ。」
「いや、話が見えない。なんで、お前の召使にならなければ……。」
弁明の余地はない、と言わんばかりに口を紡ぐ弄。その光景をやれやれと見やるフロンは氷袋を持ち、魔法陣へと消えていった。
「主のお達しじゃ。それにお前にはこれから強くなってもらわなければならない。故に、お前を召使とし、わし自らが鍛えることになったのじゃ。他にもあるがの。」
「鍛える……って、勝手な事決めるんじゃない!なんで仇であるお前に鍛えてもらわなければならないんだよ。僕は嫌だね。」
「殺しに掛かってきてもいいんじゃぞ。」
「……。」
「寝首を掻けばいい。背中から殺しにかかってもよい。毒で殺してもよい。わしをいつでも殺せるような位置に於いてくれたのを主に感謝するんじゃな。」
それは確かに好条件ではあるが、釈然としない煉は弄の深紅に光る眼を睨み付けていた。