第三話「緊急依頼発令」
貿易港グレフィーク
魔国エレボスから北西に位置する港町。他の大陸の輸入品などを扱っており、魔国エレボスに流通している。
サーシャ・ロレンツォ
貿易港グレフィークの領主であるヴォルフ・ロレンツォの娘。何事にも挑戦しなければ気が済まない活発的な女の子。依頼で呼ばれた煉を気に入っており、まるで恋人のような感覚で接している。次期領主としての力は目を見張るものがあり、将来を期待されている。
煉獄バスティーユ
エレボス地方とエイレーネ地方共通の収容所である監獄塔。罪を犯した者、更迭された者など理由は様々であるが、罪人として収容される。塔は七つの階層に分けられており、傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲の階層がある。
暴食のグルグ
煉獄バスティーユ暴食の階層に君臨する監獄獣。監獄獣とはその階層で罰を与える怪物を指し、その罪に合った怪物がその階層を取り仕切っている。暴食のグルグは満たされない空腹を補うために罪人を喰らってしまうのが偶に瑕。
色欲のアシッド
グルグが脱獄したと同時に脱獄したもう一体の監獄獣。その詳細はまだ謎のままである。
ゲン・ガンのギルドで衝撃の事実が伝えられた。そのことにローパーも黒鵜も慎重な面持ちで構えている。
「バスティーユから監獄獣が脱獄だと?」
煉獄バスティーユ。エレボス側に位置している両国共通の監獄塔である。罪を犯した者、疎まれる者、更迭された者などが収監され、七つの階層にて償いという裁きが下されている。が、今回の件はその階層に居るはずの監獄獣がバスティーユから脱獄したということだ。
「ただでさえバスティーユの監獄獣は人の手には余るほど凶悪な奴等だとは聞いておる。して、その監獄獣の特徴は知っておるのか?」
黒鵜は青年に問いかける。彼の名はジェン・ヨウ。夢幻山脈より下山してきた覚りと呼ばれる種族のようだ。
「父さんの受け売りだけどね。脱獄したのは二体。一体目は暴食の階層のグルグ。二体目は色欲の階層のアシッド。グルグはあらゆる物を食べる暴食の狗、街一つなら丸ごと平らげてしまうかもしれない。」
「街って…。食べ物だけじゃないってか。で、そのアシッドっていうのはどうなんだ?」
アシッドの脅威を知りたがるローパーに対し、ヨウは少し浮かない顔をしている。グルグよりもよっぽど性質が悪いという印象がつく。
「色欲の階層のアシッドに関しては僕と弄が対処する。グルグの対処は君たちに頼みたいんだけど構わないかな?」
「何か対策があるといいのじゃが…まぁ、分断して対処できるのならいいの。ローパーよ、頼むぞ。」
「依頼を発行するのはいいがどこに現れるかはわからないだろ。」
「アシッドの場所は特定できていないけど、グルグならわかるよ。」
ローパーがカウンターの奥で依頼発注している途中で手を止める。その場所が間違いなければ火急の通知が必要になることを予想していた。
「グレフィーク港……。僕たちはグルグが倒された後にアシッドを追い掛けることにするよ。」
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グレフィーク港の領主の館。煉は館へと繋がる石畳の道の上でしゃがんでいた。ここに来る前に気になっていた事をしているようだ。
「あぁ、結構生えてるな。これは大変だなぁ。」
石畳の隙間に生えている草花。領主の清潔さに欠けると共に馬車の車輪に草が絡まると大惨事にもなりかねない。それを予想しての煉の心配であった。
「ふふっ、煉ってまめよね。」
「お嬢様……いけませんよ?お嬢様ともあろうお方が手を汚してしまうのは。」
煉の横で草をぶちぶちと抜いているサーシャがいた。抜いた草は煉が置いている山に無造作に積み重ねていく。横目で自身と同じ行動をなぞっているとしか考えられない行動であり、気取られないよう小さな溜め息を吐く。
「はぁ……お嬢様、僕はちゃんと軍手をはめているので汚れることはありませんが、お嬢様は素手です。綺麗なの爪がくすんでしまっていますよ。」
「えぇ!?あ、あぁ……、ちゃんと汚れとれるかな?」
「ちゃんと洗ってあげますのでお嬢様は服で汚れを拭おうとしないでください。」
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場所は変わり、領主の館にある大きな厨房。コトコトと鍋が煮える音が聴こえ、香ばしい匂いが厨房の外にまで洩れているのがわかる。当然領主の館ということもあるのでシェフの一人か二人は当然いるだろう。が、そこで料理をしているのは一人の執事とぎこちない動作で人参を切っている少女であった。執事は服の前にエプロンを掛け、少女はエプロンを着ずにドレスのまま調理をしている。
「あの……お嬢様?エプロンは厨房の扉の手前に立て掛けられていたはずなのですが?」
「ん?あぁ、あの布ね。大丈夫大丈夫。それよりこの人参固くない?」
「手を切らないようにお気をつけて切ってくださいよ?」
鍋の具材をおたまでゆっくりとかき混ぜ、調味料を適量加えていく。煉はポトフを作っているようで、沸騰した鍋の中にはまるまると入った小さなジャガイモやブロッコリーといった野菜類がぐつぐつと踊っている。サーシャは野菜スティックを作りたいと言い、慣れない包丁捌きで人参を細切りにしようと躍起になっている。だが、人参は思った以上に堅いようでサーシャの力では断つことは難しいようだ。
「……お嬢様、人参を刃先だけで切ることは困難ですよ。こうして……。」
鍋の火を止め、サーシャの右手に手を添える。ビクンッとサーシャが動くが直ぐに持ち直す。
「柄をしっかり握り、柄に近い刃先を人参に刺し、刃が付いていない所を抑え、そのまま押し込んで下さい。」
包丁を持っていた手を再度握り、煉に言われた通りに人参を切る。サイズはバラバラではあるが切ることは出来た。サーシャは満足気ではあるが煉はもう少し修行が要るなぁ、と呟いていた。
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先程の門番との会話にて、野生化した牛が暴走している件を解決するために予め報告されている場所に門番を含めた複数の若者達で進行ルートを防ぐ為に木製のバリケードを道の左右に展開している。煉はというと、バリケードから洩れた牛を捕獲する為、バリケードの向こう側に待機している。
「来たぞー!」
野生化した牛は全部で五頭。バリケードは持っても三頭が限界。結果的にバリケードは破られる可能性はかなり高い。
「煉さーん!こりゃバリケード破られそうっすわ!」
「なるべく中央に固めるようにしてください。なるべく一撃で済ませれるようにしますので……。」
煉は身体を横にして足を広げ、両腕でファイティングポーズを取る。そこから深呼吸を何度か行い始める。牛は雄たけびを上げて走ってくる。凶器にならなかった角は鋭利に尖り、頭を振り回す度に凶器が振り回されている。統率はなく、各自それぞれが独自の動きを見せながらルート通りにバリケードへと突っ込んでいく。最初の一頭がバリケードに突撃される。木製のバリケードは悲鳴を上げながら牛の勢いを削いでいく。次いで牛が突撃するとバリケードに亀裂が走る。
「次喰らったらやばいっす!」
亀裂は更に広がり、バリケードを突破した牛たちが押し寄せて来た。目は血走り、視界に入った煉を見るや猛突進してくる。その際、牛達はバリケードを壊すと同時にルートの中央へと集まっている。
「瞬動……空打連撃!」
煉の周りに白い靄が現われた瞬間、両腕が見えない速さで空間に連撃を加えていく。先頭を走っていた牛の顔面がひしゃげる。後ろを走っていた牛の足が潰れつんのめる。最後尾を走る牛はつんのめった牛を飛び越し、煉に飛び掛かるがその動きも無駄骨で終わり、曝け出された牛の腹に拳の跡がめり込んでいく。牛が静かになったと同時に煉も動きを止めてふぅと息を洩らす。
「うおおお!!流石煉さん!!」
「牛五匹まとめてやっちまうだなんて流石っすね!!」
壊されたバリケードに隠れていた若者達は一部始終が終わると同時に煉の元へ駆けつけ称賛している。煉は称賛を浴びながら額の汗を拭い笑顔で応える。
「君たちが中央にまとめてくれたおかげだよ。」
「煉~!」
遠方よりサーシャの走る姿が見えると、煉も応えるように手を振る。門番を含める若者達もサーシャを一見すると黄色い声を出しながら手を振る。
「さて、この牛達を解体してぱあぁっとやりましょうや!!煉さん!」
「あぁ、そうしよう。後で残った分を戴けるとありがたいよ。」
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牛を解体し、盛大な焼き肉パーティーを終え、サーシャと煉は館への帰路を辿っていた。焼かれた肉を直ぐにぱくついていたサーシャはお腹をすりすりとなぞり満足そうに煉の前を歩いている。
「お嬢様……あそこまでがっつかなくてもお肉は逃げませんよ……。」
「いーじゃない、素早く食べれないと他の人に取られちゃうんだから。」
「はは、違いないですね。」
貴族とは言え、庶民と焼き肉の食べ比べをするなんてことを領主であるヴォルフに知れたらなんというだろうか。いや、寧ろそれが領主らしいと褒めるのではないか。貴族らしからぬ佇まいは民達からも愛され、信頼も厚くなる。次期領主としての成長は著しいと煉も心の中で呟く。
「帰ったら残りのポトフも食べようよ。」
「……お嬢様の胃袋は底が知れないですね。」
呆れる所もしばしばあるがそれはそれでよいのかもしれない。と、館前に着くと門の前に一人の老人が立っていた。風貌からして煉がよく知っている人物に他ならなかった。
「あれ、黒鵜さんじゃないですか。」
「お、煉。それに嬢ちゃん。」
杖をカツンと鳴らし、煉達に向き直る。老齢の身体でゲン・ガンからこのグレフィークまでどういった経路で来たかは置いといて、黒鵜は気楽に声を掛ける。
「あ、おじいちゃん。どうしたの?」
「うむ、ちぃとばかし煉に用があって来た訳じゃ。嬢ちゃんはそのまま館に入っておいてくれ、後で合流するからの。」
「うん、わかった。おじいちゃん後でね~。」
ポットフ~ポットフ~とステップを刻みながら館の入り口に入っていくサーシャを見届け、黒鵜は真剣な顔で煉を見やる。
「今朝方じゃ、緊急な討伐依頼がきよった。」
「討伐依頼ですか?また急ですね。」
「依頼主はこの事を既に察知していたようじゃが、それは置いておこう。どうやらバスティーユの監獄獣が脱獄して、このグレフィークに向かっているという情報じゃ。」
「監獄獣!?な、なんで……。」
「だからわしも知らなんだ。依頼主が伝えてくれなければ大惨事が起こっておるわ。港に着く前にお主の耳にも入れておかんと討伐なんてのはわしらだけでは無理じゃ。……せめて撃退できればいい話じゃが。」
「この事を港の皆には?」
「言っておらん。避難する時間もないし、港に着く前にやるしかないのじゃ。後は嬢ちゃんの件なんじゃが……。」
「お嬢様の件……?」
「今回ばかりは嬢ちゃんが勝手に飛び出してくるのは危険じゃ。あの性格上、煉が心配で見に来るかもしれんからの。戦っている最中に出て来たら守れる保証など到底ないからの。説得は煉、お前に任せたからの。わしはローパーと一緒に撃退する場所に待機しておる。終わったらお前も直ぐに駆け付けるのじゃ。」
それだけを告げると黒鵜の周りを土塊が包み込み、黒鵜の身体は地面へと消えて行ってしまった。
情報の整理をする煉。まず、煉獄バスティーユから監獄獣が脱獄。野生化した牛五頭よりも厄介なのは確かである。そして、この事を放置していればいずれグレフィークに監獄獣が襲来し、大惨事になるのは間違いないだろう。この事を黒鵜は港の皆には知らせていない。混乱させない為でもあろう、寧ろ黒鵜の判断は間違いではないだろう。そして、問題なのは黒鵜も気付いているサーシャの事であった。活発な彼女のことだ、真実を話せば間違いなく心配して顔を出しかねない。であれば煉の取るべき行動は明らかである。
煉は普段と変わらない表情をし、館内へと入る。温めなおしたポトフの匂いが充満し、厨房に入るとサーシャが皿にポトフをよそおっていた。
「あれ、おじいちゃんも一緒じゃなかったの?」
「ええ、黒鵜さんは別件がまだあるみたいだったからね。お嬢様に申し訳なく言ってましたよ。」
「う~ん、折角おじいちゃんの分も皿を準備したのに……ちぇ~。」
「申し訳ありません、お嬢様。それで、僕も黒鵜さんに頼まれて同行するようにと言われまして。また暫く館を空けてしまいますがよろしいでしょうか?」
「えぇ?またどこかに行っちゃうの?」
「急な用件でしたので断ることも出来なかったのですよ。では身支度をしますので。」
「あ、ポトフは?」
「大変申し訳ないのですが、先程の焼き肉で僕のお腹はいっぱいです……。」
口を尖らせるサーシャをよそに煉は厨房を後にし、館の入り口前へと戻る。時間は既に夕刻を過ぎ、夜の帳が訪れようとしている。視界が悪くなるのは間違いないだろう。
「……よしっ。」
気を引き締めて煉は入り口の門を強く開け、黒鵜達の下へと走っていく。その様を厨房の扉から見ていたサーシャは何か引っかかるような顔をしているが、冷めない内に食べなければと厨房へと戻っていった。
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エレボス地方、グレフィーク港から東に広がる森林。夢幻山脈の雪が溶け、その水分を吸収して育った森林は幻覚作用をもたらす水蒸気が朝に見られる。その森林に害する者が現われるまではその原型をとどめていた筈だった。上空から森林を確認すると、直線状に森林が減少しているのがわかる。それは今もなお拡大し、森林全てが消え去ってしまうのではと思える。急速に森が消えている原因は扇状に拡大している先にいた。
樹を折り、噛み砕く音が辺りに聴こえる。咀嚼した樹を瞬時に呑み込むとまた樹を噛み砕いていく。その食べるスピードは人が一日を熱帯雨林を焼くスピード以上のものである。
暴食のグルグ。その姿は巨大な狗を彷彿とさせ、突き出た巨大な顎は根本の切り株すら抉り取り、残らず食す。それでも、グルグの腹は満たされる事はなく、森林の樹全てを食いつくすのはほぼ間違いなさそうだ。食らった樹を呑み込み終わると次の樹を折り、噛み砕こうとした矢先である。
「おい。」
樹にガブリつきながら声がした方を目だけで確認する。視線の先にはバーテンダーの服を着た男が立っていた。
「それ以上森林伐採するなら、俺を食ってみたらどうだ?少しはスパイスが効くだろ?」
第三話を読んで下さりありがとうございます。作者のKANです。初めましての方は初めまして。
大体一ヶ月の更新になっているようで私ももう少し早めに更新していかねばと自嘲気味になっております。
さて、今回のお話ですが、ちょっとしたイチャイチャ成分が入っておりますがお気になさらずにお願いします。そこまでディープにしないつもりですのでご安心を。では、次回のお話は戦闘描写多めになりますので、お楽しみに。ではでは……。