噂と奇妙な事件の相違
「立ち話も何だ、移動しよう」
クローディオが言う。
「何故そんな事をせねばならない」
「どうせ、貴様等はこの後、揃って晩餐会に行くのだろう? 遅かれ早かれ集うんだ、今から固まっていても不都合はあるまい」
彼の顔には、『もっと金を寄越せ』という思いがわかりやすく書かれていた。隠す気のない下心に、ドミニクの額に再び青筋が浮かぶ。
「貴様は関係ないだろう!」
「それが残念な事に無関係ではない」
「無関係ではない?」
怒るドミニクと怪訝に思うアルバート達を連れ、クローディオは下の階のパブに移動する。彼の動きに合わせて、アイボリー(象牙色)の色をしたリボンで一つに結んだ、ラピスラズリの髪が揺れた。そのアイボリーのリボンは髪色に合わない、ベニーはぼんやりと思った。
階段を降りたクローディオは丸いテーブル席を確保すると、自前のトランプを取り出しトレーシーに渡す。
「良ければ最初のディーラーを頼む。ハーツでいいか?」
「ちょっと待て、ここでも賭けをする気か? しかも私達も参加するのか? 金はないぞ」
「ふむ。ではドミニクのみを対象に賭けよう」
「おい貴様ふざけるな」
「まぁまぁ。交流会という事で、ここは賭けなしに純粋に点数を競いましょう。また問題を起こせば、ドミニクさんもクローディオさんも出禁になるでしょうし、ね?」
「ちっ」
穏便に事を運ぼうとするアルバートの提案に、クローディオは舌打ちをする。しかし不服そうな態度をとりながらも、拒否しない所から一応承諾したようだ。
「おい貴様、俺が勝ったら賭け分を返せ」
だがその気遣いをドミニクは自ら貶した。どうやら彼は負けず嫌いらしい。
「このままでは済まさんぞ」
「嫌だ。一度得た物を差し出すとは愚の骨頂」
「三度目の正直だ。今回、俺が負けたら諦めて貴様の腕を認め、今までの賭け金の倍出してもいい」
「よしやろう」
「やりませんよ?」
賭け好き負けず嫌いの二人を落ち着かせると、アルバートは律儀に、黙々と札を切っていたトレーシーの裾を引っ張った。
「立ったままじゃないか、トレーシー。ディーラーは君なんだから、君が座らないと始まらないだろう」
「いえ、坊っちゃんと同じ席に着く訳には……」
「プライベートな場なんだ、気にしなくていい。ほら私の隣に座りなさい」
アルバートは強い口調で命じ、トレーシーを半ば無理矢理、空いていた隣の席に座らせた。そしてゲームを開始するよう促す。彼は落ち着きのない素振りのまま、クラブとダイヤの二を抜き、札を配り始めた。
全員にカードが渡り一段落した所で、アルバートは話を切り出す。
「それで、クローディオさんはどうしてここに? 【ニル】からは遠いでしょう。それに無関係ではない、とは一体……」
どうやらクローディオは【ニル】の出身らしい。【ニル】と言えば陸の孤島と呼ばれるぐらい、交通の便が悪い田舎町と聞いている。海辺の町、【ドゥオ】に着くには馬車を使っても半日以上かかるだろう。
「どっかの木偶が俺の噂を言いふらした所為で、また珍妙な依頼が来てな。その《鳥狂い卿》をどうにかして欲しいという、突拍子もない依頼だ」
「依頼? 事件の? クローディオは墓守じゃないのか? 何だ依頼って……。もしかして最近流行りの探偵を兼業しているのか?」
「俺は墓守だ。それ以外の仕事はお門違いにも関わらず、押し付けてくる奴がいるんだ。全く迷惑な……。それで、この依頼の中核、《鳥狂い卿》の被害者になる可能性が貴様等にもある以上、無関係な話ではないだろう」
「あの、マイナス点は百で宜しいでしょうか?」
「構わん」
クローディオの承諾を得たトレーシーは手札から三枚選び、左隣に座るドミニクに渡した。そして右隣に座るアルバートから三枚のカードを受け取る。
「どうもこの町【ドゥオ】の町人とうちの町長が知り合いらしくてな、ツテを使ってジジイ越しに依頼をしてきた。普段なら断っているが、オルニス区にはカジノがあると聞いてな、暫くご無沙汰だったから折角だからと承諾した。経費はジジイ持ちだしな」
くくくと、クローディオはデーモン(悪魔)のような嫌な笑みを浮かべた。その表情を散々見てきたらしいドミニクは舌打ちをする。その苛立ちから、彼はトレーシーから奪い取るようにカードを受け取ると、クローディオの前に違うカードを乱雑に置いた。
「その《鳥狂い卿》は噂ではなく、実際に被害が出ているのですか?」
「微妙な所だな。俺の依頼された《鳥狂い卿》は自ら招待状を出すのではなく、ゲストか主催に化けて来て、夜会に来た人間を一日どこかに連れ去るらしい。一日消える事以外は特に被害はないんだが、問題は帰ってきた連中の何人かが近日中に《自殺》をするんだそうだ」
「《自殺》!?」
「思いっきり被害出てないか……?」
「しかもただの自殺ではない。決まって《焼身自殺》をする」
「げぇっ!」
ベニーは思わず身震いをした。体を焼く痛みと熱さと息の出来ない苦しみの中で死ぬ、なんて想像もしたくない。やむを得ぬ事情で自殺したとしても、何故わざわざ辛い方法を選ぶのか。ベニーには到底理解が出来なかった。
「被害者が卿の話をした訳ではない。よって自殺の原因が卿とは限らん。それに《鳥狂い卿》のワードが絡む割に、この事件は卿の溺愛するという“鳥”が全く絡まん。関連性がない。なのに犯人は噂の中で語られる《鳥狂い卿》という事になっている。妙な事件だ」
クローディオはクラブの三をテーブルの中央に出す。
ベニーはクラブのKを出しながら、彼に「ちょっと待て。噂が先なのか?」と訊いた。
「噂の方が少し先、か? 何とも言えんな。ただ、古くからの伝承ではない。《鳥狂い卿》の噂が囁かれ、呼応するように事件が起こった。七年前の事件が最初とされている。以来、年を重ねる毎に犯行の頻度が増えていっている。最初は半年に一度出るか出ないかだったのが、今では社交期は勿論、時期外れの夜会にも高頻度で現れるらしい」
「しかし化けて出る、と言う事は入れ替わっているっていう事ですよね? 流石に誰か気付くのでは……」
「それが用意周到な奴でな、上手く成り済ますんだそうだ。馴染みの人間でも直ぐには気付かない程にな。例えどこか可笑しくとも、一晩誤魔化せれば充分だ」
「たった一晩ですか?」
「あぁ。卿は夜会の情報を仕入れ、入れ替わる対象を眠らせるか、拘束するかして会場に来ている。そして一晩の内にゲスト達を連れ去り、入れ替わった人間もいることから、《鳥狂い卿》が現れたと気付く訳だ」
聞きながら、アルバートはクラブの六を出す。
「それで俺が呼ばれた最大の要因は、ゲスト達の消え方だ。連中は密室に居ようが関係なく、揃って忽然と姿を消し、そして元の場所にいつの間にか戻っている。卿を除いてな」
そして体を強ばらせた。それと似た事件を、アルバートは知っている。
「クローディオさん、それって……」
「十中八九《魔法》絡みだろう」
彼は碧い目を見開く。《魔法》、その名称に偽りはなく、何でも叶える事の出来る能力。しかしそれは必ず解け、解けた瞬間から叶えた事柄は虚像となる。いや、元々何も得ていないのだから、目が覚めたような状況に陥る。
時間だけを除いて。
「魔法? いきなり童話の話になったな。それとも何かの隠喩か?」
ミステリーからファンタジーに、話が切り替わった事を不思議に思ったベニーが問う。
「魔法とは何でも出来る無意味な能力だ」
「は?」
「好きな夢を見れる力、というのが近いな。当然、目が覚めれば全て元に戻る。他人を巻き込む事も可能だが、巻き込まれた人間は魔法がかかった間の時間は止まる」
「すまん、意味がわからない」
「ベニー、気にしなくていい。君には関係ない話だからね」
「今の所はな」
「クローディオさん、不穏な事を言わないでください」
「しかし魔法という存在を認識し、かつ自在に扱える奴などそういない。手練れだな」
目の前にその手練れ、クローディオがいるのだが。アルバートは心の中で突っ込んだ。その彼の隣で、トレーシーはじっくり悩んだ後、そっとクラブの五を出す。
「なら変装も魔法なんでしょうか」
「《結界》の外だと質量までは変えられない。背格好を変えるのは無理だな。つまり普通の変装と大差ない」
「結界?」
「魔法を使う為の空間みたいなものだ。結界の外で使える魔法はたかが知れている」
よくわからない。ベニーは首を傾げた。
「何より、姿は誤魔化せても中身はどうにもならん。それで通用しているのだから慎重で狡猾、かつ器用な人間だろうな。それを裏付けるように化けるのは必ず【ドゥオ】の町人で、【ドゥオ】の中で開催した宴にしか来ない。《鳥狂い卿》は町の事を熟知した人間で、今も何処かで町に潜んでいるに違いない。というのが一般的な見解だ」
「それは町人同士で疑心暗鬼になりそうですね……」
「そうだ。昔馴染みを夜会に招いたら、来たのは《鳥狂い卿》で自殺に追い込まれた、という事になりかねない。町の中で不信が募る。それでどうにかして欲しいと、俺を今回、特に被害の多いオルニス区に来させた訳だ」
聞く限り現実味のない話をする彼等に、ドミニクは冷ややかな視線を投げ掛けながらクラブの七を出した。一周した所で最も数が大きいカードを出したベニーが札山を獲得する。
「そんな大事件に関わるなんて……。具体的にどうやって解決する気なんですか?」
「どうもせん」
「は?」
「【ドゥオ】は勿論、《鳥狂い卿》は近辺の町では中々著名な事件だ。これに対して何の解決策を見出だせなかった、と風評被害を受けるのが今回の目的だ」
「はぁあああ!?」
想定の範囲を遥かに越えた返答に、ベニーは思わずヘーゼルの目を見開き声をあげた。ドミニクもまた、常識を越した発言に眉を潜める。
「風評被害を自ら受けに行く、だと? そんな探偵聞いたことがないぞ。前代未聞だな」
「探偵ではない、墓守だ」
クローディオが付けているモノクルの金縁が、白熱灯の光を反射する。
「この間の事件のお陰で、更に要らん話が来るようになったからな。根本を絶とうと思っただけだ。俺にそんな力はないと証明し、ついでにカジノで荒稼ぎ。くくっ、美味しい話だろう?」
手持ちのカードを眺め、クローディオはにやにやと嫌な笑みを浮かべる。
「そもそも問題の《自殺》を魔法でさせるなど不可能だ。他の手を使っているのだろう」
「はっきり言うな」
「魔法は理性にも本能にもあっさり負ける微弱なものだ。特に死を強制するなど、本能が足掻かない訳がない。しかも《結界》の外、現実でだ。昼間に肉眼で星など見えんだろう? 現実は太陽光のように圧倒的だ。星の光という名の魔法など、微々たるものに過ぎない。無理だ無理、自力で解ける。暗示か催眠、薬でも使っているのだろう。そっちを調べた方が早い。そして俺にはそんな調査能力はない」
そんなものなのか、とベニーは考えながらスペードの五を出した。
「頻度の多い事件なんだ、いい加減ホシを特定出来るだろう。俺が出る幕はない。いくら化けても、事件時は常にアリバイがない人間が必ず現れる。その捜査を潜り抜け、犯行に及んでいる奴が《鳥狂い卿》だとすれば、人間として手練れ過ぎる。バレていながら、黙認させる力がある人間の可能性もある。どうにも出来ん。俺に出来ることはない。断じてない」
執拗なまでに拒否する様子から、クローは捜査には非協力的という事がありありと伝わる。以前会った時から何も変わっていない彼の様子に、アルバートは苦笑しながらスペードのJを出した。続いてトレーシーはスペードの二を出す。
「さっきから聞いてみれば、訳のわからん話を……。こんな頭の可笑しい詐欺師を頼るとは、世も末だな」
ドミニクはスペードのKを出した。
「そう思われる為に来たんだ、何とでも言え。俺はただカードを出す」
「ぬおっ!?」
スペードのQを出され、ドミニクは声を荒げた。
ボーン。ボーン。ボーン。
パブの壁際に置かれた、振り子時計の鐘が八時を報せる。
「チッ、もうこんな時間か。勝負はお預けだな」
「貴様、途中で逃げる気か。まだ始まったばかりだろう」
「早々にマイナス点付いた奴がよく言う。続けたいのは山々だが、連れをホテルに待たせていてな、今日はここまでにしておいてやる。よかったなぁ、また負けなくて」
まるで劇中に登場する、悪役の去り際のような台詞を吐いて、クローディオは席を立つ。
人の神経を逆撫でする態度にドミニクが口を開こうとしたその時、パブの扉が大きな音を立てて開いた。
一瞬、店内が水を打ったように静まり返る。