晩餐会と不穏な噂
招待客のご案内。
クローディオ・クォーツ 墓守
アルバート・チェンバレン 貴族
┗トレーシー・スクワイア ┗従者
ベネディクト・ジェンキンス 芸術家
ドミニク・ヘイワード 社長
レオナルド・プランタジネット 貴族
┗ケイ・マッキントッシュ ┗従者
ブラック・ゴードン 牧師
シム・オレアリー 音楽家
以上の九名。
時は十九世紀末、ヨーロッパのとある海辺に面する町、【ドゥオ】。その中で、海に面したオルニス区に建てられた小さなパブの中では、今日も仕事終わりの客で繁盛していた。
「はああぁぁぁ」
酒と煙草の臭いを撒き散らし、笑い声を上げるテーブル席の客。陽気に酔う彼等とは反対に、カウンター席に突っ伏している金髪碧眼の若い男は、地獄の深淵よりも深いため息を吐いていた。彼の片手には何杯目かのエール(ビール)が握られている。
身なりも薄汚れたシャツやコートを着たテーブル席の人間とは違い、張りのきいたフロックコートや、体にぴっちりと張り付くタイトなズボンを着こなし、汚れ一つない革の靴を履いていたりと、素人目から見ても裕福な人間とわかる。
「いい加減元気だしたらどうだ、アル」
その隣に座る、茶髪の若い男が慰める。姿勢は良く仕草は上品だが、少しシワのあるスーツを着た所は周囲の労働者階級の人間と近い所を覚える。
「ベニー……」
ベニーことベネディクト・ジェンキンス。茶髪の男の名前である。
そしてアルと呼ばれた金髪碧眼の男はアルバート・チェンバレン。侯爵家の次男坊だ。
「これが呑まずにいられるかぁああ!! バーテンダー! 追加を頼む!!」
「落ち着けアル! 意外と元気だな?!」
アルバートは叩き割る勢いでジョッキをカウンターに置き、バーテンダーに追加のエールを催促する。細身で人畜無害そうな容貌からは想像できない横暴さである。グラスを拭いていたバーテンダーばビクリと肩を震わせながらも、彼の前に新しいジョッキを用意をした。
「ううう。本当なら今頃海の見える教会で式をして引っ越して犬を飼って、そして子供は三人……」
「具体的な未来設計だな……。ま、今回の事は星の巡りが悪かったんだよ。チンケな子爵子息と違ってお前は侯爵子息。しかも次期伯爵様なんだから、相手なんて幾らでも居るだろう」
「簡単に切り替えられたら苦労しない……。暫くは哀愁に浸っていたい……」
胸ポケットに入れていたアッシュペンダントを手にして、アルバートは碧い目を細める。中には大切な人の遺髪が収められている。
かつて左手に嵌めていた宝石の指輪はもう持ち歩いておらず、代わりに右手の人差し指に太陽の家紋と自身のイニシャルが刻まれた、シールリングを着けていた。
「それでそれで侯爵子息様っ」
「……何だ大声を上げて」
「絵、買う気ないか?」
「……まだ画家を目指していたのか。とっくに諦めたんだと……」
「そんな訳ないだろうっ! で、一つ五フランス・フランぽっきり。どうだ、安いだろう!」
ベニーはヘーゼルの色をした目を輝かせて宣言した。確かに金額は安い (※一フランス・フラン約二十円) 。安いのだがーー
「はぁ!? フランなんて持ってる訳ないだろう! そもそも、ここら辺じゃ使えない通貨で何で売ろうとするんだ!?」
彼等にとって“フラン”という通貨は国内で使うことはなく、一般人が持っていた所で珍しい通貨として鑑賞する程度しか使い道がない。
「う、うるさいっ! パリに行く費用の貯金したいんだよ! 悪いかっ! お前の兄さん国際派なんだからフランの一つや二つ持ってるだろ!?」
「あぁ、兄を見越して言ったのか……。残念だが私はフランなど持っていない。それで、肝心の兄は『チャオ☆』という書き置きを残してまた出掛けたよ」
「チャオって、イタリア行ったのか? ……お前の兄さん全然家に居ない気がするんだけど」
「兄は放浪するのが好きなんだ。もう身も固めたんだし家に居て欲しいんだけどね。私と違って……」
「アル、だからって《錬金術》に没頭するのもどうかと思うぞ」
ぎくりと、アルバートの肩が不自然に強張る。
「お前の父親から手紙が来たぞ? アルが最近工房に引きこもってるから、外に出して欲しいって」
「しゅ、趣味ぐらい好きにしてもいいだろう!?」
「……アル、【青髭】って知ってるな? ペロー版でもグリム版でもいいから」
「あ、あぁ。知ってるが……」
「【青髭】のモデルは《ジル・ド・レエ》っていうのも?」
「百年戦争の英雄だろう? 一応一説として彼がモデルというのも知ってるが、あまり詳しくは知らないな」
「武勇伝とか幼児殺しはさて置き、《ジル・ド・レエ》はフランス随一の財産を持ってたけど湯水の様に使ってな。借金返済の為に元々嵌ってた錬金術に没頭してな。金を作ろうと躍起になったり、錬金術師集めて石を黄金に変える術の研究に没頭したりして、それに目を付けた詐欺師に付け入れられたりして、黒魔術するよう促されて更に金を使ってそんでもって」
「やめてくれそれ以上聞きたくないぃぃ!」
アルバートは両耳を塞ぎ拒絶した。普段ならお伽噺と一蹴する所だが、今だけは他人事に思えなかった。
「でも《ジル・ド・レエ》は幼児殺しで妻殺しじゃない。残虐性とか教会の破門にあった事は重なるけど、妻殺しの【青髭】とは何か違う気がするんだよな」
「そうだな……。取り敢えず今その事は考えたくない……」
「それじゃ話変えるが、いつ“来る”んだろうな。もうすぐ八時だぞ」
「まだ来る感じがしないな。それじゃ今の内にご不浄に行ってくる」
すっくと立ち上がったアルバートは、ステッキを片手に優雅な足取りでカウンターから離れる。その姿だけを見れば教養が染み付いた貴族そのものである。周囲で下品な笑い声を飛ばす労働者階級が来るような、陳腐なパブの中にいるとは思えない。
アルバートが去った所で、彼の背後で待機をしていた長身の男がベニーに話しかける。
「ベネディクト様。この度は“お誘いに乗ってくださり”、ありがとうございます」
黒いテールコート(燕尾服)を着た栗色の髪を持つ彼の名は、トレーシーといった。ベニー逹より一回り年上の、三十を越えたアルバートの従者である。
「チェンバレン家の使用人は家族みたいに過保護だよなぁ。仲がよくて羨ましいよ」
「これは旦那様のお考えです。ここのところ沈んでおりましたから、よい気分転換になる事でしょう」
晩餐会の招待状は本来、アルバートに届いていた物だった。しかし部屋に籠ってばかりのアルバートが貰っても、招待を受けるとは到底思えない。そこでアルバートの父親、トレーシーから見て旦那様が一計を案じた。
招待状はアルバートと彼の兄が招待されていたが、兄が行けない事にして、代わりにベニーを招待して貰えないかと主催者に交渉したのである。主催者は承諾してくれた。そうして、ベニーとアルバートが受けた招待に、共に行く形で外出させたのである。
流石のアルバートも“一緒に行こう”という友人の誘いは断らず、素直に晩餐会へ赴いた。
「充分元気そうだったけど?」
「空元気ですよ、あれは」
トレーシーは静かに微笑む。常日頃から側にいる彼からすれば、アルバートの虚勢など簡単に見抜けるのだろう。
「詐欺だぁっ!」
突然、パブの騒々しさを掻き消すような怒号が、上の階から響き渡る。確か二階はカジノとなっていた筈だ。
「何だ? ちょっと見てくるよ」
「しかしベネディクト様……」
「直ぐに戻る。お前はアルを待っていてくれ」
野次馬根性と好奇心が捨てられないベニーは、トレーシーを下の階に待機させたまま上の階へと上がった。カジノといっても本格的なカジノではなく、緑のギャンブルテーブルが幾つかあって、数人のディーラーがチップを用意し待機しているだけである。大半の客は普通のテーブル席で勝手に賭けをし合っていた。つまり場所を借りているだけだ。
ベニーは階段を登って直ぐ、部屋の中央辺りで一人の男の上に跨がり、胸ぐらを掴んでいる男が目に入った。他の客は驚いて離れる者も居れば、喧嘩を煽るように野次を飛ばしたりしている者もいる。
「白状しろこのイカサマ野郎!」
三十半ばに見える男が叫ぶ。彼は口髭を蓄え、輪郭が角ばった顔をしている。黙っていればダンディという言葉が似合う、渋めの印象を持つ男性に見えるだろう。
しかし今は歯を剥き出しにし、獣のような形相で怒り狂っていた。まるで猿である。
「詐欺? そんな訳ないだろう。屁理屈を抜かすな」
その男に胸ぐらを掴まれ、なおかつ跨がられている若い男は、その状況に反して冷静だった。彼が身に纏うローブに付いたフードを被っているのもあり、遠目からでは表情は見えないが、恐らく涼しい顔をしているだろう。男の額に青筋が浮かぶ。
「何ならもう一度やってみるか? 手札は貴様が切るといい」
「貴様……!」
「お客様、店内で乱暴は……っ」
いよいよ殴り合いの乱闘が始まるかと思われたその時、「あっ」と間の抜けた声がベニーの後ろから発せられた。それは彼の親友、アルバートの声だ。振り返ってみれば、トレーシーも隣に立っている。どうやらベニーの後を追って来たらしい。
しかしアルバートは追ってきた相手、ベニーを素通りし、のし掛かられている若い男に駆け寄った。
「クローディオさんっ!」
「アルバート? 貴様なぜここにいる」
そのやり取りから知り合いとわかる。クローディオと呼ばれた若い男は、首だけ動かして此方を向いた。それによってフードが外れ、顔が天井の白熱灯に晒される。
ヴァイオレットの目に、夜に似たラピスラズリの髪を持つ、精悍な顔立ちの男。飾り気のない風貌だが、唯一のおしゃれなのか右目には金縁のモノクルを付けている。
「えっと、私達は今日、晩餐会に招待されまして。ここで待ち合わせをしているんです」
「ほぅ。侯爵家ご子息様がドレスコードの必要もない、陳腐なカジノで待ち合わせ、か。不自然極まりないな」
「そう言われましても、使いをここに寄越すという案内でしたので……。それよりも何故こんな状況になっているんですか?」
アルバートは状況の改善をするのではなく、呑気に状況の経過を訊いている。自分を無視して話をする二人に向かって、男が今にも怒るのではないかとベニーは肝を冷やした。
しかし男は意外にも毒気が抜けた表情になり、ーーいや何かが気になるような様子で、若い男、クローディオを解放し姿勢を整えた。
「貴様はこの詐欺師の知り合いか?」
「詐欺師ではない。貴様が弱いだけだ」
「黙れイカサマ男。それで、晩餐会の招待客と言ったか。それはプランタジネット伯爵家の晩餐会か?」
「えっ? はい、そうですが……。失礼、挨拶が遅れましたね。私はアルバート・チェンバレンです。彼は従者のトレーシー」
紹介されたトレーシーは、きっちりと頭を下げ短く挨拶をした。
「貴方のお名前は?」
「鏡製造業スペクルム社社長、ドミニク・ヘイワード。……俺も招待客だ」
「スペクルム!」
男の名を聞いたアルバートは突然、声を上げた。そしてステッキをトレーシーに持たせ、男ことドミニクの手を握る。
「いやぁ、我が家でも使わせて頂いています。素晴らしい鏡をお作りになる。お会いできて光栄です、社長」
「そうですかそうですか。今後ともご贔屓に」
アルバートと握手を交わしたドミニクは、人のよさそうな営業スマイルを浮かべた。そこに先程見た粗野さは全く感じられない。
今まで怒った顔にばかり目がいっていたが、そういえば光沢のある高そうなスーツを着ている。並んだだけならアルバートの格好と遜色ない。しかし丁寧とは言えない口調から鑑みるに、生粋の貴族であるアルバートと違い、成り上がりの金持ちといった所だろう。
「ほぅ。羽振りがいい訳だな」
ドミニクの素性を知ったクローの猛禽類に似た目が、彼を見詰める。どう見ても獲物に照準を定めた狩人の目である。
「私はそこにいるベニー……。ベネディクト・ジェンキンスと一緒に来たんです。彼がプランタジネット伯爵家の招待状を頂いて、わざわざ私の分の招待状も用意してくれたんです」
アルバートに手招きをされ、野次馬に混ざって遠巻きに見ていたベニーはハッと我に返る。注目の的となっている彼等の中に入るのは戸惑いを覚えたが、このまま棒立ちになっていても仕方がない。ベニーはなるべく周囲の視線を無視して歩み寄り、頭を下げた。
「どうも初めまして、私は下級貴族のベネディクト・ジェンキンス。アルとは寄宿学校から付き合いのある友人だ。今はアトリエを借りて、日夜絵を描いている。以後お見知りおきを」
「……クローディオ・クォーツ。墓守だ」
「墓守?」
つまり、クローディオは画家(志望)のベニーと同じ労働者階級ということになる。しかし貴族の出のベニーとは違い、言葉使いや仕草からクローディオは下町出身と思われる。なのに少し変わり者だが侯爵子息、貴族の中の貴族のアルバートと知り合い、しかも何処となく敬われているなど普通はない。
見た目は目付きが少々怖い、普通の男にしか見えないがーー。
「貴族ならば、下級だろうと爵位があるには変わらないだろう」
クローディオが腕を組んで言った。
「いやないんですよこれが。アルの家は複数の土地と爵位を持っている名家なんで次男でも継げますが、それがない私の家は長男だけ。三男の私はおこぼれも貰えず、庶民と同じ身分なんですよ」
「そんな事ないぞベニー。そうでなければ伯爵から立派な招待状を貰う訳ないだろう?」
「ほぅ。貴様等、その招待状に妙な噂があるのを知っているか?」
「妙な噂?」
クローディオの言う噂を知らないアルバートは首を傾げた。するとドミニクが口を開き、その疑問に答える。
「この町【ドゥオ】のオルニス区では、普通の招待状に混じって《鳥狂い卿》の招待状が来る、という噂だ。その《鳥狂い卿》は名の通り鳥を溺愛し、飼うだけに留まらす人工的に産み出す研究をしている、マッドサイエンティストと囁かれている。その為に招待した人間を使って人体実験をしているだとか、ヴァンパイア宜しく血を集めているとかな」
「鳥を作りたくて人体実験を? どういう事ですか?」
「噂の時点で可笑しいだろう? ふん、どうせ低俗な町人が妬みから言っているに決まっている」
ドミニクは腕を組みふんぞり返った。ポマードで固めた黒檀の髪が、スーツと同じく光沢を放つ。
「立ち話も何だ、移動しよう」