第5話
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カウントダウンが再開された。
僕は未だ腕に抱く、動かなくなった奏を側に横たえる。
大事に、大事に、ガラス細工を扱うように、傷一つつけないように、
丁寧によこたえる。
「奏・・・」
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START
視界いっぱいに広がったSTARTの文字が消え、真っ黒な男、ミラージュが見える。
腰を低く落とし、左手を前に突き出し、ロングソードを右手で隠すように構えている。
「おやおや、裕也君。
さっきまでは怖い顔で睨んでいたのに、急に悟ったような顔をしてどうしたんですか?
これでは全然面白く無いではないですか」
まるで挑発するかのように、不気味な笑みを顔に貼り付けてミラージュが喋りかける。
「お前だけは、許さない」
「いいですねー!いいですよー!そうこなくては!
そこでお亡くなりになっている彼女、西園奏さんでしたっけ?
裕也君、君にとっては余程大事な方だったようですねぇ?
どうですか、大事な人を殺された気分は!
悲しいでしょう!憎いでしょう!
そう、殺したい程に憎悪の嵐が渦巻いていることでしょう!!!
私はですね、燃えたぎるような復讐心とともに立ち向かってくる復讐者を、この刃で切り刻むのが何よりも大好きなんです!
あぁ、裕也君、君には理解できますか?
私だけを見つめてやってくる復讐者、思いの全てを私に向ける復讐者!
私はその復讐劇における主人公になれるのです!!!
何という至福の時間!!
そう、たった今!世界は私を中心に回っているのです!!!」
恍惚とした表情で、僕を見つめるミラージュ。
抑えきれない興奮を隠そうとせず、手に持つロングソードが小刻みに揺れている。
「さぁ!ショータイムです!
貴方の復讐心を、私にぶつけるのです!!!
私はそれを、最大限の力をもって切り刻んで差し上げましょう!!!」
ミラージュは一際大きな声をあげると、一転して小さくこう呟いた。
「PKGテン、起動」
ミラージュの手が、顔が、足が、身体全体が、まるで小さく揺れているように輪郭がぼやけてゆく。
それは次第に大きなゆらぎとなり、いつの間にかミラージュの後ろに広がる真っ赤な背景が透けて見えるほどに存在感が希薄になる。
そして次第にゆらぎは収束してゆき、そこには3人のミラージュが立っていた。
「どうです!
これが柊博士の開発したPKGテンの能力です!
とても美しいとは思いませんか!!?
切り刻まれる復讐者達の恐怖に歪んだ顔が、一太刀浴びせる毎に砕けていく復讐心が、
私は3度も見ることができるのです!
さぁ!
絶望してください!
貴方の奏でる悲鳴を、私に聞かせてください!!!」
狂った笑みを貼り付けた表情のまま、3人のミラージュが僕を断ち切らんと迫ってくる。
右手に持ったロングソードが煌めく。
三本のロングソードが、僕の首めがけて迫ってくる。
突進のスピードと身体のひねりを加えたその斬撃は、優に音速を超えるだろう。
目にも止まらぬスピードで迫ってくる3筋の銀線を、僕は歩いてかわす。
「なっ!?
き、貴様!!いったい何をした!!!」
僕を通り過ぎた遥か後方で、ミラージュがこちらを振り返りながら驚愕の表情で声を荒げる。
「何をした、だって?
僕は何もしてないよ。
ただ歩いて、避けただけだ」
「どいうことだ!
PKGテン発動状態における視覚封鎖と死角発現を避けるなど、通常の反応速度では・・・」
「そう、正解。
通常の反応速度じゃないんだ。
一般的なIPCのクロック周波数って知ってる?
お前の頭に入っているものも含めてだよ」
僕は、ミラージュの脳内にインプラントされているIPCの形態がわかるかのように話を続ける。
「まぁ知らないよね。
この辺は親父と母さんの開発情報でもブラックボックス扱いだったみたいだし。
この国に流通しているIPCのクロック周波数は、50Ghzで設定されているんだ」
「それがどうしたというのだ!!!」
ミラージュは突撃時の構えを解き、反撃に備え身体の正面で両手に持ったロングソードを構える。
対する僕は、制服のズボンのポケットに手を入れたまま話を続ける。
「それがお前の敗因だよ。
僕のIPCはオーバークロックしてある。
今のクロック周波数は、50Thz。
わかるかな?お前の思考速度と、僕の思考速度の違い。
1000倍だ。
お前がどんなに素早く動こうとも、僕には止まって見えるんだよ」
「いくら目が良かろうと・・・ッ!」
話している僕の隙を窺っていたミラージュは、一瞬の隙を狙って左側へと走り抜けた。
否、走り抜けようとした。
「カハッ・・・!」
そしてそれは、僕の右手で喉を掴まれるという最悪の形で失敗した。
「言ったよね。
僕には止まって見えるって」
「な・・・ぜ・・・・・
そんなんも・・・早く・・・動け・・・・」
「お前とは脳の作りが違うんだよ」
親父は確か、脳が100%活性化した副次効果として身体能力が上昇するとか言ってたな。
ゼロから譲り受けた鍵を使って開いた記憶領域を片っ端からロードしていくうちに、GWモードでは実際にリアルで発揮しうる筋力値が適用されると記載されていた。
右手に喉を捕まれ、その衝撃でロングソードを手放していたミラージュは、拘束を解こうと両手で僕の右腕を殴りつける。
「いい加減無駄だって気づかないかな?
お前は、奏を傷つけた。
そんなお前にとっておきのプレゼントだ
PKGゼロ、起動」
世界が止まる。
先ほどまで僕の右手の拘束を解こうと必死でもがいていたミラージュの抵抗も、時間の停滞とともに全く動かなくなった。
「ゼロ、頼みが有る」
「はい、マスター」
「こいつのIPCをハッキングして、視覚情報を僕の視覚で上書きしてくれ。
アドレスは「0A:5D:D3:A1:DF:56:FF」
パスワードは1024bitを使っているから、突破には僕のリソースを使ってかまわない」
「かしこまりました、マスター」
---対象 ミラージュ アクセスルート確保・・・クリア。
---対象 ミラージュ パスワード解析開始・・・クリア。
---対象 ミラージュ Root権限奪取・・・クリア。
ゼロの凛とした声が、脳内に響き渡る。
宣言通り僕の思考能力をリソースとして使用しているためか、後頭部に鈍い痛みが広がる。
---対象 ミラージュ 視覚情報の構成を確認・・・クリア。
---対象 ミラージュ 視覚情報をマスターとリンク・・・クリア。
---対象 ミラージュ 視覚情報のリアルタイムリンクスタート・・・クリア。
「マスター、完了しました」
ゼロの完了を告げる言葉とともに、後頭部の痛みが引いていく。
「ありがとう。
さて、奏の痛みを、こいつにも味合わせてやろう。
ゼロ、クロック周波数をもとに戻してくれ」
世界が動き出し、次第にミラージュのくぐもった声が聞こえてくる。
「クッ・・・こんな・・・
なっ!?・・・・これはどういう・・・」
「わかるかな?
僕の視覚情報を、お前に上書きしているんだよ。
正直、僕にはお前のように切り刻むとか、絶望のナントカみたいなものには全く興味は無い。
でも、今まで加害者であるお前が、同じことをされて死ぬお前自身を見せられたらどうなるか、
そこは興味をそそられる」
「や・・・やめ・・・」
「目を閉じても無駄だよ。
僕の目が開いている限り、この視覚情報は途切れることは無い。
さあ、仕上げといこうか。
ゼロ、PKGテンを食え」
「はい、マスター」
ミラージュの背後に現れたゼロは、その白磁の様に白い両手でミラージュの頭を包み込む。
---対象 ミラージュ 全PKG構成情報を確認・・・クリア。
---対象 ミラージュ PKGテンをデコーディング・・・クリア。
---対象 ミラージュ 生命維持PKGの自動起動を確認・・・破棄。
---対象 ミラージュ PKGテンをマスターの記憶領域に移植・・・クリア。
---対象 ミラージュ 対象の生命維持困難によるアラートを確認・・・破棄。
「マスター、PKGテンの移植が完了しました。
PKGテンのデコードと共に生命維持PKGのブロックが入ったため破棄。
対象の生命活動が停止しましたがよろしいでしょうか」
大きな黄金色の瞳をこちらに向け、表情の無いまま立ち尽くすゼロ。
僕の目には、まるで真っ白な死神のように写った。
あとには、動かなくなったミラージュが残されていた。
「へぇー、それがイレギュラーナンバー”ゼロ”の能力かー」
「ッ!!!」
僕はIPCのクロック周波数を一気に跳ね上げ、対象を確認する。
そこには、真っ赤なGWモードに居ること自体が異常とも言える程の幼い少女が立っていた。
幼い少女は、全身フリルまみれのピンクのロリータファッションに見を包み、こちらを値踏みするように見つめている。
「うんしょっと!奏ちゃんおもーい!!
なんなのもー!
ミラージュの尻拭いでお使いなんてさせられるし?
おまけにアクセスまでついてくるし!
フィールドちゃんご立腹ー!」
フィールドと名乗る少女は、その小さな身体のどこにそんな膂力が有るのか、奏でを肩に背負う。
「奏でにさわるなああああああ!!!!!!!」
加速した思考で正確に筋力配分を調整し、脳から筋力増強に最も最適なアドレナリンをはじめとした脳内麻薬を分泌する。
音速をも突破する勢いで、フィールドと名乗る少女のもとへ駆け寄るが、
ガンッ!!!!
「グアッ・・・!!」
透明な壁のような物に行く手を遮られた。
「あっははー、むだむだー!
私の世界には誰も入れないよーだ!」
「フィールド、時間がない。
早く機関に届けるぞ」
何も無い空間から、突如大男が出現した。
決して見落とした訳ではない。
ミラージュのように影から出てきた訳でもなく、白のレザーコートに身を包んだ大男が最初からそこに居たかのように出現したのだ。
「わかったよーだ!
アクセスのばーかばーか!
身体ばっかり大きくて心はちっちゃいんだから・・・
まぁいいわ。
貴方、柊裕也よね?
何よ驚いた顔して。
イレギュラーナンバー”ゼロ”を司ってるんだから、誰にでもわかるわよ。
貴方のその力、機関から処理命令が出てるのよねー。
ま、そのうちサクッと処理してあげるから、楽しみにしておいてねー!」
そう一方的に告げると、フィールドと名乗る少女は奏を肩に背負ったまま、
アクセスと呼ばれた大男と共々姿を消した。
「奏・・・・
奏ー!!!!!!」