第3話
突如、透き通った少女の声が頭の中に響いてくる。
『PKG”ゼロ”起動します』
全ての視界が、まばゆい光に埋め尽くされた。
光が収まり、辺りは暗い空間であることが確認できる。
だんだんと暗がりに目が慣れてきて、周囲の様子がはっきりとしてきた。
どうやら、部屋のようである。
部屋の壁一面に本棚が設置され、びっしりと本が置かれていた。
月明かりほどの明りしか無いため本のタイトルまでは確認できないが、M5の格闘における仮想空間でもなければ現実世界でもないことだけははっきりとしている。
「・・・次はなんだ?
死後の世界にでも来たか?」
つい数分間の出来事にもかかわらず、その数分間で今までに経験したこともないような異常が立て続けにおこっている。
めまぐるしい状況の変化に嫌気がさす。
混沌とした本の部屋から抜け出す手段を考えつつ辺りを見渡すと、背後から声をかけられた。
「よぉ裕也。
でっかくなったなー」
ある程度年齢を重ねた、中年男性の声。
重厚な響きを持つ低音の声にもかかわらず、その口調は驚くほど軽い。
あまりにも突然の出来事に驚き、慌てて後ろを振り向く。
そこには、白衣を着用した男性と女性がソファーに座っていた。
「裕也ちゃん、いえーい!
お母さんだよー!いえーい!」
隣に座る30代と思われる女性が、端正な顔の横に両手でピースをしていた。
なんという残念美人だ。
「っていうか、母さん!?」
「そうですよー
いえーい!いえーい!」
「おいおい裕也、こっちは無視か?」
「もしかして・・・親父か?」
「ピンポーン!
正解!おめでとう!
賞品として、お前に力を授けよう!」
重厚な声の響きで軽い言葉を発するのをやめてほしい。
これが俺の親父か・・・。
なんか、なんか・・・!
「おいおい、そんな微妙な顔すんなよ。
感動の対面だぜ?泣いていいんだぜ?っていうか泣け?」
「すみません、人違いです。
僕は田中太郎です。はじめまして」
とりあえず逃げよう。
こういう軽い大人と関わるとロクな事にならないって、じっちゃんが言っていた。
じっちゃんと話したことないけど。
「まっ、時間も無いから本題に移るか。
裕也、今この映像を見ているということは、恐らく俺たちはもうこの世に居ないだろう。
おー、このセリフ言ってみたかったんだよ俺!!めっちゃテンション上がる!!!」
うざい。何よりうざい。
あ、母さんから殴られてる。
「母さん、そんな殴らなくてもいいじゃんか・・・
わーった、わーった。
でだな、なんだっけ。
そうそう、多分俺ら死んでっから!そこんとこよろしく!
で、なんでこうやって会話が成り立っているかというと、裕也の脳をな、ちょちょっとイジったんだわ。
俺が脳科学者で、母さんが認知学者。
まぁ二人で本気になれば、擬似人格をお前の脳に入れておくってことくらいできちゃうわけよ。
でさ、裕也多分記憶力悪いだろ?
「お、良いリアクションだねー。
なんで知ってるかって?
実はな、俺と母さんの擬似人格を、裕也の記憶領域にインスコしたんだわ。
それで、一般人における記憶容量の2/3くらい使っちゃってるから、物覚えが悪いってわけ。
メンゴメンゴ!
「おいおい、そんな怖い顔すんなよ。
でな、なんでそんなことしたかって言うと、ぶっちゃけ裕也は頭良すぎるんだよ。
頭良いっていうのは、IQとかそんなチンケなもんじゃなくてな?
ほら、人間の脳って80%はブランクなんだよ。要するにNull。聞いたこと有るだろ?
なーんも使われてないってわけ。
でさ、裕也が生まれて脳細胞をチラ見したんだよ。
そしたらさー、裕也の脳やべーの!
100%使えるのな!
「なんだよ!もうちょいリアクションしろよ!
これな、マジですげーことなんだぞ?
例えばな、脳が完全に使えるってことは運動能力が飛躍的に上昇するんだよ。
今まで無意識に使ってた筋肉組織を意識的に動かすことによって、体力消費を圧倒的に減らすことができるってのも凄いことなんだがな?
脳内で生成されるアドレナリンをはじめとする筋力増強信号を意図的に増やすことができるんだよ。
まぁ、ぶっちゃけ運動能力の増加は副次効果みたいなもんだ。
それよりも脳内の電気信号のやりとりが超早くなる。
裕也が脳活性化100%なんて化物じみた初の人類だからあくまでも予想なんだが、脳機能の活性化によりシナプスが増加する。
シナプスの増強じゃなくて、増加な。
これが数十年前の日本なら、ちょーっと頭の良い奴って程度で済む話なんだが、今お前の脳内に入っている機械がお前を神に変える。
なんか大昔に流行ったテキストベースのノベルでは、「チート」だなんて言われてガキ共の憧れになっていたようなんだがな?
今の裕也は、正にそれだ。
比喩表現じゃなくて、言葉の通りお前は神になれる。
「ま、こんな話いきなりしても信じらんねーだろうな。
でさ、今こうしてゆっくりと親子の感動の対面を演出している訳だが。
ここに来てから経過した時間は、体感では10分程度か?
実はな、1秒経ってねーんだわ。
「お、だんだん良いリアクションになってきたじゃねーか。
脳の活性化により、思考能力も飛躍的に向上するってことだ。
裕也の思考能力をベースにして作られたこの空間では、裕也の思考速度をもとに時間が進んでくってわけよ。
「そこでな、俺は母さんと相談したんだよ。
お前は神にすらなれる器だ。
ただし、力に溺れた神は大昔から決まって邪神なんて呼ばれて討伐されちゃうもんなんだよ。
俺も母さんも、お前にはひとまず一般人より若干劣る程度で生活してもらおうとな。
記憶容量を俺たちで強制的に上書きして、さらに脳の活性化も俺たちで抑える。
まぁ50%も抑えらんねーから、だいたい50%くらいの活性率になってるだろうな。
現時点でも相当頭の良いガキに育ってるはずだ。
「俺も母さんもな、それで良いと思ってたんだよ。
それで一般的な生活を送ることができて、普通に暮らしてゆければいいってな。
だが・・・・
なぁ母さん、これ言わなきゃダメか?
あっ、痛い、グーはダメ、ごめんってば。
「・・・コホン。
まぁ続けるか。
ここに来るときに、M5のロゴがひっくり返ってGWってロゴになっただろ?
あれな、ジェノサイド・ウォーの略なんだわ。
意味は、虐殺戦争な。
IPCとM5って俺と母さんのプロジェクトチームで作ったんだがな、ジャンル格闘って知ってるか?
それの裏モードを作れって、上から言われてなー。
M5のジャンル格闘自体は、痛みのフィードバックが大体10%程度になってるんだけどよ。
GWモードになると100%になるんだよ。
ハンパねーよなー。
つーわけで、GWモードで死ぬと、プレイヤーが死ぬ。
「まぁそんなGWモードだが、裕也多分狙われるんだわ。
ん?誰にって?
まぁ、国に。
俺たちさ、色々あって国に殴りかかっちまってな。なんつーの?レジスタンス的な?
多分それで殺されてるってわけ!
で、そのレジスタンスのトップである俺と母さんの一人息子であるお前も、多分狙われちゃうわけよ。
ごめんね!テヘペロ!
「ちょ!帰るな!まだ終わってない!悪かった!ごめん!
まったく、冗談が通じねーとこは母さんそっくりだな・・・
で、だ。
何らかの原因でGWモードが起動された事を起動条件として、俺と母さんの擬似人格PKGを起動するためにあるPKGを裕也に展開してある。
ここに来るときに声聞いただろ?
俺と母さんで作った最高傑作、ナンバーズのイレギュラーナンバー。
”ゼロ”だ。
「まぁ、アレだ。
色々と話したが、多分裕也のこれからの人生はすんげー大変だと思う。
すんげー大変にした原因であろう俺たちからの、せめてもの罪滅ぼしとして色々と手を焼いているわけだ。
ぶっちゃけ、裕也なら余裕でなんでもできると思うけどな!
なんたって、俺と母さんの息子だしな!
「長くなっちまったが、これから頑張れよ。
俺も母さんも、裕也の事を世界で一番愛している。
じゃあな。」
母さんと親父の姿が薄れていく。
「母さん!親父!ちょっとまっ・・・」
「ん?なんだ?」
「って消えるんじゃねーのかよ!」
「へっへっへ。
怒った顔が母さんにそっくりだな。
あ、それとな、お前の脳の活性度制限、あれ外しとくからー。
あと俺たちも消えるから、記憶容量も元に戻るぞー。
ゼロちゃんと仲良くなー。
んじゃ!」
言い終わると、いつの間にか二人の姿が見えなくなっていた。
薄暗い本の部屋から、真っ赤な世界に意識が引き戻される。
目の前には、不安そうに僕を見上げる奏の姿が有った。
「・・・くん、ゆーくん、私怖いよ・・・」
「奏、大丈夫だ。今すぐに元の世界に戻してやるからな」
奏での不安そうな顔に笑顔が戻る。
奏は俺が守るんだ。
そう強く心に誓った。
奏に向けて、力付けるように優しく微笑む。
奏もつられて、微笑みを返す。
「ゆーくん、ありが
奏の間延びした声が、さえぎられた。
そこには驚愕に満ちた表情をした奏の顔。
「奏・・・?」
奏での口から、一筋の赤が流れ落ちていく。
血だ。
更に視線を下げると、左胸のあたりから銀色が付き出していた。
これは、ロングソード?
M5のジャンル格闘では、対戦者同士が最初に様々に用意された武器から一つを選び戦うことになっている。
今、奏から生えているのは、とても見慣れているそれであった。
混乱する思考を無理やり収めようとするも、目の前の光景を否定したがってるのか、冷静に武器を観察している自分がいた。
「おい、奏、・・・冗談だろ?」
「ゆーくん・・・・ごめん・・・・カハッ
ごめんね・・・・
私、ゆーくんのこと・・・・大好きだよ・・・・」
「奏!奏!おい!しっかりしろ!」
奏の肩を抱き、声をかける。
しかし、焦点の合わなくなった瞳が、奏の死を如実に物語っていた。
そこで親父の発現が思い出される。
『GWモードで死ぬと、プレイヤーが死ぬ』
力なく倒れかかってくる奏を受け止め、辺りを見渡す。
いったい誰の仕業だ。
俺の奏を殺した奴は。
殺してやる。
殺してやる。
殺してやる。
前方に広がる何もない空間から声が聞こえる。
いや、違う。
奏の影から、声が聞こえている。
「怖い顔だ。
彼女を殺されたのがそんなにも悔しいのかい?」
影の中から、人が出てくる。
否、生えてきたと表現した方が正しいだろうか。
そこには、黒のスーツに黒のネクタイ、黒髪に黒縁メガネと、闇を具現化したかのように真っ黒な男がそこに立っていた。
「・・・・お前か。
お前が奏を殺したのか。」
「はい、私です。
彼女を処理する必要がありましてね」
男は目線を合わそうとせず、奏を凝視する。
「お前は何者だ!
どうして奏を殺した!」
「これは失礼。
私はミラージュ。ナンバーズ”テン”を司る、ミラージュです。
以後お見知り置きを。
理由、ですか。
これは機関からの司令でして。
彼女を処理しに参りました。
あ、これ令状です。ご覧になります?」
「令状だと・・・?
ふざけるな!」
「まあまあ、そんなに怒らないでくださいよ。
・・・おや?
これはなんたる僥倖。
西園奏を処理しにやってきたら、君はイレギュラーナンバー”ゼロ”を司る柊裕也君ではありませんか。
・・・ふむ、そうですね。
依頼は達成したことですし、少し遊んでいきましょうか」
ミラージュがおもむろにこちらを指差す。
それを合図にしたように、視野いっぱいに数字が表示される。
10から始まったそれは、1秒毎に数字を少なくしてゆく。
カウントダウンが始まったのだ。
僕は、これを知っている。
そして、いつもの慣れ親しんだ電子格闘戦とは違い、命を奪い合うゲームだということも知っている。
真っ黒な男、ミラージュが狂気の笑みでこちらを見つめ、こう言った。
「さあ、楽しい虐殺を始めましょう!」