第2話
パリィィィィン!!!
その時、世界が割れる音が聞こえた。
目の前に広がっている―いや、広がっていた通学路が、まるでガラスが割れた時のようにひび割れて崩れ落ちてゆく。
「なっ!?」
剥がれ落ちてゆく景色の向こう側には、白い風景。
いや、とてもよく知っている白い風景が見えてきた。
「格闘が起動した・・・?」
景色が崩れた先に広がっていたのは、何もない空間。
いや、正確にはドーム上の何もない半円状の天井と、そして何もない床。
広さは直径30mの円形。
崩れきった景色が全て剥がれ落ちる。
間違えようがない。
この空間は、何百、何千、何万と、ここ数年で通いつめた場所なのだから。
そう。そこにはM5のジャンル「格闘」における決闘場が広がっていた。
眼前に大きく「M5」と表示される。
「どういうことだ!
僕は格闘を起動してない!」
M5の体感型PKGは、外部からの視覚や聴覚、触覚等の全ての感覚を遮断し、脳へ送信される全てのインプット情報は仮想空間にて操作するアバターから送られる。
逆に仮想空間でアバターを操作している際は、脳から送信されるアウトプット情報は全てアバターへ送られる。
要するに、現実世界では何をされても気が付けず、指一本動かせなくなるということだ。
その性質上、体感型PKGはユーザーの操作によってしか起動できないように幾重にも確認項目が設定されており、今回のように勝手に起動するということは起こりえない。
警告!体感型PKGを起動しますか?
>はい いいえ
警告!体感型PKGでは身体を動かすことができません。
現在は安全な状況ですか?
>はい いいえ
警告!安全状況を確認するため周囲をスキャンします。
>はい いいえ
こういった質問が10回程繰り返され、ようやくPKG自体を起動できるのである。
その全ての警告が無視され、しかもユーザーの意思に関係なくPKGが起動するなど通常は起こるはずがない。
「ま、まずはPKGを強制停止させて・・・」
急に意識を失ったように倒れた現実世界では、きっと奏も心配しているだろう。
一刻も早くPKGを停止させなくては。
通常のPKG異常であるならば、メニュー画面を念じて呼び出し、M5のタスクマネージャーを起動しPKGのユーザー操作優先順位を下げる。
その上でOSであるM5からの強制力の強い操作でPKGを停止させることが可能だ。
しかし、普段は息を吸うように念じて呼び出せていたメニュー画面が一向に出てこない。
「・・・おいおい、IPCの故障か?
ナノマシンが壊れるなんて大ニュースになるぞ・・・」
IPCに使われているナノマシンはタンパク質で構成されており、核でありOSであるM5が生きている限り人体から少量のタンパク質を取り出して自己再生を行う。
よって、物理的な欠損は即座に修復される。
更にネットワーク経由で自動ダウンロードされた更新PKGによりIPC自体の形状を変化させたり、接続する脳神経を変更することすらできるのである。
IPCが採用されて数十年経過した現在ですら、IPCの故障は未だに報告されていない。
ひとまず、いかにしてこの空間から脱出してPKGを強制終了させるかを考えている時、ふと違和感に気づいた。
決闘場に居るにもかかわらず、アバターが出現していない。
僕が普段格闘PKGを起動する際に設定しているアバターは、正直に言うと生身の僕とは全く似ていない。
身長は僕よりも20cm以上高い190cmで設定しているし、体重はそれでも僕と同じ50kg。
線の細い、というか痩せすぎ体型のスピード特化である。
それが、今決闘場に立っているのは、僕自身である。
アバターではない、生身の僕。
少し大きめの紺色のブレザーを着て高校へ向かう途中の柊裕也。
僕そのものが顕現していた。
まずは落ち着こう。深呼吸だ。
「すー・・・はぁーーー・・・・
えっ?」
冷静に状況を把握するための試みも、さらなる状況の変化により阻害される。
真っ白な空間が、ガラスがひび割れるように崩れだした。
ひび割れた向こうから除くのは、今度は目が覚めるような真っ赤な空間。
訝しみながら決闘場の崩壊を眺めていると、ひび割れた景色が次々と剥がれ落ちていく。
全ての景色が剥がれ落ちると、先ほど大きく表示された「M5」というロゴが出てくる。
黒い文字で表記されたそれは、180度反転して禍々しい赤色へと姿を変えた。
「GW」
禍々しい赤色で表記されたそのロゴが、炎が燃えるようなエフェクトを表示させながら崩れていく。
改めて周りを見渡すと、そこには驚愕の風景が広がっていた。
まず、全ての色が赤で統一されており、見渡す限り一色なのは唯一の共通点だろうか。
しかし、決闘場の特徴とも言える半円のドーム状の形をしていない。
そこには、先ほどまで歩いていた通学路が真っ赤になって再現されていた。
左隣に流れる川。
右隣に広がる住宅街。
全てのオブジェクトが見渡す限り真っ赤なのである。
更にまわりの状況を確認しようとして視線を後ろに向けたとき、更なる驚愕がもたらされた。
「なっ!奏!なんでここに居るんだ!」
「ゆー・・・くん・・・?
なにこれ?怖いよ・・・」
奏は格闘PKGをやっていないのは知っているし、もちろん専用アバターを持っていないのは知っているのだが、そこには生身の西園奏が泣きそうな顔で立ち尽くしていた。
「大丈夫だ、今PKGを強制停止して
奏を安心させるために言いかけたその言葉は、最後まで言い切ることができなかった。
突如、透き通った少女の声が頭の中に響いてくる。
『起動条件確認・・・・GW作動中。クリア。
生体情報確認・・・・柊裕也と確認。クリア。
PKGオートラン・・・・
・・・・
・・・
・・
展開完了。
PKG”ゼロ”起動します』
全ての視界が、まばゆい光に埋め尽くされた。