魔王の部下、キチ・ムーン
この世界の進歩のスピードを促進させようと考える魔王ダックスワイズ。その魔王に1人の部下がいました。
その名は、キチ・ムーン。
ある街に、1人の市長が住んでいました。
その市長こそが、キチ・ムーンなのでした。名を変え、姿を変え、人間の街の市長として生きているのです。
普段は、人間の姿をして暮らしているキチ・ムーン。うまく化けたものです。
街の人たちは、誰も疑いません。それは、そうです。この街の市長は、善人として有名でした。市長は、人々のためになるようにと、次から次へと新しい政策を打ち出していったのです。
そうして、そのほとんどは、実際に街の人の幸せにつながっていました。
「ああ!市長様!なんと素晴らしいお方!」
「市長が、この街にいらしてから、我々の暮らしはグンッと楽になりました」
「あの市長がいなくなったら、どうなってしまうのだろう?また、以前のように苦しい生活に逆戻りなのだろうか?」
そんな風に、いつも街の人たちは噂していました。
人々は、市長に対して、常に尊敬と感謝の気持ちを忘れませんでした。
*
さて、キチ・ムーンは、どのような気持ちでいたのでしょう?
それは、こうです。
最初に、この街に赴任されてやって来た時、キチ・ムーンは不満を感じていました。
「なぜ、このオレが、このような任務につかねばならぬのだ?魔王ダックスワイズ様は、一体、何を考えているのだろう?」と。
それでも、命令には従いました。
魔王からの指令は、こうです。
「できるだけ、人々が幸せになるように。街の生産性を向上させ、収入を増やすように。それだけではない。常に、労働環境に目を配るのだ。ただ単に利益が上がればいいというものではない」
その時、キチ・ムーンは、意味がわかりませんでした。
「人間どもなど、こき使ってやればいいではないか。代わりは、いくらでもいるのだ。壊れたら、新しいのを探してくればいい。故障した部品を交換するのと同じだ」と。
けれども、しばらくの間、魔王ダックスワイズの指令通りに動いてみました。
すると、どうでしょう?
人間たちは、キチ・ムーンが思って以上の成果を上げるのです。想像を遥かに超える成果でした。
「これが、魔王様のおっしゃっておられたコトか…」
そこで初めて気づきました。市長と街の人々との関係が、そのまま魔王と自分の関係に一致するのだと。
*
その昔、キチ・ムーンは1匹の悪魔に過ぎませんでした。
人間から見れば強力な魔力を秘めている悪魔でも、世界的には、そうではありません。世界には、いくらでも強敵が存在しました。それに比べれば、1匹の悪魔などチッポケな存在です。
それが、魔王に拾われて、変わりました。
魔王の元で修練を積み、基礎魔力は格段に向上しました。いくつもの強大な魔法も身につけることができました。
けれども、魔王は決して強制したりはしません。あくまで、自由意志にまかせるのです。
もちろん、そこには厳しさもありました。
「1度こうと決めたら、それは最後までやり通せ!」
そのような厳しさはあります。
けれども、根本的な意味では、それぞれの自由意志を尊重してくれるのです。
*
市長となったキチ・ムーンは、立場が変わったのだと知りました。立場は変われど、関係は同じ。
あの頃の魔王の役割を、今度は自分が演じているのだと。そうして、あの頃の魔王の気持ちを理解したような気がしました。
「厳しくとも、やさしくあれ。基本的には、本人の自由意志にまかせるのだ。人を破壊するようなことをしてはならない。体や心を壊すまで働かせてはならない。長い目で見て、それが世界の進歩につながる」
それがわかってからは、その役割を楽しむようになりました。
そうして、市民の成長・街の成長を、目を細めて眺めるのです。まるで、親が子供の姿を眺めて楽しむかのように。あるいは、祖父や祖母が孫の成長を喜ぶかのように。