犯罪者の描いた絵
伝説の画商として名を広く知られたイロハ・ラ・ムーは、勇者アカサタの去った後、部屋の中で考えを巡らせていました。
そうして、他に誰もいない部屋の中で、一言こう呟きました。
「嘘をついてしまったかも知れんな…」
嘘!
そう!嘘と言うには、あまりにも儚いほどの心の揺らぎ。
先ほどの話の大部分は、真実でした。イロハ・ラ・ムーが語った言葉に明かな嘘などありません。ただ、最後の一言を除いては。
「『君には魔王討伐を達成してもらいたいと思っている』か…」
果して、それは、ほんとうの気持ちなのだろうか?心の底から、そう思っているのだろうか?部屋の中で画商は、そんな風に1人で自問自答していたのです。
「大勢の人々に芸術を理解して欲しい。その思いは本物。ただし…」
ここで、イロハ・ラ・ムーは1度、言葉を切り、その後、ハッキリと断言しました。
「荒れた世の中だからこそ、素晴らしい芸術作品が生まれる。それも、また事実!」
魔王がこの世に誕生し、無数の魔物が大地を闊歩し始めてから、目に見えて世界が荒れ始めました。けれども、それと同時に数々の優秀な芸術家達も、この世に生を受けたのです。
伝説の画商イロハ・ラ・ムーは、それを単なる偶然と考えてはいませんでした。それどころか、その歴史は完全に一致している。これは、必然であったのだと、そう考えるようになっていきました。
では、魔王が、この世界からいなくなってしまったら?また、以前のように腑抜けた絵描きや彫刻家ばかりになってしまうのでは?それは、もはや、芸術家とすら言えはしないでしょう。“ただ単に絵を描くだけの人間”そこには、信念も何もない。
そうなって欲しくはない。だが、その為には、このまま荒れた世界で人々は苦労し続けなければならなくなる。気軽に、この街を訪れる観光客もいなくなってしまうだろう。
その矛盾の中で、苦しんでいたのです。
イロハ・ラ・ムーは、屋敷の中を歩き回り、1つの部屋へとたどり着きました。そうして、部屋の鍵を開けると、ゆっくりとドアを引きました。
そこには、何枚かの絵が飾ってあります。どれも、同一の画家によって描かれた作品でした。
ある絵は抽象画のようであり、別の絵は死神を描いているようです。グチャグチャのムチャクチャに、子供のラクガキみたいに線が引かれただけの絵もあります。かと思えば、静かな湖の風景が描かれた作品もあります。
「素晴らしい。醜さの中にも美しさを秘めている…」
画商は、そう呟くと、1人、悦に浸りました。
それらの絵は全て、ある死刑囚によって生み出された物でした。最悪の凶悪犯と語り継がれ、平和な時代に何の罪もない人々を1度に数百人も惨殺した人物です。
伝説の画商は、わかっていたのです。
人の性格や行動と、その人間が生み出す作品は、別物なのだと。どんな凶悪犯でも素晴らしい作品を世に残すことはできる。
もしも、魔王が間接的にとはいえ、この世界に数々の傑作を生み出す手助けをしてくれているならば、それをこの世から消してはならぬのではないだろうか?魔王とは、倒すべき存在ではないのではないだろうか?
犯罪者の描いた絵の前で、イロハ・ラ・ムーは、そんな風に考え続けるのでした。




