攻めるべき時に攻め、引くべき時に引く
“魔王将棋”は、全世界へと販売され、好評を博しました。
次々と新しい駒を売り出し、売り上げの方も順調です。
元々、将棋と同じ9×9マスの盤で戦っていたのですが、それにもいろいろなバリエーションができました。駒を減らして5×5マスの盤で戦ったり、逆に使用する駒の数を増やして11×11マスや9×15マスの盤を使ったり、様々です。
ルールの方も、どんどん複雑になっていき、新しい遊び方もたくさん生まれていきました。
もはや、魔王将棋はアカサタの手を離れ、ユーザーたちの手によって自由に進化していくようになっていたのです。
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けれども、やがて、アカサタは魔王将棋にも飽きてしまいます。
そうして、今度はスポーツ観戦に没頭し始めました。プロのスポーツ団体をいくつも立ち上げ、自分でもチームを持って運営します。
森を切り開いて、野球場やサッカースタジアムやゴルフ場を作らせます。
「なあに、金ならいくらでもある!湯水のごとく使えばいい!!」
アカサタのその言葉通り、お金ならば、いくらでもあるのです。資金は無限に集まってきました。
なにしろ、アカサタが投資した先は、どれもこれも大成功を収めるのです。いえ、正確には、そうではありません。失敗も数多くあるのですが、それにも勝って成功を収めるのです。
いくつもの失敗を重ね、必ずそれ以上の利益をあげる成功を手にするのでした。
それは、一種の才能でした。
こぢんまりとしたお金の使い方しかできない人には、決してできない生き方です。お金を使うのも、お金を集めてくるのも、常に派手でした。
アカサタは細かいコトを気にしません。
細かい部分は、それに長けた専門のスタッフに任せて、大きなコトをやるのです。攻める時も引く時も、判断は迅速です。
「ここぞ!」と思った時にはガッと攻めて、「駄目だ」と思った時はサッと撤退します。それで、大きな判断の誤りをするようなことは滅多にありません。
そういう意味では、戦闘と同じでした。剣や槍を手にし、魔法を撃ち合っていた、あの頃と同じ。あのギリギリで命のやり取りをする感覚と同じ。
アカサタは、世界の大きな流れを読むのが得意です。
「お金は流動的なモノだ」と、考えていました。アカサタの周りでは、お金は常に流れていきます。決して1ヶ所に留まったりはしません。次から次へと水のように流れてきて、雨のごとくバラ撒きます。それで、大抵はうまくいくのです。
それで駄目な時は、諦めます。諦めて、気持ちを切り換えて、次の事業に取りかかるのです。
そういった行為を繰り返している内に、傷を小さく抑え、大きく利益をあげるコツを掴んでいきました。前の失敗は、次の成功で取り返せばいいのです。
だから、出資者はいくらでもいました。後から後から「どうかお金を出させてくれ!」「お願いだから、うちで借りてください!」と、そんな風に申し出てくる人たちが現われてきて、後を絶ちません。
大きな視点で見た時に、必ず利益は出るのです。貸したお金に何パーセントも利子がついて返ってきました。
こうして、アカサタは世界の中心で傍若無人に振る舞いながら、それでも大きく人々に迷惑をかけることなく、進撃していきます。
アカサタが何かを思いつき、行動を起こすと、そのたびに世界は揺れ、進歩を遂げます。
それは完全に連動していました。世界の動きとアカサタの動き、その2つは完全に1つのモノとなり、大きなウネリを上げながら、進んでいくのです。
「心の底から望んでいる行動を取れば、それでいい。ただし、“何もしない”だけは駄目だ。必ず何かをやる」
その昔、ダックスワイズが言っていたセリフ。まさに、その言葉の通りに。それは、ダックスワイズの心を満足させただけではなく、同時にこの世界そのものにも影響を与え続けていたのです。




