戦闘のイメージ
勇者アカサタは、考えました。
“意識するけど、意識しない”その正体を。
頭ではなく、心で理解する。
そのために、まずは頭の中でシミュレーションしてみます。つまり、想像してみるのです。
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賢者アベスデとの戦い。荒野には、自分とアベスデの2人だけ。
1歩動けば、負けてしまう。そのような状態。かといって、動かなければ、徐々に精神力を削られていき、最後には気絶しまう。
「では、もしも、あの時、ガムシャラに突っ込んで行ったらどうなっていたのだろうか?」
アカサタは、そのシーンをイメージしてみます。
攻撃は全てかわされ、アベスデの手にした木の杖でポコリと殴られてしまう。
あるいは、近づく前に巨大な稲妻が飛んできて、丸焦げにされてしまう。
地面から生えてくる鋭い氷柱に串刺しにされてしまう勇者アカサタ。
極炎の炎に包まれて、呼吸もできずに苦しみながら意識を失うというパターンもあります。
空中から次々と生まれてくる無数の刃。それらが、アカサタへと飛んできて突き刺さってまうコトも。
防御に専念していれば、かわすコトも可能ですが、それではいつまで経っても相手にダメージを与えることはできません。
イメージするたびに、その過程は変わっていきますが、結果は全て同じ。敗北です。
動かずに、相手の弱点を見つけ出すか?
それとも、ひたすらに動いて、とにかく戦ってみるか?
何をやっても、何をやらずとも、結局最後は負けてしまうのです。
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意識が現実の世界に戻ってきた勇者アカサタは、地面に寝転び、天に向って叫びました。
「駄目だ!全部負けてしまう!」
実は、このように頭の中でいろいろとイメージし、あらゆる場面を想定し、シミュレーションしてみるという行為は、今に始まったことではありませんでした。
この世界にやってくる前、ニートであった時代から、このようにして過ごしていたのです。
昔の勇者アカサタ…つまり、かつてニートであった者は考えました。自分の人生の先の先まで考え、イメージし尽くしていました。
「社会に出て、自分は上手くやっていけるだろうか?」
「周りの人々に合わせて、環境に適応するコトができるのだろうか?」
「好きでもない仕事に就いて、長く続けられるだろうか?」
「単純労働に従事して、その先には何がある?他の人間とどう違う?」
「オレはオレの人生が歩みたいんだよ!誰にもマネできない自分だけの人生が!」
「そのためには、他の人間と同じように働いてなどいられるか!」
何度も何度もそのような空想をし、頭の中で様々な人生を送り、数え切れないほどの死を迎えました。
その過程は違えども、イメージする先は、いつも決まっていました。
辛い人生を歩もうとも、楽しい人生を過ごそうとも、結局その先にあるのは“他の人たちと同じ結末”に過ぎなかったのです。
孤独のままその一生を終えるか?恋人を作り、結婚し、子供が生まれ、やがて子供も結婚し、孫が生まれる。そんな人生を歩むか?その違いはあれども、どちらも魅力あるものには感じられませんでした。それは、人生の敗北にしか思えなかったのです。
そうして、ニートはニートのまま過ごし続けました。
「他の者たちと同じ人生になるくらいならば、このまま誰にも会わず、好き勝手に生き続けてやろう!それこそが“最高に自分らしい人生”に違いない!」
そう信じて!
それは、他の人たちから見れば、それは無意味で自堕落な行為に思えたでしょう。けれども、昔のアカサタにとってみれば、それこそが重要なコトだったのです。
“自分らしく生きる”それこそが!
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勇者アカサタは、地面に寝転び空をあおぎながら、小さく一言、呟きました。
「あの時と同じだな…」
仮想の敵を作り上げ、勝手にその敵は肥大化していく。決して勝利することはできぬ史上最強の敵。散々迷って、悩んで、戦いを放棄する。
結果、何もせずに終わる。そんなあの頃と同じなのだと、そう思っていたのです。
そうやって、何時間も地面に寝転がったまま、いろいろと考えたりイメージしたりして過ごしている内に、勇者アカサタは疲れ果てて、眠り込んでしまいます。
そこへ、1人の人物が近づいてくる足音がしました。