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いし守り -桃花散る-

作者: カキ

 

 妹が飛び降り自殺を図った。

 そんな馬鹿な。

 菖蒲は胸の不快な圧迫感をこらえて件のホテルにやって来た。大規模で奇麗な観光ホテルで、近くに大きなテーマパークがあった。

 ――ホテルが何だかおかしくなったの。桃花の様子が変になったのはそれから。

――でもあれは夢だったの。皆同じ夢を見たって言ってる。ホテルの窓からあんなものが見えるなんて、ありえないもん。

――でも、その夢の中でね……

 妹の友人二人が泣きながら話す声が脳内に木霊する。

妹は一命を取り留めたが、2日経った今も未だ意識不明だった。見舞いをそこそこに菖蒲が妹の自殺現場にやって来たのは、ホテル宿泊者の一部が見たというその「夢」に少し思い当たることがあったからと、妹の友人の話が気になったからだった。かといって他人の夢をどうこうできるような超能力など菖蒲が持っているはずも無く、行ったところで何の解決にもならないかもしれないということも重々承知していた。

 壮麗なホテルを前にしても、今は全く感動が起こらなかった。妹が死を決意した場所。どうしてそんなことになってしまったのか。

 桃花は菖蒲の3つ下で、菖蒲が考えつく限り最も自殺など考えそうにない人物だった。さばさばと明るい性格で友達も多く、姉すらうまく転がす世渡り上手な子だった。最初に妹が飛び降りたという連絡を聞いた時も、桃花には考えられなさ過ぎる話だと思い、「いやいや、冗談でしょ」と苦笑しかけたほどだ。

 菖蒲はとりあえず中に入り広く清潔なロビーを見渡した。どうすればいいのだろう。菖蒲は、桃花と一緒にこのホテルに泊まっていた真樹と美咲が桃花の病室でしてくれた、菖蒲の常識的な理解を超えた会話を思い出した。

「桃花が部屋から出て行ったあと、私たちも出て行ったの。そしたらホテルに誰もいなくなってた。それから急に窓の外に変な景色が流れて、じっと見てたら……男の人がやって来て」

「あの景色は怖かったよね。狂った人間が見る幻覚みたいな感じ。で、その男の人、なんだか見たことあると思ったら、いっつもホテルのロビーにいた人なんだよね。その人が部屋に隠れてろって言ってくれて、どっかに行っちゃった。だけど私たち桃花が心配で、こっそり着いて行ったんです」

「それで遠くに大きな音がして、そっちに行ったら、途中で何人か人がいて。その人たちも訳が分からなくて困ってるみたいだった。で、音の方に辿り着いたら……」

美咲はここで身震いした。

「誰かが黒い蜘蛛みたいなのに襲われてた。その周りを何人かが囲って、やっつけようとしてるみたいに見えたよね。さっき言った男の人もいたし」

「そう。そしたら急に後ろから誰かに捕まえられて、何だか口をおおわれて、――それで、急に目が覚めたんです」

 「目が覚めたら、二人とも部屋の中のドアの前にいたの。それで急にホテルが騒がしくなって、何だろうって思って外に出たら……」

 美咲は泣き始めた。取り乱す友人の背中を真樹がさすりながら、菖蒲に言った。

「そのときはもう、桃花が飛び降りた後だったんです」


そして、二人を助けてくれた男とその一味が、事件の前からずっとこのホテルに泊まり込んでいるのだという。同じ奇妙な夢を見た泊り客が、何事だったのかと男たちを問い詰めているのを見た、と二人は言った。美咲も真樹も桃花に何があったのか全く分からないらしいので、菖蒲はどうしてもその男たちの話を聞かずにはいられなかったのだ。

昼間のホテルのロビーは静かだった。隅のソファの辺りに何人か客がいる。菖蒲は、その男たちがどんな風貌なのか全く知らなかった。もうこのホテルにはいないかもしれない。

(こんなところまで来るなんて、馬鹿だったな……。)

菖蒲は一人思いながら、とりあえずソファの人だかりに近付いてみた。菖蒲には、才能と言うには情けなさすぎる特技があった。それは、自分の存在感を極限まで消すことだった。ただ困るのは自分がどうやら無意識に存在感を消してしまっているらしいことで、菖蒲が一人で家にいても母親は気付かないことが多かった。中学校の思い出は一番ひどい。「今日垣のやつ来てないよな」だの「いつからそこにいたの?空気だから気付かなかった」だの、もっと酷いことも、悪気があるなしに拘らず散々言われた。もっともこれはいじめに近かったのだろうが、確かに菖蒲には空気そのものに溶け込めるような才能があった。そうでなければテレビを見ている母親の真横を何度も通りすぎていながら「まだ帰ってないのかと思ってたわ」などと言われたり、部室で先輩たちが内緒話をしているのを傍で立って聞いていて、自分から話しかけて初めて先輩が「いつからそこにいたの?」と飛び上がるわけがない。おかげで「盗聴」「覗き見」「存在くらまし」という格好良くない特技が新たに加わった。

ソファに寄って菖蒲は数人が座って話していることを聞いていた。菖蒲が気付かれているかもしれないと思っていても、大抵の人間は傍にいる菖蒲の存在は感知もしていない。菖蒲が自嘲気味な性格に育ったのはこの妙な才能のせいだとも言えた。

客たちの会話はおそらく彼らの仕事の話で、今回の件とは関係がなさそうだった。夜になったらまた来よう、と菖蒲は思った。真樹と美咲情報によると、その男たちはしょっちゅうロビーや談話スペースに集まり話し込んでいたので普段から目についたとのことだ。まだここに泊まっているのなら、いつか現れるだろう。

菖蒲はわずかな期待と発狂したくなるほどの不安が入り混じった思いで、客と離れたロビーのソファに座った。

(あの子はどうして目を覚まさないんだろう。)

 どうしてもこうしても、この大きな建物の4階から飛び降りたのだから生きていたのが奇跡ともいえるが、菖蒲は分からないことだらけだった。どうしてこんなことに。どうして、どうして、どうして……。

 桃花とは一時は口げんかも絶えなかったが、それはどうも自分のせいだったらしい、と最近になって菖蒲は思うようになった。幼かったのは自分だけで、自分が成長してやっと大人な対応を見につけるようになったのだ。桃花は多少生意気だが、いつだって飄々としていた。姉には手本とするものがないから、もし同じ年齢の頃を比べれば、きっと妹より姉の方が精神的に幼いのだ。

今は菖蒲もついに大学生になり一人暮らしを始めたため、桃花と話す機会はめっきり減っていた。だが――本人の前では死んでも言わないが――菖蒲が唯一自分よりも大事だと思っているのは桃花だった。それは子を思う母の気持ちに似ていた。

 夕方まで菖蒲は街をぶらつき、日暮れ頃にホテルに戻り、ロビーから順にホテルの中を散策した。こんな料金の高いホテルの部屋は取っていない。男たちが既にここを出払ったのなら全て無駄足だ。馬鹿なことをしている、と菖蒲は心中でつぶやいた。

「――じゃあ一体なんで関係ない奴が死ぬんだ」

 広いホテル内を歩き疲れた頃、エレベータ前の休憩スペースで会話が聞こえた。菖蒲は壁の柱に隠れた。

「さあ。」

 (妙な会話……)

 菖蒲の心臓がとくんと鳴った。柱の陰からそっと覗くと、目立つ金髪オールバックの我体の良い男の子――服装からして高校生くらいだろうか――と、黒髪のすらりとした青年が立って会話をしている。


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