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風邪と夢と鼻づまり

三つ目でございます。

この部分を主に改造していました。


 ◇ 8月


 ついにやってきました。ワクワクの夏休みです。休みになったらまずは何しようかとあれこれ考えていました。その結果……


「えふ、えふっ……」


 私は部屋の布団で横になっていました。

 ひさしぶりに頭をフル回転させたからでしょうか。いえ、こののどの痛みと鼻づまりはちがう気がします。

 どうやら風邪を引いてしまったようです。最近やってきた夏の暑さに耐えられず、ついお腹を出して寝ていたのがいけなかったんでしょう。


 学校もお休みして、ウンウンとうなされる夜を何度かこえました。

 カーテンの隙間からこぼれる光。

 カチ、カチ、と時計の針の音だけが耳に入ってきます。


「へっ……、へっくちっ。……ずず」


 鼻をすすりながらぼんやりと天井を見上げていると、なんだか変な感覚におそわれます。まるでこの世界に私一人がおいてけぼりにされたような、そんな気持ちでした。こんな時におせんべいがあれば、少しは気もまぎれるかもしれないのに。早く元気になっておせんべい、食べたいです……。

 ああ……。目の前がぼんやりします。頭がクラクラです。

 うん、せっかくですし、少し眠るとしましょうかね。おやすみなさい……です。


 *


 気がつくと私は空を飛んでいました。

 ふわふわした気持ちで、時おり吹く温かい風がとても心地よいです。

 さっきまで私の鼻はつまっていたはずなのに、今はすぅっと呼吸ができます。

 どれだけ飛んでいたでしょうか。私はいつのまにか、大きな建物の前にいました。すぐ目の前には小さな窓があって、その中には白いベッド。

 そして、そのベッドの上にはお母さんがいました。今よりも少し若く見えます。


「無事に生まれてきてくれて、ありがとう……」


 お母さんはとても幸せそうな顔で、腕のなかで眠る赤ん坊に声をかけています。

 ウチに子供は私一人しかいません。でも、今目の前で赤ん坊をあやす人は間違いなくお母さんです。そして私は今、空に浮かびながらそんな様子を見て……

 ……はい、これは夢ですね。それしかありません。お母さんの顔からするに、これは今よりも昔の夢でしょうか。


「あんたに似て、優しい顔した子だねぇ」


 奥からやってきたのは、おばあちゃんでした。今とぜんぜん変わっていません。へ? この夢は過去なのでは?


「まだ名前、決めてないんだね」


 おばあちゃんはバッグから一枚の紙を取り出しました。


「ちょっとおせっかいだけど、この子の名前考えてきたんだ。よければ参考にしとくれ」


 お母さんは興味ぶかそうに紙を見ています。う……私の場所からはギリギリ見えません……。


「ひより……ですか」


 お母さんは微笑みながら私の名前をつぶやきました。

 うすうすは感じていましたが、あの赤ん坊はやはり私でした。


「そう……日和。いつでもにこにこ笑って、皆の心もぽかぽかにしてくれるように、ってね」

「とてもいい名前ですね。聞いてるだけで幸せになった気分」


 お母さんとおばあちゃん二人で笑い合っています……いえ、私もまぜて四人でした。

 ……そもそもこれは本当に起こったことではなくて、夢……なのですよね?

 でも、目の前のことにすごくナットクしている自分がいます。

 

 日和。

 

 この名前はおばあちゃんがつけてくれたのだと、それが当然のように信じることができたのです。



 *


 息苦しさが、夢から覚めたことを知らせてくれました。私は布団の中。時計の音だけが耳に入ってきます。


「おばあちゃん……」


 なぜでしょうか。

 そう口にするだけで、温かくて、とても幸せで……涙が止まりません。

 ぬぐってもぬぐっても次から次へと溢れてきます。これは風邪を引いて弱っているからでしょうか。


 いいえ。そんなんじゃないことくらい、自分で分かっていました。

 私は生まれた頃から、おばあちゃんが付けてくれたこの名前と一緒、だったんですね。そしてこれからも――


 それからしばらく、私は枕に顔をうずめて、温かい涙が頬っぺを流れるのを感じていました。ついでに鼻水も、でしたけどね。



 あの夢を見た日から何日かすぎて、体のダルさも少しずつ治まってきた頃。私の部屋にお客さんが来ました。


「日和ちゃん、具合はどうだい?」

「おばあちゃん」


 とつぜんの訪問にちょっと驚きました。おばあちゃんはいつものりんごスマイルを浮かべながら私の布団の横に座ります。


「もうほとんどつらくないですよ。でも、わざわざ来てくれなくても……」

「孫の見舞いに来るのに、わざわざなんてのはないんだよ」


 普段よりも少し強めのおばあちゃんの声。少しコワかったけど、私のことを心配してくれてるんだ、というおばあちゃんの心が痛いほど伝わってきます。胸の奥がじんわりとしめつけられる思いでした。


「あ、そうだ。おばあちゃん」

「んん? なんだい?」


 ちょうどいい機会です。私の名前について、おばあちゃんにたずねてみようと思いました。


「私の……日和って名前、これはおばあちゃんが付けてくれたんですか?」


 おばあちゃんは少し目を見開きました。なぜそれを……といったところでしょうか。ちょっぴり楽しい気分です。

 しばらくして、おばあちゃんは私の名前のことを話してくれました。


 私の名前を出す前のエピソードに『小春日和』『散歩日和』『ヒナタぼっこ日和』『おせんべい日和』と、言葉を辿っていったそうです……おせんべい日和って何ですか! ツッコむとこはツッコませてください!

 でも……あの夢は、たしかに本当にあったことだったのです。私の名前を、おばあちゃんが付けてくれたんですね。それを知ってホッとしたというか、やっぱりと思いました。


「ありがとう、おばあちゃん……」


 そして、素直な気持ちをボソリとつぶやきます。おばあちゃんには聞こえていないようでしたけど。


「ああ、そうそう。今日はこれ、持ってきたんだよ」


 さきほどのマジメな顔から一転。おばあちゃんは満面の笑みで「じゃーん」と、何かの袋を取り出しました。


「こ、これは……!」


 うん、予想通りのおせんべいでした。ただ、今回のは少し珍しい色をしていました。


「緑色……ですけど?」

「ああ、新作のワサビせんべい」


 ああ……。ニカっと笑うあなたがとてもまぶしいですよ、おばあちゃん。

 それはともかくです……。ついに、この時が来てしまったのですね。ふふふ……。

 私は今、きっとニヒルな笑みを浮かべていることでしょう。ただ引きつっているだけなのですけど。


「あのぅ……私、ワサビはちょっと……」

「んん? そうなのかい?」


 そうです。私はあのツーンと鼻にくる刺激がとっても苦手なのです。初めてワサビを食べた時は泣きながら頭をかきむしりました。


「でも、これは本物のワサビじゃないから、きっと美味しいよ」

「そ、そうでしょうか……」


 むむぅ。たしかにこれはワサビではなく、あくまでおせんべいです。

 全国のおせんべい制覇の道を進みはじめた私としては、これは乗りこえなければならない壁……なのかもしれません。


「それじゃ、一つだけ……」


 ん? どこかで聞いたことのあるセリフですねぇ。そんなことを気にしながら、私は「えいやっ」とおせんべいにかじりつきました。


「あががっ!」


 か、カタい! ふへぇぇ……って、そうでした! どこかで聞いたとかでなく私自身が言ったセリフでしたね。しかも前と全く同じように前歯が悲鳴をあげています。そのうえ……


「ひ、ひほほ~っ?!」


 か、辛い! 鼻の奥でワサビのニオイが暴れ回っています。き、きっつぅ~! 涙がとめどなくあふれてきます。


「おやおや、泣くほど美味しかったかいな。ふぇっふぇっふぇっ!」


 おばあちゃん、それ絶対わざと言ってますよね……?

 でもまあ……、今回はよしとしましょう。これで苦手なワサビ味もクリアしました。また一つ、おせんべいの道が開けたのです。しかもツーンときたせいか、鼻の通りもよくなっている気がします。これがいわゆる「良薬口にワサビ」というやつなのでしょうか。


 おばちゃんもそのおせんべいを食べています。「もう一枚食べるかい?」と尋ねられましたがテーチョーにお断りしました。

 

「げほ、げほ……!」


 とつぜん、おばあちゃんがせき込みました。さっきまでの笑顔は消え、ただただ苦しそうに胸を押さえています。


「おばあちゃん……最近よくせき込みますね。どこか具合が悪いのですか?」

「あ、ああ、平気だよ。ちょっとせんべいが喉に引っかかってねぇ……ごほ、ごほ!」

「そうですか……。もういい歳なんですから、気をつけてくださいね」


 おばあちゃんは時たま危なっかしいです。でも、そこも彼女の魅力の一つなのかもしれません。

 でも、何となくですけど……。この頃、おばあちゃんのふくよかな頬っぺが少しやせてきているように思えたのです。


 その次の日には風邪もすっかり治って、再びおせんべいを満喫する日々がスタートしました。あのキョーレツなワサビが効いたのかもしれません。まさか、おばあちゃんはそれを見こして……というのはさすがに考えすぎですよね。



次話から主にお話が動き始めます。

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