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鹿せんっ!

続きです。

ここまではあまり手を加えてません。



 ◇ 7月


 これは……おせんべいの道を進む者の運命さだめだったのかもしれません。


 夏休みに入ってすぐのカラッと晴れた日。家族そろって奈良の公園に遊びに行く機会がありました。その日はおばあちゃんも一緒でした。

 ゆるい坂がえんえんと続く歩道。軽いデコボコのある公園の中。お年寄りにはなかなか大変だと思うのですが、おばあちゃんは杖もなしにすいすいと歩いています。これもおせんべいパワーなのでしょうか。


 それはともかく、運命の歯車は道のはしにあるお店を発見した時から動きはじめたのです。


「鹿……せんべい」


 そのお店には、何ともチャーミングな名前のおせんべいが並べられていたのです。ふと周りを見ると、あちこちで観光客が鹿さんにおせんべいを与えていました。


「おやおや、鹿も美味そうにせんべい食べとるねぇ。羨ましいこったねぇ」


 うらやましい? お、おばあちゃん……。


 ……あなたも、そうなのですね。ふふ、さすがです。その気持ちはよく分かりますよ。


「私も買っていいですかね?」


 次の瞬間、私はお母さんにそうたずねていました。我ながらおそろしく自然に……。この公園にも負けてはいない自然さだと思います。


「いいけど……それは鹿が食べる用のおせんべいよ?」


 お母さんは困った様子で私にたずねます。

 私もバカではありませんので、分かってはいました。それが鹿さん専用のおせんべいであることくらい。

 でも……あんなにいっぱい売られているのですから、一枚くらい味見したっていいじゃないですか! この好奇心はもう誰にも止められませんでした。たまに思います。おせんべいの魅力って、おそろしいですね。

 ということで、さっそく鹿せんべい十枚入り一包みを買ってもらいました。


「さてさてぇ、お味の方はいかがでしょうか~、ふふっ」


 家族から少し離れたところで帯び紙をとき、鹿せんべいを一枚取り出します。


「お……おぉ」


 褐色かっしょくこてこてのフォルムが何とも言えませんね。ドキドキワクワクが抑えきれません。我ながらちょっと大人げないですね。ここらでひとつ深呼吸です。


「スー、ハー……って、え?」


 とつぜん、誰かにスカートを引っぱられました。

 な、何ですか? 誰ですか? これって……セクハラですよね?!

 ……こんなまっ昼間からいい度胸じゃないですか。いいでしょう。そっちがその気なら……。

 ガツンと一発おみまいしてやろうと振り返りました。

 すると、そこにいるのは人ではなく、一匹の鹿さん(多分オス)でした。もの欲しそうな目でこちらを見ています。


「あ、鹿さんでしたか。ごめんなさい。これは私がいただくので……」


 鹿さんはただただ無言で見つめてきます。その静かで情熱的な視線はせんべいをとらえて離しません。う……。なぜかすごくイケないことをしているようです。でも、一口だけですし、いいですよね?


「え? ダメって? ちょっと、そんなにスカート引っぱっちゃダメですってば」


 しかも今日はいているのは一番お気に入りのプリーツスカートなのでした。すでに鹿さんのツバで湿ってきていて、元々チョコレート色のスカートが黒ずんで見えます。これはとても困りました。


「それ以上しちゃ、パンツ見えちゃいますよぅ……!」


 私の言うことに全く耳を貸さず、鹿さんはしつこく攻撃をしかけてきます。しまいの果てには私のお尻に鼻を押しつけてきました。


「ゃ……そこは、ひゃんっ……」


 ……い、いけませんいけません! 自分でもビックリするくらい変な声が出てしまいました! そこから先はノーグッドです。

 私はいそいそとその場を離れました。


「うひひひ……」


 近くにはもう鹿っこ一匹いません。我ながらワルな笑い声が出てしまいます。ようやく安心しておせんべいにありつける時が来たのです。何だか到達感とむなしさが入り混じっているような気もしますが、まあいいでしょう。


「い……いただきます」


 一呼吸おいて、私は鹿せんべいを口に含みました。


「うッ……げげッ……!」


 すごくパサパサで、しかも味がありません。口の中の唾液が全て持っていかれます。おばあちゃんの家にあった米ヌカのような、どくとくなニオイが鼻をつき、まるで顔全体がヌカでおおわれているようでした。


 つまりはゲロマズでした。思わずぺっぺと吐きだしてしまいます。

 私はここで思い知りました。人と鹿はちがう生き物なんだな~、と。まあ当たり前なのですが、改めて実感したという感じです。


「おやおや」

「あ……」


 ウカツでした。おばあちゃんに、鹿せんべいを食べているところを見られていたのです。

 おばあちゃんは少し驚いた表情を見せていたのですが、ニッコリと笑顔を浮かべて言いました。


「日和ちゃんも、やっちまったんだねぇ。おばあちゃんと一緒だ、ふぇっふぇっふぇっ!」

「ほへ……?」

「ワシと一緒だわぁ~」


 ななな何と! 驚いたことに、おばあちゃんも若かりし日の鹿せんイーターだったのです!


「これで、また少しおばあちゃんに近づいたねぇ」


 え、それってまさか……。私が一歩、入れ歯族に近づいたってことですか? や、やばいです! キケン信号です! メーデー(救難信号)出しますよ! いまだ小学生にしてタフ○ントを使うなんて、まるで想像できません!

 絶望にうちひしがれる私を見てか、おばあちゃんは再び笑っていました。


「冗談。まだこっちに来ちゃイカンよ。日和ちゃんはこれからなんだから」

「おばあちゃん……?」


 そう言うおばあちゃんの表情は、今までに見たことがないくらい真剣で、どこか物悲しそうな気がしました。


「……とりあえず、私はお口をゆすいできますね」


 口に広がる生ぐさいニオイを取りのぞくべく、私は近くのトイレに急ぐのでした。


ちなみに、鹿せんべいを食べたのは後にも先にもこの時だけでした。

 ……本当ですよ?



(※最後の一文が抜けてましたので修正しました!)


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