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午後3時を過ぎた頃から徐々に来店数が多くなってくる。
ここ、【カフェレストラン・wood】は女性客が大半でどこのテーブルも甘いスイーツとドリンクで話が弾んでいるようだ。俺は少し奥まった一人掛けの席でその様子をなんとはなしに眺めていた。
このカフェで働き始めてそろそろ1年だろうか……厨房希望だったのだが人が足りてるとウェイターにされた時は悔しくもあったものだ。だけどハジメさんが作る料理を見て食べてこの人と働きたいと思ってそれを受け入れた。それに仕込みなどは俺が任されている。厨房に入る時はハジメさんを観察しながら彼の技術を学んでいる。
しかし、今日はやってしまったーーーー
「そんな落ち込まないで! たいしたことなくてよかったわよぉ」
明るい声とともに背中をポンッと叩かれ、見上げると喬子さんがニコニコしながらティーセットを持って立っていた。
「いや、でも店のカップ割ってしかも指切るとか……迷惑掛けてすみません」
「そうね、今月2個目だしそこは気をつけてね」
「ゔっ……気をつけます」
「でも月1で何もないところで躓いて食器割ってるけど、指切るのは珍しいわね。」
「はぁああ……」
ああ、俺って学習しないなぁ……なぜいつもあそこで躓くのか。気をつけているのになぜかあそこで足をとられることがあるのでいつもは避けるようにしていたのだがぼんやりしていた。ウェイターもまともにできないなんて……また気分が重くなっていると今度は強めに背中を叩かれた。
「過ぎたことをいつまでもウジウジしない! 食器はまた買えばいいから。それよりも怪我、するなんて何をぼんやりしてたの?」
そう言いながらポットの中身を注ぎ始めた。すると湯気と一緒に甘酸っぱい香りが漂ってくる。テーブルの周りはその香りに包まれ気分がホッと軽くなってきた。
「悩みがあるなら聞くけど」
綺麗な紅樺色の液体が入ったカップを渡されてひと口啜るとさっきの甘酸っぱい香りが鼻から抜けてあとから優しい甘さが舌に広がった。
「悩みはないんですが」
気になることはあった。あの子のことがなぜか気になっていた。確かに美人で魅力的な子だった。黒い髪とは対照的に白く透き通るような肌、憂いをおびた瞳……あれ、もしかして俺ーー
「恋でもしたの?」
盛大に咳込んでしまった。
「いやっ! まさか、そっ、そんな」
咳込んだために涙目になりながら否定しようとして口から出たのは真逆だった。
「そうかーー恋、したのか。」
そう認めてしまえば彼女のことが気になるのも納得できる。そうか、俺、恋しちゃったか。そうかーー
「喬子さん、これ新しいお茶ですね?」
「え? ああ、そうなの。ってそれより恋したの?」
このカフェではオーナーである森永喬子〈もりながきょうこ〉さんがハーブティーなどをブレンドしていろいろなドリンクを提供している。時々こうして試作品をいただくのだが、この甘酸っぱさ、これはまるで恋のようではないだろうか!今日この時、俺が恋を自覚したこの瞬間に生まれた新しいブレンドティー。
「喬子さん、このお茶“恋茶”とかどうです?!」
「却下」
それまでポカンとしていた喬子さんの顔が一瞬で心底ウンザリした表情に変わり冷たく言い放った。
「なんでですか! これ、カモミールとローズヒップですよね? カモミール濃いめに淹れてるから“濃い”と“恋”でかけてるんですよ?!」
「ダサイ」
「そんなひと言で!」
「あと、これ飲んだら恋が叶うとかそういうことないからね。余計な誤解は与えないためにも却下よ」
「ちょっとくらい夢見てもいいじゃないですか!」
新作のブレンドティーに俺がつけたメニューだけはひとつもない。俺だってここの一員なのに!
「あの、そろそろ仕事に戻れますかぁ?」
ふらりと現れたハジメさんの両腕には食べ終わった食器の積まれたトレーがあった。
「ああ! すみませんハジメさん、すぐ戻ります!」
「潤はそれ全部飲んでからでいいよ。喬子さんブレンドティーAセットお願いします」
「はぁい」
2人を見送って残りのブレンドティーを急いで飲み干していると喬子さんが戻ってきた。
「潤くん後で詳しく聞かせてよね!」
「はぁ」
「あと、今月のお給料からカップ2個分引いておくからね」
「…………はい」
そしてまた栗色のポニーテールを揺らして去って行った。