第一編 Chapter1 (4)
「俺たち、何の獣人なのかな。」
さっきのしんみりした空気はどこへ行ったのやら、グラウンドへ向かう道すがら、大地はこのことばかり言っていた。
「俺は、ライオンがいいな。やっぱり百獣の王だし。叶絵は、何がいいんだ?」
大地がふると、叶絵は少し考え込み、
「うーん、別に大人しめの動物なら何でもいいわ。ライオンなんてまっぴらかな。」
と控えめに言った。
「まぁ、僕もハイエナ以上ライオン以下ってぐらいがいいかな…」
僕も自分の希望を言ってみた。すると、大地が怪訝そうな顔になる。
「なんだそりゃ」
大地が頭にハテナを浮かべながら聞く。
「まぁ、弱すぎず強すぎずが一番ってことさ。」
「なんか哲志、テンション高くねぇか?」
大地が叶絵に呼びかける。
「大地も人のこといえないでしょ。」
叶絵もふふっ、と微笑んだ。
「違いねぇや」
大地も快活に笑った。
この時、誰もが自分の新しい正体を知ることに胸を弾ませていたはずだ。
勿論僕も、自分の獣人としての本当の姿を知ることに、胸の高鳴りを止められなかった。
獣人としての第二の人生の、第一歩なのだから。
だが、僕はまだ気づいていなかったのだ。
父さんの言った過酷な『運命』が、もう間近に迫っていたのだと言うことを…。
***
十神学園のグラウンドは、僕が今まで見てきたそれとは少し様子が違った。
面積が圧倒的に広いのだ。
大体見立てで普通の運動場の5倍はあるだろう。
そんなグラウンドに、僕達1年B組の生徒は集まっていた。
「広っれ~な!野球場何個分だ!?」
思わず大地が感嘆の声を漏らす。
「何のためにこんな広い運動場を…。哲志」
叶絵が怪訝そうに聞いてくる。
「さぁ。僕にも分からないよ。ただ普通の学校に、こんな広いグラウンドはないよな。」
そんな事を言っている間に、尾井がグラウンドに到着する。
「おぅし。皆揃ってるな。んじゃ、お待ちかね、お前達の獣人としての第一歩だ。」
皆から、歓喜の声が聞こえる。
「お前達に今から教えるのは、『覚醒』だ。」
尾井が説明を始め、皆が息を呑んで尾井の説明に聞き入る。
「本来、獣人は人間と獣のハーフだから、姿も普通の人間よりは獣に近い。だが、我々獣人は普段、今のように人間の姿でいる。これは、『人間化』っていう一種の技術だ。」
自分のこの姿は、獣人としては仮の姿なのか…
流石に、皆16年間共に過ごした体が仮の姿と分かって、複雑な顔をしている。
「この『人間化』には、獣人にとって2つの利益をもたらす。それは、人間との適合とマナ消費の抑制だ。」
皆が、頭上に?を浮かべる。正直、僕もあまり理解出来なかった。
「皆、そんな『何言ってんの、こいつ』みたいな顔するな。今から説明するから。」
尾井はそれから順に説明していく。
「まず、人間との適合。今、世界は人間の支配下にあるのは知ってるよな。身体能力や戦闘力では獣人が圧倒的にまさっているにも関わらず、何故獣人が適合する側なのか。答えは単純、数だ。」
尾井は一息つき、説明を続ける。
「人間の人口は…確か70億位か?それに対して、獣人の人口は約3000万人と言われている。圧倒的に数で負けているのだよ。だから、獣人は人間界で人間として振る舞うという選択肢を取った。これが『人間化』が誕生したきっかけの一つでもあるんだよ。」
数の勢力。
これが、人間が陽、獣人が陰として存在する理由か。
いくら力に優れていても、獣人は圧倒的に数が少なすぎるってことか。
いや、待てよ…
だからといって、なぜ獣人は人間から隠れて生きなければならないんだ?
共存という選択肢は…?
「では、次にマナ消費の抑制についてだ。」
僕の思考は、尾井の説明によって遮断される。
「まず、一番根底に理解しなければいけないことがある。それは、俺達獣人は戦闘種族だということだ。」
「バトルマンガかよ…」
隣で大地がボソッと呟く。
「元来、獣人や人間は自然と密接な関係を築いてきていた。人と自然が共存しあう中で、人間や獣人は、『マナ』という自然の力を自然から借りるという形で行使する事ができていたんだ。簡単に言うなら、魔法みたいなもんだ。」
魔法という、オカルト的な言葉が出てきて、皆がざわめき始める。
「はい、落ち着け。まぁ、魔法なんて存在しないって思ってるやつもいるかもしれんが、とりあえず聞いてくれ。」
皆が、まだ釈然としない様子のまま静まる。
「だが、いつからから人間は私利私欲で自然を利用し、さらには破壊すら始めた。そのため、元々自然から借りるという形で行使していた『マナ』は、当然人間達には生成出来なくなっていったんだ。だから、現在では人間界で魔法は存在しないものとされているって訳だ。」
妙に説得力のある尾井の言葉に、皆は反論できず、黙って聞くことしか出来なかった。
「その反面、獣人には依然として『マナ』が存在する。話を戻すと、獣人は戦闘種族って言ったよな。やはり、獣の血を引いてるだけあって、喧嘩っ早いんだ。『マナ』はしばしば、獣人同士での戦闘において、武器として使われる。例えば、マナを精製して火球を作って相手を攻撃したり、逆に結界を張って相手の攻撃を和らげたりする『呪文』や、拳を熱化して通常より何倍ものダメージを与える『体術』など、用途は無限大にある。」
本当に、まるっきりバトルマンガのような設定だな…
僕は、まだ実感が掴めていないまま、ぼんやりと考える。
「だが、だからと言ってそんな『呪文』や『体術』がポンポン出せると言う訳じゃない。それらは確かに強力な戦闘要素だが、同時に強力であればあるほど、マナを大量に消費する。マナを消費し過ぎて、自分のマナ容量を超えるマナを使用しようとすると、それは命を削ることと同義だ。だからまぁ、諸刃の剣ってわけだな。」
RPGゲームで言うMPって所だな。
自分が持つマナ容量までなら『呪文』や『体術』は使えるが、それを超えて使おうとすると命を削ることになるってわけか。
「獣人の血を引いてるなら、人間の姿のままでもマナを行使できる。マナ消費が少ないという利点があるが、同時にどうしても威力が落ちてしまうがな。それに対して、『覚醒』して獣人としての姿になると、人間の姿の時と比べものにならない力が行使できるが、同時にマナ消費も比べものにならないほど大きい。さらに『覚醒』時は皆、常にマナを消費した状態になっている。だから、『人間化』は余計なマナ消費を回避するって役割もあるってわけだ。」
なるほど、つまり大まかに『人間化』には、
・人間との軋轢を避ける
・MP的な感じの原動力、マナの消費を抑える
って役目があるってわけか。
「まぁ、実戦では皆ほとんど覚醒して戦うんだがな。」
尾井は付け足す。
「これらがさっき言った、『人間との適合』『マナ消費の抑制』の意味だ。理解が追いついてない奴はいるか?」
皆は沈黙で答えを返す。
「前置きが長くなったな。じゃあそろそろ、『人間化』の逆、本題の『覚醒』について教えようか。」
「いよいよだな。」
隣で大地が興奮気味に言う。
皆も、興奮を隠しきれないといった様子だ。
「まぁ、こっから『覚醒』についてグダグダ言うと、いい加減お前らもしびれ切らすだろうから、とりあえず覚醒してもらう。いまから、その具体的手段について説明する。」
皆が固唾を呑んで尾井の話に聞き入る。
大地も叶絵も、食い入るように尾井の方を見る。
「まぁ、そうは言っても、そんな小難しいことじゃない。「ふんっ」と気合いを入れる要領だ。最初は失敗するかもしれんが、いずれ慣れて普通に出来るようになる。まぁ、一回手本を見せようか。」
そう言うと、尾井は少し目を閉じたかと思うと、
尾井の姿が変化した。
頭には耳が生え、全体的に体毛が灰色に変化している。
体つきも、さっきとは異なり、かなりがっちりとしている。
その姿は、まるで人間と犬を混ぜたようなものだった。
「まぁ、こんなもんだな。ちなみに俺は犬、特にブルドッグの獣人だ。」
皆が唖然として尾井の姿を見る。
(これが…獣人)
すると、端の方から、誰かが「ふんっ」と言って気合いを入れていた。だが、その体に変化はない。
「なんだかせっかちな奴がいるな。まだ話は終わってない。いくらやっても、まだ覚醒はできないぞ~」
周囲に笑いが上がる。同時にその子はシュンと縮こまってしまった。
「『覚醒』を初めて行う際には、ある言葉を覚醒のキーとして言わなければならない。今から言うからよく聞いておけ。」
そう言うと、尾井ははっきりした声で、その言葉を紡ぐ。
「我は深き眠りにつきし者。天空神グランゼニスの命により今こそ、その眠りから目覚めよ。」
皆が沈黙し、心の中でその言葉を反芻する。
「こんな感じだ。初めて覚醒する奴は、この言葉と共に自動的に覚醒する。まぁ、皆やってみろ。少ししたら、また招集かけるからな」
そう言って、尾井は校舎の方へ戻って行った。
「あの言葉、どういう意味なんだろう。」
叶絵が呟く。
僕、大地、叶絵の3人は、グラウンドの隅、校舎に一番近い場所に集まっていた。
「べっつにいいじゃねえか、意味なんて。それより、早く覚醒してみようぜ!」
大地が、全身で期待を表現しながら言った。
「…うんっ。それもそうね。とりあえず、自分の正体も見てみたいしね。」
叶絵も、興味が覚醒の方に向いたのか、大地に賛同する。
「じゃあ、誰からするんだ?」
僕が尋ねると、
「俺からだなー。」
大地がノリノリで立候補する。
大地が1歩前にでて、僕と叶絵は固唾を呑んで見守る。そして、
「我は深き眠りにつきし者。天空神グランゼニスの命により、今こそその眠りから目覚めよ!」
大地がそう唱えたその刹那、大地の姿が変化する。
頭からは、茶色の雄々しい鬣が生え、全身の体毛も黄土色に変わる。体つきはかなりがっちりとした、この姿は…
「ライオン?」
隣で叶絵が漏らす。
「えっ!?」
大地は驚いた様子で、自分の身体を見回す、そして、
「ぃよっしゃぁぁぁぁ!!!!」
雄叫びを上げた。歓喜の雄たけびを、大地は完全に体現していた。
「みろよ!ライオンだぜ!?俺の希望通り!なんだこれ!なんか色々来た~!!」
大地が子供のようにハイテンションになって騒ぐ。
「はいはい、分かったから。じゃあ、次は私ね。」
叶絵がそう言うと、大地は静まり、1歩引いた。
そして叶絵が1歩前に出る。
叶絵は目を閉じ、一つ呼吸を置いた。そしてはっきりと、その台詞を告げる。
「我は深き眠りにつきし者。天空神グランゼニスの命により、今こそその眠りから目覚めよ!」
叶絵の姿が変化する。
頭からは耳が生え、手には肉球が出る。体毛は少し濃い青みががったものとなりお尻の辺りからは、にょろんと尻尾が生えていた。その姿はまるで…
「「猫だな。」」
僕と大地の台詞が被る。
それを聞いた叶絵は、自分の身体を見回す。
「猫かぁ。わ!尻尾生えてる!手にも、肉球?気持ちいい感触~」
そう言って、叶絵は自分の身体をいじる。肉球の感覚が気に入ったらしい、顔を緩ませながら肉球をいじっている。
そして、ふっとこちらを見たかと思うと、少し不安が混じったような眼差しでこちらを見た。
「ど、どうかな。」
叶絵は後ろに手を組んで、もじもじとこちらを見る。
感想を求めているのだろうか。
「まぁ、似合ってるんじゃねぇ?」
大地が言う。
「あぁ、僕も、可愛いと思うよ。」
僕も、大地に続いて感想を述べる。
「か、可愛い!?」
叶絵は、僕の言葉を聞くなり大きく目を開き、ボッと顔を赤くして、俯いてしまった。
照れているのだろうか?
下を向いたまま「~~~~!!」と、言葉になってない言葉を発している。
「次は哲志だろ。早くやれよ。」
大地から不機嫌そうな声が飛ぶ。
「大地、なんでお前はそんな不機嫌なんだよ。」
「別に不機嫌なんかじゃねーよ。」
そう言って、明らかに不機嫌そうにそっぽを向いた。
「んじゃまぁ、僕の番だな。」
あまり気にしないまま、僕が1歩前に出る。
そして、その言葉を唱えようとした、その時
「「「うおぉぉぉぉ!!!」」」
歓声のようなものが、僕の発声にブレーキをかけた。
様子を見ると、グラウンドの中央で皆が集まっている。
「何だ?」
「行ってみようぜ!」
そう言うと、大地はグラウンドの中央に走って向かう。
僕と叶絵もその後を追った。
そして、人だかりの中央を見ると、そこには、信じられない光景が広がっていた。
その中心に立っているのは、確か…望月由美さん、だったはずだ。
長い黒髪で、整った顔立ち。表情には少し憂いを含んでいる感じがある。
絶世の美女と形容しても差し支えのないような女の子だった。
問題なのはそこではない。
彼女は覚醒している。
頭からは、耳とはまた違う、攻撃的な角がはえている。
口からは牙がちらりと見えており、爪も鋭く尖っている。
そして、全身の毛…というより皮膚の色が薄い赤に染まっている。
その姿は、僕たちもよく知っている、鬼の姿そのものだった。
「鬼!?」
大地が素っ頓狂な声を上げる。
「嘘っ!?ってことは、望月さんは…」
「神話族獣人…」
野生には生息せず、昔話や伝説で語り継がれる、幻の種族、神話族。
全体の1%にも満たないという超希少種族が、僕達の目の前にいる。
この光景は、僕達の心の隅にあった、「神話族や獣神族は夢や幻の存在だ」という認識を、跡形もなく消滅させた。
「あぁ~、すごいもん見たな。」
大地がまだ夢から醒めていないような調子で言う。
「うん、正直神話族って言われても、別次元のものって言う認識がどこかにあったからね。」
叶絵も、大地に賛同する。
望月さんの騒ぎはもうすでに収まり、皆大半が覚醒を終えている。
「よっしゃ~、サルだぜ!」
「カバか…まぁ、無難だな…」
「なんだこれ!?ナメクジ!?うわぁぁぁぁ!」
あちこちから、様々な声が聞こえる。
皆、自分の正体に喜んだり、落胆したりと忙しい。てか、なめくじって…。
「哲志!早くお前も覚醒しろよ!」
待ちきれないといわんばかりに、大地が僕を促す。叶絵も、僕に期待の視線を向けている。
「よし、やるか!」
気合いを入れ、僕は1歩前に出る。
この1歩が、僕の人間と獣人との境界線。
今この瞬間、本当の意味で僕は獣人としての第1歩を踏み出すのだ。
僕は心の中で決意を固め、言った。
「我は深き眠りにつきし者。天空神グランゼニスの命により、今こそその眠りから目覚めよ!!」
運命の歯車が
回り始めた。