第六話 白い少女
「一緒に帰りましょう」
「……はい?」
放課後、教室から出た僕を待ち構えていたのは見覚えのある白いオカッパ少女だった。レン、でよかったよな? やはり、可愛い。しかし、意図がわからない。
彼女は腕まくりもせず、長袖の夏服を着ていた。暑さに強いというのはうらやましい。
「一緒に帰るって、君と?」
「他に誰がいます?」
「いや、この状況でその言葉なら君で間違いはないんだろうけどさ」
「ええ」
「…………どうして?」
「一緒に帰りたいからです」
僕への返答を淡々とこなすレン。しかし、その答えの内容がどうも薄い。どこか面倒臭がっているような、そんな雰囲気である。
どうしたものかと考えていると、急に両の手が掴まれる。
「イヤですか?」
「別に、イヤではないよ。ただ、なんで僕なんだろうとは思うけど」
「知りたいですか?」
「ま、まあ」
「それでは、私のこと、名前で呼んで下さい」
「え、ええと、それじゃあ……レン」
「はい、錬次」
「レン?」
「錬次」
「……楽しんでるか?」
「ええ、とても」
ニッコリ。邪気のない笑みが僕の精神を揉み解す! これはキツイ! 真相究明を急がなければ、こちらが折れてしまいそうだ……。
「で、なんで僕なんだ?」
「好きだから、ではダメですか?」
女性免疫のない僕になんて攻撃だ。いや、でもしかし。
「……………………へえ」
意外と冷静な僕である。
「なんですかその薄い反応。地味にキますね。こう、胸に」
「……ゴメンな。動揺してないわけじゃないんだ。ただ、最近妙にその単語が頭を回ってるもんだから耐性が出来ちゃってると言うか」
「常時告白の単語が並んでいるって、どれだけ思春期ですか」
まあ、もっともな意見ではあるのだけど、頼むから僕一人のせいにするのはやめてほしい。これは八割くらい西條によるものだ。だから、満足にリアクションが取れなくても、責めないでくれ。……と言い訳したい。
仕方ない。正直に話して、告白を断ろう。半端な気持ちで付き合うなんて、どう考えても失礼だ。
「僕、さ。好きな人いるんだよ」
「知ってます」
「だからその告白は……へ?」
「大丈夫です。私は愛人で結構ですので」
「愛人…………いやいやいやっ! そんなただれた人間関係僕が許さない! 他ならぬ僕が!」
「お金のない援助交際だと思えば……」
「ダメだから! そもそもそれはただの交際だ!」
ここで、レンは少し悲しげな表情を見せる。やはり、こういう時は女子って泣くんだろうか。わからないけど、それは、かなりイヤだな……。
「本当にダメ、ですか」
「ダメ」
「どうしても?」
「どうしても」
「…………雑談もこれくらいにそろそろ帰りましょうか。行きますよ、錬次」
「……え?」
話がどう考えても不自然に終わった気がするんだけど、気のせいだろうか。そんなわけはない。確実に断ち切られた。しかし、なんだろう。違和感がない。これから話を戻そうというのが、不可能な気がする。
だって、そんな空気だ。
「何をしてるんです、錬次。エロ本でも落ちていましたか? わざわざ拾わなくても買ってあげますよ?」
「いや、違う! 断じて否だ! そして、拾うからこそロマンがあるんだよ! 少なくとも、そういう奴らはな!」
僕は急いで彼女の隣まで駆ける。レンは、僕が隣に来るや否や、左側にぴたりとくっつき、僕の顔を見上げて微笑む。極上の笑顔とは、こういう感じだろうか。
気付けば、なんの抵抗をするでもなく、僕はレンと二人で帰路についていた。何をしていた、僕の感覚器官。
「さて、お話をして帰りましょう。錬次」
「お話、お話ねぇ……」
篠本さんと食事したこと、というのが今、僕の中で最もホットな話題なわけだけれど、さすがに自分を好いてくれている女の子の前で他の女の子の話をするのはマズイというのは僕でもわかる。
さて、どうしたものか……。
「そういえば、この前、数少ないダチとの話で君の名前について話していたよ」
「名前?」
レンは不思議そうな顔をする。それもそうだ。レン、という名前に別段変わったところはない。割と普通に聞く名前である。というか、本当に僕はこれしか話題を思いつかなかったのか? どんだけつまらない男だよ……。
「漢字、どう書くのかな、ってさ。そうすれば、どこの学年で、どこのクラスかわかるだろう?」
「ああ、なるほど。そうですね、私は、あなたに何も教えていませんでした」
レンはうっかりしたと言うように、わざとらしく口に手を当てる。そんなことよりも、会話が繋がってよかった。
「私の本名(、、)は魅上色夜。あなたと同じ、二年生です。名を呼ばれる時はレン、でお願いします」
「……ええと、本名が魅上色夜で、呼び名がレン? なんで?」
「気に入らないんですよ。この名前」
「綺麗な響きだと思うけどな、その名前」
「そうですか? でも、よく考えてみて下さい。色の夜、ですよ? そう考えると、連想するモノはなんですか?」
「色の夜……」
漢字の事を考えるのだけは早い僕の頭脳。もしかしたら、レンはこのことを知っていて話を振ったのかもしれない。
色の夜。色という漢字は仏教の五蘊で言うところの物質及び肉体のことだったか。いや、租税としての「いろ」としても使われている。でも、それが名前の意味とは考えられない。なら、夜は…………あ。
「もしかして……色っていうのは」
「そうです。色とは色欲、つまりは性欲のことですね。それに夜と来れば、ああイヤだ。私が生まれた時は、もしく、私が作られた時はさぞかし激しい夜だったのでしょう」
「いや、もしかしたら、月に色があったとか、ほら、赤い月とかたまにあるし。そういう」
「だったらむしろ、月夜とかでもよかったと思いませんか?」
「……ですね」
まあ、無理のある説明だったとは思うけども。それでも、その、情事の様子を子供の名前にするのは親としてどうかと思う。というか、信じたくない。
「まあ、それもこれも、全ては家の決まりのせいでして」
「決まり?」
レンはこくりと頷く。
「ええ、決まりです。格好良く言えば掟、とかそんなものです」
「それって結構重いんじゃ……」
「そんなことはないですね。慣れてますから」
「慣れ、ね。で、その掟とやらはなんて内容なんだ?」
「まあ、それを話すには少し早いので、この話はいったんここで切りましょう。ええ、そうしましょう」
「え?」
唐突にもほどがある。この子、先ほども思ったが、話の切り方が雑過ぎるような気がするんだが気のせいなのか? ここまで引っ張っておいて他の話題って……。
「(どういう掟なんだよ……聞き慣れない単語だけに結構気になるところなんだけどな……)」
「どうかしましたか? 難しい顔をして……あ、トイレですか? 私には遠慮せず、ささ、どうぞ」
「どうぞと言って道端を指さしているのはどういう意味かな?」
「愚問ですね。その様を見て……楽しむのです」
「頬を染めるな! 若干ガチで言ったなその台詞! 僕にはわかるんだからな!」
「まあ、細かいことにいちいち敏感だ、とは聞いています」
「…………誰から」
「S藤M人さんから」
「正人こらっ…………!」
あまりにも腹が立ったので、こちらからもヤツがホモであるということを伝える。アイツ、レンのこと知らないとか言いながら……!
「……はあ、それで、次は何を話す? 僕はその掟とやらが早く知りたいわけだけども」
「まあ、そう焦らず。次は、そうですね。錬次のことが知りたいです」
「僕のこと? でも、なんだかわからないけど、レンは僕のことを結構知っているんだろ?」
「ええ、ある程度は。でも、もっと詳しくです。もっとあなたのことを知りたい。愛人として、当然のことです」
レンは妖艶な笑みを浮かべる。もしかしたら彼女は普通に笑っただけなのかもしれないけれど、少なくとも僕は、それがとても魅力的に見えた。先ほどの名前の件は、案外この娘の本質を表わしているのかもしれない。本人に言えば、怒られてしまうだろう。
それにしても、僕について、か。
「何を話したらいい? 自慢話なら、小学生の頃に読書感想文で賞を取りまくっていた時期があったってくらいだけど」
「ええ、そんな感じで構いません。錬次のことを、なんでも」
「じゃあ、小学校で自分がモテまくっていると勘違いしていた頃の話を――」
過去を思い出す、というのは僕にとって苦行である。その理由は単純。自分の寂しさと向き合うことにあるからである。
思い出を楽しく語れば語るほど、今の世界が空虚に思えてくる。思い出を愉快に大きく語れば語るほど、今の世界がちっぽけでつまらないものだと思ってしまう。
僕がいくらこの時を楽しんだとしても、過去に感じていた楽しさというヤツには到底及ばない。
たぶん、昔の記憶には「家族」というモノが嫌と言うほど入り込んでいるからなのだろう。「家族」と自分を切り離すことに、未練があるのかもしれない。我ながら女々しいことではあるのだけれど。
「なんだか、苦しそうですね」
だから、こんな図星をつかれた時なんかは目に見えてうろたえてしまうのだ。
「そ、うかな。そう見える?」
「ええ、自殺願望を持った思春期初期の少年の目をしていますね」
「具体的な内容だな……でも、たぶん間違っちゃいない、と思うよ。それは」
「自殺願望があると?」
「いや、そんなことはないよ。生きたいさ。結果としてはね」
「結果として……」
「そう。結果として」
結果、久東家一家の中で唯一生き残ってしまった僕。生きていてよかった、と思う。それに揺らぎはないし、死にたいなんて思いはしない。けれど……、
「なんで、あの時死ななかったんだろうって、思うよ。時々、さ」
「交通事故の話、ですか?」
レンは遠慮がちに問いかける。本当に何でも知っているな、と思いつつ、若干の腹立たしさを覚える。この子はいったい、僕の事をどこまで知っているんだ? そして、僕は会ったばかりのこの子に、どれだけ話すつもりなんだ?
僕はなるべく平然を装って答える。
「皆、車の下敷きとか、火に焼かれたとか、衝撃で既に即死とか。色々とあったけど、僕はそのどれにも当てはまらなかった。なんでだろうな……」
「運がよかったんですね」
「運、か。そうか、そうだな。アレがなければ、僕は死んでいたのかもしれないし」
「アレ?」
追求するレンの目が鋭くなった、ような気がした。今まで何気なく聞いていたような雰囲気だったのが、ピリッとした緊張感を孕んだように思える。
「笑わないでくれよ? 僕だって、生きるのが精一杯の状況だったんだから。アレはただの幻だったのか、本当のことだったのか。ただの勘違いだったのか」
「笑いませんよ。決して」
真剣な表情で答えるレン。でも、そんな真顔で見られても話し難い。正直なところ、僕だって冗談半分に捉えている出来事なのだ。他人に笑うな、とは、自分勝手な要求である。
僕はその空気を壊さぬよう、慎重に語り始めた。それこそ、アルバムをめくって、自分もその記憶を思い出すようにしながら。心に刻まれた、傷痕を抉りながら。
「じゃあ、ついでだから、その日一日について話そうか。最高にして、最悪の一日。夏の気温が肌を焼いた、八月十五日。いとこの、月夜兄さんの誕生日を祝うはずだった、あの日のことを」
どうも、桜谷です。
若干日常パート終了の予感。
どこかずれた日常の始まりです。