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蟲床フラストレーション  作者: 桜谷 卯月
第一章 非現実への入り口
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第三話 女の子は全力

「起立、礼」

ホームル―ム終了の挨拶が終わり、がやがやと騒がしくなる教室。僕は教科書などを愛用歴五年の鞄に詰め込み、今日の疲れを吐き出すように一つため息を吐く。

「さあ、篠本さんを見守るか」

「よく考えて発言しないとストーカーになるからな。気を付けろよ、錬次」

 正人の素早いフォローにより、僕のストーカー性は全否定された。そもそも、純粋な愛情だ。ストーカーには見えないはずなのに。心外である。

 正人は僕の机に腰掛け、僕を見下ろしてやれやれ、といった顔をする。

「お前、見守るとか言うけどさ、本当に付き合いたいわけ?」

「当たり前だ」

「じゃあ、その姿想像したことってあるか?」

「そりゃ…………ないぞ?」

「思い浮かぶか?」

「……無理だな」

「やれやれ、だな。まったくもってやれやれだぜ」

 正人は「やれやれ」と言う言葉にさも重要な意味があるかのように繰り返す。ちなみに、正人が言う「やれやれ」は「呆れた」という言葉を三倍にした効果があるのだとかないのだとか。

「好きな人なんだろ? だったら少しくらいアレな妄想とかしてもおかしくなくないか?」

「いや、まあ、でかい乳だなとは思うけど」

「揉みしだきたいとは思わないのか!」

「いや、そんなことしたら痛いだろ。つうか、正人。結構今のお前の発言、危ないからな」

「なんでお前が冷静なんだよ……それ俺のキャラだろ……とにかく」

 正人は机から飛び降り、僕に詰め寄る。


「お前は、愛が、足りない!」


 正人は格言めいた言葉を「どーん」と実際に口に出して偉そうに述べた。この男、いつになくうざい。ただでさえ小柄な所、アリレベルにまで潰してやろうか。

「なんでだよ。僕は愛の戦士だぜ? ラブソルジャーだぜ?」

「まあ、そのだっさい名前はともかくだ。もっとドキドキするとかさ、そういうことはないのか?」

「そりゃあ、ドキドキくらいはするさ」

「どんな時?」

「通りすがった時とか」

「お前はどこの通り魔だ! ……いや、割と普通だったか」

「落ちつけよ」

 正人が深く深呼吸する。正直、かなり暴走気味だ。さっきまで揉みしだくとか言っておきながら愛だとか言っているけどもそれってつまるところ性欲のみじゃね? とか思うわけだけども、黙っておこう。黙っておいた方がいいような気がする。

「……はぁ、まあ、なんだ、アレだ。どうなんだ。お前って、本当に篠本さんが好きなのか?」

「好きだぞ。うん、好きだ」

「即答か。まあ、いいけどな。授業前にも言ったがな、他にも気になる奴がいるのならそいつにした方がいいぞ。ほら、さっきラブコメってた子とか、西條とかさ」

「なんで西條が出るんだよ?」

「仲いいだろ?」

「悪くはないな」

「だったら候補だろ」

 想像してみる。僕が西條と付き合っているところ。…………ふむ。

「僕、多額の保険金をかけられる気がするんだ」

「まあ、末路はそんな感じっぽいよな」

「末路言うな」

「……そう。バレることはやらない」

「まあ、用意周到だろうなあ、アイツは」

「…………(こくり)」

「「ごめんなさい」」

「……普通の方、ジュース買ってきて。私の気に入ったやつじゃなかったら業者の人を呼んでその缶を自販機に戻してもらってまたトライして」

 ちなみに、普通の方というのは正人のことである。佐藤=普通という解釈らしい。明確に意味が判明したのは以前にどっちが普通の方かで揉めたとき。西條が指をさして一言、「お前に決まっているだろう?」と、正人を見下した目で見つつ、呆れた声で言ったのだった。

「はいっ、了解です隊長!」

「……うむ」

 正人は敬礼すると、綺麗に身体を百八十度ターンさせ、廊下を走り去って行った。

 さて、残ったのは僕と機嫌の悪い(?)西條さんなワケですが。

「……久東、失礼な男」

 むっ、と軽く頬を膨らませて睨みつけてくる西條。もちろん、この仕草はわざとである。このような仕草をすれば男は簡単に騙されるのだと知っているのだ、この女は。実際、何度も騙された僕が言うのだから間違いない。だって、可愛い。

「……私のことを悪女悪女って、そんなに嫌い?」

「そんなことないさ。西條は僕の数少ない友人の一人だ。僕は友人だったら絶対嫌いになったりしない」

「……そういえば、久東の友人の定義は何?」

「一緒にいて違和感ない人」

「……O型?」

「A型だよ。別に大雑把じゃないって。あるだろ? コイツと一緒にいると落ち着かない、とかさ」

「…………私は大体の人がそう」

「……だろうな」

 西條は胸元をおもむろにパタパタと動かす。彼女は白いワイシャツにタイという、我が校お決まりのスタイルなのだが……なのだが……。

「あの、西條さん?」

「…………(パタパタ)」

「もしかしたら、殴られたり訴えられたりするかもしれないけどさ、もう、言いたくて仕方ないんだけど」

「…………(パタパタ)」

 西條は涼しい顔で僕の反応を見ている。ちらりと覗くのは決して下着とかそんなものではなく……。

「…………ノーブラですか?」

「……このスリルがたまらない」

 理由が変態だ。残念なことにまごう事なき変態だ。変態だ! といつもなら叫んでいるところだが、相手が西條とあっては今更なのでそこまでのテンションに至ることはない。

 というか、性欲旺盛な中学生みたいで恥ずかしいじゃないか。

「……襲う?」

「若干期待した目で僕を見ないでくれ。僕は平穏な日常を過ごしたいんだ」

「…………どーてー」

「否定はしないし出来ない。だから傷を抉るのはやめてくれ。心が壊れてしまう」

「……振りと解釈」

「振りじゃねぇよ! 僕を芸人と勘違いしないでいただきたい!」

「お前ら、仲良いよな……」

 第三者の声が乱入し、顔を向けると、そこには肩で息をする正人の姿があった。腕には、自販機を片っ端から買い漁ったであろうジュースの山が抱えられている。必死だな、と他人事のように思った。実際他人だしな。

「お前、たまに冷酷だよな」

「何がだ。あ、お茶もらうわ」

「……馬鹿な発想。確実な手段ではあるけど。レモンティー以外はあなたにあげる」

「いや、まあ、もらうというか、俺が買ったものだから……いや、ありがたくもらっておきます」 

 お茶を胃に流し込みつつ、横目で西條を見る。レモンティーを飲む彼女はかなり無防備だ。どうにも彼女、レモンティーが好物らしく、昼食はいつもこれだけ、という噂も聞いたことがある。真偽は定かではない。昼休み、僕は例の場所に行かなければいけないし、第一そんなことに興味はない。

「…………あげない」

「別にレモンティーが欲しくて見ていたわけじゃないよ」

「…………胸?」

「確かに見る価値はあるかもしれないけれどそうじゃない。というか、西條が僕のことをどういう認識で見ているのか、よくわかったような気がする」

「胸がどうしたって?」

 正人がだるそうにリンゴジュースを飲みながら訊いてくる。

「西條、今日ノーブラなんだよ」

「そうか」

 興味無さげに短く返事を残すと、正人は一気にジュースを飲み干し、大量にある飲み物からミネラルウォーターを取ってふたを開ける。よく見れば、正人の足元には五本ほど、ジュースの缶が並んでいた。

 その様子をこれまた興味なさげに眺めていた西條がぽつりと呟く。

「……あなたって……ホモ?」

「はあ?」

「……ホモサピエンスではなく、ホモセクシャルの方で」

「それはわかってるけどさ、なんでだよ?」

 正人の質問を受け、西條は一つ頷き、何故か自分の胸を両手で寄せ集め、持ち上げた。西條の胸は自らの柔らかさを主張するかのように揺れる。僕は思わずお茶を噴き出す。

 正人はそれを呆れ顔で見ていた。

「何、それ」

「…………久東、コイツ、ホモ。気を付けて」

「……わかった。これからは十分に注意する。くっ、今まで篠村さんに興味がないなんて訳のわからないこと言ってたのはこういうことだったのか……!」

「いや、いやいやいや! ちょっと待てよ! なんで俺が西條の胸に反応しないからホモだって事になるんだよ!」

 正人は実に意味のわからない質問を投げかける。僕は正人に言ってやった。自分の反応の愚かさを!

「いいか? お前、西條の胸をよく見てみろ。ノーブラだぞ? 形くっきりだぞ? なんで反応しないんだよ!」

「お前ちょっと発言自重しろよ! とんでもない変態になってるからな!」

「言い逃れなんて聞きたくない!」

「……久東は変態じゃない。男の子なだけ」

「大してフォローになってないぞ? そして面倒臭そうに俺のことを見るんじゃない!」

 ホモ疑惑が解けないことに焦っているのだろう。まったく、正常の男子の行動を比較して見せてやりたいものだ。

 その後、三十分ほど同じようなやり取りが続き、結局は正人が妥協してこの話はお開き、ということになった。正直、どうでもいい話である。

「まったく……よくもまあ白熱したもんだよなぁ」

「ホント、無駄な時間だったよ。結局ホモだしな」

「……まったくまったく」

 僕と西條で何度も頷くと、正人が何か言おうとして、やめる。再び同じ展開になることが見えたのだろう。そこら辺は賢明な判断だ。ホモだけど。コイツの弱点は忍耐力がないこと。まあ、これも忍耐と言えば忍耐だ。悪口に耐えるっていう。

 それにしても、随分長く駄弁っていたものだ。腕時計の針は既に四十分の時を進めていた。無益な会話というのは、何も生まない癖にちゃっかり時間を食うのだ。

 ずっしりと腕にぶら下がる鞄を肩にかける。この鞄は持ち手の長さをある程度変えられるので手持ちの長さ、肩にかける長さという微妙な長さの調節が容易であり、気に入っている。どうでもいい情報だ。

「お前、そういえば、昼休みの子ってなんだったんだよ?」

「え? ああ、あの娘ね。僕もよくわからないんだけど、好意を寄せられている……っぽい。僕の勘違いじゃなければ、だけどさ」

「ないない、と言いたいところだが、お前はそういうの妙に鋭いところあるからな。そう簡単に否定は出来ないわけだが」

「……名前とか」

 西條が若干興味を持った、という風に腕を組んで壁にもたれかかる。彼女の「話を聞こう」という姿勢である。見ようによってはふてぶてしく見下しているように見えなくもない。

「名前か……確か、レンって言ってたっけな」

「漢字は?」

「……恋、と書いて、レンじゃない?」

 瞬間、ぞくりと何かが背筋を走る。なんだ?

「知ってるのか? 僕は正直、全然見覚えなかったんだけど……」

 西條は軽く頷き、ガッツポーズ。

「勘」

「…………まあ、人と接点を持たない西條が知っているということはもはや奇跡に近いことだから、別に期待しちゃあいなかったけどさ。でも期待持たせるのはやめよう。僕、若干喜んじゃったからさ」 

 喜ぶ? どうして喜ぶんだ? 僕は確か、あの子の気持ちは受け入れられないんじゃなかったか? 知っている奴がいたらどうするんだ? それがどうしたんだ? 僕はどうして、あの子を知れるということを喜びそうになったんだ……?

「おい? どうした、錬次」

「…………わかった。そうか、そうだよな」

「何がわかったんだよ?」

「……?」

 二人が答えを急かす。まったく、そんな面白いものでもないっていうのに。

「いや、思えば、女の子に好意を向けられたのって、これが初めてだな、と」

「…………」

「…………」

 何故黙る。

 次の瞬間、僕の両肩は正人にがっしりと掴まれていた。正人は何やら熱い瞳で僕のことを見ている。

「まさか……ここで僕を襲うつもりかっ!」

「ちげぇよ! ホモじゃねえっての! まったく、これから真面目な話しようとしてんのに……いいか? お前がもし、その子に少しでも気があるんだったら、そっちと付き合った方がいいぞ」

「いや、僕は篠本さん一筋だし」

「そんなもんはどうでもいい! 高嶺の花ってやつだ。わかれよ。お前のその感情は単なるあこがれだ。だから、諦めた方が、懸命だ、な?」

 妙に迫りくる正人。なんだこの気持ちは。若干気持ちが揺らいで……気持ちの揺らぎは前からあったよな。ズキューンとか。

「だけど、さ。ダメじゃないのか、そういうの。妥協みたいで」

「みたい、じゃない。妥協だ」

「何気に酷いこと言うなお前」

「…………思ったんだけど」

 西條が静かに口を開き、僕の目を彼女の無気力な目が見つめる。

「……もしかして、好意を向けられたら片っ端から好きになるんじゃない?」

「まさか」

「じゃあ、こういうのは」

 僕の否定を遮るように言葉を重ねると、西條は未だに僕の目の前にいた正人を突き飛ばし、その白く、しなやかな指を備えた両手を僕の頬に添えた。

「西條?」

「…………」

彼女の目からは何も読み取れない。ただ、確実にわかることは、彼女は僕に「何か」をしようとしていることだけだ。

 こうして近くで見て改めて思う。西條は綺麗だ。残念な性格と、コミュニケーション能力の低さを除けば、美少女と呼んでもいいだろう。そんな彼女が、僕の目の前に、たった数センチの距離にいる。

「……ねえ、錬次」

「え? 名前?」

「…………私のことどう思う?」

「友達、だろ? 西條は」

「…………ホントに?」

「ホントにも何も、それ以上の関係なんてあるはず――」

 僕の言葉は、その先を続けることが出来なかった。

 鼻をくすぐる甘い香りと、唇を支配する柔らかな感触と、ほのかな温もり。

 僕の知識を総動員して、今の状況を言い表わすのなら、僕は、そう、アレだ。まさにアレだ。

「んっ……」

「(ええええええ! おいおいおいおいおい何これ何これなにコレ!)」

 動揺しまくっている僕に追い打ちをかけるように、あろうことか、西條はさらに舌をねじ込んでくる。ねっとりと絡むその感触はくすぐったくもあり、しかし、ずっと感じていたいような、依存性を含んでいて、彼女の口から洩れる吐息が僕の頬をくすぐる。

 そして、笑み。

 不意に、僕は自分が何をしているのか、明確に理解する。

「うわ、わああああああ!」

 途端、僕は思いっきり西條を突き飛ばしていた。

 西條はたたらを踏んで、突き飛ばされたその場所に踏み留まる。その顔は普段の僕が知っている西條のものではない。妖艶な笑みを浮かべ、唇を舌で舐めるその姿は、どうしても、僕の知る西條とは結び付かなかった。

 だって、コイツのことをそんな風に意識したことなんて……。

「お前ら……何、してんだよ」

 正人の茫然とした声。確かに、正人にはそうする権利がある。この状況を、唯一客観的に見て、具体的に把握している人間だからだ。

 しかし、待ってほしい。僕の精神ダメージが回復してからでも、その解答は遅くないはずだ。……そんな意図は、西條には関係なし、みたいだけど。

「……キス。見てわからない? 正直、初めてだったけど」

「さ、西條さん? 何をしたかったのかな?」

「……好きになった?」

「はい?」

「はあ?」

「……ホモはうるさい。錬次、どう?」

 西條は再び僕に歩み寄る。僕は歩み寄った分だけ距離を取るが、ここは教室。すぐに壁に追い詰められてしまう。逃げ場は、あるにはあるが、僕がもう少し冷静にならなければ、本気で逃げるという選択肢は見つかりそうになかった。

「ど、どうって、言われてもな」

 なるべく平静を保つようにして答える、が、余裕があるように見えないであろうことは僕が一番よくわかっている。僕の被った仮面は、ティッシュを濡らして張り付けた程度の強度で、剥がす前からその素顔が見えている。

 何せ、いきなりキスされたのだ。しかもディープなやつ。初めてだと聞いた時は嘘だろ、と本気で思ったものだが、今はその余裕すらない。心音で世界が支配されている。音がない。あるのは視覚。あるのは触角。あるのは嗅覚。西條の満足そうな顔と、僕の頬に再び伸びた冷やかな彼女の両手と、キスの余韻のように残った甘い香り。

 まともな判断など、どうしてできようか。

「……私が付き合って、と言ったら。私が結婚して、と言ったら。してくれる?」

「け、結婚!? いや、待て。僕はまだ経済力が……」

「あったらいい?」

「う、あ……むぅ」

「お、おい! いい加減にしろよ!」

 今まで除け者扱いだった正人が会話に復帰する。正直、ありがたい。今の僕なら、西條にひと押しされるだけでなんでも首を盾に振ってしまいそうだった。


「……まあ、冗談はこれくらいにして」


 空気が凍りついた、というのを僕は生まれて初めて、本当の意味で体験したかもしれない。それほどにその言葉が相応しく思えた。

「………………え?」

「……冗談はこのくらいに」

「いや、え? は? え?」

「俺が錬次の言いたいであろうことを言うぞ? いや、冗談じゃないよな? 本当にキスしたよな? え、何? どこから冗談?」

 西條はやれやれとでも言いたげに首を横に振り、適当な椅子に腰かける。そして、足を組んで一言。

「……ホモの件終わった後から全部」

「なっが! あれ、でも俺の件は生きてるのか?」

「ばっちり」

「どうせだったらそこら辺からリセットしてほしかったんだがな……」

「……贅沢は言わない。とにかく、冗談はそこから」

「じょう、だん」

 唇に触れると、そこは微かに湿っていて、底に触れるだけで、頬が紅潮するのがわかる。女性経験の無さを呪いたい。

「は、はは、だ、だよなー。いやあ、マジビビった! 冗談きついぜー西條!」

 僕がもう少しでふるえそうな声を絞り出す。緊張しまくりだ。

「……でも、これではっきりした」

「……何が?」

 若干嫌な予感を感じつつ、僕が尋ねると、西條は眉ひとつ動かさず、僕を指さしてこう言った。……空気を読んで、人に指をさすな、という言葉は呑み込む。

「……錬次は、惚れやすい」

「否定、出来ないな。事実だ、たぶん。というか、名前で呼ぶのは継続なのか?」

「……ダメ?」

「落ち着かないんだけど……」

「……キスしたのに?」

「錬次でいいです。むしろそれでよろしくお願いします」

「うむ」

 なんだか、酷く現実感のない話だったけれど、肩にのしかかる鞄の重みはどうしようもなくリアルであり、僕に現実を叩きつける。

 僕は、ここで、この場所で。西條とキスをした。うん。

「(やっちまったああああああああああああああああああああああ!)」

 僕は激しい後悔に打ちのめされた。しかし、表には出さない。男の子ですから。そこら辺は、自分の中に、収め……くそぅ。

「納得いかねー」

 一人、正人がぼそっと呟く。本人は聞こえない音量で言ったつもりだったのかもしれないが、僕の耳、そして恐らく、西條の耳にも届いているはずだ。

「……キスしたいの?」

「俺が? お前と? それこそ冗談だ」

「……そうだった、ホモだった。じゃあ、錬次と?」

「いや、正人ゴメン。僕、違うから。別に同性愛がどうとは言わないけど、僕はさ」

「なんでお前ら捉え方がガチなんだよ!? ホモじゃねえから!」

 必死な所がまた怪しい、と言いだすと限りなく続きそうなのでそこは抑えて。

 とりあえず、ホモの件は保留ということで話を進める。

「西條、それでいいのかよ? だって、その、ファーストキス、なんて大事な物」

「……別に、これからする相手なんて見つかるようにも思えないし、私、人嫌いだし。犬にでもくれてやれって感じ、というのが本音」

「だからってなあ……」

「……そんなことより」

 西條は髪を払い、いつも通りの無気力な目を僕に向ける。立っているのも疲れた、と言うようにため息を吐いて、投げやりな言葉を僕に投げかける。

「……付き合う?」

「え、え? いや、いやいやいや! そんな、イヤってわけではないんだけど僕にはまだ準備がというかなんというか……!」

 わかりやすい言い訳。わかっていても言葉を止めることは出来ない。言わば言葉の防壁。言い終わるまでは西條は待っていてくれるのではないか、という安直な考え。

 もちろん、その安直な考えはとても容易に覆される。

「……まあ、いい。私は愛人、ということで」

「よろしくない」

「……いいのかよ、それで」

 正人は未だ納得がいかないようだ。ぶつぶつと呟く独り言は全て聞こえている。

「…………優柔不断なのは直した方がいい。これで満足するのは私くらい」

「え、ああ。わかったよ。……それで、西條は僕のことが、その、好きなんだよな?」

「……え?」

「「え?」」

 まさか、疑問形で返されるとは思っていなかったので間抜けな声が洩れる。それは正人も同じようだったようだ。

 だって、そんな流れ、だったよな? とゲームのバックログを見るような形で今までのやり取りを思い出す。わかるだろうか。わからなければギャルゲーとか、そこらのノベルゲームをやればいいと思う。ちなみに僕はギャルゲーだ。

「……別に、そこまで好きってわけじゃない。惚れっぽいってことを証明したかっただけ」

「…………そうなんだ?」

「……そうなの」

「そうなんだ」

「……(こくり)」

 自然と、力が抜けた。足から、肩から、顔から。全ての疲れというか、緊張というか、そういうものが息と混ざり合って吐き出された。もう、綿を抜かれたぬいぐるみのようにその場にへたり込んでしまった。

 脱力感。その通りではあるけれど、その程度の言葉では到底表わせないような、深い安堵感。

「……そんなに嫌だった?」

「そんなことないけどさ。ただ、こう、疲れるもんだな、と。はい、思いました」

「……女の子は全力だから」

「西條も?」

「……私は百分の八十ぐらい」

「結構出したな! そりゃ疲れるはずだ!」

「……全てをかけたら、死んじゃうから」

「それは重すぎるだろ……」

 僕の言葉に西條は微笑むと、廊下へ向けて歩き出す。

「帰るのか?」

「……満足したから」

 散々場を掻き回したのだ。これで満足していないというのも底なしの感じがして恐ろしいが、なんというか、呆気なさすぎるというか。

「何だか、俺が置いてけぼりな感じがしないでもないんだが……」

「確実に置いてけぼりだな、ホモ」

「ホモじゃねえ」

 西條の意図が読めなさ過ぎて、どっと疲れてしまった。早く帰って、風呂でも使って寝てしまいたい。そして、出来ることなら何もかも忘れたい。無理だろうけど。

「まったく、お前もまさかファーストがこんな簡単に、とか思わないか? なんで西條は……」

「いや、僕はファーストじゃないぞ、今の」

「……は? 何!? 誰だよ、初めては!」

 正人が詰め寄る。やめて、犯される犯される。

 仕方なく、僕は甘酸っぱい子供時代のことを少しだけ吐露した。

「九歳のときに、妹とな……」

「……………………」

 僕はその時のエピソードをつらつらと語ったのだけど、正人は冷たい目線だけを向けるだけだった。自分から訊いてきた癖に。


どうも、桜谷です。平穏パートがあと数話続きます。

感想等、ありましたらよろしくお願いします。

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