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蟲床フラストレーション  作者: 桜谷 卯月
第二章 睡ノ蟲
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第二十六話 失ったモノ

 リビングへ足を踏み入れると、ほぼ予想通りの人物がソファに腰掛けていた。僕の家という場所の時点で自然と想像出来る人物は限られてくる。

「……綾」

「やっほー! 錬次久しぶり~! 元気だった? 私いなくて寂しかった?」

「…………」

 『綾』と名乗る誰かはいつも通りの陽気さで手を振っている。僕の認識が変わっただけ、たったそれだけのことで、その態度に演技臭さを感じてしまう。

 僕は結局のところ、『綾』のいる生活をどこか居心地良く感じていたのだろう。だから、こんなあからさまな演技に騙されてしまったのだ。……心の底で望んでいた存在だったのだろう。

「ん? どうしたの、錬次? 眠たいの? そりゃそっか、色々あった後だもんね。よし、お姉ちゃんが膝枕してあげよう! おいで~おーいーでー!」

 ぱたぱたと自分の膝を叩く『綾』。僕は膝……には目もくれず、隣に腰掛ける。『綾』はいつも通りのむくれた表情を作り、僕の頬を人差し指で突いた。

「れんじ~なんで来ないの~、あ、恥ずかしいの? 恥ずかしい感じ? まあそりゃそうよね~。でも私としてはその恥ずかしがる錬次が見たいというかなんと――」

「なあ」

「――いうか」

 僕が声をかけると、その陽気な調子は崩れ、やや真剣な面持ちで顔を俯かせる。

「……誰なんだ」

 僕の質問に対し、『綾』は乾いた笑いをこぼす。

「なんだ、ばれちゃってたのか……なんか、うん、そっか」

「認めるんだな。自分が久東綾じゃないってこと。僕のいとこでもなんでもないってこと」

「……そうだね。私は久東綾じゃないし、久東錬次に何も関係ない。強いて言えば、蟲床って点では関係はあるかもしれないけど」

「睡ノ蟲の蟲床、か? というと」

 蟲床は俯いたまま頬を掻き、ぽつりと、しかし僕に聞こえる程度の音量で呟く。

幻夢川睡(ゆめかわすい)(きょう)。それが、私の名前。私の本当」

「幻夢川睡郷……どこのペンネームだよって感じだな」 

 少し茶化す調子で返す。すると、『綾』……睡郷は軽く笑いながら、

「本当にね。ペンネームでもこんな変な名前ないよね」

 と、僕の初めて見る表情で、調子で話した。

「ああ、それにしても、本当に騙されたなー。いつからだ? 正直、僕は会った時のことをよく覚えてないんだけど、どうやって? やっぱり、蟲なのか?」

「いやいや、違うよ。そもそも錬次には蟲は効かないでしょ?」

「……主ノ蟲の蟲床ってことは知ってるんだな」

「まあね。これだけ近くで暮らしてたらわかるよ。いや、これは嘘か。私はちょっとした研究に携わっててね。蟲床に関する研究。その過程で錬次のことも、錬次の知らないこともたぶん、たくさん知ってる」

「そっか」

「……訊かないんだ?」

「どうして僕だったとか、記憶を弄った方法とか、どうして今のタイミングで呼び戻されたのかとか、色々あるよ」

「気を遣ってくれてるの?」

「別に、そんなんじゃないよ。……まだ僕自身も整理が出来ていないってだけだ」

 僕の目の前にいるのは完全に『綾』とは別人の、幻夢川睡郷という人物だ。ここだけは、と思っていた家の中ですら、既にまともではなかったというわけだ。で、八重子さんから半ば強制的に篠本家から連れ出され、文字通り飛んで帰って来た。それはどうしてか。

 うん、そのことをまず訊こう。そうだ、余計なことを聞いていては色々見失ってしまいそうだ。冷静を装ってはいられるうちに、声が震え出さないうちに。

「用、あるんだろ。余計なことはその後聞かせてもらうさ」

「ああ、そうだったね。そうだった……はあ、なんだかつまんないなぁ。もう少し、普通に、暮らしていたかった気もするけど」

 その言葉には本当に残念だという色が含まれていた。

――――だったら、だったら何故そのままでいようとは思わないのか。

不意に湧いた感情に戸惑う。純粋の中に落とされた色水のように、戸惑いは瞬く間に全身へ広がっていく。

「――、……」

 声にはならなかった。それが怒りを表わすものだったのか、話を進めることをためらうものだったのか。そもそも、誰に向けたものだったのかすら不明瞭。言葉の対象などいたのだろうか。

 わからない。自分が何よりわからない。

「じゃあ、話さないとね。色々」

「あの、やっぱり……やっぱり、待ってくれ」

「……うん、いいよ」

 母のような優しい声。

 彼女のことを憎むことはどうにも出来そうにない。手放したくはない。騙されていたっていい。

 きっと、『綾』のいる日常は僕にとって唯一変わらないものだという認識があった。このまま続いていても、いいじゃないか。そう思ってしまうのは間違いなのか。

 このまま、久東綾で。僕の姉のような従姉で。

「なあ、その話をしないで、何も知らないままで、もう一度僕を……」

「出来ない。これ、催眠術みたいなもんなんだけどね。一度気付いてしまえば、もう長くは続かない。その度に騙した、なんて言われたら、私辛いよ」

「でも、じゃあ、催眠術なんて使わなくてもこのままでいることは」

「出来ない。もう時間がなくてさ」

「どうして!!」

 叫んでいた。なるほど、自分は泣きそうになっているのかもしれない。他人事のように、どうしても自分の感情に思考がついていかなかった。

 そんな僕の様子を見て、『綾』は口を開く。

「私はね、他の蟲床に比べて蟲の寄生が早かったんだ。実験だったんだよね。寄生する期間を伸ばした時、私たちは生きていられるのか。本当に十八年で終わってしまうのか」

「……他の蟲床より、寄生させられた時期が早かった? ってことは、時間がないっていうのは」

 『綾』は諦めたように笑う。その顔を見て、僕は最悪の展開を思い浮かべた。

 つまりは、ダメだった。十八年を過ぎて生き残ることは出来ない。その証明が、もうすぐそこまで迫っている、ということ。だから――――。

「――もしかして、死ぬのか?」

 その問いに『綾』は答えない。もはや肯定と変わらない。

 死ぬ。

 その単語が脳内を覆い尽くし、一瞬目の前が真っ白になる。

 気付けば僕は『綾』をソファの上に押し倒し、覆いかぶさる形になっていた。その下で『綾』は静かな、ガラス玉のような目でこちらを見ていた。

 ガラス玉には僕の顔が映る。みっともなく、焦りに歪んだ僕の顔。

「綾」

「……睡郷よ。綾じゃない」

「家族、みたいなものだったじゃないか」

「わかんないよ。私の家族ってロクなもんじゃなかったし、家族だからってずっと一緒にいるっていうのもおかしな話でしょ?」

「……っ!」

 『綾』が投げかける目線は僕を見ているようで僕を見ていない。どこか遠く。ずっと遠く。ここではないどこか。

 わかってしまう。幻夢川睡郷にも大切な何かがあるのだ。命を懸けられるほどの何かが。他の蟲床と同じように、彼女にも。

 しかし、僕の望みとそれは一致していない。目的のためのプロセスでしかなかった。

「……どうして、お前らはそんなに簡単に命を懸けられるんだよ」

「――簡単なわけ、ないでしょ」

 絞り出した問いに対する回答は微量の怒りを含んでいた。

「簡単に命を差し出せるわけがない。誰だって死にたくない。自殺志願者だって心のどこかでは生きたいって願ってる。死が怖くないはずはない。……理由がなかったら、死なんて受け入れられない」

「理由があれば、受け入れられるっていうのか」

「そんなことないよ。……そんなはずない」

 その声は震えていた。表情は変わっていないのに、今にも泣きそうに見えた。

 蟲床の手が僕の頬に添えられる。まるで、壊れ物に触れるように優しく。

「私だって幸せになりたい。普通に恋をして、家庭を持って、少しずつ年をとって、最期はああ、幸せだったなって、笑って死にたい。……いつも思うよ。つまんない生まれ方しちゃったってね」

 『綾』がそっと僕を自らの方へ引き寄せる。僕も抵抗はしなかった。息のかかる距離に『綾』の顔があった。見慣れているはずなのに、どこか違う顔が。

「本当に、錬次のお姉ちゃんだったら良かったのになぁ」

「……」

 もう、ダメだ。

僕は頬の手をそっと外し、身を起こした。そのままの状態でいれば、発狂してしまいそうだった。

 家族がいなくなる。あの風景が、惨状が。埃を被ったフィルムが回り出す。既に癒えたはずの傷が再び熱を持ち始める。

「…………幻夢川家。三日後に幻夢川家に来て。道はそこの、九字切さんが知ってるから」

 ソファから立ち上がり、『綾』は歩み去っていく。それからしばらくして、玄関の方から扉が閉まる音。瞬間、静寂。そちらに目を向けることはしなかった。

 僕は再びソファに寝転がる。ちょうど彼女のいた辺りに手を当て、顔を寄せる。

 温かい。ほんのりと甘い残り香。少し時間が経てば、きっと消え去ってしまう。

 そうしていると、不意に僕の目の前に二本の足が現れる。八重子さんのものだと気付くのに、少し時間を要した。

「久東さん」

「……なんだよ」

「私は彼女の依頼を受けました。ああ、ちなみに言っときますと、私はなんでも屋ではありませんのでそれ相応の理由がないとダメなわけですが、なんだかわかりますか?」

「……わからない。何も。研究の手伝いとかか」

「そんなんだったら受けませんよ。――あなたを守ることですよ、久東さん。何がなんでも死なせない。これが私の仕事です」

「…………どうしてだよ。僕は事故で死んでいて当然だったんだ。真っ先に死んでも仕方ない人間だ。ズルをして生き残ったんだ。妹も、母さんも、父さんも死んだというのに、僕だけが生き残ったんだ。守られる人は、他にいくらだっているだろう」

「例えば、誰でしょう」

 八重子さんはしゃがみ込んで僕に目線を合わせる。

「篠本さんは家族の将来に希望を残すために戦ってる。レンもあんな細い身体で何度も負担のかかるやり方で生きようとしてる。……睡郷だってきっとそうなんだろう。それに比べて、僕はどうなんだ? 彼女たちにとって重要な蟲を持っているというのに、何もしていない。何も出来ていない。死にたいとすら、思っているのに」

「それでは、全てを守ればどうにかなるのでしょうか」

「……」

 八重子さんの瞳が僕に向けられていた。そこに怒りはない。憐れみもない。事実を告げる意志のみが潜在しているように思えた。

「世の中、上手くはいかないもんです。あなたの中の天秤と誰かが同じ基準だなんてことは、ないとは言いませんがそうそうあることではないでしょう。今回は彼女ら蟲床よりもあなたの方に天秤が傾いた。それだけです」

「……僕なんて」

「今日、言いましたよね。主人公はあなただって。あなたがいるからこの物語、彼女たちのドラマが終わらないでいられる」

「主人公主人公って……どういう意味なんだよ」

「それは教えられません。教えられませんが、一応言っておきましょう。あなたはこの物語のエンディングを綴らなければならない。そして、それはもう遠くない話。グッドにしろバッドにしろ、それはあなた次第でどうとでもなりますよ……まあコレが難しいんですがね」

 八重子さんはそれだけ言うとリビングを出て行こうとする、が、一つ思いついたように声を上げ、

「三日後、お迎えに上がりますね~。それまでに心の整理なりなんなりと、頑張っておいてください」

「……雑だな」

「私の問題ではありませんからね。――それに、私が人の心を動かせるなど、慢心もいいところだと思っておりますので」

 その声のすぐ後、静かにドアの閉まる音が聞こえた。

 また、静かになる。時計の秒針が少しずつ大きくなっていくような錯覚。

 しばらくして外から一つ、雷の音が聞こえた。その後を追うように唐突の雨。それは徐々に勢いを増して、家の中はすっかり雨音に呑み込まれた。

 天気がどうだったかは思い出せなかったが、ありがたい。正直、静かなままでは何一つ頭が働かない気がしていた。

「……」

 息を吐き出すと、それに溶け込んでいた何かが一緒に流れ出た。それは具体的に何かはわからなかったけれど、すっと抜け出た後、再び溜まっていく感じからして、ロクでもないものであることは間違いない。

 完全な無気力。もう動く気は起きない。全てを投げ出してしまいたい。

 目を窓の外に移す。今ならば家の中の方が暗澹としているだろう。賑やかに跳ねまわる雫。空は明るいような暗いような。ハッキリしろと叩きたくなるところ。

 そういえば、レンは大丈夫だろうか。林間学校は散々なことになっているはずだ。日課も一日こなせなかったし、これは怒られるかもしれない。

 篠本さんにも何か言い訳を……したら殺されそうだけれど、全く、妙なことになった。友好な関係はもう望めないかもしれない。

「なんだよ、もう、めちゃくちゃじゃないか」

 ひとり言に答える者はいない。徐々に、徐々に、雨音が遠くなっていく。

 

 こんなことをしている場合じゃないのに。

 

 その思考を最後に、世界と僕の意識は断絶した。




 目を覚ますと外の微量の明かりだけが家の中に入り込んでいた。時計を見れば深夜一時。随分と眠り込んだものだ。

 僕はソファの上、片足を床に放り出した奇妙な耐性で眠っていたようだった。

 家は静かだった。雨音が消えたせいか、耳が痛くなるほど。レンは明日帰ってくるのだったか。

 なんとなく、テレビを点ける。特に興味もない番組が流れているが、特に消す気も変える気も起きなかった。今日はこのまま朝まで起きていそうな気がする。

「ああ、静かだ」

 一人だとひとり言というものは増えてしまうものなのかもしれない。

 寂しい。

 浮かんだ言葉はかなり的を射ている気がした。

 過去に、こんな状況が一度だけあった。家族の名前を容易く忘れてしまう僕だけれど、これはなかなかハッキリと覚えている。どうでもよいことだからか、どうかはわからないけれど。

 妹と一緒だった。つまらない映画を見ていた。夜更かしすることが何故か楽しくて、兄妹でソファに並んで座っていた。

 あの時は特に会話はなかったが、やはり寂しくはなかった。人がいるということが重要なのだ、当たり前のことなのだけれど。というわけで今この感情をどうにかすることは出来なさそうだ。

 …………シャワーでも浴びよう。

「うん、そうするか」

 口に出してみると、なんとなくそれこそ自分に必要なことなのだという気がする。恐らく、違うことを口にしても同じような心境になっただろう。

 ソファから立ち上がると酷い立ち眩み。それに構わず、よろめきながらリビングのドアを押し開け、電気を点け、

「……!?」

 そのまま、誰かに向かって倒れ込んだ。

「錬次、その、大丈夫ですか」

 誰かは僕を受け止める。

 声はよく耳に馴染んだものだった。忘れるほど間は空いていないどころか、聞けばすぐにその顔が浮かんだ。

 ただ、何故ここにいるのかだけはわからなかったが。

「……レン、なんで、ここに」

「…………先生に体調が悪いと言って送ってもらいました。鳴葉には悪いことをしましたがね。それで、その、帰るにも錬次の家以外に候補がなくて、ホテルに行こうにもお金が、なくて、ですね……えと」

 明らかに言葉を選んでいるのがわかる。あの別れの後だ、無理もない。僕だって少しくらい心の準備をする時間くらい欲しかったものだが。

 お互いに言葉はなく、受け止められた僕の耳には彼女の動揺を露骨に表わす心音が聞こえている。……引かれるかもしれないが、少しだけ心地よい。温もりがやけに皮膚に染みる。

 僕は体勢を直す。暗闇に呑まれた彼女の髪は灰色に見えた。それが、妙に悲しい。

「……錬次」

 窺うような声。反射的にその細く、柔らかい身体を抱きしめていた。

 レンは少し怯えたように肩を跳ねらせたが、おずおずと僕の方へ手を回してくる。

 普段からは考えられない謙虚な態度。昨日の件で彼女の精神にどれだけのダメージがあったのか、顕著に表れている。……いや、それとも。僕が忘れているだけでこれが本来の魅上色夜なのだろうか。

 家族の名前のように、忘れているのだろうか。

「おかえり」

「あ、えと――ただいま、です」

 動揺している。しかし、嫌がっているようではない。それが何故だかこの上なく嬉しいことだった。

 髪からはほんのりと甘い香りが漂う。僕は半ば誘われるように銀の髪の中に顔をうずめた。その瞬間、レンが身震いをする。

「あ、あの、錬次。ダメです。少し、離れて」

「……ごめん、嫌だったか」

「いえ、嫌ではないんですけど、むしろ嬉しいというか望むところなんですが……今は、ダメです。気持ちも、その、身体的にも」

 少し顔を離し、レンの表情を確認すると、その目は熱っぽく潤んでおり、頬はほんのりと赤みを帯びているように見える。

「……蟲か」

「…………」

 無言。肯定という意味だ。軽く俯き、一歩僕から遠ざかる。それが拒絶されたように思えて、少しだけ胸が軋んだ。

 だからなのか、思考はすぐさまその選択肢に飛び付いた。

「キス」

「はい?」

「まだだったろ、今日。欠かすと、その、まずいだろ。……もう遅いかわからないけれど」

「そう、ですね」

 レンの目は不安に揺れ、しかしどこか期待を含んでいるようだった。欲ノ蟲の影響を影響を受けて理性を失ってしまうのは怖い。だがキスはしておきたい、という感じだろうか。

 しばらくして、ためらいがちにレンは歩み寄って来る。

「お願いします。もし、私が妙な動きをしたら遠慮なく突き飛ばしてください。……最悪殺してもらっても構いませんから」

「それはないな」

 ――――死ぬとすれば、それは先に僕であるべきだ。

 その言葉を呑み込んで、唇を重ねた。

 舌を入れ、唾液を絡ませ、いつもと同じように。

 だが、しばらくしてこれはいつもと同じ行為ではないことに気付く。キスの対象だ。僕は今確実に、レンを『蟲床』ではなく『女』として認識している。この行為に、そういう意味を求めている。

 愛情に飢えている。

 ああ、疲れている。どうしようもない。寝たところで、この疲れが取れるはずはなかった。

 彼女の唾液は少し甘味があるようだった。今まで気にしたことはなかったが、これも蟲が影響を与えているのだろうか。

「……ん」

 唇が離れ、レンの体重の大半が僕の身体にかかる。四肢に力が入らないようで、抱えあげられるのも僕のされるがままになっている。これはいつも通り。ここからは、いつも通りだ。

「少し長過ぎたか?」

 いわゆるお姫様だっこで抱えると、レンは力ない笑みを浮かべて少しだけ首を横に振った。

 すぐにレンを部屋に運び入れ、ベッドに寝かせる。

 レンはすぐに目を閉じたので、リビングに戻ろうと背を向けると、

「錬次」

 後ろから力ない声で呼び止められる。それは悪夢にうなされている子供のように見えた。

 僕はそっと、ベッドの空いたスペースに腰を下ろし、レンの髪を軽くすいた。

「どうした?」

「……すいません。私の蟲のことで色々あって、その後に図々しく家に戻って来て、卑しく口づけして。本当に、ごめんなさい」

「いいよ、そんなこと。今更だ」

「家に、錬次はいないと思っていました。きっと、食ノ蟲の側に付くだろうと、思っていました。もう、私を助けてくれることは、ないだろうと」

「馬鹿だろ」

 その声は震えていた。

「……怖かった」

「……」

 その声を最後にレンは瞳を閉じ、そのすぐ後に寝息が聞こえてくる。

 彼女は弱っていた。思わず弱音を吐いてしまうほどに。

 僕と同じように失いそうな支えを求めて、喘いでいた。


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