第二十話 林間学校
林間学校当日。三日間という長いのか短いのかよくわからない期間、家を空けることになる日である。ちなみに、その期間というのが昨日知らされたものであることをここで明かしておく。
とりあえず、その朝。
僕は何故かそわそわしたレンに遭遇することになる。
レンは白いジーンズにベージュの長袖シャツという格好だった。
「錬次! おはようございます!」
「…………おはよう」
「どうしました? 元気ないですね、パンツの中がグチュッとでもしましたか?」
「いや、そうじゃなくて…………楽しみ、だったのか?」
「な、何を言います。そんなわけないじゃないですか……あ、ゴミ袋って十枚くらいあった方がいいですかね? キャンプとかするんですよね?」
真に可愛らしいレンさんである。こうも露骨に浮かれたレンはこちらとしても初めてのこと、思わず撫でたくなるくらい可愛い。
伸びそうになった手はそっと引っ込める。自制は大事。
「備えあれば憂いなし。僕はその言葉結構大事にしてるから、思いつく物は持って行った方がいいんじゃないか、と肯定的な意見だけど」
「そうですよね! じゃあゴムも持って行った方がいいですよね!」
「ゴム? ゴムなんて使う場面あるかな……」
「妊娠したら大変じゃないですか」
「そのゴムはいらん」
「錬次、学生で妊娠するって結構大変ですよ」
「安心しろ。妊娠するようなことしないから」
テンションが上がってもお変わりなさそうである。
僕も自分の荷物の最終確認を終え、ソファーに身を沈める。しばらくこの感触を味わえないと思うと多少の寂寥感がある。…………いや、別にこのソファーに愛着を持っているかと言えばそうでもない。ボールペンを買い変える程度の感情変化である。大げさになってしまったのは、僕は多少この遠出に乗り気ではないという気持ちの現れだろうか。
レンには悪いが、僕は家を遠く離れることが嫌いだ。いつも憂鬱だ。家から十センチ離れると吐き気が止まらなくなって首を吊りたい衝動にかられる。
後半は嘘である。
しかし、正直今回はそれくらいでちょうどいいのではないか、と思ってしまう。嫌な予感がするのだ。
左の手の甲が、どうしてかむず痒かった。
登校すると、校舎前にはわらわらと集まる生徒の群れ。人は集まるとゴミになる。
私立校の自由度が働いたようで、今日は皆各々好きな服装ができる。キャンプなどがあるということも考慮されたのだろう。虫に刺されないような長袖の者もいれば、何を考えたのか、下着と見分けのつかないような際どい服装の、いわゆる阿呆も見受けられる。
僕とレンはその点は気を付けて、しっかりとした装備を整えてきたのでぬかりはない。
そんな普段とは違った雰囲気を放つゴミの溢れる中から僕の名を呼ぶ陽気なゴミが一つ。
「錬次!」
「おはよう、ゴミ」
「俺何か悪いことしたか?」
「正人……悪いことをしてないのに罵倒しちゃいけないのか?」
「いけねえよ!? なんで俺が悪いみたいな空気作ろうとしてんだよ!」
「錬次、ゴミと言ってもたくさんありますよ。社会的なゴミとか性的にゴミとか」
「あの、レンちゃん? それは」
「レンちゃん? セクハラはやめてください」
「名前呼んだだけで!?」
「コイツに三人は俺のガキ孕ませてやるぜうえっへっへ、という感じの呼び方でした。最悪です。性欲ならあのペットの犬畜生にでもぶつければいいじゃないですか」
「え、え? 何? なんで俺こんなに嫌われてんの!? え?」
あの犬の飼い主、俺の扱い方を見て、とかそんな感じか。もう、なんだろう。超エキサイティング。最高。
「朝なのによくやるのね」
「……篠本さん、音もなく僕の後ろに立つのはやめてくれないか」
「存在感が薄いだなんて酷いじゃない。遺憾の意、なんだけど?」
篠本さんの私服。ジーパンに胸の大きく開いた黒いTシャツというラフな格好だが、不思議と洒落た感じがする。着る人が着れば違う、というヤツだろうか。
「存在感薄いなんて言ってないじゃないか」
「口答えしたらもぐけど」
「何を」
「それを女性の口から言わせるなんて、セクハラが過ぎるんじゃない? 男性器よ」
「別に言わせようなんてしてな…………言った!?」
「錬次くんがすごい顔で睨んで来るから仕方なくよ!?」
「なんでキレてんだよ、めんどくさ――」
「面倒臭いなんて言ったら酷く面白いことになるかもね」
「――伊藤博文」
面倒臭伊藤博文ってなんだ。完全に伊藤博文に対する悪口にしかなっていないような気がする。申し訳ない。しかし自分への罵倒が人一人の命を救ったのだということで三分間だけ英雄視するから勘弁してほしい。
『まもなくバスが到着します。二年生は校舎前に集まってください。繰り返します、まもなく――』
放送が入り、ごちゃごちゃとしていた生徒の群れは少しずつ列を作っていく。大体がクラス単位で集まっているが、ごく少数の生徒は未だに雑談を繰り広げている。
その中の少数グループの一つは、実は僕たちだったりするのだが。
「やっぱり、クラス別ですか……」
「班ごとにしようにも、班が決まってないしな」
「まあ分かれていても班ごとにバスに乗るってことはならないと思うけどね」
レンは僕のコメントでふくれっ面、篠本さんのコメントで追い打ちを喰らい、何故か僕の腕にしがみついてきた。あまりにも自然な流れだったから見逃そうと思ったが、篠本さんが何故かそこはかとなくダークに笑ったので一応指摘しておく。
「くっ付くなよ」
「くっ付いてません。癒着してます」
「腫瘍の類だったか」
予想外の返しである。
「腫瘍なら大きくならないうちに摘出しないとダメじゃない? 私ちょうどドス持ってるけど」
「篠本さんあんたこの行事で何する気だったんだ」
「いやね、本気にしてもらっちゃ困るわ。冗談よ、冗談」
「目がマジなんですが……」
篠本さんのドス装備なんて似合い過ぎて困る。僕のこの話は素の口調の篠本さんを考えに置いているわけだけど、もう大変エイトナインスリーである。違和感なしだ。
「それにしても、どうして班が決まってないんだ……? キャンプとかするって栞にも書いてあるけどな」
「さてね、個々人生き残りサバイバルでもする気なんじゃない? 旅の栞には無記載で」
「笑えない話だな……」
「そうね――――まあ、そうなったら殺してやってもいいぞ?」
小声とは言え、横にはレンがくっ付いている。ひやひやさせてくれる。二重の意味で。
「篠本さん、サバイバルって、やってもそんなシビアなもんじゃないと思うけど?」
「まあ最悪蛇を食べるくらいかしらね」
「それも中々シビアだけど」
笑えない会話である。
しばらくして、正人がいつも通りホモで叩かれ始めた辺りに、五台のバスは校門をくぐって現れた。周囲からは歓声が上がり、多少列を離れていた連中もさすがに列内へ収まる。
「いよいよですね」
「レン、ココじゃないよな、お前の乗るバス」
「いいじゃないですか癒着してるんですから錬次と一心同体ですよ。あ、今の少しいやらしくありません? 男女一心同体とかいやらし」
「水上さん! コイツよろしく!」
遠くからこちらを見ていた水上さんを運良く見つけ、レンを引きはがすことに成功。いやあ、ホント、レンに友人が出来て良かった良かった。僕の負担が減った。……自己中心的ではあるが。友人が出来て良かったというのは本心である。ピュアで純粋でクリアな心である。
バスに乗り込むと、車内は楽しげな騒音に溢れかえっている。うるさい。感想はただその一言に尽きた。熱に蒸し殺されたりゴミになったり騒音撒き散らすスピーカーになったりと、実に忙しない奴らである。
「やっべえな、楽しみだな!」
「ここにも一人……」
正人は予想通りというかわかりやすいというか、やはり周囲と同様、またはそれ以上に盛り上がった状態で僕に話かけてきやがるのだった。
「楽しそうね」
「……」
そして何故か僕の通路を挟んで左隣は謎の圧力篠本さん。忘れてはいけないのが、彼女と会話をするとクラスの男子連中から異様な殺気を込めた目で見られるという特典である。
本当に、退屈しない。忙しいくらいである。精神的多忙。
こんな状況は寝るに限る。誰がなんと言おうと知ったことか。朝は二度寝が恋しいものだ。
僕の意識は次第に暗闇に溶けていった。
『錬次は物知りですね』
僕はおしとやかな笑みを浮かべる白髪の少女の横で座っていた。どこの屋敷なのか、その縁側で僕たちは大きな木を眺めていた。白い花を咲かせ、僕らを見下ろす巨木。うららかな空に柔らかな風。
『では、アレはなんというのでしょう?』
少女は嬉しそうに指をさす。その先には小さな白い蝶が花の蜜を啜っていた。僕は虫の名前には詳しくない。蝶だ、とだけ答える。
『蝶、ですか。可愛らしいお名前です』
少女は顔をほころばせる。僕は少女の笑顔を見たいがために質問に答えていた。まるで麻薬に溺れる中毒者のように、ただ貪欲に少女の笑みを求めていた。
きっと、それは好意。好きだという感情だ。
しかし、僕はそれに気付かない。ただ心地よいこの時が、愛おしくて、愛おしくて。
『では、私はなんというのでしょう?』
少女は悪戯をしようとしている子供のような顔をして、僕を見つめた。
君かい? そんなの決まっている。君は■■■だ。
僕の答えに少女は寂しげに微笑んで、僕の肩へ寄りかかってきた。花のような甘い香りが鼻をくすぐる。僕はその絹のように滑らかな髪を手櫛ですいてやると、少女はくすぐったそうに頭を肩に擦り付けた。
『錬次だけです。錬次だけしか、私を呼んでくれない』
そんなことはないよ、と答える。
『いいえ、本当のことです。もう私の名前を、誰一人として覚えていません。そういう決まりなのです。■■■という名前は、■■■に注がれる感情全ては、もう意味のないモノですから』
そんなことはないよ、と答える。
『やはり、錬次は優しいですね』
いつものようにそう言うと、それきり少女は瞳を閉じて、静かな寝息を立て始める。
葉擦れの音が僕たちを包む。僕らを見下ろす白い花は、涙を流すようにその花弁を一つ、僕の膝の上に落とした。
「錬次!!」
「うあっ!?」
突然の衝撃。正人が僕の頭を脇に抱え込んで窓を覗かせようとした結果である。否応なしに覚醒を余儀なくされた僕はそのまま外の景色とご対面。そこには緑生い茂る山々がいくつも連なり、簡単に遭難出来そうだな、という感想を容易に抱かせた。……正人はどの辺にテンションアップ効果があったのだろう。理解出来なかった。
「山だぜ!」
「山でテンション上がるのか……その程度で僕の安眠を妨害したんならお前はキャンプの時覚えてろよ。山の怖さを思い知りやすいように誘導してやるからな」
「ちょっと待て!? 目がマジだから! 怖いから!!」
「何を隠そうマジだからな。蛇も熊もマジさ」
「怖いこと言うなよ!?」
正人の言葉はとりあえず八割方流す。自動車が動く際に発生する騒音と同じようなものなので、さして気にする必要もないだろう。
ふと通路側に目を向けると、何やら細長いスナック菓子を咥えた篠本さんと目が合う。そして篠本さん、にやり。
「ん」
「…………え?」
篠本さんは僕の方へと咥えたスナック菓子の咥えていない方を突き出してくる。もしかしなくともこれは俗にいうポッキーゲーム。きゃっきゃうふふのポッキーゲームである。
「んっ」
「いやいや、ちょっと、篠本さん?」
周囲の空気が怪しい。クラスメイト(主に男子)がヒットマンになって僕を狙っているかのような空気だ。
違う、比喩じゃない。事実そうだ。今にも鈍器の一つでも飛んできそうな殺気を感じる。可愛く言えばプチ戦場だった。いや、笑えない。プチ核爆弾と同じくらい笑えない。
「んっ」
「いや篠本さん、ヤバい。それは色々やば……」
「ん……っら!」
「んぐっ!?」
ポッキーゲームとは、細長いお菓子なんかを端からお互いに齧り合い、最後にキスしそうなところでドキドキ……という風な遊びだったように記憶している。無理矢理喉までお菓子を押し込み、軽くキスして行く、というのは絶対に何か別のゲームである。通り魔のようだ。これが間接的に死刑に繋がっていることに勘の良い者なら気付く。例えば、篠本さんや、僕のような。
その証拠に、バスの中に静寂が訪れた。
「あ、今のは事故だからノーカン、だよね?」
「ウン、ソウダネ」
「事故とは言え…………今の、そ、その、初めて、だったんだけど……」
「…………」
演技とはわかっている。どこまで演技なのかはわからないがこの状況を煽っているのが演技なのは確実にわかる。だが、顔を赤らめて顔を逸らしている様子は本性を知っている僕でも胸の鼓動が高鳴ってしまう。それだけに彼女の胸の中は黒い笑いで満たされているのかと思うと結構辛い。今の状況も辛い。
「…………」
「ねえ、久東くん。この前ニュースで見たんだけど、集団リンチって怖いと思わない?」
笑えない話題だった。
心底居心地の悪いバスからようやく抜け出た山の中。酸素豊富そうな緑、緑、緑。それらを茂らせる木々はどれも背が高い。つい大きく息を吸い込んでしまうのは人間の習性というやつなのか。
「ああ……空気が美味いな」
これも適当に言ってみただけである。まあ常套句というやつだ。空気の味など僕にはわからない。埃っぽいとか、湿っぽいとか、雨が降りそうだな、くらいならわかるのだけど。
「本当ね、空気が澄んでいる気がする。私たちが来たことでココが汚れてしまうのがもったいないくらいね」
「汚れって……確かに綺麗にはならないだろうけどさ」
「人間って基本的に汚物の塊みたいなものだものね」
「否定はしないけど言い方がさ?」
僕に本性を明かしてからというもの、かなり言動に遠慮がなくなってきた篠本さん。おかげで本人よりも僕が周囲に気を配っている始末。一時期、バレた方がいいんじゃないかと考えていた時期があったけれど、この篠本さん、知ったヤツをもう片っ端から消していくんじゃないかという発想に至り、今ではささやかな反抗心すら浮かんで来やしねえのである。平和が一番。
その慎重さが事態の停滞をまねいているわけだが。
「クラスごとに男女各二列で並べー」
教師の掛け声の下にもたもたと整列を始める二学年一同。行事にしろ何にしろ、学校でやるナニカでは恒例の整列であるが、この光景は何度見ても多少盛り上がっている気分を突き落としてくれる。もし自由に行動できたならこの整列だけで僕は帰る自信がある。…………まあそれは大袈裟としてそれくらい億劫である。
「いやあ、楽しみだよなぁ!」
前方で正人の浮かれ切った声が聞こえる。元気があってよろしい、というのは小学生までの話。正人の頭には教師の手刀が直撃していた。
「どうしてかち割らないのかしら」
「他の人がいるから物騒でイメージ壊れるようなことは言わない方がいいと思うんですがね篠本さん」
「そうね…………どうして頭部を二等分にしないのか疑問ね」
「篠本さん、ごめん、言い方の問題じゃないんだ。内容がヤバいんだ」
「そうね、確かにあの男子生徒の頭の内容物はヤバいことになるかもね」
「篠本さんの思考の方がヤバ……ごめんなさいごめんなさい手の形をいかにも人の眼球抉り出せそうな形にするのやめてください」
「大丈夫よ、ちゅるっと行くから」
「話の流れから言って眼球のことで間違いないと思うんだけど、ちゅるっと行かれたら困るんですがね」
「一瞬だけど?」
「その行為自体をやめていただきたい」
そう? と心底残念そうに右手を握ったり開いたりを繰り返す。見とれそうになる笑顔をこちらに向ける。
…………僕はチョロいんだろうか。
一通り整列が終わったようで、男性教師の良く通る声が森に響き渡る。
「えー、今からこの林間学校の説明を始める。基本、栞に書いてある通りの内容だが、キャンプについて補足説明があるのでよく聞くように」
補足どころかメインなはずである。栞にはキャンプについては存在を示す程度しか書かれていない。
「班はあえて決めていない。個人の方がやりやすいという奴もいれば皆でワイワイしたい奴もいると思ったからな。そこは自由だ。好きにしろ。ハーレムだろうがなんだろうが構わん」
それは問題だが。
「テントやらはこちらで準備した、が、自前のモノを使いたいと言う奴は好きにするといい。その他色々取り揃えてある。自由に使っていいぞ」
男子生徒が調子に乗って「じゃあ肉ありますか?」と質問をすると、笑いが起こる。すると意外にも、教師は「食料は少量用意してある」と答えた。盛り上がる二学年一同。
…………肉は、とは言ってないけどな。
盛り上がっているところに水を差すのも一興だが、それでは変に目立つ。鼻で笑うに留めることにしておく。
「その他は自給自足だ。水はあの《夢現》って建物の水道が通ってるから、それを使うように。それ以外の水は衛生的にわからんからやめた方がいいぞ。飲むなとは言わないけどな。あと――――」
教師の説明は淀みなく行われた。その中で話された重要な点は大体頭の中に叩きこむ。その上でまとめてみると……。
まず、テントは用意されており、メンバーは自由。用意された食料は少ないので自給自足が基本となる。水は指定された場所のものを使うのがお勧め。その他には、釣り道具を何組か借りることができる、携帯は通じないので教員のところへ直接来ること、気分が悪い時は保険医のところまで……などなど。
とりあえず、目下の問題はメンバーだが……。
「――――以上だが、何か質問はあるか?」
僕のクラスの中から、女生徒がおずおずと手を上げる。
「あ、あの……トイレ、なんかは」
「作ってくれ」
どよめきが起こる。恐らく大半は女子のモノだろう。男はそういったことにはあまり困らない。困るとすれば紙くらいのものだろうか。
「あの、それはちょっと、恥ずかしいし、困るんですが……!」
先ほどの女生徒が少し恥じらいを見せつつ抗議する。それに続くように抗議は全体にまで広がって行く。
それを見かねたように教師はやれやれと頭を振りつつ、その声に答える。
「《夢現》の中にあるトイレはそれぞれ男女二つずつだ。どっちも和式な。これは自由に使っていい。ただし、紙は限りあるからな。教員の使用もある。だからあまりこれは使うな。出来る限り森の中で済ませてくれ」
紙くらい買ってくればいいのに、と思ったが、周囲を見回して思い直す。辺りは木々に囲まれ、バスで見た景色には大自然がただ映るだけ。店が近くに見つかるかと言われれば、怪しいところである。
まあ、寝ていたせいで、どれくらい離れているのかすらわからないわけだが。
生徒たちを半ば無理矢理に納得させた教師は、大きな咳払いを一つ。まとめにかかる。
「以上の点を踏まえて、間違っても野垂れ死にはしないようにしろよ。それじゃあ、ここから道具を持って行って、各自解散だ」
ここ、と言って指し示した場所には「夢現」とでかでかと書かれた軽トラックが停まっている。荷台にはこんもりとブルーシートを被った何かがあり、教師がブルーシートを取り払うと、そこにはごちゃごちゃと釣り竿やらテントやらが見受けられた。
生徒たちはそれに歓声を上げる。
「これ、全員分あるんだろうな……」
「さてね? 足りなかったときは野宿か、人を減らすかじゃない?」
僕のひとり言にそっと物騒篠本さん。発想がダークでリアル。
「それは怖い」
「シンプルでいいじゃない?」
「シンプルに人を消さないでくれ」
赤子の手をなんとやら。風で飛んでいく人の命。ちっとも笑えない。重力はそんな安いもんじゃない。
「そんなことより、メンバーはどうするわけ? …………オレと組むか?」
「し、篠本さんは僕とか普通に非常食にされそうだから遠慮しておくかな」
「お前食えないだろ」
「その前に食うって選択肢をなくして欲しかったんだけど」
「まあ、なんだかんだ言って人間も動物性タンパク質だろ? 本気で死にそうな時は仕方ねえよ」
「期間三日だから。植物って手もあるから。その状況が来た時はたぶん意図的に仕組まれたことだから」
なおも篠本さんはぎらぎらした目で笑っている。普通に怖い。
やはり、イメージ的に篠本さんは食ノ蟲の蟲床ではないか、という推測が頭を離れない。偏見だったりするのかもだが、この性格だと、嫌でもそこに連想が行ってしまう。
せめて元の、あの清楚な篠本さんならば、まだ考えられたのかもだが。
「おい、錬次! 一緒に組もうぜ!!」
「嫌だ」
「よし! レッツゴ…………って即答!? なんでだよ!?」
「あ、ごめん。よく聞いてなかった。何?」
「聞いてないのに拒否ったのかお前!?」
「いや、アレだ。ボールが顔に飛んできたら思わず目つぶったりするだろ。そんな感じ」
「それは反射って言いたいのか? 意識してないけど拒否ったって言いたいのか!?」
「大体そんなもんじゃないか?」
「ねえよ!」
「私もそんな感じかな」
「篠本!? なんで!?」
「だって、ねえ?」
「ね」
「ね、じゃねえよ!?」
正人の扱いに関しては、篠本さんと気が合うらしい。
僕が篠本さんに笑いかけるとにやりと返す篠本さん。やっぱり怖い。
「錬次!」
声の方を見ると、ふわふわと白い髪を弾ませながら、レンがこちらに手を振って駆け寄って来ていた。とても楽しそうなレンさんだ。可愛い。
「愛の巣はどの辺りにしましょう!」
「僕もテント張るから」
「私、一人じゃ寝られなくて……」
「いつも一人で寝てるよな」
「ムラムラするので一緒がいいです」
「直球来たなおい」
「三日もあれば着床余裕ですよね」
「そもそも行為の予定がないからな。レン、真昼間からいい加減にしろよ。これ以上言ったら頭撫でるからな」
「上等です」
撫でた。わしゃわしゃ撫でた。
「えへへへへへへへへ」
「さて、メンバー決めないとな」
「放置辛いです」
レンの後を追うように水上さんがやって来る。
「あの、迷惑じゃなかったら、私!」
「ああ、全然いいよ。…………メンバーはレン、水上さん、篠本さんは」
「もちろん」
「と言うわけで篠本さん。人数分テント持ってこよう」
「あ、一つ少なくてもいいですよ?」
「人数分持ってこような」
「俺は!? え? 普通に流したけど俺は!?」
「ペット飼ってる余裕はないんだ。すまん」
「ペット!?」
「淫獣では?」
「レ……魅上さんまで!?」
「こうやって露骨に言い間違える人ってうざいわよね」
「あ、私それ同意かも」
「篠本も水上さんも……オールメンバーで叩かないで!? 泣くから!」
本気で泣きそうなのでそろそろ潮時だ。
「…………正人を含めて、まあいつものメンバーって感じだな」
蹲る正人を蹴り飛ばし、荷物を取りに向かう。テントと、他に何を使うだろうか。一応持って行けるだけ持って行った方がいいのか……?
「釣り竿って、ここら辺に釣りが出来るような場所があるってことよね」
「森で釣り、ねえ……。川があるのかな」
「あ、錬次。それでしたらここに来る途中、滝がありましたよ。それなりに大きい」
「じゃあ、持って行って損はないってことか…………僕、林間学校って良く知らないんだけどさ、ホントにこんな感じなのか?」
「まあ、少し自由度高いけれど、林の中でやるんだから林間学校でいいんじゃない? 私立だし」
「私立でなんでも解決出来ればいいんだけどな……。テント人数分ってよく考えればどんな予算配分だよって話だし……これって学校で用意したんだろ?」
「たぶんね」
「力入ってる……としか言えないな」
僕たちはリールが付いた釣り竿を二本、テントを人数分取り、用意された食材を…………と、そちらを見た途端、僕は思わず間抜けな声を洩らしてしまう。
そこには、大量のモヤシが透明な袋に小分けされて置かれていたのだ。ガッテム。
案の定、抗議の声が教師に殺到していた。
「肉あるっていったじゃないっすか!!」
「肉があるなんて言ってないだろう。食材はあるって言っただけだ。それに、ほら。元になった大豆だって畑の肉っていうじゃないか。肉だ肉」
「そんな屁理屈聞きたいんじゃないんですよぉ……」
「こっちだって予算がな…………」
なるほど、予算の無理はこっちにしわ寄せが来ていたわけだ。
僕たちはモヤシを数袋手に取り、釣り竿を一本追加し、森にある一本道へと足を踏み入れた。




