第十八話 苦しい立場
スーパーはまだ人でにぎわっている。
「あら、久東くん。また会ったわね」
「…………コンバンハ篠本さん」
シリアスにシリアス。先ほどのやり取りが感動を交えたシリアスならこちらは死が見え隠れするシリアス。思わず棒読みである。
篠本さんはいつか見たパーカー姿。買い物かごには家庭的な豚肉やら鳥肉やら牛肉、肉、肉、肉、肉……エトセトラ肉。ああ、だからその胸なのね、と本音がポロリしそうなのはすんでのところで踏みとどまり、とりあえず精神を落ち着けるためにその二つの肉塊もとい柔らか肉まんよろしく、男のロマン的物質を
「……錬次? 雑念多くないですか……? いくら私でもコレは殴りたくなるような露骨な反応なんですけどね……? どうしましょうか」
「いや、レン。これには深いわけが」
「浅い知恵ですね」
「ですね……」
とうろたえているところにレンさんの手痛いフォロー。まさか都合よくレンは買い物していました、なんて現実は良いように出来ていない。むしろ辛辣に出来ているのだ。
篠本さんに出会ったことはもちろん、うろたえる要素に十分だが、それ以外にもレンと篠本さんが鉢会わせたという状況が何より怖い。恐ろしい。今朝の一気触発ムードは初対面だから、と言っていたが、篠本さんが蟲床だと(僕だけではあるが)わかってしまった今、なんだかそれだけではなかったのではないか、と疑ってしまう。
僕の人生はいつからハードモードに設定されてしまったのだろう。僕の精神的ヒットポイントはすごい勢いで削られていく。
「どうも、篠本さん。こんばんは」
「こんばんは、魅上さん。朝以来ね」
普通に挨拶を交わす二人。謎の威圧感を除けばまったく普通の会話だ。激しく居心地は悪いが、ただの挨拶である。
「私、久東くんにお話があるの。悪いけど、他の人に聞かせるような話でもないから先に買い物、していてくれるとありがたいのだけど」
「生憎ですが、家計事情は錬次の手によって管理されているので私の独断では買い物は出来ないのです。申し訳ありませんが、話があるのなら私のいる前でか、手短にお願いします」
ただの会話、である。
まだこれだけならいい。蟲という単語が飛びださないだけで随分マシな方だ。もし、この場で僕が篠本さんは蟲床だと明かしたら、どうなってしまうのだろう。
僕は生きていられるだろうか。思い出されるのは黒く冷たい電気箱。不敵に笑う、美しい獣。
そういえば、篠本さんはどの蟲を身体に宿しているんだ?
睡ノ蟲より、食ノ蟲の方が彼女の僕の中の彼女のイメージに合致する。獲物を決して逃さない、肉食獣のような雰囲気。というかかごの中。
「? あ、これ? 私、犬飼ってるのよ。それの餌」
「いぬっ!?」
僕が肉の山を見ていたことに気が付いたのか、篠本さんはいつも通りだけれど僕にとってはすごく違和感のある口調で説明してくれた。レンは拒絶反応を示して背筋がぴん、と伸びる。言葉でもアウトらしい。
犬というと思いだされるのは二頭の大型犬。正人の家の犬もこういう物を食べて育っているからあんなにでかいのか。はたまた犬種か。
「さて、話も出来ないようだし、私はそろそろ行くわね。またね――――久東」
最後に浮かべた笑みは完全に本性むき出しだ。勘弁してほしい、その顔が出る度に心臓が止まりそうになる。
レンにばれないか、と不安になる。別に律義に篠本さんとの約束を守っているわけではない。その方が、今は良いだろうと思ったのだ。
「さて、レンさん? 買い物済ませよう」
「…………ええ」
「…………レン?」
篠本さんがいなくなった方向を睨みつけているレン。まさか、蟲床だと気付いた……?
確かにレンは何かに気付いている様子だった。学校に蟲床がいると言った時も、『彼女』と、まるで目星はもうすでに付いているかのような言い方をしていた。
「錬次、篠本さんはどうだったんです?」
「へ?」
「蟲床かどうか、ですよ」
不思議なことに今まで浮上しなかった話題。八重子さんなんてビックリ人間が出てきたものだから完全に話に繋がることはなかった。
だから、一応いつでも話せる準備はしていた。言葉は用意している。
「違うっぽいな。お前の嗅いだ匂いって感じじゃない。普通に女の子の匂いプラスシャンプーって感じかな。甘酸っぱい感じ」
罪悪感がないわけじゃない。レンを騙しているのだから、ないのなら僕とレンの関係はその程度、ということになってしまう。それは、悲しい。
今は、今少しの間だけは隠しておこう。そしていつか必ず明かそう。絶対に。
「……そうですか、なら、私のこの感情は……」
「感情?」
どうやら切り抜けたらしいことに安堵しつつ、レンの怪訝な顔に問う。レンは胸に手を当て、「いえ」と前置き。そして一言。
「…………私、あの方とはそりが合わないような気がします」
その点に関して、僕は全くの同感だった。
どうも、桜谷です。第十七話の直後の話となります。
ここまでを、一章とさせていただきます




