プロローグ
立ち昇る黒煙。肉が焼ける臭い。全身にのしかかる痛み。地獄があるのなら、こんなきっと風景。
何故こうなったのだろう。目の前では父さんと、母さんと、横たわる車に邪魔されて視界には入らないけれど、きっと妹が、炎に呑まれている。
いとこの家に行く途中だった。誕生日にサプライズパーティーを開いて、親族皆が集まって、久しぶりにいとこの顔が見れて。そんな、楽しい日になるはずだった。
空を見上げる。正確には仰向けになったという方が正しい。それ以上動きようがなかったのだ。僕の身体は右腕が車の下に、両足の感覚はなく、ただ、左腕だけが現実を感じさせてくれていた。
濛々と立ち昇る煙。僕たちを馬鹿にするような青い空。その風景は、歪んで、歪んで、僕の頬を伝って零れ落ちた。
叫ぼうにも、焼けた喉からはただ苦しげな、声の空回りした吐息が洩れる。暴れようにも、動かせるのは左腕だけ。せめてもの抵抗は目を開くことだけ。意地汚く生を繋ぐには、意識を失うことがあってはならないと思ったのだ。
しかし、それも既に難しい。本当に死ぬのは眠るような感覚で、きっと次は目覚めることがないとわかりつつ、それでも抗いようのないもので、家族は皆死んで、僕だけ助かっても何もなくて。
諦めた方が、楽に決まっていて、なのに。
「……イヤ、だ。こんなのは、イヤだ」
ほとんど無意識に呟いたのはそんな言葉だった。
生への渇望。この惨状への抵抗。そして、やり場のない激しい怒り。その全てを込めて、僕は叫ぶ。
かすれた声で、既に焼け切れた喉で、壊れたノイズ混じりのラジオさながらの音を全力で吐き出す。叫ぶことが出来ないはずの喉は、最後の力とばかりに断続的に音を紡ぐ。
「――うあ、ああ、あ、ああああああああああ…………!」
自分でも何故叫んでいるのか、よくわからなかった。いや、僕だけがわからなかったのか。
ただ、悲しくて。
ただ、腹立たしくて。
ただ、生きたくて。
必死に、叫び続ける。
「意味などない。悔しいのだ。どうにもならないことが悔しいのだ。生きたいという欲望が、悔しいと感じさせるのだ」
ふと、声が聞こえた。威厳を感じさせる、淀みのない低音の声。それは年老いた老人のようであり、僕はどことなく安心感を覚えた。
「(だ……れ……?)」
ぼやける視界に人の姿は確認できない。僕は必死に探した。
縋りたかった。泣き付きたかった。助けてくれと、懇願したかった。
「私に姿はない。故に、君のその行為は徒労だよ」
声が途切れたかと思うと、投げだされた左腕にひらり、と光が留まる。一匹の大きな蝶だった。羽は手の平ほどあり、しかし、その身体はそこらを飛んでいる小さな蝶のものと変わらない。羽が歪な形をしている蝶……ぼやけた視界では正確ではないが。
「少年」
声は蝶から発せられているようだった。僕は不思議に思いつつ、蝶の言葉に耳を傾ける。
「生きたいか? 意地汚く、貪欲に、何に変えてでも。君は生きたいと願うか?」
即座に僕は頷く。すると、少しだけ蝶が微笑んだように見えた。視界が歪んだだけかもしれないけれど。そもそも、蝶と会話するなんて、まともじゃない。僕は死ぬのだろうか、とぼんやり思う。
そんな僕の考えを見透かしたように、蝶は言う。
「私が生かしてやろう。きっと君を生かしてみせよう。君の望みを叶えよう」
どうして、という声は言葉にならなかった。左手に針で刺されたような激痛が走ったのだ。いや、左手だけではない。その痛みは毒のように、じわじわと全身に広がって行くようだった。頭が、掻き回される。
事故で負った傷よりも痛い、というのは不思議なものだ。
苦痛は、数時間続いた。日があまり動いていなかったから、実際には数分だったのかもしれないが。
苦しむ僕に、蝶は一言だけ告げた。
「これは無償ではない。私はそこまで、お人好しではないのだ。まあ、人ですらないのだがね」
冗談交じりのその台詞は、どこか、ここにいるはずのない、いとこの口調に似ていた。
どうも、桜谷です。春っぽい人と覚えていただければ幸いです。
未熟者ですが、よろしくお願いします。
この作品、展開が遅いと思われますが、読んでいただけるのなら本当にありがたいです。
感想等、お待ちしております。