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蟲床フラストレーション  作者: 桜谷 卯月
第一章 非現実への入り口
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第十七話 忘れた何か

「…………というわけなんだ」

「な、なんというか、お疲れ様です、ですかね?」

 僕は家に帰ってレンに八重子さんのことを話した。そりゃあもうファンタジックに。グロテスク満載で話したつもりだった。

 まあ、どういうわけか映画の話でもしている気分だったのだが。

 家に入ると当然のように上がり込んでいたレンさんも僕の頭に虫が湧いたのかと困惑中である。僕だってその立ち位置にいたい。

 おかげで、篠本さんの件は話さずに切り抜けられそうだけど。

「レン、これさ。真面目な話なんだよな……」

「いえ、わかってますよ。わかってますとも。二巻はあったんですか?」

「…………」

 僕は無言でレンにアイアンクローを決める。

「錬次……痛いです…………あれ、少しずつ気持ち良くな」

「なるなよ」

「あい…………」

 アイアンクローを解除した後、レンは頭を擦りつつやはり怪訝な顔で尋ねてくる。

「でも、それが本当だとしてですよ? なんでそのアンリアルクイーンさんとやらは来たんです?」

「僕に訊かれたってな……僕だって知りたいくらいだ」

 身に覚えがない、となると少し怪しくなってしまうわけだが、蟲と関係があるか、と問われるとそれは否である気がする。

 会った瞬間から今まで、その認識は全く変わらない。会うというか遭うというか、とりあえず言えることは話は聞いてみたいけれど出来れば二度と会いたくない、ということである。

 君子危うきに入らずんば棒に当たる。

 僕にとって彼女は正にそんな存在のような……気がする。

「あー、ここは私というものがありながら~と怒った方が良かったですか? その方が流れ的に抱きやすいです……よね?」

「何さらりと通常営業してんだお前は」

「いや、だってですよ? アレじゃないですか。お腹すきました」

「…………そうか」

 確かにお腹はすいた。ジュース以来何も口にしていない。あの衝撃的光景を見た後で何かを食べられるか、と言えば、まあ常人ならそうなのかもしれないが、残念なことに僕は常人よりは常人じゃないので割と普通に食べられてしまう。

 というか、やはり人が死んだというよりもあの八重子さんという人間(?)の奇想天外振りが気になり過ぎて、グロテスク的要素によるショックが皆無なのだ。まさにアクション映画を見ているような感覚。スタイリッシュにグロテスク。

「錬次? 頭抑えてどうしました?」

「いや、ちょっと頭痛が…………あ、そういえば、家の前に放置して行ったおっさんは?」

「私が帰って来た時にはいませんでしたよ? 虫やゴミではないですし、カラスに持って行かれたということはないと思いますが」

「ああ、絶対にないな。百パーセントない。百とゼロはあり得ないって言う人間だっておっさんがカラスに運ばれたなんてことは絶対に言いださないだろうよ」

「いや、そういう人たちはそれをあると言ってしまうひねくれ者なのでは……」

「まあ、そうなんだけどな、言葉のあやだよ。あやなんだよ」

「二回言いましたね」

「大事なことだからな」

 大事なことである。――大事なことと言えば。

「そういえば、レン。どうやって家の中に入ったんだ? 鍵なんて渡した覚えはないぞ」

「ああ、ピッキン……合い鍵を綾さんに」

「おい待て。ピッキングって言ったか? ピッキングで開けられるほどこの家の防犯機能はザルなのか!?」

「はいまあ、こうちょちょいと」

「開き直るなよ」

本日二度目のアイアンクロ―が火を噴いた。

「あう……痛い……痛気持ちいいです錬次……」

「うるさい気持ち悪いこと言うな。……ほら、これ渡しておく。ピッキングとかやめろ」

 不法侵入常習犯予備軍防止用に、一つだけ余っていた合鍵を渡してやる。レンは渡された合い鍵をしばらくぼうっと見つめ、

「…………つまり、愛の巣……痛っ」

「鍵いらないのか?」

「いります! 世界を敵に回したとしてもこの鍵の所有を優先するくらいには!」

「お、おう、そうか……」

 レンは宝物を得た冒険者のごとく目を輝かせ、様々な角度から銀光りする鍵を見つめている。……こうも嬉しそうな様子を見せられると、こちらも少し調子に乗ってしまいそうである。主に夕食的な意味で。

 まあ、なんの記念というわけでもないけれど、たまにはいいか。…………この前奮発したような気がしないでもないというか確実にしているのだが、それは気のせいだと思っておこう。

「飯、何がいい?」

「はい?」

「空腹を忘れたか……いや、欲求が満たされている時に他の欲求が起きないのはよくあることだけどさ」

「あ、ああ、そうでした! いえ、忘れていたわけではないですよ? トリップしていただけでして……えへへ」

「えへへって……そんなに嬉しかったか」

「人生棒に振って後悔しない程度には」

「…………」

 レンさん必殺の真顔が炸裂。言葉のリアリティポイントが八十ポイント上がった。

鍵を失くした日なんかには冗談抜きで死ぬ勢いなのが目に浮かぶ。大丈夫だろうか。レンの命が鍵一つ分である。人の命にしてはあまりにも軽い。綾だって酒瓶くらい選びそうなものだ。

「…………そんな調子だと、これから何回その顔を見ることになるんだか」

「近日の予定では婚約指輪とかですかね?」

「近日!? ってさりげなく結婚予定盛り込むな」

「いいではないですか。些細なことでしょう?」

「お前の人生観どうなってるんだ……」

 レンの髪とわしゃわしゃと掻き乱してやる。純粋に突っ込みたいのと少し嬉しいのがないまぜになった感情故の行為である。色々あった。デレてやりたくもなる。

「で、何が食いたいんだ?」

「錬次の作るものなら、なんでも」

「そうか」

僕はこの時気が付いていなかったが、冷蔵庫の中身は実はすっからかんなのであった。結局いつかとデジャヴを感じる形で僕が買い出しに向かうことになるのは、これから数分後のことである。

 

 前回よりも少し明るい夏空。レンと行く夕食買い出しの旅。今度は閉店時間を気にする必要はない。余裕はたっぷりだ。

 空は白けた色をしている。昼間あれだけ頑張っていたのだ、バテてしまったのかもしれない。ありがたい。

 今思えば、昼間のアレは白昼夢だったのではないかと思えてくる。事実、公園に証拠は残っていないわけだし……いや、探せば肉片の一つくらい見つかるかもしれないが、探してまで疑うわけではない。

 そもそも、蟲の存在を認めて、あの八重子さんを認めないなんていうのもおかしな話だ。あの非現実が現実だなんてことは百も承知している。

 近くにいるだけで空気が粘性を持ったようなあの感覚、忘れられるものではない。

 そんな思考が常時頭の中に居座っていたのだから、道中レンと交わす言葉は少なくなるわけで、

「…………ほぅ」

 どこかうっとりした顔でレンは心ここにあらずといった様子。なるほど、言葉少なになっていたのは何も僕のせいだけではなかったということだ。

 …………静かだ。こうしているのがどこか懐かしいような気がする。レンと会ったことがあるとすれば、こんな時間を何度も過ごして来ていたのかもしれない。

 不思議と、その考えはしっくりときた。

「なあ、レン。僕たちは、やっぱり知り合いだったのか? その、昔会ったことが」

「? いきなりですね……どうしてそんなことを」

「あのな、レン。僕は鈍すぎるラブコメの主人公じゃないんだ。お前が何か言いたそうにしているのは気付いてた。ただ、わからないんだよ。そろそろ、はっきりさせたいというかさ」

 久東家の研究。レンと僕の関係。それは偶然なのか? ふと繋がった思考が、僕の口を動かしていた。

 レンは何か言いたそうに、悲しげに微笑む。

「思い出せないのなら、それでいいのではと、私は思いますよ錬次。お互い知っているはずの記憶が共有できないのは悲しいことですが、それはそうあるべくしてなったのかもしれません」

「でも、話してくれれば」

「錬次、責めるような言葉になって申し訳ないですが、私にとって、そして、恐らく、きっと錬次にとっても。その記憶はとても大切なものだったのです。それが失われている、ということは、そこになんらかの意味があるのではと私は考えます。まあ、ただ単に忘れているだけ、事故の後遺症というのも考えられますが……。ですから、もし私が話したところで錬次は思い出してくれないような、そんな気がするんですよ」

 レンの言葉を聞くたび、胸が締め付けられるような気がした。こんな言葉を吐かせているのは自分だと、久東錬次を見つめる過去の自分が、そう責め、囁いているような気がした。

「私は、それが怖い。だから、私から話すことは出来ません。どうしても」

「……わかった、悪かった。過去に関係があったことがわかっただけで十分だよ。たまに記憶の断片が夢に出たり、不意に思い浮かんだりすることがあるんだ。僕の知らない風景、声。だから、思い出せる、と思う。頑張ってみるよ」

 その時の僕は、どんな顔をしていたのだろう。笑えていた自信はない。さぞかし滑稽な、急場しのぎの仮面が貼りついていただろう。

 それでも、レンは、

「ええ、待っています。――――ずっと」 

 そう言って、桜の花のように優しく笑っていた。

 可愛らしく儚げな、あの小さな白い花のように。

 



 

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