第十六話 アンリアルクイーン
「あー…………あれはもったいなかったな。ああ、アレはもったいなかった」
篠本さんから解放され、コーラを飲みつつ公園のベンチでうなだれる夕方。幾分か涼しくなるかと思われた気温はその予想をあっさり裏切ってくれた。電子レンジってこんな感じなんだろうか。
…………未練がましくしている僕への罰なのかもしれないが。
「…………篠本さんが、ね……。ああー……そっか」
それにしても、現実が呑み込めない。これには本当に困った。未だにあの篠本さんは誰かが変装でもして現れたのでは、と思いたい自分がいる。しかし、怪しくはあったのだ。すっきりすべき、なんだろうけれど。
「…………はあ…………失恋…………かな」
口にして見るとやはりしっくりと来る。どうあれ、僕と篠本さんが正常な形で恋愛するということは万に一つもありえない。僕が望んだ純粋な恋愛は、恐らくここで終わったのだ。
缶コーラを一気に煽り、喉に走る刺激に顔をしかめる。いつもなら爽快感満載なはずなその瞬間だけれど、余計な思考がねっとりと張り付いてどうにも気持ちが悪い。
コーラの空き缶をゴミ箱に投げ入れようと振りかぶる。
「――――っと」
そこで気付かなければ完全に投げていただろう。ゴミ箱の傍にはスーツ姿の男がうずくまっていた。いわゆる体育座り。なんとも陰鬱な雰囲気である。缶を外してこの人に当たってしまっては、この人をさらに追い込んでしまいかねない。
仕方なく横着は止めることにする。…………それにしても、何があったんだろうか。
「……大丈夫ですか」
傷心状態は僕も同じこと。傷の舐め合いというわけではないけれど、人情というやつだ。男はどうやら泣いていたようで、小さく嗚咽が聞こえてくる。
「う……うっ…………うっ」
「なんでしたら、何か飲み物でも買ってきましょうか? 奢りますが」
「ううっ…………」
返事がない。ただの屍、ではないけれど。よく見ればスーツはなかなかに汚れている。砂埃と、何か液体に濡れている。水でもかけられたのだろうか。家でも追い出されたのだろうか。推測は後を絶たない。
この時点で僕は若干面倒臭くなっている。話しかけておいてなんだが、これ以上関わるのもアレである。アレというのは便利な言葉だな、とつくづく思う。
「あー……いらないんでしたら僕はこ、れ、で……」
「…………」
反応はない。僕は鞄を抱え、そそくさと逃げるように公園を「まってくれ」あとには出来なかった。
ゆっくり振り返る。ホラー映画さながら。ただしホラー映画なら、この時点ですでに手遅れであるパターンが王道なのだが。
僕の心配は杞憂に終わる。男はまだうなだれた状態でゴミ箱の横に座り込んでいる。ただ、少し様子が変わった。何事か呟いているのだ。
「ちがう、ちがう……おいしくない……あれはおいし……おいしい………おいしくない……お腹……おいし…………減った」
少しだけ、思い当たる事柄が、というか少しではない。最近の悩みごとベスト3に常にランクインしている、蟲の事。昨日と同じく、感染者であろうことは容易に想像できる。
僕は逃げるべきだったろう。次の日に犠牲が出るとわかっていてもなお、今この時は逃げるべきだった。
僕が身を固くして男を観察していると、唐突に男の頭が消し飛んだ。
綺麗に。首から上が。消えた。
そして遅れて首がなくなったことに気が付いたように血液があとから噴水のごとく噴き出す。
「――――――え?」
僕の反応はそれよりもさらに遅い。出来事の認識はさらにもっと後。今はただ、赤い液体が噴き上がって、僕の頬に一つ、一つ、赤い斑点を残していく。その感覚をただ受け止める。
「――――うぉえ」
喉の辺りにせり上がるものを感じ、瞬間僕はその場に膝を突き、口を押さえる。何が起こった? 何が来て、何が、どうなった。何がどうしてこうなった?
目の前で、人が死んだ。それも、ゲームのように、綺麗に首が消し飛んで。
「――――っと、あっちゃ~、首丸ごとやっちゃいましたか。陥没くらいがベストだったんですがねー……やっぱり動物の力はよくわかりません。ふむ」
そんな凄惨な現場のど真ん中に、つまりは死体の辺りに文字通り降り立ったのは、茶色のハンチング帽に、黒いパーカーを着た女の子。年齢は僕と大して変わらないように見える。
男の首を吹っ飛ばした女の子はその肉塊をつま先でつつき、何かを確かめている。恐らく死んでいるのかを。そんなこと、誰の目から見ても明らかなのに。それとも、彼女の中の常識ではこの状態で人間が死んでいないことは普通だったりするのだろうか――――。
「あ~、どもども。久東さん、ですよね?」
「え、ああ、そう、だけど」
「すみません、雑な仕事をお見せしました。普段はもっと慎重なんですよ。ホントに。首を一気に吹っ飛ばすなんて派手なやり方は控えてるんです」
地味な人殺しは控えないらしい。このままでは小石を蹴るような気軽さで僕はタンポポよろしく、親指辺りでぶちっと首をはねられてしまうのかもしれない。首チョンパ。
というかこの子、石を投げただけで首を吹っ飛ばすってどういう事なんだろうか。明らかに僕たちの「蟲」と同じニオイのする話だ。
普通ではない、現実を圧倒する非現実。
なんで名前を知ってるのか、なんて些細なことだ。
「……おや? 久東さん、あなたはどうも、私の想像した人物像と少々違っておられるようですね?」
「いや、知らないよ君の中の久東錬次像なんて。それより、なんだって白昼堂々と僕は殺しを見せ付けられなきゃならない。警察呼んで現行犯で逮捕でもしてもらえばいいのか? それとも、僕はこの後口封じに殺されるのか?」
故に、なのか。だとしたらかなり悲しいのだけど、僕は案外冷静でいられた。感情的には、恐怖というよりも勘弁してくれ、の方が強く出ている。
人が死んだけれど。
非現実なら仕方ない。
………………まさか。そんなまさか。これまで人がドウニカなった時、いつだって僕はオーバーすぎるくらいのリアクションを残してきたじゃないか?
今だって、吐いたばかりの口は胃液の味にまみれて、気持ちが悪いじゃないか?
ここに来て唐突に感覚が麻痺した? そんな都合の良い話があるものか。
「はっはぁ、久東さん、存外肝が据わっていらっしゃる! 目の前で人の首がぶっ飛ばした殺人犯相手にケンカ腰とは! ……先輩にもこれくらいの元気があればよかったんですがねぇ……」
「せ、先輩?」
「あ、いやぁ、こちらの話でございますよ。気にしないでください~」
あっさり自分を殺人犯認め、新手出現のフラグをあっさり流し、非現実少女はにひひ、と笑う。そして、おもむろに頭に乗っかっていたハンチング帽を指に引っ掛け、くるくると回し始めた。
「久東さん、唐突かもしれませんが、世界は楽しいですか」
唐突も唐突。思わず「はあ?」なんて素で漏れたのだから本当に唐突もいいところだ。というか、「世界は楽しいですか」とかそんな思春期真っ盛りでもあるまいし、中のニが付きそうな病は患っていないので…………たぶん、だから、そんな突飛で馬鹿げた質問に答えるのはいささか恥ずかしいという…………。
「ん、ちょいと抽象的過ぎましたかね。センセーの思考が移ったんでしょうか……まあ良いです。では、言い変えましょう。この『非現実』は楽しいですか?」
「『非現実』って、アンタのことか?」
「蟲、なんかも含みますけどねぇ」
そう言って殺人犯は自分の仕上げた作品を足でつついた。――――欲ノ蟲のことを知っている? つまりは三人目の蟲床、ということだろうか。
しかし、どうも雰囲気が違うような気がする。欲ノ蟲なんて赤子のように思えてしまうような、そんな強大な非現実を彼女は孕んでいる気がする。
有り体に言えば、格が違う。
とにかく、彼女は蟲には関与していない。少なくとも、その軸に関係する者ではないように思えた。
そこら辺を踏まえた上で、僕は返答する。
「……面倒なだけだよ。こんなの」
「と、おっしゃいますと?」
「人が死ぬなんて単語が平気で出てくるような世界に生まれた覚えはないんだ。普通に馬鹿やって笑ったり怒られたり、本当はロクに考えもしない政治のことで批判し合ったり、好きな女子に視線送ったり。そんな日常が楽しかったんだ。たまに突飛な出来事が起こればいい、なんて考えたことはあったけど、最近のアレやコレはつまらない。そう思うよ。まあ、そうなるべくして、あの時生き延びてしまったのかもしれないけれど」
「……そうです、か」
女の子は指で円ノコよろしく回っていたハンチング帽を上に投げ、頭に乗せる。そして、
「それは素晴らしいことですね。あなたは『非現実』の才能がない!」
やはり唐突に、そんなことを言ってのけた。
「……は?」
「才能がない、というとちょいと悪いイメージに聞こえますかね。でもねプラスなんですよ~。まあ、才能ある人の例に挙げるなら私でしょうか――――あ、そういやまだ自己紹介してませんでしたかね」
「……まあ。でもアンタは僕のことを知ってるんだろ? なんだかワケありな人間っぽいし、無理に話さなくてもいいけど」
「いえいえ! 名前は大事なのです! まあいくら非現実至近距離な私だからといって、歩けば巨大怪獣を呼び寄せてしまうような私だからと言って! 名前聞いたくらいで不幸な目に遭ったりしませんよ!」
「……後半ちょっと怪しくないか」
「いや、盛ったんですよ~。盛りました盛りました! 誇張表現です! 実際は蟻みたいなもんでしたし!」
「いや、それも怪獣っていうんじゃないだろうか……」
「久東さん、んなちんまいことは気にしたら、いくら死ににくい身体でも長生き出来ませんよ……」
「え? いや、なんかごめん……」
「ま、いいんですが」
そう言い、女の子はハンチング帽を被り直す。
「ええと――――私の名前は九字切八重子。アンリアルクイーンとか非現実王とか色々通り名はあるんですが、まあ、八重子ちゃんと気軽にお呼び下さい!」
「なんだよその気になる通り名……名前も、なに、中二」
「はい! 久東さん、スル―スキル高めましょう! 君子危うきに入らずんば棒に当たるですよ!」
「それなんてことわざ!? 足踏み入れなきゃ痛い目に遭うってどんだけ踏んだり蹴ったりなんだよ!?」
近寄っても棒に当たる気がするのはきっと気のせいではないのだろう。とりあえず、ぶっ飛んだ女の子、というイメージは固定である。
「さて自己紹介が済んだところでなんですが、さっそくお別れですね~。死体はこちらで処理しましょう! あなたは何も見なかったことにすれば誰も損しません」
八重子さんは手慣れた手つきで死体を担ぎ上げ(人を担ぐバイトでもあるんだろうか)、僕に背を向けた。
「では、ごきげんよう! 縁があればまた……まあ会えますかね」
「へ?」
八重子さんは謎の発言を残し、突然屈伸を始めたかと思うと、そのまま跳躍。その跳躍が人間というかどんな生物でも、生きている限りは不可能なのでは、と思わせる距離を跳ぶというもので、ああ、やっぱり化け物だ、と感想を持ってしまうのだった。
「あれ、人が、死んだん、だよな……?」
どういうわけか。
人が死んでいる程度、と考える自分がそこにはいたのだった。
 




