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蟲床フラストレーション  作者: 桜谷 卯月
第一章 非現実への入り口
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第十二話 ドッグパニック

「昼はすいません、錬次」

「いいよ、別に。二人にはだるそうに別にいいって言われただけだったし。何かおごらされそうで怖かったけど、まあ、これは夏の暑さに救われたのかな」

 授業が終わってすぐ、僕は保健室に向かった。

 すると、無精ひげを生やした西條校医が居眠りをぶっこいていやがった。しかし、起こしても面倒なのでここはスル―。

 レンの眠っているベッドに向かうと、昼休みよりもいくらか楽な様子の彼女が暑そうに額をぬぐいながらベッドにうずまっていた。

 やはり、長袖で、袖をまくることもせずに。

 僕に気付くと、レンはすぐに身体を起こして、

「では、帰りましょう」

 なんて言って、現在は帰り道。まるで図られているかのようだった。

 そういえば、図ってるとかなんとか、本人が言ってたっけか?

「なあ、なんで長袖なんだ? 脱ぐことは出来ないにしても、まくるくらいはしてもいいだろ」

 かねてからの疑問をぶつけると、レンは自分の胸に拳を当てて答える。

「私の肌、普通の人よりも白いですよね?」

「そうだな。人形みたいだな、とは思ってたけど。それが? もしかして日焼けしたくないとか?」

「まあ、簡単に言えばそうなります。私の皮膚は特殊でして、普通の人が日焼けで済むレベルのところ、皮膚がただれるほどのやけどを負ってしまうのです」

「……すまん」

 何か、いけないことを訊いてしまったような気がして、反射的に謝る。

 恐らくは遺伝子の問題か。どこかで聞いたことがあるような気がする。

 すると、レンは目を細めてこちらを見る。

「別に謝ることはありませんよ。確かに、外見にコンプレックスが全くないか、と問われれば自信を持って頷くことは難しいかもしれませんが、ずっと気にしているかと言えばそれは否です。この、白い髪も青い目も。実は、本来、瞳の色は赤いんですがコンタクトで青くしてるんです。コンタクトは無論視力が弱いから、と言うこともあるのですが、赤い目というのは少し怖いでしょう? だから、青の方がいいのではと――――」

 僕に口をはさむ隙を与えずに喋り続けるレン。その喋り方には誇らしげな響きすら感じられる。

 僕に負い目を感じさせないために?

 一瞬そんな思考がよぎったが、それは間違いだと瞬時に訂正を入れる。彼女はこんなにも誇らしげだ。

 色夜、という名前は、案外彼女のことを考えて付けられた名前なのかもしれない。外見に反して、彼女の心は感情(色)にあふれている。

「――――どうかしましたか、錬次」

「え? あ、いや」

 急に目の前にレンの顔が現れる。

 僕はうろたえて、五歩くらい後退する。言い訳とばかりに、レンの頭を撫でる。

「僕はこの髪の色、好きだな。まるで――桜みたいで」

「え…………?」

 レンは信じられないものを見るように僕を見る。当たり前の反応だ。

普通は桃色から連想するだろうに、なんで桜なんて言ったんだ僕は。

「そう、ですか。桜……」

 レンは前髪を少しだけつまんで、自分の髪の毛を眺めている。よかった、怒ってはいない様子。しかし油断は禁物。相手はあのレンさんですよ。

「あの、なんで桜なんですか?」

「え、えーと、あれだ。桜ってピンクピンクなんて言われてるけど、よく見たらそんなことなくて、白っぽいだろ? だから……かな」

「他には?」

「他、って」

「過去に、連想させるものはありませんでしたか? お屋敷みたいな所で」

「お屋敷……?」

 桜にお屋敷。確かにイメージ的に雰囲気ピッタリという感じだけど、生憎僕のメモリーにはそんな素敵な風景は入っていないようだ。

 悩む様子の僕を見て、レンは少しがっかりしたように、寂しげに笑う。

「あー、もしかして、会ったことある、とかそんな感じか?」

「いえ、別に、そんなことはありません、ええ、ありません」

 そんなことないっていう表情ではない、よな、やっぱり。

 昔、会ったことがあるなら、彼女が僕に向けてくる好意の訳もなんとなく理由が付くような気がする。

 身に覚えのない好意の理由が。

 いや、今だって、欲ノ蟲関連で近付いているって可能性は捨て切れていないわけだけど、それはなんだか納得できないのだ。

 別に女を知り尽くしている男なわけではないが、むしろ、女に関しては無知過ぎる男だが。これくらいはわかる。

 この子は、悪い人じゃない。

 小さな未来予知。予感、と言い換えてもいいかもしれない。曖昧で、馬鹿にされがちな僕の特技。ただ、運よく当たっているだけ、というのが周囲の厳しい、実にもっともな意見。でも、僕だけはしぶとく信じている。

 その特技を持ってして、この子が悪い人ではないというのだから、信じるしかあるまい。

 この特技を。微妙過ぎる、僕以外は信じるどころか耳すら傾けないような、戯言を。

――――ごめんな。

 あの髭に理由もわからず謝るな、なんて偉そうに言ったばかりなのに、こんなに早くそれを実行することになるなんて。

 声に出したら、その謝罪を否定されてしまうような気がしたから、心の中でだけ。

 きっと、謝るだけの事情があるはずだから。

 だから、お詫びってわけでもないけれど。

「あのさ、どっか寄り道して行かないか? さすがに暑いし、日蔭のあるところでアイス、とかさ」

「アイス、ですか…………そうですね。さすがに今日は暑すぎる気がしますし、構いません。どうせ行き先は錬次と同じなのですから」

「……本当にまた来るのか?」

「ええ、言ったでしょう。もし、迷惑だというのでしたら、外に小屋をこしらえて住むという形でも構いません。あ、小屋は私が作りますので、負担は全て私です」

「いや、そんなことしたら僕がご近所で定評のある鬼畜少年になるからな!?」

「朝は、餌をばらまいて下されば地面に這いつくばって食べる姿を見せ、錬次の自家発電に協力できると思うのですが」

「お前が言うと本当にやりそうで怖いから、頼むから冗談だとわかる範囲をわきまえてくれ。あと、自家発電とか言うな」

 一度、レンの中の僕のイメージを文章にしてみたいものだ。きっと相当な鬼畜がそこにはいるのだろう。

 しかし、レンはそういう僕が好きなんだと、そう言うのだろう。

 悪い、それは僕じゃない。

「どうしました錬次? 飼い犬が自分より先に他人に懐いた時のような複雑な表情をしていますが」

「その感情と僕が今考えていることはたぶんあまり噛み合ってない。あえて例えるなら、自分の短所だと思っていた点が周りにとっては長所だった、みたいな」

「よくわかりませんね」

「ああ、僕も、何言ってんだろうって思ったさ」

 二人してくすくすと笑う。

 やっぱり、普通に可愛いんだよなあ。変人要素って妙に慣れているから、あまり違和感がなくて。

「うぉんっ!」

「うおっ!? な、なんだ?」

 突如、背中に訪れる衝撃。

 驚いて後ろを振り返ると、僕の腰ほどはあろうかという白い大型犬が目を輝かせて、尻尾をバタバタとちぎれんばかりに振りまくっていた。

 つまり、犬に突進されたのだった。

 なんの脈絡もなく、前触れもなく。空気なぞなんのその。

「うぉんっ!」

「随分と元気いいな、お前。どっかの飼い犬か?」

 僕が頭を撫でてやると、犬は嬉しそうに舌を出しながらその場に行儀よく座る。うん、可愛い。

「…………!」

「? どうしたんだ、レン」

「いえ、別に、なんでもありません」

 レンはそう言って僕から、正確には犬から一歩一歩、ゆっくり確実に遠ざかっていく。

「…………犬、怖いのか」

「まさか、そんなわけないでしょう? そんな、そんな…………」

 レンはうわごとのように言い訳を並べるが、大体が同じ言葉だったりして、やはり相当動揺していらっしゃる。しかも、若干涙目だ。

「はあっ、は、お、恐れる、訳が、な、い、でしょう…………!」

「…………ごめん。そこまでとは思わなかった」

 このままだと冗談抜きで呼吸困難とかになりそうだったので、急ぎ犬から離れ、安心させるようにレンの頭を撫でる。命は大事だ。

 なでり、なでり。

「錬次、この手法で何人の女を落としてきましたか?」

「別に女を落とそうとするテクニックじゃねえよ。扱いがわからないから、とりあえず、だ」

「でも、女の子って頭のガード堅いんですよ?」

「そうなのか?」

「ええ、親しい相手でなければ、少し手が髪に掠った程度で警察を呼ぶ勢いですよ」

「それは、冗談だよな?」

「ええ、もちろん。しかし、こっ酷く拒絶されるというのはあまり間違っていません。よかったですね。私が錬次大好きっ子で」

「大好きっ子って……」

 まあ、間違ってはいないんだろうけど、大好きっ子というより、レンの場合『愛好家』とか呼んだ方が僕的にはしっくり来る。知的な感じ。

 愛でるというより、観察する、みたいな。その観察実験の一つとして、頭を触らせて反応を見るというものが含まれている、みたいな。そんな感じである。

「うぉんっ!」

「ぅ…………!」

 素早く僕の後ろに隠れるレン。…………確かに、この可愛さを考慮すれば大好きっ子もありかもしれん。

 これも計算済みなんだろうか。なら女って怖い。下手したら人間不信になりそうだ。

「この際だから、犬に慣れてみるってのは」

 レンは長袖の裾で鼻を覆いながら、嫌悪の有り有りと見える細めた目で犬を睨みつける。

「ナイ、ですね」

「でもこの犬、結構人懐っこいぞ?」

「…………錬次、わかっていないようですね。一見そいつ等は足に擦り寄り、だらしなく舌を垂らす所が可愛く見える動物ですが、よく見て下さい。その鋭い牙! 私たちを食材だとみなしている証拠の大量の唾液! おまけにあわよくば人間を孕ませようと腰を振る、その欲望に貪欲な様! どうです、これでもその動物が可愛いと!?」

 必死に訴えかけて来るレン。僕の背後からだけど。

 大げさだ。大げさすぎる。腰を振る動作は確かに見ていて少しどうかと思う時はあるけども、別に人間を犯そうと考えてやってるわけじゃないと思うんだが…………。それは犬になめられているのだとどこかの本に書いてあったような。

「別に、んな欲望にまみれた動物でもないと思うんだが……」

「錬次……私よりソレの肩を持つんですか……?」

「ソレって、お前、一応生き物、って」

 僕が苦笑しながら肩にのしかかるように手を置くレンを見ると、彼女は少し泣いていた。

 レンさん、相当本気モード。

「わかったわかった。行こう。これから犬見つけても気を付けるよ。これでいいだろう」

「……………………」

 レンは無言でうなづいて、犬から目線を切らずに油断なく僕から離れる。犬はふさふさとした尻尾をちぎれんばかりに振り続けている。頼むから、飛びかかるのはやめてくれ。それは相当僕が危ない状況に陥るような気がするんだ。

「む…………」

「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは…………」

 なんか、犬ってじっと見てると怖いな。さっきからずっと息荒いし。

 レンを後ろに庇いながら後退……、

「ひっ、いやああああああああああああああああああああああああああ!!」

「レン!?」

 僕の背後からつんざく悲鳴。慌てて振り向くと、レンはこれまた大きな黒い犬に組み伏せられていた。ああ、これはレンじゃなくとも怖いかもしれない。

 敵は一匹じゃなかったらしい。 

「や、やめっ、錬次! 助けて…………!」

 レンの上の黒い犬は僕の傍らにいる犬とほぼ同じテンポで尻尾を振っている。犬たちにしてみればただ遊んでもらっているだけ、レンにとっては襲われている、と。

 僕は屈みこんで涙目のレンに提案してみる。

「どうだろう、これを機に犬に慣れてみる、というのは」

「ばっ、何言ってるんですか! 人間というのはそう簡単に苦手な物を克服できるようには出来ていないんですよ! アニメ、小説、ドラマはノンフィクションと書かれたもの以外フィクションです! わかって言ってますか!」

 一瞬、馬鹿って言いそうになったのはわかる。相当テンパッてるレンさん。でも、ごめん。今の状況、すごく良いと思っている自分がいる。だって、この反応可愛すぎる。

 自分のSっ気を自覚したところで、一つ咳払い。冷静に。

「だけどなあ、無理に引きはがそうとしたら、それこそこの犬を刺激してしまいそうだし、そうしたら噛むかもしれないなあ」

「じゃ、じゃあ、どうしたら……」

 犬との最初のスキンシップと言えば、やはり撫でるところか? いや、でも待てよ。レンの犬の怖がり方は異常だ。触るのはパニックを起こす、か?

「アイコンタクトだ」

「アイコンタクト……? 犬畜生と何をコンタクトするんです?」

「…………愛情?」

「すいません、憎悪しかないんですが」

 さすがに憎悪の視線をむけられればどんな犬でもいい気はしないだろう。アイコンタクトはやめておいた方がいいかもしれない。犬が可哀そうだ。

 犬嫌いじゃなくて犬を憎んでるというのはどういうことなんだろうか。そこら辺の事情が激しく気になる。

 よし、諦めた。

「ほら、手伸ばして」

「へ? 噛まれるって」

「いいからいいから。ほら、早く」 

 おずおずと差し伸べられる手を取り、しっかりと握る。

 次に、犬の背を撫でる。犬というのはこうされると座るもんだと思ったけど……よし、座った。

 レンが大げさな反応をしたせいか、僕が大げさに言ったせいか。どちらのせいかはわからないけども、随分と呆気なく感じる。実際、呆気ないのだ。

「はい、救出完了。大丈夫ですかお嬢さん、って…………レン?」

「……………………」

 レンは放心状態で、僕に身体を抱えられたまま虚空を見つめている。

 冷たいレンの手。そんなに怖かったのか、と思わず小さく笑う。

その笑いに反応したかのように、レンが素早く僕の首に腕を巻き付けて、抱きついてくる。ギリ、と音がしそうなほどに、その腕の力は強かった。

「あ、あの、ごめん! ちょっとした悪戯心があったのは認める! 涙目なレンがちょっと可愛く見えたのも認める! すいませんでした!」

 僕が謝るも、レンはその力を緩めるどころかさらに強めてくる。別にどこが苦しいというわけではないけれど…………いや、息苦しい。少し強がった。

「犬は…………イヤ…………」

「悪かった、悪かったから……そろそろ、苦し……!」

「お前ら、何やってんだよ…………」

 僕の意識が少し暗黒に近付いた辺りで第三者の介入があった。いつもならば鬱陶しく、しかし今はありがたい、聞き慣れた、ヤツの声。

「いや、ちょっと、な……な、なあ、なんとか、ならないか、正人」

「その状況で何とかするのはお前の役目だと思うがなぁ……だよな、アイボリー」

「うぉん!」

「そのいぬ、お、まえの、か……!」

 正人は白い大型犬を撫でながら嬉しそうに頷く。なんでリード繋いでないんだよ……!

「ちょっと、元気が良すぎてな。目を離すとすぐこれだ」

 学校を帰ってすぐ散歩? それにしては早すぎるような…………?

「ん? ああ、この犬別に飼ってるわけじゃないんだ。野良だ。野良」

「そ、んなでか、いいぬを…………かっ、かっ……」

「お、おい!? ちょっと、そこの女子! 死ぬ! そいつ死ぬって!」

「はっ!」

 途端、レンの力が緩み、僕は膝からその場に崩れ落ちる。

 止まっていた血液が流れ出したのか、全身を虫が這いまわるような感覚が広がっていく。反射的に起こる身震い。失禁なんてしたら目も当てられないわけだが……それはない。

「あ、す、すいません錬次! 大丈夫ですか!」

「まあ、なんとか、大丈夫、かな……? 少しくらくらする程度」

「貧弱だな」

「うっせぇホモ。帰宅部なめんなよ」

「俺だって帰宅部だよ。あと、ホモじゃねえ」

 うっかりホモ設定を忘れるほど僕は愚かではない。

 レンは僕にしきりに謝りつつ、正人の横で行儀よく座っている黒と白の犬を警戒するように睨み付けている。もう、犬のことに関しては触れないようにしよう。死にたくない。  

 からからに乾いた喉の調子を直すように咳払いをする。

「正人、頼むから犬の放し飼いはやめてくれ。僕の命が……」

「…………飼ってるわけじゃねえけど、わかった。なるべく場所は決めておく」

「なるべくじゃダメだ!」

「…………絶対」

「よし。レン、この犬はもう今後この道で出会うことはない。安心してくれてもよろしい」

「そ、そうですか…………では、警察の目は気にしなくてよさそうですね」

「何考えてやがった」

 その日、レンはずっと周囲を警戒していた。主に足元を重点的に。


どうも、桜谷です。これから徐々に早めて行こうかと思います。よろしくお願いします。感想等、お待ちしております。

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