第十話 朝
目が覚めた。
鬱陶しい朝日が起きろと僕の顔を照らす。でも嫌だ。起きたくない。何故か、とてつもなくだるい。まるでまだ、夢の中にいるようだ……。
ごろりと寝返りを打つ。さらさらとこぼれる髪の毛が鼻をくすぐる。いい感触だ。これが鼻でなければよかったのだが。
目をわずかに開け、その髪の持ち主を確認する。白い。白い?
「おわわわわわっ!」
目が覚めた。今度は完全に。
僕のすぐ横では、いい具合に、何がいいのかは知らないが、衣服がはだけたレンが僕に背を向けていた。幸い、眠っている。
「なんなんだこの状況…………身体だるい」
どうやら眠っている場所はやわらかなベッドの中ではない。手にひんやりと冷たい感触、フローリングだ。どうも記憶が曖昧だが……寝落ち?
僕とレンから少し離れたところで綾が転がっている。手には見覚えのないビン。「極楽浄土」と書かれたラベルの貼られた、酒ビンか。
「んっ…………ふぁ」
「起こしたか?」
「あ、いえ、おはようございます…………くぁ」
レンは眠そうに目をこすり、ぼう、とした表情で虚空を見つめている。
ゆらゆらと身体が揺れ、やがて僕の方へと倒れ込んでくる。慌てて身体を支えると、そのまましがみつくようにしてレンは僕を押し倒してきた。
「すいません、朝は弱いもので……」
「見りゃあわかるよ。けどさ、そろそろ起きないと学校がさ」
「…………動じなくなりましたよね、錬次」
「へ?」
「今、精一杯胸を押し付けたつもりですし、出来るだけ近付いてドキドキしている可愛い錬次が見れると期待してたんですが」
「え、ああ、言われてみれば」
「薄いですね……私って魅力ないですか?」
レンは僕を上目遣いで見つめる。
もう少し時間が経って、そう、昼間くらいになっていたらこんなことされたら動揺しまくりで、レンの言うような可愛い表情を見られたかもしれないが、今はいかんせん眠い。そして朝特有の時間に対しての危機感がある。よって。
「別に魅力はあるんだけど、僕には時間がないからさ」
「時間なんて戻せばいいじゃないですか」
「気軽に言うなよ。残念ながら、僕はそんな特殊能力持ってないし、電子レンジで過去にメール送れたりもしない」
「……せめて可愛いくらい言ってもいいじゃないですか」
「可愛い」
「…………もう少し」
「超可愛い」
「あと一押し」
「レンちゃんマジ天使」
「オーケーです錬次。起きましょう」
先ほどまでの様子が嘘だったかのようにすっと立ち上がり、僕を引っ張り起こすレン。
そして、蠢く影が一つ。
「えー、もう終わりぃ~?」
「起きてたのかお前…………」
「起きてたわよ~。だって、錬次とレンちゃん、いちゃラブし始めるんだもの」
「いちゃラブ……違うっての」
「マジ天使」
「うっせぇ黙れ湯船に浸かってふやけろ」
綾が酒ビンを抱きしめたままごろりと仰向けになり、僕を睨みつける。シャツがまくれて腹が出ている所なんか、最高にだらしない。
カーテンを開け放つ。天気は快晴と言っていいだろう。爽やかな朝だった。これで、気温がもう少し低くなれば何一つ言うことはないのだけど。まあ、地球に愚痴は言うまい。
「まぶしい~……なんで開けたのよ」
「お前がいつまでもごろごろとしているだろうと思ってな。僕なりの配慮だ。目が覚めるだろ」
「とけるー」
「ああ、もう融けちまえ」
綾がだれている風景が既にこの家に融け込みつつあるのが現状だが、そんなことはさせない。ここはコイツの寝床ではない。
さて、と立ち上がり、辺りを見回す。
テーブルの上には昨日の残骸が散らばっていて、僕は朝から大きくため息を吐く羽目になった。何故か記憶が曖昧なため、余計に。何をしたんだ僕は。
グラスを手早く台所に並べ、食器を水に浸す。洗うことは出来ずとも、せめてその準備くらいはせねばなるまい。
「手伝いますよ」
「ああ、ありがとう。でも大丈夫だよ。もし良かったら、パンを焼いておいてもらえると助かるけど」
「わかりました」
レンは食パンを電子レンジに入れる。うちにトースターなるものは存在しない。
それにしても、どうして昨日の記憶がぼやけているのか。事故のこともあるし、自分の知らない記憶の断片があるというのは何も初めての経験ではないのだけど、こうした日常生活では初めてだ。何があったのか…………。
「(そういえば、なんで部屋で寝てなかったんだ?)」
ふと思い至り、並べているグラスの一つを手に取る。……アルコールの匂い。酒は飼わなかったような気がしたが。それに、一つなら構わないのだが、それから他のグラスも確認すると、そのどれからも全て。
「…………綾、何を飲ませた」
「べっつにぃ~? 秘蔵の十本を、ちょいと」
「帰って来てから話があるからな」
「ちょっ、目ぇこわっ! だってぇ、昨日錬次ったらウーロン茶とジュースしか買って来なかったじゃない? だから私、仕方ないかー、と思って、大人の味を教えちゃる―って思って……いえ、ごめんなさい。調子乗りました」
綾は少しだけ体勢を変えて寝転んだ状態から土下座の形になる。別に土下座を求めたわけじゃないんだが……。
「そんなにいじめないであげて下さい、錬次」
「いじめるつもりはないんだけど……だらしないのはいいことじゃない」
「いじめるなら私をいじめて下さい。性的な意味で」
「今日も絶好調ですねレンさん」
酒が抜けきっていないのかもしれないな、と考えたが、よくよく考えれば昨日もこんな感じだったような気がする。いや、確信を持って言える、こんな感じだった。
突然、音声が流れ始める。綾がテレビを点けたらしい。
次々とチャンネルが変わり、面白いものがなかったのか、ニュース番組に落ちついた。まあ、朝だから面白いものなんてそうやってないと思うから、必然だ。むしろ、そういう意図さえ感じる。そういう風に仕組まれているのかもしれない。
弁当を作りながらニュースへ耳を傾ける。他愛もない地方の情報とか、今年も熱中症に気を付けてとか。お馴染のBGMだ。
「パン、焼き終わりました。何か手伝いましょうか? 私、料理の方は実はあまり得意ではありませんが、切る、焼く程度の事なら」
「ああ、じゃあ、お願いしようかな。このレタス、ある程度の大きさにちぎって置いていって」
「わかりました」
ウインナーがパチンとはじける。焼き過ぎてしまったか。
火を急ぎ弱め、ウインナーを皿へ移す。まあ、焦げていないし、許容範囲か。
『次のニュースです』
何故だろう。不思議とこの時、鮮明にテレビの音声が頭に流れ込んでくる。ニュースキャスターは淡々とその内容を読み上げる。
ふと隣を見ると、レンもテレビにくぎ付けになっていた。ああ、ならばそういうことだ。こういう予感っていうのは、本当によく当たる。
『――――二人目の犠牲者が――』
二人目。僕の中で、二人目という言葉から浮かび上がるものと言えば一つだけ。
「今度は、随分と近いところだな」
この家からさほど離れていない。ちょうど、昨日出歩いたくらいの距離。本当に近くだ。
レンを見ると、彼女はさほど気にした様子もなくレタスをちぎっている。気にならないのか?
『最近、ニュースでやっている殺人事件。恐らくあれは食ノ蟲に感染した者のなれの果てですね』
確かに、レンはそう言ったはず。
蟲。突如舞い込んだ非現実なワード。ただでさえ近所での殺人事件だというだけでも十分警戒しなければならない事柄だというのに。しっかり感じられるほどに強く脈打つ心臓。
もしかして、あれはレンのジョークだったり? まあ、それに越したことはないのだけど。
「錬次、知っていますか?」
「え?」
突然の質問に思わず箸を取り落とす。
「あ…………で? 何が?」
箸を拾いながらレンへ目線を向ける、が目を合わせはしない。目を合わせれば、僕は言葉を発することが出来ない気がする。
蛇に睨まれた蛙のごとく、息をすることさえ難しくて、箸を水に浸すのすら重苦しくて。
「食ノ蟲の宿主、蟲床の居所です。彼女(、、)は(、)、間違いなく私たちの通う学校の中にいます」
彼女は。まるで確信しているかのようにレンはそう言い切る。胃の締め付けられる感覚。気を抜くと吐いてしまいそうだ。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。僕は、こんなものに関わるべきではなかったんじゃないか?
…………いや、それは泣き言か。関わるもなにも、生き残った時から、あの事故の時から僕は関わり続けていたのだ。つけが、回ってきただけだ。
「そうか」
だから。僕はただ返事を返す。
「そうか」
何度も、何度も。
どうも、桜谷です。
何の変哲もない朝。異変の全くないことに不思議を感じるのはまったく、気持ち悪いことですね。
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