魔女の乗らないホウキ
「……華がないよな」
寿島を出発して、三時間。
命音字名が、手すりに顎をのせて、ため息を吐いた。
使用人、黒柱棺の運転する船で、二人は本土を目指していた。
命音名弦は、それに頷きながら反応する。船の壁に、もたれかかるような姿勢で直立しながら。
字名は黒ジャージに戻り、名弦はさっきと変わらない和装である。
「そりゃあ、男二人旅ですからねえ。あ、あなたが女装すれば解決しますよ」
「ここでお前を殺して、赤い華を咲かせるっていう手もあるぜ」
平気な顔をして、冗談ではない会話を交わす二人。
表面上は平和的だが、腹の中では相手をなぶり殺しにする方法を吟味しているのである。
いくら時が過ぎようと、対立関係だけは維持されている。
「あー、ところでよお。呪い名の持ち主……って呼び方でいいのか? その、不運な名前を宿されちまったっていう奴らの居場所とか、どんな奴かとかわかるか? 俺、何も聞いてないんだけど」
「いえ、何も聞いておりませんよ。っていうか、気付くの遅いですね。頭の回転速度、ガラポン並みですよ」
「うるせえ。つうか、俺の頭は回転してもハワイ旅行もティッシュも当たらねえよ」
ガラポンとは、商店街の一角などでやっているくじ引きの抽選機のことである。回したら、赤やら白やらの玉が出て、景品がもらえるアレだ。
寿島でずっと仕事をしてきた名弦にしては、世俗的なボケだった。
「まあ、僕らにとっての玉って、弾丸の方なんですけど」
「バイオレンスだよな」
楽しくくじ引きをやっていたら、弾丸が出てきた! などということになったらとんでもない。
とんだデスゲームである。早朝、寡黙に新聞を読んでいるお父さんもびっくりの事件だ。
「でも、それがわからないんじゃ話にならねーわな」
「その通りです。そして金になりません」
「そんな金の亡者が人を救えるのかよ……」
名弦は、すでに金しか頭にないらしい。
字名の突っ込みには、呆れ要素が多分に含まれていた。
「人を救うと言っても、自己満足ですよね」
「元も子もないこと言うな。あー、でも、救うことによって、相手が救われることにはならねーしな」
「ええ。受け取り方の問題というか、そこに根本的な問題があるんですけれど」
などと、救うという言葉の馬鹿馬鹿しさを議論する二人。
救ったから、相手が救われるとは限らない。
助けたから、相手が助かるとは限らない。
この二人は、『助ける』とか『救う』とか――その言葉の虚しさを知っている。
それから小一時間ほどして、船は本土に着いた。
字名と名弦は、黒柱から送りだされていた。
「名弦様、字名様。厳しい旅路になるでしょうが、最後までがんばってください」
「無論です」
「おうよ」
自身に溢れた二人の返答に、満足そうに黒柱は頷く。
二人とも、いつ相手を殺そうか隙を窺っていることなど知らずに。
黒柱は、船の中からホウキを持ってきた。
「ん? 何だそれ?」
「名継様が名前を宿された物――いえ、者です」
「名継様が、ですか?」
「はい」
二人は、黒柱の持っているホウキを凝視した。
名継が名前を宿したとなれば、何か旅に役立つものなのか。
しかし、このホウキは古びていて、だいぶ毛も抜けたらしく少ない。
ホウキとしての役割は、果たせそうになかった。
「これは、何の役に?」
「呪い名を宿された者たちの下へ、導いてくれます」
「どうやってだよ」
「このホウキの名は『開照』 といいます。名前を呼び、呪い名の下に導いてくれるように命じれば、自然に誘導してくれるのです。あなた方二人に従うように、名継様が命じておられるので不発の心配はないでしょう」
開照。
道を開き、照らす。
そんな意味合いをこめてつけられたのだろう。
「試してみてください」
「あ、ここでですか?」
「ええ。人気もありませんし、見られることはありません」
「そうだな」
字名と名弦が、一緒にホウキを握った。
手が触れないように、字名は穂先から一番はなれたところ、名弦は穂先に一番近いところを持つ。
「えっと、じゃあ……。開照さん」
「呪い名を持ってるっつー奴のところまで、お願いしまーす」
二人は、開照をじっと見つめる。
期待と不安が混ざった、矛盾した瞳で。
「「…………」」
動きはない。
じっと、停止したままだ。
二人は、呆れた顔で文句を言う。
「あ? 何だよ、何も起こらないじゃねーか」
「やっぱり不発ですか? あー、どうしましょ――」
バビュン
二人の馬鹿にするような言葉に、開照は劇的に反応した。
強烈な力で引っ張られるのを感じる。
顔に、息ができないくらいの勢いで風が吹きつけてくる。
違う、風が強いんじゃない。
開照のスピードが、尋常ではないくらい速いのだ。
その飛翔の音は、二人の悲鳴。
「ちょ、たんま、たん……っ」
「お待ち、くださっ」
音を上げる二人などまるで意に介さず、開照は飛んでいく。
え、何?
もしかして、導くってこういう意味?
かわいい見習い魔女も黒猫も不在なのに、世界観だけを真似ている。
乗っている(しがみついている)のは、二十過ぎの男二人だというのに。
何とか開照にしがみついた状態で、二人は下を見た。
「気をつけて行ってらっしゃいませ」
黒柱が、にこやかに一礼をしているのが、視界の端に映った。
場違いすぎたのと、開照のスピードが速すぎたことで、二人が「行ってきます」を返すことはできなかった。
こうして、ぐだぐだな二人の旅が幕を開けたのである。