最終話 炎を穿つ者 9
「どうだ? 苦しくなってきたか? でも安心しなよ。時機に眠くなるからさ」
目の前で氷川が嘲笑する。その隣のスピットファイアも醜い笑みを浮かべる。更にその奥で――――今まで見たことのない表情をした水無月 月華が居た。
「…………遊馬君を」
遠くで小さな声が鋭く発される。
「これ以上縁君を傷つけるなぁ!」
おおよそ誰もが聞いたことの無いであろう水無月の怒気を含んだ叫び。その声を聞いて縁は胸の中で謝る。
――不甲斐なくて済まないと。
正直その声は聞きたくなかった。一度葛木に泣かされていた際、やめてよと叫んでいたとき縁は苦しいと感じていた。
またそれよりも昔、小学校で男子生徒達に苛められていたときに流した涙を見たとき辛いと感じた。
……あの子も俺が死んだら哀しむのだろうか? 涙を流すのだろうか?
胸の中に渦巻く疑問。答えは分からない。だけど、彼女なら泣いてくれそうな気がする。
だがしかし、同時にそれは見たくもないと感じるし、悲痛な声をあげる彼女の声を聞きたくないと思う。
……あ、そうか。俺が女の子が泣く姿が嫌な理由、思い出した。
聖母さんも最後は泣いていたんだ。生きてあげられなくてごめんねって。お母さんらしいことをしてあげられなくてごめんねって。
泣く母さんの姿を見て俺は堪らなくなった。だから女の子が泣かされるのが嫌だったの か……。
過去の気持ちを懐古しながら縁は水無月を上から下まで眺める。
その姿を見て彼は感じた。彼女は聖母さんに似ていたなと。
似ていたからこそ助けようと思った。かつて母が真っ白な病室で泣いていたときのことを思い出したがために彼は水無月を助けた。
町で会ったときに話かけた理由もそう。愛した母の面影を持つ少女のことが縁は気になっていた。
彼女は一人でまた寂しい思いをしていないかと不安を抱き声をかけ続けた。
それは、果たせなかった母との日常。縁は無意識のうちに水無月に対して親孝行をしようとしていたのだ。
……ああ、いけないな。勝手に色々与えておいて、勝手に死ぬなんて。俺も父さんのこと言えないな。
肌に纏わり着く死の気配を感じながらも縁は思った。でももうこれでお終い。俺はもう――。
「ッ!?」
だが次の瞬間縁は目を疑う。
「グルァァァァァァアアアアア!」
水無月が咆哮をあげた。それは人間の声帯から出たとは思えない叫び。いつもの甘みのある声からは想像できないケモノのような咆哮。
そのおぞましい程の音階にその場に居た全ての人間が水無月に視線を向けた。
「……え?」
「何だあれ?」
少年達が不思議そうな声を上げる中、水無月の体に異変が起こる。
最初は四肢につけていたリングが弾けとんだ。そのまま顔はどんどん鋭くとがり、手足はありえない方向に曲がっていく。
瞬く間にその体は肥大化し、服を引き裂き中から青みがかった銀の体毛が現れる。更には一つだけだったはずの尻尾が二つ増え三つになる。
「……何だよあれは」
「尾が三本ある大狐?」
一同の前にはホールの天井を突き破らんとする一匹の大狐が居た。
それは鋭い眼光で足元の少年達を睨みつけ、
「グルラァァァァァ!」
ありったけの殺意を込めた雄たけびを上げた。
× ×
突然の状況に理解できない少年達は炎や氷を駆使して大狐に攻撃する。しかしそれは届く前に全て消失する。
「当たっているのに!」
「利かねえのかよ化け物!」
大狐の周囲には水が浮いていた。その量は一個や二個じゃない。何tだか分からない量の水が浮いていた。
それは攻撃がくるたびに大狐の周りを飛び回り攻撃を無力化する。
ひとしきり攻撃を防いだところで吼えた。それと同時に多くの水が分散し、雨となって少年達に降り注ぐ。――――ただしその速度は通常の雨よりも数倍速い速度で落下した。
叩きつけられる水滴。当たるた度に爆音が響き、少年達は悲鳴を上げた。
「あ~あ、俺達の中で一番怒らしちゃいけない奴を怒らせちまった」
「だね。あの子って外見が愛らしいからよく間違われるよね」
雄吾と修介は部屋の隅の方から見守るかの様にそれを眺めていた。
二人は水無月のこの姿を知っていた。そのため顕現と同時に行動が洒落にならないことを知っていたために早々と撤退した訳で。
「にしてもキレるってことはよっぽどなのかね?」
「さあ? 僕らには分からないことだよ雄吾」
肩をすくめる雄吾と修介。
二人の前では地獄絵図はまだまだ続く。
× ×
しばらくして攻撃はやんだ。水無月の圧倒的な力に、一方的な攻撃によって。
彼女の足元には這いつくばる少年達がそこ彼処にひしめいていた。
「ルァァァアアァァ!」
だが彼女は変身を解くことなく、未だに敵を探し暴れようとしている。
普段の柔らかな態度と違う、全く別物となった少女を縁は眺めていた。
「……水無月」
いつかの帰り道、彼女は言った。自分は化け物だと。
それに対し縁は耳と尻尾があるだけで人となんら変わり無いと言った。けれど間違いだと気付く。
……あの子は本当に人間ではない。俺では到底足元にすら及ばない存在だ。
何せまず大きさが違いすぎる。それに力も。近づくだけで死が、――終わりが来る。それを感じさせるほどの威圧感を放っていた。
「グガァァァァ!」
大狐は咆哮を上げながら縁の顔を見た。縁は思わず足元を竦ませてしまう。
それを見た大狐は何故か寂しそうな顔をする。だが近くで動く影を見つけたためにそちらに顔を向けた。
そこにはスピットファイアと氷川が居た。それを確認した瞬間大狐は醜悪な笑みを浮かべ右手を振り上げる。
その手は瞬く間に水に包まれ大きな槌となる。
「ヒ!」
「うあ!」
二人に向かってそれを振り下ろし始める。このまま行けば彼らは一撃の名の元に叩き潰され死ぬだろう。
そう思ったとき、縁は駆けていた。
「やめろ水無月! それはやってはいけない!」
震える足腰で水無月の前に躍り出る。床を蹴るたびに鈍痛が走る。先ほどまで手足が凍り付けだったのだ。短時間で凍傷が回復する訳が無い。
むしろ動き回ることは状態を悪化させることに繋がる。悪くしたらその部位を切断しなくてはならない程の怪我なのだ。
「グルルルゥ」
突如目の前に縁が現れたことによって大狐は攻撃をやめる。けれどまた寂しそうな顔をする。
「……水無月。そうか。君は」
縁は気付いた。何故先ほどから自分に対して寂しそうな顔をするのか。
大狐は――水無月はこの姿を見せたくなかったんだ。ずっと見せるつもりは無かったんだ。けれど俺に危機が迫ったために意を決して大狐の姿を現した。
前々から彼女は言っていた。自分の本当の姿を見たら誰も近寄らなくなるって。なのに俺は安い思いで安易な言葉をかけてしまった。これは失言だ。
震える四肢の力を一度抜き、深呼吸をして水無月の顔を見る。
「水無月、俺の為にありがとう。でももう大丈夫だ」
なるべく出せる限りの優しい声をかける。自分は君に怯えてなんかいない。そう言う意味を込めて。
けれど水無月は元の姿に戻ろうとはしない。それだけではなく大きな双眸は縁から視線を外してしまう。
――このままではいけない。このまま済ましてしまったら俺と彼女の間に大きな溝が出来てしまう。今のうちにどうにかしないと取り返しのつかないことになる。
そう思い縁は両膝を崩し床に座る。所謂正座の形で。
「グルゥ?」
突然の行動に水無月は不審がる。
縁は気にせず手に持っていた武器を横に置き、ガンと床に額をつけた。
それを見た水無月は驚き表情を困惑させる。
「済まない! あれだけのことを言っておきながら実際俺は君を恐れた! これは取り繕うことなき事実!」
視界には埃の転がる床が目に入る中縁は語る。
「俺は弱い! 弱いが故に君を恐れてしまった! また約束を破った! 今の状況に非があるのは全て俺の方だ! 水無月が気に病む必要は無い!」
自身が考えれる言葉を使い必死に謝罪する縁。
「けれどこれからは君のことは恐れない! 距離を作りやしない! 俺は君より強くなる! いずれは君に見合う相応しい男となって君の隣に居続けることを誓う!」
普段から謝ることには慣れてはいたが女の子相手のこの状況は初めてだった。そのために言葉が尽きる。
言葉が足りないなら体で誠意を見せろ。そう思い全神経を研ぎ澄まして美しい土下座を維持する。
返事は無いにしろ悩ましげな視線が送られてくるのを縁は感じた。




