第四話 水無月先生のザイン講座
昼には家に帰ると言っていたのにようやく着いた時間は午後九時過ぎ。時間にルーズと言うにしては大分遅い時間だった。
あのあと縁は葛木の運転する車に乗り、家の前まで運んでもらったのだが……。
「晩飯、もうみんな食べたんだろうな……」
御影家は基本家族揃っての食事スタイルを採っている。それが家の決まり。
縁はその暗黙の了解を連絡なしに破ってしまった。
正直、気が重い。別に怒られることは無いと思う。何せ御影家の面々は基本優しいで通っているのだから。
……でもやっぱり連絡しなかったのはまずかっただろうか? 下手な心配かけると豊久さんが常人では起こさぬ『何か』をやらかしそうだし。
基本揺るがぬ縁が珍しく臆病になる。そんな彼の心情を知ってか知らずか、家の玄関にいつの間にか着いてしまった。
ふぅとため息を吐き、扉に手をかけて開けた。
「…………」
――と思った次の瞬間には閉める。
目じりを押さえ、縁は深呼吸をする。
再び扉を開ける。
「「お帰り~」」
四人が笑顔で玄関に立っていた。しかも全員直列に並んで仁王立ち。どう見ても酷い絵面だ。
「ご飯にする?」
「お風呂にする?」
「遊びにする?」
「それとも説教?」
手前側から、年齢が下から順にそう言っていく。縁は困った表情を浮かべつつ口を開く。
「……じゃあ、説教で」
「おし、分かった!」
縁が答えると、最後尾に居た豊久が満面の笑みで彼の腕を掴んでリビングへと連行して行った。
縁はリビングの椅子の上に座らされると豊久を始め、縁を囲む形で家族全員が席に着く。
ジトーっと重い様な、または舐め回す様な視線で四人が縁を見つめてくる。
「さて、何故か服が痛んで汚い縁君に色々聞きたいのだけど……」
笑顔で会話を切り出す豊久。
「君、今日ガッコで何かあったでしょ? って言うか何かあったよね?」
「ま、まあ、一応」
学校で起こったことの一部始終を思い返す。
水無月と一緒のクラスになって水無月と隣同士の席になって水無月とクラス委員になった。
更には水無月の秘密を知り、葛木に重大な役目を押し付けられ、夕方には能力者とやらの戦いを見て乱入。
語るには長いものであり、どう考えたって簡単には言う訳にはいかない内容だ。って言うか後半は誰にも言ってはいけないだろうし誰も信じない。
「もしかして、ガッコで喧嘩でもしたのかい?」
「まあ、そう言うところです」
一応葛木とは喧嘩したと思う。なんて縁は考える。
「そうか」
それきり黙り込む豊久。その静けさが縁にとって妙にきつかった。
「喧嘩は良くないとおいは思うが」
「それは自分でもそう思います」
基本は戦わないようにしている。だが、火の粉が降り注ぐならそれは払わないと。
無様に殴られるだけと言うのは俺は特別な事情がない限りやりたくない。
「だが、縁君も年頃の男の子だもんな」
豊久の言う喧嘩=年頃の意味が縁には分からない。
「でもやっぱり、女の子と喧嘩するのはおいは良くないと思うな」
「へ?」
待て、何故そうなった?
「いや、別に女の子と喧嘩なんて……」
言っている最中に豊久は右手を出し、ある物を見せてきた。それを見た瞬間縁は凍りつく。
「!」
それは、髪の毛だった。いやまあ髪の毛なのだが、長い髪の毛だった。更には青みがかった灰色をしている。
「女の子と掴み合いの喧嘩はどうかと思うよ?」
「いや、それはその!」
いつの間に水無月の毛が!
突然の状況に縁はどう弁明しようかとおたおたする。通常女性の髪の毛がつくことなんて接触以外にありえない。それをどう問題無い様に伝えるかの知識は女性経験の乏しい縁には皆無だった。
縁の慌てる様子を見た豊久はニコッと笑う。
「さて、縁君を苛めるのは冗談として」
「苛めていたんですか?」
思わず縁は言ってしまう。それに対して豊久は「むふ」と変に笑うだけだった。
「ま、何が起こって何があったのかは聞かないことにしておこうかな」
「すみません」
「いやいや、気にしないでいいよ。年頃の男の子には秘密の一つや二つはあるのだから」
豊久ははははと笑いながらこの話題を終わらす。
「縁君。夜遅くまで外に居たから疲れたでしょ? お風呂焚けてるから入ってきなさい。あ、それと制服汚れているみたいだから後でカゴに出しておいてね」
千種が柔らかな物言いで縁にそう言う。対する縁は申し訳なさ下に頭を下げる。
「はい、分かりました。色々とすみません」
「いいのよ。男子高校生なんだから。少し手間がかかるくらいが丁度いいわ」
二人共終始説教する訳でもなく、優しい対応で縁に接した。
……なんかもう、色々と申し訳ない。
「お風呂上がった頃にすぐご飯でいいかな?」
「はい、お願いします」
縁は一言告げると緩やかな足取りで風呂場に向かった。
リビングを出た途端急に背後の室内が騒ぎ出す。
何事かと思い、縁は気になったので少しだけ耳を傾け会話を聞く。
「さて諸君! 縁君に女が出来たのではないかと言う疑惑が浮上した! ここで家族会議を始めてもいいかね!」
「「異議なし!」」
豊久の陽気な叫び声と共にあとの女性陣が喋りだす。
「…………」
――聞かなかったことにしよう。
縁は先ほど聞こえた会話を頭の奥に忘却するとすぐさま風呂場に向かったのであった。
× ×
翌日、縁はスペアの制服に袖を通して通学する。
人も多い朝の通勤時間。スーツ姿の社会人がちらほら見え、他にも学校へ向かう途中の学生が道に溢れていた。
そんなありふれた朝の景色を縁は意識しながら見ていた。
……昨日あんなことがあったのに世界は普通だな。そう思いながら。
前日、縁は能力者を知った。それはとても非現実じみたものであり、今までの彼の世界観と常識を覆した。
今まで一切知らなかった世界の理。それを知った縁は二択を迫られた。
一つ目は今までと同じようにそれを知らずに生きていく道。
二つ目はそれを認め、付き合い生きていく道。
縁は与えられた二択に対し、後者を選んだ。結果、何が起こるかはまだ理解しえていない。
それは、これから分かることなのだろう。これから経験することによって縁は答えを知るのだろう。
しばらくして学校に着き、いつものように靴を履き替え教室へと向かう縁。
教室に入ると馴染みのある三人の顔が前日とは違う装いで各々席に着いていた。
その姿や表情はただの学生。どこをどう見間違えたって非日常を抱えた存在に見えやしない。
それを見て縁は思ってしまう。自分は昨日の出来事を〝あったこと〟と認識していたが、実は全て夢だったんじゃないかと。
じんわりと浮かび上がる不安。三人の誰かにことの真意を聞こうとするも、笑われるのではないかという思いに駆られる。
「遊馬君。おはよう」
そうこう考えているうちにいつのまにか水無月が縁の前までやってきていた。
「実はお願いがあるんだけど、今日お家の方に行ってもいいかな?」
「ん、何でだ?」
「えっとね、昨日の件で色々と説明しないといけないから」
「昨日?」
水無月の言葉に思考を巡らす縁。そこで水無月が小さな声で縁に耳打ちする。
「ザインのこととか防人のこととか」
「あ、ああ。そうか」
その言葉を聞いて縁はほっとする。あれらは夢じゃなかったんだなと。実際強烈なイメージを持った出来事が早々夢なんかであることなどないのだが……。
「家はいつでも大歓迎だ。遊びに来るといい」
「分かった。じゃあ、また放課後にでも」
水無月はにこりと笑って席に着く。そこで予鈴が鳴った。
縁は緩やかな歩みで自身の席に着き、鞄から取り出した教科書や筆箱を机にしまっていくのであった。