第二話 彼女の秘密 7
「何だこいつの体!」
「気もち悪ぃ!」
再度背後から二人が体を掴みに来る。が、一人を一本背負いの要領で投げ飛ばし、もう一人は背面回し蹴りを腹部に当ててやる。
瞬く間に行動不能になる二人。それを見た三人は再びバットで襲い掛かる。縁はためらうことなく拳を繰り出した。
「あれ?……」
そこで一人のバットが折れた。続けて他の二人のバットも折れる。
「待てよ……これ金属バットだよな」
「はは……おかしいな?」
そんな言葉を彼らは漏らす。顔をヒクヒクと引きつらせながら。
そして、地獄の鬼の様な顔をした縁が三人を殴り飛ばしたのは直後のことだった。
男子三人はマネキンみたく床に転がる。手に持っていたはずのバットは完全に壊れており、拳の形にベコベコにへこんでいた。
戦いが決着したことを縁は悟ると、ゆっくりと部屋の隅で縮こまっている水無月に手を貸す。
「起きれるか?」
「……うん」
彼女はカーテンに身を包ませながら、ゆっくりとその場に立つ。
「じゃあ、家に帰ろう。ここにいると、また苛められる」
「……分かった」
縁は水無月の手を握ると、教室から出ようとする。
「やぁぁぁぁぁ!」
突如叫び声がこだまする。縁が振り向くと、何とか起き上がった一人の男子が椅子を持って襲い掛かってきていた。
「妖怪のお前が学校にいるからぁ!」
彼の目標は縁――ではなく、隣の水無月だった。振り上げられた椅子が目を丸くする水無月を襲う。
「イヤッ!」
水無月は迫りくる衝撃に目をつむる。だが、彼女に痛みはおろか打撃の衝撃は来なかった。
それもそのはず。なぜなら――
「邪魔をするなよ遊馬ぁ!」
縁が水無月を庇っていたのだ。
何度も縁の頭を叩く男子。繰り返し同じ場所を叩かれたために縁の額から多量の血が噴出した。
「ぐっ!」
彼の血で水無月を包んでいるカーテンは赤く染まり、まだら模様を映し出していく。
「遊馬くん!」
怒りと焦燥を抱えた男子の攻撃の手は止まなかった。その度に縁の頭からは血が飛び散る。
繰り返し赤が飛び散る光景に水無月は自身では手に負えないと思い、教室の外に飛び出した。目指すは職員室へ。
水無月が教師を呼びに行っている間も男子の暴行は止まることなく続いた。
× ×
縁のたどり着いた記憶。それは幼き頃の自分と水無月が夕暮れの教室に共に居たこと。また、二人の周りには優しさや温かみとはかけ離れた幼稚な醜さがあったことも思い出す。
縁が腑に落ちなかったこと。自分は無償で人助けをするような殊勝な人間じゃない。誰かが傷つけられていても見捨てるような自分がなぜ水無月を助けたのか?
真実はこうだった。獣の耳と尻尾を見られた水無月が他者に苛められ泣いていたのを見たから、複数の男子が一人の少女を辱めていたのが縁にとって気に喰わなかった。腹が立ったゆえに喧嘩を売り相手を全て拳で捻じ伏せた。
当時の縁は苛められている水無月を見てこう思ったのだ。自分が今助けてやらねば少女はあの場所で一生癒えない傷を負わされてしまうのだと。
「これ以上お前のワガママには付き合えん」
「そんな! やめてください先生!」
「は、都合の悪い時だけ先生って呼ぶんじゃねぇ!」
泣きじゃくる彼女の顔に夕暮れの教室。今ある光景とかつてあった記憶が重なる。
「そうか。抜けていた記憶はこれだったのか……」
徐々に鮮明になる記憶。ゆっくりと、乱闘のあとの記憶も思い出していく。
水無月が教室を出たあと縁は我慢の限界に達し、苦も無く椅子を破壊して殴りかかっていた男子の手足の関節を外して半殺しにした。
しばらくして教師陣が駆けつけ縁と男子達を連行。その後病院へ縁と男子達は連れて行かれ、そこで治療と平行して記憶の削除が行われた。
それが不鮮明だった記憶の真実。覚えていたくても消されていたために思い出せなかったモノ。
自身が暴れた理由。縁にとっていつもそこが理解できなかった。
縁は基本人を助けない。家族や友人が危機に見舞われれば必ず力を使う。だが、他人には深くは干渉しない。
仮に道端で人が倒れていたのならそれは助ける。ただし、何らかの事故や病気によって倒れていた場合。
自分の起こした原因によって危機に見舞われていた場合は助けない。それは自業自得だからだ。
必要最低限の人としてのルールは守るが、それから逸脱した場合は基本一切関与しない。
そのため彼は正義の味方ではなく、法の番人でもない。どちらかと言えば倫理を取り払った常識的なルールを行使する者。
そんな彼がただ苛められていたのが許せなくて暴れたと言うのは、彼の中にあるルールから大きく逸脱する。
苛めに関しても縁の中にはルールがある。
通常苛められている人間は助けない。それは当事者達の問題だから。また苛められている者が自分で何とかしないと意味がない。苛められているのに変化を望まないのはやられている人物がそれでいいと思っているから。
だから縁は誰かを助けない。真に変化を望む者でなければ助ける価値はないと彼は考えているから。
また自分が強くなることにしか頭にない自分が誰かの為に戦うなんてありえない。ありえないゆえに彼は疑問に思っていた。だがこれで納得がいく。
縁は水無月に酷いことをしていた連中が許せなくて戦った。水無月に対して妖怪と罵る彼らが許せなかった。
許しちゃいけないと思ったから全力を出し捻じ伏せた。自身の質を高める戦いにではなく、誰かを守る戦いに。
「思い出したよ先生」
縁は自身を持ち上げている葛木を見据える。
「ちっ、ほらな。思い出しちまったじゃないか」
「……遊馬君」
「こうなる場合があるから記憶を消したらお前も転校しなきゃいけないんだよ。分かるか? 稀に何かを拍子に思い出しちまうんだよ!」
葛木ははき捨てるようにそう言う。言っていることは、きっと正しいのだろう。
「俺を恨むなよ遊馬。俺は仕事でやっているんだ。俺の意思じゃない」
「先生、俺は分かっているよ。あんたのように記憶を消せる人がいたから水無月は困らずに済んだ」
「分かっているじゃねぇか」
縁の言葉を聞いた葛木はやんわりと微笑む。その表情を見た縁は釣られるように僅かに口元を緩め、
「だけどな、今度は簡単に消せると思うな」
宣戦布告とも取れる言葉を言い放った。
「……お前、どう言う意味だ?」
「こう言う意味だ!」
縁は掴まれている上着のボタンを引きちぎって葛木の拘束から抜け出す。
「おい! テメェ!」
とっさの出来事に驚く葛木。再び体を掴もうとするが縁はバックステップで手から離れる。
縁の中には一つの考えが渦巻いていた。水無月を泣かした目の前の〝こいつだけ〟は許さないと。
「かつて水無月を助けたように! 今度も俺が助けるんだ!」
……この言葉に偽りはない。何故俺は彼女を助けようとするのか分からない。だけど、助けたいと思う気持ちには何かしら理由があるはずだ!
ただ、胸の中にある感情を信じて縁は葛木に突撃した。
「くそ! 早ぇ!」
再び詰めてくる縁にすかさず葛木は掴みに入る。だが縁は軽快なステップを踏んで葛木の背後を取った。そこで再び両手の警棒を葛木の頭に向かって振るった。
葛木はギリギリのところでしゃがむ。だが縁は諦めず再度攻撃に回る。
「お前! 何でこんなことをする! 赤の他人だろうが!」
葛木が当然のことを言う。
「目の前で女の子を泣かす奴は俺は許せないんだよ!」
葛木が縁に狙いを定めて掴みに来る。対する縁は机の上に飛び乗り、バックステップで距離を取る。
「水無月は普通の人とは違ってケモノの耳と尻尾があるだけなんだ。――それだけなんだ!」
「それを普通じゃねぇって言うんだよ!」
「それでも、俺にとっては彼女は普通だ!」
葛木も机に乗り、縁に向かって飛び掛る。