“弓野”零歌と“神宮寺”杏
≪やはり、弓野としての自分を忌み嫌うか≫
当然だ、そんなこと。
だってあの時、弓野なんていう名字に縛られていなければ。
ただの零歌として生きていたなら。
あの子は…あたしの親友は……。
“神宮寺”杏は死ななくてすんだのに!
弓野。
一見ただの名字に見えても、実際に抱えているものは平凡とはかけ離れてる。
今では平和だって言われてる日本でも、やっぱり裏ってものはある。
弓野はそんな裏に属する、万屋――――正確には、殺し専門の家系だ。
一般的には万屋で通し、裏のごく一部の者だけが殺し屋としての弓野に依頼することができる。
“私”は、そんな弓野に生まれ落ちた次女だった。
幼い頃から、殺しの訓練をされて。
親からは、愛情なんてものを貰ったことはなかった。
そんな“私”に、手を差し伸べてくれたのがあの子。
あたしが名乗る“神宮寺”の名字を持つ、杏だった。
杏は、至って普通の家庭に生まれた子だった。
“私”が訓練に嫌気が差して逃げ出してきた時に、話しかけてくれた。
“私”は隠すなんてことをしなかったから、正直に自分のことを打ち明けた。
殺し屋一家の人間になんて、関わらないほうが良い。
説明の最後を、そう締めくくって。
それでも杏は、笑っていた。
笑って―――よく頑張ったね、お疲れ様、って。
そう言って、頭を撫でてくれた。
だから、誓ったんだ。
この身に代えても、杏を守り通すって。
なのに。
『杏、零歌ちゃん、逃げなさい!』
『零歌ちゃん、頼む!杏を連れてどこか遠くへ!!』
“私”を狙って攻めてきた弓野系列の敵。
彼らは、“私”を匿ってくれていた神宮寺家の皆を惨殺した。
皆に言われるままに、杏を連れて逃げた“私”。
杏は、あまりの残酷さに泣き続けていた。
“私”の所為で、全てが壊れた。
“私”のことを本当の娘みたいに接してくれた杏のお母さん。
“私”と一緒に良くバドミントンをした杏のお父さん。
ずっと縁が無かった勉強や学校生活に四苦八苦していた“私”に、優しく教えてくれた杏のお兄ちゃん。
皆、皆、いなくなってしまった。
ごめんね、ごめんね。
“私”が杏に向かってずっと謝っていても、杏はずっと泣いたままだった。
でも、しばらくして泣き終えた時……杏は精一杯笑っていた。
『ううん、大丈夫。大丈夫じゃないかもしれないけど……零歌が無事で良かった』
“私”の所為で全てを失ったのに、それでも優しい杏。
気がつけば、泣いているのは“私”の方だった。
大切な皆を守り切れなかった“私”。
それでも、確かに得たものはあって。
運命の残酷さに、しばらく杏と二人で泣き合った。
そして、その数ヶ月後。
杏は、あの時に急激に動いた所為か、持病が悪化していた。
そして、入院することになり。
『ねぇ、零歌。あたし達が生きていたこと、絶対に忘れ去って欲しくない。あたし達に起こった悲劇を、無かったものにしてほしくない。だから……神宮寺の名字、貰ってくれる?』
震える手を必死に伸ばして、“私”の手を握った杏。
杏に向かって泣きながら頷いた“私”に、杏はいつも通りの笑顔を浮かべて。
ふいに、手の力が抜けた。
杏は、皆の後を追ってこの世を去った。
≪そして、お主は神宮寺の名字を名乗り、弓野としての自分を捨てたのだったな≫
そう言った声に、頷き返す。
いまのあたしの人生は、杏のコピーみたいなもの。
杏がもしかしたら歩んでいたかもしれない未来を、この手で忠実に再現しているだけ。
でもあたしは、これで後悔していない。
これがあたしに――――“私”に出来る、唯一の罪滅ぼしだから。
杏達が聞いたら、すぐにやめさせようとするかもしれないけど。
自分の為にも、こうしたかった。
要は、自己満足。
結局は、自分が納得できないからこそこうしている。
それだけ、なんだ。
それだけだった、筈なのに。
≪お主は迷い込んだ。もし神宮寺杏が生きていたら親友になっていたであろう葭原響霧と共に、この世界へ≫
本来だったらありえないであろう自体に。
あたしは、柄にもなく動揺した。
こんなこと、あって良いわけがない。
そんな風に言い聞かせ、何度も悪い夢だと思い込もうとした。
でも、そうする程に現実を突きつけられて。
あたしは、いつの間にか全てを諦めていた。
もう戻れないんだろう、って。
≪……もし、戻る方法があると言ったら、お主はどうする≫
声が言った言葉に、反射的に顔を上げる。
声の主はどこにもいないけど、それでも良かった。
戻る方法がある。
それだけで、十分だ。
例え確率が数億分の一だとしても、その確率に懸けたい。
そんなあたしの気持ちが伝わったのか、溜息をついたような雰囲気を出す声。
そして、苦々しい声でまた話しかけてきた。
≪まあ、かなり厄介な方法にはなるがのう…。それにはまず、我達について説明する必要がありそうだ≫
とりあえず一旦中断です。