嵐の夜の恋物語
☆
それは、蒸し暑い梅雨明け間近の夜のことだった。
彼が最終電車でいつものように駅に降り立ったとき、それはもう、物凄い土砂降りであった。バケツどころか、タライをひっくり返したような、激しい降りっぷりである。
「会社を出てくるときは、あんなに晴れてたのになぁ。予報でも、降るって言ってなかったし......あ、これって、もしかして、ゲリラ雷雨ってやつか?」
あまり雨に濡れることは厭わない彼であったが、さすがにこの降りっぷりには、やや困惑しているようである。
「今朝、自転車で駅まできちゃってるけど......どうしよう?」
と、彼は中央改札に向かう階段を登りながら考えていた。改札をくぐり、橋の上から駅前広場の方向を見ると、斜め向かいの方向に、なんやか、バスらしきものが止まっているのが見えた。雨の降り方が激しすぎて行先とかまでは確認できないが、少なくとも灯はついていることは判る、止まってる場所から鑑みると、彼の自宅の方向へ行く路線のようである。
「でも、こっちの方向へ行く路線って、深夜バス、あったっけ? 最近できたのかな?」
と考えつつ、彼は傘を持っていなかったので、そのバスをめがけて一直線にダッシュしようとした。が、なにせ、この雨である。駅前広場の車道の部分は、ちょっとしたプール状態である。止む無く彼は歩道を回ってバスの乗り場までたどり着いた。
予想通り、行先には彼の自宅界隈のバス停名が、深夜バスの表示と共に表示されている。新設路線にせよ臨時運転にせよ、とにかく助かるや、と思いながら、バスの前扉からステップを登る。カードリーダーにICカードをかざすと、深夜バスなので通常の2倍の料金が差し引かれる。
「お客さん、いま乗って来た電車、最終の急行?」
と、運転手さんが尋ねた。
「はい、そうですが..」
「後には誰もおらんかった?」
「はい、私が最後に改札をくぐってます」
「ならば、発車しても大丈夫そうだね」
運転手さんは独り言のようにつぶやく。彼が一番後の席に着くのを確認すると、扉を閉めてバスを発車させた。案内放送が、彼の自宅からほど近いバス停まで向かうs深夜バスであることを告げる。
川のようになっている旧街道を東へ進み、隣の駅にほど近い交差点をゆっくりと左折する。いつも以上に水溜りが深い。夜中でも渋滞していることの多い国道との交差点でも、さすがにこの雨のせいか、車はほとんど見当たらない。
バスは交差点を越えてそのまま進む。と、その途上、川にかかる小さめの橋の手前の停留所に、なにやら人影らしきものが見える。運転手さんはほんの少しだけ驚くが、慣れた手順でバスを停留所に寄せる。
☆ ☆
人影らしきものは、たしかに人であった。しかも車椅子の方で、女性のようである。一応、傘は差してはいるものの、この降り方では、傘はその役目を果たしていない。
運転手さんは、本来は出口である中扉が、ちょうどその女性の前に来るようにバスを停める。
「ちょっと待っててくださいね」と慣れた感じで雨合羽を着て中扉から表に出た。
「ごめんなさいね、こういう日に限って、ノンステップバスが点検中だもんで......」
「あら、私は別に構わないのですが......運転手さんが大変そうですね」
「そうだよねぇ、しかも、このスロープ、さび付いちゃってるようで......」
彼は一番後の座席から中扉の所まで行くと、運転手さんに声をかける。
「お手伝いしましょうか?」
「すまないねぇ...こっちも年だから、たすかるよ」
「二人がかりで力を合わせれば......せえのっっと......よいしょっっっ......」
スロープはなにかにひっかかっていた様子。で、それが外れや否や、猛烈な勢いで飛び出してきた。運転手さんは尻餅をついただけで済んだが、彼は転がった位置が拙かったせいか、女性の車椅子の車輪に思いっきり頭をぶつけてしまった。
「まぁ、たいへん、大丈夫......ではなさそう......ですよね?」
女性は心配そうに彼の顔を覗き込もうとしたが、バランスを崩して車椅子ごと倒れそうになってしまった。と、咄嗟に彼は地面に横たわったまま転がって、身をもって車椅子が倒れるのを防いだ。車椅子+女性の分の重さが彼にのしかったはずであるが、それを跳ね除け、車椅子の体制を立て直し、彼は、何事もなかったように立ち上がった。
「いやぁ、石頭で良かった良かった。そういう頭に生んでくれた両親に感謝、かな?」
「あらまぁ......くすっ」
女性は少しだけ微笑んだ。
「さぁさぁ、みんな、バスの中に入らないと。ずぶぬれだよぉ...」
と運転手さんがせかす。女性は、かなりの角度がついたスロープを、こともなげに、くるくるくるっと車輪を回して上り、車内へ入った。運転手さんがスロープを収納するの見届け、彼も車内に入った。皆の足元に、ちょっとした水溜りができている。
女性は、首からかけたパスケースを運転手さんに見せる。ICカードではないが、どうやら定期券のようである。深夜バスの追加料金をとらないところを見ると、なんやら特別な定期券のようである。
運転手さんはてきぱきと車椅子を所定の位置に固定した。
「いやぁ、お兄さんが手伝ってくれたおかげで助かったよぉ。ちょっとアクシデントはあったけどね。にしても、お嬢さん、こんな日に、あの停留所まで自力で来るって、ちょっと、無茶、というか、無謀ですよぉ」
「あらぁ、ごめんなさぁぃ...最終電車に間に合いそうになかったもんで...」
「では、行きますよ」
バスは裏街道との交差点を越え、高速道路の高架下をくぐり、このあたりの台地に刻まれた河岸段丘を登り始めた。雨水が道の両脇を滝のように流れ落ちてくるが、不思議とバスの進路の車線にだけは、道の凹凸のせいか水流はない。
ここで、彼は、初めて気づいた。彼女はロングスカートをはいていたので気づかなかったが、車椅子の足置きの部分に見えるはずの足首が見えない。
彼は女性の佇まいを改めて観察してみた。雨でびっしょり濡れたロングでストレートの黒髪は、少しだけ緑がかっている。瞳の色は、いわゆる碧眼というかマリンブルーに近い色で、深さと共に抜けるような透明感も併せ持っている。どこかで会ったことがあるような気がするが、彼にはどうしても思い出せない。
そうこうするうちに、バスは交差点を左折、この辺りに広がる広大な公園の界隈へさしかかる。アナウンスが、次が体育館前のバス停であることを告げる。運転手さんが女性に声をかける。
「どうします?、ここで降りたほうが早そうだけど、この天候だし、終点まで行っちゃいます?」
「そうね、終点までいった方がよさそうですよね」
「じゃ、通過ということで..」
運転手さんと女性の短いやり取りを、彼はぼんやりと聞いていた。バスは公園の中の道を西へと進む。なんだか、木々が彼女の来訪を歓迎しているような、そんなさざめき方をしてるように彼は思えた。
☆☆☆
やがて、バスは公園西端の交差点を左折して大通りに入り、先ほど登った河岸段丘を降るように走る。雨は相変わらずの降りっぷりであるが、こちらも、なぜかバスが進む車線にだけは水流がない。下り坂の途中で左折、バスは終点でもある公園に隣接した場所にある神社の正門へと向かう。
「そういえば、お兄さんも、終点まで行っちゃって良かった?」
「あ...えっと...はい、大丈夫です。本当は1つ手前のバス停の方がの方が少しだけ近いんですが...まぁ、似たような距離ですから」
「なら、途中で、止めようか?」
「あ、いいです、それに、さっきのスロープの感じだと、この女性の方が降りるときにも、
お手伝いが要るかもしれないし...」
「すまないねぇ、そうしてくれると、助かるよ。なにせ、こっちも年だから...」
バスは鬱蒼とした深夜の神社の森の中を進み、やがて、鳥居の真正面、終点と1つ手前の停留所の間、通常のバス停ではないところで止まった。運転手さんは中扉を開け、スロープを引き出す。こんどは、先程のひっかかりがとれたせいか、スロープはスムーズにでてきた。その間に、彼が車椅子の固定を外していた。彼女の髪からは、ほのかに磯の香りがする。
それが、彼の思い出せなかった記憶を一気に呼び戻した。
・・・・・そう、あれは、去年の夏、南の海に潜りに行った時の事。ちょっとした地震があって、岩場がちょこっとだけ崩れた。しばらく潜っていくと、その崩れた岩にはさまれて、身動き取れなくなっている女性がいた。彼は持ち前の怪力で、その岩をどかして・・・・・
記憶はそこで途切れており、病院のベットの上で起き上がったところまで飛んでいる。
「うふっ、ようやく気づいたようね。私があなたにお礼を言いに来た、ってこと」
「え、じゃ、やっぱり、あなたは、あの時の......」
「そう、あの界隈の海に住んでる、人魚の一族です。あの時は、私たちの存在がバレるとまずいと思ったので、助けられた後、申し訳ないけど、あなたの記憶を消させてもらいました。でも、このバスに乗ってる人であれば、正体をバラしても大丈夫かな?、と思って」
「え?......このバスって??」
「ここまでバレてしまっては仕方ないですねぇ。実は、このバス、正規の深夜バスではないんです。真夜中に、この神社にお礼の参拝にやってくる、妖怪や物の怪とか、そんな皆様のための便なんです。今宵は、尋常じゃない豪雨で、他にお客さんが居なかったし、あなたが相当困ってるようだったので、普通のバスのふりをして乗せましたが、よもや、お嬢さんが、あのバス停から乗ってくるとは......」
「え?、あのバス停って、たしか、川の橋の手前......ま、まさか?」
「そうよ、あの川を泳いで上ってきたのよ。普通の時だと、ちょっと水かさが足らないから、竜神様にお願いして、十分泳げるように水かさを増やしてもらった、そういうわけなの」
「ちょっと、増やしすぎですよぉ。あ、でも、ちゃんと、急坂のところでは、水の流れがコントロールされてましたね」と運転手さん。
なるほど、そういうことだったのか、と、彼は合点がいった。
「ということは、自分は、また、今宵の記憶を消されるわけ?」
「いいや、そんな無粋なことはしませんよ、ね?、お嬢さん」
「はい。あなたが、ここの神社の守護神さんの仲間に加わってくれるのなら、ね」
と彼女はウィンクしながら言った。
「をっと、お迎えが来たようですね」
ふと振り返って見ると、神社の境内で昼寝しているのをよく見かける猫さんがいる。いや、大きさが、5倍ぐらい、でかくなっている。茶虎であれば、本物の虎に見えそうであるが、彼は茶色をベースに大きな白いまだらがある、そんな2色であった。なので、どちらかというと、たてがみのないライオンさんに見える。
「ほぉ、そなたが、この人魚のお嬢ちゃんを助けたわけじゃったか。ならば、わしが眷属を使って探し出す必要はなくなった、そういうわけじゃな」
どうやら、彼が、守護神さまの代理のようである。いや、守護神さまが乗り移ってるのかもしれない。
「はい。それで、彼の記憶を消さないかわりに、彼に私たちの仲間に加わってほしいのですが...」
「よろしい。ならば、そなたに我が眷属としての力を授けよう。まずは見習いからはじめてもらう。よいかな?」
「あの、見習いって、何から始めればよいのでしょうか?」
「とりあえずは、今宵のように、深夜にいらっしゃるお客様が来やすいようにお手伝いをする、そこからじゃな。あと、もうひとつ......」
「もうひとつ?」
「この、人魚のお嬢ちゃんの、個人的?なお願いをかなえてやることじゃ」
かくいうわけで、彼の部屋に同居人ができた。彼女は、今日もロングスカートの裾を翻し、彼の自転車と共に、元気に車椅子で街を走り回っている。そんな彼女を気遣ってか、台風などの大雨の時には、大きな川の界隈まで連れて行って、水かさの増えた川にて、存分に泳いでもらっている。
初投稿で試作品の短編です。
気軽に読んでいただければ、と。




