001_銀貨三枚の指輪
朝から世界は滅びていなかった。
いいことだ。
世界が滅びると飯が食えない。飯が食えないと機嫌が悪くなる。機嫌が悪いと、だいたい仕事が増える。
俺は宿屋《銀の匙亭》の食堂に降りた。
「レイ、鍋が壊れた。直しとくれ」
店主のマーサが、片手鍋を突き出してきた。持ち手がぽっきり折れている。
「買い替えろよ」
「直せる奴がいるのに?」
「嫌な正論だな」
俺の仕事は小物修繕師だ。壊れた鍋、曲がった釘、欠けた包丁、そういう地味に困る物を直す。
魔法は使える。
ただし、できるのは《継ぎ目を馴染ませる》だけ。火の玉も出ないし、空も飛べない。だが鍋の持ち手くらいなら戻せる。
折れ口を合わせ、指でなぞる。
すぅー。
「ほい」
「助かったよ。いくらだい」
「朝飯代から引いといて」
「欲がないねえ」
「欲はある。働きたくないだけだ」
豆の煮込みを食っていると、店の扉が勢いよく開いた。
「レイさん!」
赤毛の冒険者、ニナだった。嫌な予感がする。こいつは善人だが、善人はたまに災厄を持ってくる。
「いないな」
「いますよね」
「幻覚だ」
ニナは無視して、テーブルに黒ずんだ指輪を置いた。
「森の古い見張り塔で拾いました。直せますか?」
「まず拾うな。次に持ってくるな。最後に俺に頼むな」
「でも売れそうで」
「正直なのはいい」
指輪をつまむ。軽い。古い魔導具だ。しかも嫌な感じがする。
「これ、はめたか?」
「少しだけ」
「どの指に」
「左手の薬指です」
「面倒な指に行くなよ...」
ニナの指には、薄い黒線が残っていた。魔力の糸が皮膚の下に絡んでいる。
放っておけば死にはしない。たぶん。ただ、夜中に勝手に歩き出すくらいはありえる。
「銀貨三枚」
「え?」
「外す料金」
「お願いします!」
俺はニナの指に触れた。
絡んだ魔力をなぞり、ほどく。切るんじゃない。元から絡んでいなかったように、馴染ませる。
すぅ。
黒線が消えた。
「終わり」
「すごい……」
「気のせいだ」
「でも」
「気のせい」
俺は指輪を布で包んで返した。
「衛兵に届けろ。売るな。絶対売るな」
「銀貨三枚払ったのに」
「命が残った。黒字だろ」
その日の昼、衛兵が店に来た。
後ろにはニナ。さらに後ろには、灰色の外套を着た知らない男。
俺は扉の蝶番を直している最中だった。
「レイ・オルランドだな」
「違う」
「銀の匙亭に住む小物修繕師の?」
「似た他人だ」
「本人だな」
終わった。
灰色外套の男が、丁寧に頭を下げた。
「王立遺物管理局のラウルです。少しお話を」
「お話だけで済むならな」
俺の朝は平和だった。
昼にはもう、だいぶ怪しくなっていた。
ブクマ、いいねが励みになります。よろしくお願いします。




