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証言者は、あなたです  作者: やはぎ・エリンギ


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「柏木の日常」

2日目 午前6時30分〜正午 

目覚ましが鳴る前に、柏木真司は目を覚ました。

隣で妻の加奈子が寝息を立てていた。カーテン越しに朝の光が滲んでいた。六畳の寝室は静かで、壁に掛けた娘の絵が朝日を受けて薄く光っていた。クレヨンで描いた家族三人の絵。七歳の彩が先月持ち帰ってきたものだった。

柏木は布団をそっとめくり、廊下に出た。

台所でコーヒーメーカーのスイッチを入れ、冷蔵庫から卵を取り出した。朝食は自分が作る。結婚して十二年、変わらない習慣だった。フライパンに油を引き、目玉焼きをふたつ並べる。トーストをセットする。コーヒーの香りが台所に広がった。

特に何も考えていなかった。

今日の授業の段取りを頭の中で確認した。一時間目は三年生に現代文、三時間目は一年生に古典。放課後は来週の文化祭の打ち合わせがある。平凡な一日の輪郭が、コーヒーカップを握りながら脳裏に描かれた。

午前七時、彩が起きてきた。

寝癖のついた髪のまま台所に現れ、「パパ、おはよう」と言った。柏木は「おはよう」と返して、牛乳をコップに注いだ。彩は椅子に座り、目をこすりながらトーストを齧った。

「今日、図工で版画やるんだって」

「何を彫るの?」

「うさぎ」

「上手くできそう?」

「たぶん」

短い会話だった。それで十分だった。娘の声が台所に満ちているだけで、朝は完成する。柏木はそう思っていた。

加奈子が起きてきたのは七時半だった。眠そうな顔で「ありがとう」と言い、目玉焼きに箸を伸ばした。三人で食卓を囲む。窓の外で雀が鳴いていた。

八時十分に家を出た。

通勤は電車で二十分だった。車内でスマートフォンを開き、ニュースをざっと確認した。特に気になる記事はなかった。イヤホンを耳に差し込み、ラジオのポッドキャストを流した。いつもと同じ朝だった。

学校に着いた。

職員室で出席を取り、授業の準備をした。同僚の田中が「おはようございます」と声をかけてきた。「おはよう」と返した。廊下を生徒たちが走り抜け、誰かに「廊下は歩け」と注意した。

何も変わらない一日が始まっていた。

午前十一時過ぎ、三時間目の授業を終えて職員室に戻った。

次の四時間目まで少し時間があった。机に座り、採点の残りをしようとしてスマートフォンを手に取った。着信確認の習慣だった。

画面を開いた。

通知が来ていた。登録していたニュースアプリではなく、三年前に作ったきり放置していたSNSのアカウントへの通知だった。フォロワーは十数人しかいない、ほとんど使っていないアカウントだ。

通知の件数が、異常だった。

百近く溜まっていた。

柏木は首を傾げた。誤作動か、と思った。アプリを開いた。

最新の通知を見た。

知らない名前のアカウントからのメンションだった。内容を読んだ。

手が止まった。

もう一件読んだ。また別のアカウントから。内容は違ったが、同じ名前が書かれていた。自分の名前だった。

柏木真司という文字を、見知らぬ他人が書いていた。

「いじめ教師」という言葉と並んで。

職員室の喧騒が、遠のいた気がした。蛍光灯の光が白すぎた。隣の席で田中が弁当を広げながら笑っていた。その笑顔が、ひどく遠い場所にあるように見えた。

柏木はスマートフォンを握ったまま、動けなかった。

時計を見た。午前十一時四十分だった。

四時間目の予鈴が、廊下に鳴り響いた。


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