「教師という単語」
2日目 午前10時〜午後1時
朝になっても、「私」は眠らなかった。
二日目の朝が来た時、外の光がカーテンの隙間から差し込んできた。「私」はその光を見て、ようやく自分が丸二日近く椅子に縛り付けられていたことを理解した。体の節々が鈍く痛んでいた。
画面を見た。
特定スレは止まっていなかった。夜通し動いていた人間がいた。午前六時台にも書き込みがあり、七時、八時と続いていた。朝の通勤前に確認する者、起床直後に画面を開く者。昨夜の作業の続きを引き継ぐように、新しい人間が流入していた。
午前十時、「私」は動画のコメント欄に二つ目の書き込みをした。
「ヒント。高校教師です」
今度は投稿者本人の書き込みとして、動画のコメント欄に直接残した。匿名掲示板ではなく、動画に紐づいた場所に。誰もが確認できる、消えにくい形で。
「高校教師」という四文字が、画面に浮かんだ。
十分も経たないうちに、そのコメントのスクリーンショットが特定スレに貼られた。
「投稿者本人がヒント追加してる」
「高校教師。柏木真司、高校教師で間違いないよな?」
「待って、証拠固めが先。他に高校教師の柏木って人いないか?」
「調べた。SNSに柏木真司って名前で高校の写真上げてる人いる。本人っぽい」
午前十一時前、柏木真司のSNSアカウントが特定された。
アカウントは実名ではなかった。しかし投稿された写真の背景、使われたハッシュタグ、言及された地名、それらを突き合わせることで、特定班は本人と断定した。プロフィール画像は風景写真だったが、過去の投稿に校舎らしき建物が写り込んでいた。
「勤務先、〇〇高校で確定」
「住所も大体分かった。〇〇市の△△あたり」
「家族のアカウント見つけた。奥さんと小学生の娘がいる」
情報が積み上がるたびに、書き込みに興奮の色が滲んだ。謎解きのゲームを攻略した時の、あの高揚感に似た感情が文体に出ていた。誰かの住所と家族構成を暴いている行為が、パズルのピースを嵌める快感と同じ回路で処理されていた。
「私」はその書き込みたちを読みながら、ある感覚を覚えた。
かつて、自分も似たような高揚を感じたことがある。別の誰かを追いかけていた時ではない。もっと遠い過去の話だ。何かを解き明かす喜び、知ることの快楽。それ自体は人間に備わった本能だと思う。問題は、その快楽が向かう先だった。
午前十一時を過ぎると、スレッドの本流にも柏木の名前が流れ込み始めた。
本流に流れた情報が、断片的にSNSへ漏れ始めていた。
特定スレで積み上げられた情報が、まとめとして貼られた。
「柏木真司、〇〇高校勤務、△△市在住、五年前のいじめ黙認教師の可能性大」という文字列が、本流スレッドの中で引用され、拡散した。確認が取れていない情報が「可能性大」という言葉でくるまれ、既成事実に近い重さを持ち始めた。
「これって通報案件じゃないの?」
「警察に言っても動かないだろ、証拠がないし」
「でも被害者になるかもしれない人を守るべきでは」
「守るって、柏木を? 柏木こそ加害者だろ」
善意と正義と怒りが混ざり合った議論が続いた。しかし議論の向かう先は、最初から決まっていた。
正午四十分。
柏木真司の名前と勤務先と居住エリアが、一つの書き込みにまとめられ、特定スレの外へ流出した。SNSのタイムラインに拡散し始めた。動画のコメント欄にも書き込まれた。
「私」はその拡散を、ただ見ていた。
止められた。理論上は。しかし「私」の手はキーボードに触れなかった。
午後一時、再生数が一万を超えた。
窓の外では近所の子供たちが笑いながら走っていた。普通の昼間の音だった。画面の中とは別の世界が、そこにあった。




