「特定班の誕生」
1日目 午後21時〜2日目 午前3時
夜になると、スレッドの住人が入れ替わった。
昼間の層が抜け、代わりに夜型の人間たちが流入した。深夜帯の匿名掲示板には独特の文化がある。昼間よりも言葉が鋭くなり、目的意識が高まる。雑談よりも作業を好む層が集まってくる時間帯だった。
午後21時過ぎ、ひとつの書き込みがスレッドの流れを変えた。
「特定スレ立てた。本気でやる人間だけ来い」
URLが貼られた。
「私」はそのリンクを開いた。新しいスレッドには、すでに十数人が集まっていた。雑談を省いた、作業のための場所だった。最初の書き込みがルールを定めていた。「確認が取れた情報のみ投稿。推測は推測と明記。デマは即座に排除」。
組織が生まれた瞬間だった。
指揮系統はない。リーダーもいない。それでも役割分担が自然に始まった。五年前のいじめ自殺事件の報道を漁る者、当時の学校名を特定しようとする者、Googleマップで周辺地域の高校を洗い出す者。誰かが「作業分担しよう」と提案し、すぐに合意形成された。
「私」は画面を見ながら、胃の底が冷えるのを感じた。
予想していた。しかし実際に目の当たりにすると、その精度に息が詰まった。これほど早く、これほど組織的に動くとは思っていなかった。
午後22時半、最初の成果が上がった。
五年前の事件が掲載された地方紙のアーカイブ記事が発見された。学校名は「県立N高校」と伏字になっていたが、記事の内容から地域が絞れた。さらに別の記事との突き合わせで、県内の特定エリアに候補が絞られた。
「N高校って検索したら候補三校出た」
「そのうち五年前に教師の不祥事があったのはどこ?」
「一校だけ該当する。住所も出た」
情報が積み上がっていく速度は、「私」の想定を超えていた。
午前零時を過ぎると、Googleマップを使った作業が始まった。学校の周辺をストリートビューで丁寧に確認する者、近隣のSNS投稿から地域情報を拾う者。デジタルの地図が、現実の人間を追い詰めるための道具として機能し始めていた。
「ストリートビューでこの辺の小学校の名前が写ってる」
「そこから近い高校って、さっき出た候補校と一致するな」
「五年前の担任の名前、当時の卒業生のブログに出てきた」
教師の名前が出た。
「私」はその書き込みを見て、しばらく動けなかった。
姓だけだった。柏木という苗字が、スレッドに初めて現れた。「当時の担任が柏木って人だったって、卒業生が書いてる」という一文。それだけだった。証拠としての信頼性は低い。しかし特定班はその名前に飛びついた。
「柏木で教員免許持ってる人間、今どこにいる?」
「SNS漁ってみる」
「LinkedInとかFacebookに本名で出てることある」
午前一時半、柏木真司という名前がスレッドに投稿された。フルネームだった。
根拠は薄かった。同姓同名の可能性も、全くの別人である可能性も排除できていない。しかし一度名前が出ると、それが既成事実のように扱われ始める。「柏木真司」という文字列が、書き込みの中で繰り返された。
「現在の勤務先、特定できるか?」
「SNSに学校名っぽいの出てる。詳しく見る」
「家族のアカウントから住んでる地域が分かるかも」
「私」はその流れを止めるべきだと思った。
一瞬だけ、そう思った。
しかし画面から目を離せなかった。止める言葉を打つ指が動かなかった。これは計画の一部だったはずだった。しかし「柏木真司」という具体的な名前が画面に浮かんだ瞬間、それが抽象的な「計画」ではなく、血の通った実在の人間の名前だという感覚が、ふいに「私」を打った。
午前三時。
特定スレの書き込みは四百件を超えた。柏木真司の名前は、もう何十回も書かれていた。
部屋の外は静かだった。深夜の住宅街に風の音がした。どこかで猫が鳴いた。
「私」はコーヒーの缶を握ったまま、画面を見つめ続けた。缶はとっくに空だった。




