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証言者は、あなたです  作者: やはぎ・エリンギ


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「職を失う日」

14日目 終点駅・ホテルへの道 

駅を出た。

地図アプリを開いた。ホテルまで徒歩八分と表示された。アカリは歩き始めた。昼間の繁華街だった。人が多かった。アカリは俯き加減に歩いた。

歩きながら、最後の記憶を辿った。

退職届を出したのは、ネットの書き込みが広がってから三週間後だった。

総務部の担当者に封筒を渡した。担当者は中を確認し、「分かりました」と言った。それだけだった。引き止めなかった。慰留の言葉もなかった。むしろ、やっと、という空気が漂っていた気がした。

最終出勤日、アカリはデスクを片付けた。

五年分の荷物は、段ボール箱一つに収まった。少なかった。入社した時は夢があった。企画の仕事がしたくて、この会社を選んだ。大きなキャンペーンを作りたかった。その夢が、段ボール一箱の重さしかなかった。

帰り際、廊下で久我山と鉢合わせた。

久我山は立ち止まった。アカリも立ち止まった。数秒の沈黙があった。

「お世話になりました」とアカリは言った。

言うつもりはなかった。体が先に動いた。五年間の習慣が、最後の最後まで礼儀を求めた。

久我山は「うん、お疲れ」と言った。

それだけだった。目が合わなかった。久我山はそのまま歩き去った。

アカリは廊下に立ったまま、しばらく動けなかった。

段ボール箱を持って会社を出た。エレベーターを降り、ビルのロビーを歩き、自動ドアをくぐった。外は晴れていた。昼間の光が眩しかった。

タクシーを拾った。

乗り込んで、住所を告げた。運転手が走り出した。車窓から、ビルが遠ざかっていくのを見た。五年間毎朝通ったビルだった。最後だと思った。最後でよかった、とも思った。

家に帰り、段ボール箱を部屋の隅に置いた。

しばらくそのまま部屋の真ん中に立っていた。

次に何をすればいいか、分からなかった。履歴書を書かなければならない。次の仕事を探さなければならない。しかし体が動かなかった。

履歴書の職歴欄に、空白が生まれた日だった。

その空白は、今も埋まっていない。転職活動をした。面接を受けた。しかし「前職を辞めた理由は」と聞かれるたびに、言葉に詰まった。本当のことを言えなかった。当たり障りのない理由を作って答えた。それがまた、自分を傷つけた。

五年間で、面接を二十三回受けた。

採用されたのは三回だった。しかしいずれも長続きしなかった。人間関係が怖かった。上司の声が、久我山の声と重なった。会議室に入るたびに、あの人事部の部屋を思い出した。

ホテルが見えてきた。

高層ビルだった。ガラス張りの外壁が、昼の光を反射していた。

アカリは立ち止まった。

鞄の中の重さを感じた。

五年間の空白を、今日終わらせる。そう決めて今日ここまで来た。後悔はなかった。恐怖もなかった。あるのはただ、静かな決意だけだった。

アカリは歩き出した。

ホテルの自動ドアが、開いた。


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