「人事部の冷徹」
14日目 乗り換えホーム
ホームのベンチに座って、次の電車を待った。
七分あった。アカリは鞄を膝の上に置き、目を閉じた。目を閉じると、五年前の人事部の部屋が浮かんだ。消えてくれない記憶というものがある。繰り返し浮かんでは、その度に同じ場所を抉る。
告発から一週間後、二回目の面談があった。
人事部の担当者は前回と同じ男だった。今回は隣に女性が座っていた。五十代に見えた。人事部長だと紹介された。
「前回の件について、社内で確認を取りました」と担当者が言った。
アカリは背筋を伸ばした。
「久我山部長にも話を聞きました。部長は、水野さんへの不適切な言動は一切ないとおっしゃっています」
「それは事実ではありません」とアカリは言った。
「双方の認識に相違があるということです」と担当者は言った。言葉は丁寧だった。しかし内容は、アカリの証言を久我山の否定と同列に置いていた。
人事部長が口を開いた。
「水野さん、あなたが感じた不快感は本物だと思います。ただ、ハラスメントの認定には一定の基準がありまして、今回のケースは、その基準に照らすと、判断が難しい状況です」
「どういう基準ですか」とアカリは聞いた。
「継続性、強度、業務への支障の度合いなど、複合的に判断します」
「半年間、継続しました」
「その点については、久我山部長の認識と異なります」
堂々巡りだった。アカリが何を言っても、「認識の相違」という言葉で返ってきた。証拠がない以上、どちらの証言が正しいかを会社が判断することはできない。そういう論理だった。
面談の最後に、人事部長がこう言った。
「もし今後も業務上で不快な思いをされることがあれば、その都度ご相談ください。会社としては、すべての社員が働きやすい環境を整えることが使命だと考えています」
アカリは何も言わなかった。
言えなかった。怒りが言葉を塞いでいた。すべての社員が働きやすい環境。その言葉を、久我山から守ってもらえなかった社員に向かって言う。その矛盾を、この人たちは感じていないのか。感じた上で言っているのか。
どちらにせよ、アカリには届かなかった。
三回目の面談はなかった。
代わりに、アカリの業務内容が変わった。メインの企画業務から外され、資料整理やデータ入力が中心になった。直接の指示ではなかった。自然にそうなった。誰も何も言わなかった。ただ仕事が減り、会議に呼ばれなくなり、ランチに誘われなくなった。
職場での孤立は、ゆっくりと、しかし確実に進んだ。
アカリが社内で話しかけられることが減った。目が合うと逸らされた。エレベーターで久我山と乗り合わせた時、久我山は何事もなかったように「お疲れ」と言った。その声の平然さが、アカリには最も耐えがたかった。
電車が来た。
アカリは立ち上がった。
人事部長の言葉を、今でも一字一句覚えていた。覚えていたくなかった。しかし体が覚えていた。言葉は肉体に刻まれる。消したくても消えない。デジタルタトゥーと同じように、人間の記憶にも消えない刻印がある。
電車に乗った。
あと二駅だった。
久我山誠一郎が今夜泊まるホテルまで、あと三十分もかからなかった。




