「動画投稿者の追跡」
10日目〜12日目 午前9時〜午後6時
三日間、早瀬は同じ壁に当たり続けた。
動画のIPアドレスはTorネットワークを経由していた。Torとは、通信を複数の中継サーバーに通すことで発信元を隠蔽する匿名化技術だ。世界中に散らばった何千ものサーバーを経由するため、追跡には各国の司法手続きが必要になる。現実的な時間軸では、ほぼ不可能に近い。
それだけではなかった。
動画のメタデータは完全に消去されていた。撮影デバイスの情報、作成日時、位置情報。通常の動画ファイルに残る痕跡が、何ひとつなかった。意図的に、丁寧に、消されていた。
「かなりITリテラシーが高い」と早瀬は報告書に書いた。
十日目の午後、技術担当の桑田が早瀬のデスクに来た。三十二歳。元エンジニアで、二年前に警察に転職した変わり種だった。
「Torだけじゃなくて、VPNも重ねてる可能性がある」と桑田は言った。「二重三重に匿名化してる。個人でここまでやれる人間は、それなりに知識がある」
「プロか」と早瀬が聞いた。
「プロというより、詳しいアマチュア。本職のハッカーならもっとスマートにやる。でも一般人よりは格段に上」
早瀬は画面を見た。
動画投稿サイトへの開示請求を出していた。しかし返答には時間がかかる。海外に本社を置くプラットフォームへの請求は、国際手続きを経なければならない。弁護士を通し、書類を揃え、先方の法務部門が審査する。早くて数週間、長ければ数ヶ月かかる。
その間にも、投稿者は動いている可能性があった。
十一日目、動画の音声を専門機関に解析依頼した。
声紋分析だった。声紋は指紋と同様に個人を識別できる可能性がある。しかし前提として、比較対象となる音声データが必要だった。投稿者が誰かを特定できなければ、声紋があっても照合できない。
堂々巡りだった。
十二日目の朝、早瀬は別のアプローチを試みた。
動画の内容そのものを分析した。「七日後に人を殺します」という一文。「五年前のある事件」というヒント。「高校教師」という言葉。これらのヒントは、投稿者が意図的に流したものだった。
なぜ意図的にヒントを流したのか。
目的があるはずだった。単なる愉快犯なら、ヒントを出す必要がない。ヒントを出すということは、特定されることを望んでいるか、あるいは特定の方向へ誘導したかったかのどちらかだ。
柏木真司は計画の中にいたのか。それとも偶然の標的だったのか。
早瀬はその問いを繰り返した。
答えは出なかった。
午後三時、桑田が再びデスクに来た。
「動画の音声、少し気になることがある」と言った。「専門家じゃないから断言はできないけど、自然な人間の声と微妙に違う気がする。ピッチの揺らぎが少なすぎる」
「合成か」と早瀬が聞いた。
「可能性はある。最近のAI音声生成は精度が上がってるから」
早瀬はモニターを見た。
AI音声。その可能性が頭に入った瞬間、早瀬の中で捜査の地図が書き換わった。
声の持ち主と動画の投稿者が、別人である可能性。あるいは声そのものが、実在しない合成物である可能性。
追うべき糸が、また増えた。
窓の外では高速道路を車が流れていた。止まらなかった。どこへ向かうのかも分からないまま、ただ流れ続けていた。




